第33話BPとシェル
6月29日PM 9:00
『フォーシーズンズ・パリ』の部屋で沢田は休んでいた。
部屋のドアがノックされる。
ジェーンが来たのかと思い、沢田はヘッドから飛び起きてドアを開ける。
そこに立っていたのはイギリスMI6のテイラーだった。
沢田は思わず言う。
「銭形警部」
「ミスター沢田。トタルとの交渉成功、おめでとう」
「誰から聞いたんだ・・・って言うのもヤボだな。あんたら何でもお見通しだ」
「約束通り、次はイギリスのBPですよ」
「そうだったな。覚えてるよ」
「明日と明後日はパリ観光の予定の様ですが、明後日の午前中は空けて下さい」
「明後日と言うと7月1日か」
「そうです。BPの一団がパリに来ますので」
沢田は少し考えたが、手間が省けるとはこういう事だと思った。
「いいよ。会議室を押さえておくよ」
「大会議室でお願いします。多分『シェル』も同席するようになると思いますので」
「シェルもね。随分手廻しがいいな」
「シェルの情報網に隠すのは無理ですので。ヨーロッパ最大の石油会社ですから、並みの国の諜報機関以上の力が有るんですよ」
シェル。正式名称『ロイヤル・ダッチ・シェル』はユダヤ人が興した『シェル』と、1890年にオランダ王室から特許状を受けた『ロイヤル・ダッチ』が合併して出来たヨーロッパ最大の石油会社だ。
沢田が言う。
「7月1日の10時でいいかな?」
「オーケーです。それでは宜しくお願いします」
「わかった」
「ひとつだけ報告しておきます。今日の朝9時半頃に、MI6の局員が会議室に爆弾を仕掛けようとしたウェイターを拘束しました。原発関係者に雇われた者の様でしたが自白させる前に死にました」
テーラーは去って行った。
「ちゃんと仕事をしてくれてた訳か・・・」
沢田は独り言を言って部屋のドアを閉めた。
ジェーンの部屋に電話する。
「ジェーン。何してる?」
「シャワーを浴びようとしてたところ。早く寝て下さいね」
「あのさ、明後日の午前中にBPと会談する事になったからね」
「えっ・・明後日? いつ決まったんですか?」
「今だよ。部屋に来てくれないか? 打ち合わせしよう。もしかしたらシェルも一緒かも知れない」
「それでは大きい会議室がいいですね。手配しておきます。飲み過ぎないでくださいね。おやすみなさい」
電話は切れた。
沢田はため息をついて矢部に電話した。日本時間では早朝の為に寝ぼけていた矢部だったが、BPとシェルの事を話すと声に張りが戻る。
「沢田さん。どうやったのかは知らないが、あなたは凄い交渉役ですね」
勝手に向こうから飛び込んで来たなどと言う事も無いと沢田は思った。
「パリまで来たからには目一杯頑張ってますよ」
「頼もしい限りです。こっちは全て順調ですからご心配無く。トタル、BP、シェルで、又300億円が入りますね」
「と、思うけどね。終わったら連絡しますよ」
「はい、連絡を待ってます。それから、アメリカからの300ミリオンドルがハイドロエナジーの口座に入金されました。日本円で約315億円です」
電話を切った沢田はベッドに横になり目を閉じた。
イザベルの顔が浮かんでくる。起き上がって電話を掴んだ。
5回目の呼び出しで出た。
「イザベル。俺だよ」
「マイダーリン、ジュン!今パリなの?」
「そうだよ。仕事は上手くいってるよ」
「そう、良かった。こっちは朝よ。まだ暗いわ。今、父が漁に出るところ」
「頑張ってるな、お父さん」
「お金持ちになっても漁師は止めないんだって。父の1つのアイデンティティーなのね」
沢田はオヤジの前歯が抜けた笑顔を思い出した。
「新しい家が建つまで早くても3ヶ月掛かるだろ。今の家も屋根や壁を直したらいいよ。すぐに出来るだろ」
「屋根は弟に直させたの。ボルカシールっていう接着剤みたいなので。あとは大丈夫。こっちの事は心配しないで」
「そうか、分かった。仕事が片付いたら、なるべく早くそっちに行くよ」
イザベルの事を考えながら沢田は眠りについた。
ジェーンは部屋で会談の用意をしていた。ビデオは英語バージョンのメモリーカードに変えるだけで済む。
午後11時になるのを待ってジェーンは二階堂に報告の電話を入れた。日本時間で朝7時だ。
二階堂が言う。
「シェルが動かない訳がないよ。オランダの諜報機関も昔と違って政府を動かせるからね」
ジェーンが聞く。
「どういう事ですか?」
「昔の事だけどね。1995年だったかな。バルカン半島に駐留していたオランダ軍の危機をオランダ諜報機関のAIVD(総合情報保安局)が政府に伝えたんだが、平和ボケしていた政府は耳を貸さなかった。その結果、セルビア兵の大軍に襲われ多くの兵と市民を失ったんだ。『スレブレニツァの虐殺』と呼ばれているよ」
ジェーンは真剣に聞いていた。
二階堂は続ける。
「オランダ政府は情報の大切さを身を持って知って、それ以降はAIVD への予算も劇的に増えたんだ。巨大企業のシェルに諜報局員が潜り込んでいない訳が無い。アメリカのメジャーが動いた事も知っているさ」
「知れば知る程、石油業界は凄い世界ですね」
「エネルギー無しでは国の繁栄も無いからね。危ない連中も大勢関わってるから充分に注意してくれよ。今日の朝も、MI6がそこの会議室から爆発物を撤去したようだ。気を抜くな」
ジェーンは唾を飲み込んだ。
「分かりました」
電話を切ったジェーンには鳥肌が立っていた。MI6が監視していなかったら爆死していたかも知れないと思うと身体が震えた。
6月30日日曜日
沢田とジェーンはトタルが用意してくれたシトロエンC6でパリの街を観光した。ガイドはジェーンだ。
絵を返却したオルセー美術館には行かずに、ルーブル美術館に行ったが、広すぎて沢田は直ぐに飽きてしまった。
近くの『カルーゼル凱旋門』を見る。戦争に勝って帰るときは自分を讃えたいと言う気持ちは分かるが、わざわざ何ヵ所にも門は要らないだろうと沢田は言った。
セーヌ川沿いのカフェで昼食を摂り、ノートルダム大聖堂や宮殿を巡ってホテルに戻ったのは午後5時になっていた。
ジェーンは夕食にはエッフェル塔のレストラン『ジュール・ベルヌ』に行きたがったが改装中だった。
外に出るのが面倒だという沢田の意見を聞き入れて、ホテル内の『ラ・ジョージ』で済ませる事にした。こちらの方が格上のレストランだ。ジェーンに不満は無い。
午後8時過ぎ。ディナーコースで最後のデザートが運ばれた時にジェーンの携帯電話が鳴った。
短い会話の後、ジェーンが真剣な顔で沢田に言う。
「叔母と家族が誘拐されたの。こんな時に叔母に会った私の責任・・・」
「要求は?」
「明日の会談は止めろって」
沢田はジェーンを抱えて飛んでいた。叔母の住む『ル・マン』の街に向かう。ル・マン24時間耐久レースで有名なサーキットが有る街だ。
叔母の家はル・マンの中心部から2キロ程の南のミロワー・バティニョル地区のポリゴン通りに在った。普通の民家が建ち並ぶ静かな通りだ。
有名なサーキットは更に5キロ程南だ。
叔母の家を訪ねる。ジェーンが確かめるとドアはロックされていない。
沢田と中に入る。1階は無人だ。
2人か2階に上がると同時に銃声が響いた。
数丁のマシンガンからの銃撃だ。木造住宅の壁を貫いた銃弾が2人を襲う。沢田は床に伏せたジェーンを道路側に背を向けて抱き抱えた。
沢田の背中に十数回の衝撃が来る。
銃撃は3秒程で止み、再び始まる。弾倉を替えているのだろうと沢田は考えた。銃撃は3度繰り返されて終わった様だ。
沢田は外を透視した。4人の覆面の男達がマシンガンを持って家に入って来る。
ジェーンを2階のバスタブに隠れさせた沢田は階段の上に立ち、下を見下ろして待った。
1人の男が沢田を見つけて銃を構える。念力で止めた。
動かない男を不審に思い、他の男達がやって来る。
念力で止められた4人全員が階段下に並んだ。
ジェーンを呼び、銃を取り上げ、手近なガムテープで男達をしばらせた。
沢田はリビングのソファーに座った。後はジェーンに任せる。
ジェーンが男達に問いかける質問は拷問になった。4人の内2人はフランス語が分からず、ロシア語に反応した。
ロシア語の2人が拷問に耐えられず息絶えたところで、残った2人が先を争うように喋り始める。
ジェーンの叔母家族は、パリとの中間点の『シャルトル』にいる事が分かった。
案内役で1人は連れていこうとジェーンが言い、怯えきっている男を残して、他の1人の眉間に連中から奪ったウージーサブマシンガンの弾を1発撃ち込んだ。
イスラエル製のウージーサブマシンガンは9ミリ弾を1分間に600発のスピードで発射する。回転速度は特に早くは無いが信頼性が有り多くの国で使われている。
男達のウージーには32発用の弾倉が付けられていた。
4丁のウージーを抱えて男を連れて外に出る。連中が乗ってきた車に乗り込む。ジェーンが運転席で沢田が男と後部座席に座った。
『シャルトル』までは約120キロだ。
この時間なら飛ばせば1時間ちょっとで着くとジェーンが言う。
車は黒いメルセデスの旧型500Eだ。大きすぎないボディにV8のパワフルなエンジンが積まれている。
ジェーンの運転するE500は、ハイウェイA11号に出て直ぐに銃撃を受けた。沢田が振り替えると3台の同じようなBMW が、180キロで走るE 500を追ってくる。
沢田が叫ぶ。
「スピードを落として!」
120キロまで落としたE500の窓を開けて沢田が身を乗り出す。
横に並んできたBMWのタイヤに光の玉を撃った。
前輪が破裂したBMWはスピンして横を向き横転する。何度も転がり、空いたドアから2人の男が放り出された。
他の2台を片付けるまでに沢田は10発以上の弾丸を受け、着ていた服が穴だらけになっていた。
沢田の横でガムテープで拘束されたままの男は怯えきっていた。
シャルトルに拉致されていたジェーンの叔母一家は無事に保護された。
沢田とジェーンが誘拐テロリストのアジトを制圧するのには10分も掛からなかった。中にいたテロリスト8人とル・マンから連れてきた男の全員がジェーンに眉間を撃ち抜かれた。
ここでも3人がフランス語を理解せずロシア語に反応した。ロシアか旧ソビエト連邦の衛星国からである事は確かな様だった。
水素エネルギーが広まるのを好ましく思っていない連中は山ほどいる。
保護した叔母一家を連中のシトロエンのワンボックスバンに乗せてパリのセーフハウスに向かった。
ル・マンから乗ってきたE500は銃弾により穴だらけになっていたので捨てた。
JIAとCIAが共同で使うセーフハウスで全員が食事を摂った。
叔母、叔父、ジェーンの従兄弟2人がこれからどうなるのかと質問する。
家族は政府から別の場所に新しい家を与えられ、新生活を送ることになるとジェーンが申しわけ無さそうに言った。
若い従兄弟達は喜んだが、叔母夫婦は複雑な顔をして、仕方ないと言うようにジェーンを抱いた。
家族は、人目の多いシャンゼリゼ通りにJIAのルノーで出て行く。運転するJIA支局員が車を停めて家族に言う。
「運転を代わりますのでご心配無く」
運転手が入れ替わった。
「DGSE の者です。これから政府機関の建物に行き、行き先の希望などをお聞きします」
それから家族は、万が一の尾行を振り切る為に、ビルの地下などで車を2回乗り換えさせられて、DGSEのセーフハウスへと落ち着いた。
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