第八話 落ちていたマイクは 2


丸根正之まるねまさゆきは会場に響き渡るその声を、音響室で聴いていた。

最初の心境は喜びだった。

そして安心、安堵。



「これは夢呼の声……!か……」



さっきまで控室に座っていた時と同じ、底抜けに明るく伸びる声。

ウチのバンドのボーカルの声……なんてことだ。

この状況で、―――ステージか、確かに予定ではあの場所にいるはずだった。

だがこの事態、いや事件においては奇跡。



会場すべてを巻き込んだパニック。

スタッフもどうすればいいかわからず怯えている。

それぞれが行動し、通報もし、なかには責任者と連絡を取りに行った者もいた。

だが結果は芳しくない、騒ぎの規模は大きくなっている。

密室となっているこの音響機器室にも、周囲の喧騒は届く。



どうする。

この会場のスタッフはほとんど音信不通だ。

そんな彼に、今ボーカルの声が届いた。

身近な生存者は一筋の光だ。



彼女は無事だ。

無事だし、連絡を入れる余裕があるだと。

だが僕は動けない状況だ。


「丸根さん?今の声、今の声は一体―――?」



音響室で、もう一人の女性スタッフがいる。

今のマイクの声に反応して、困っている。



「心配ないよ。ああ……うちのボーカルだ」



歓喜と安堵がある丸根マネージャーであるが、バンドメンバーを視界に入れていない。

視野に入れることは出来ないわけではない。

建物の構造上。



音響室からは観客席を挟んで、ステージの様子が見れるような窓も付いているのだが、二人はそれを見る余裕はなかった。

ステージを見ることが出来ない。

何故ならば―――。



ドアの向こうから、何かが倒れるような音が聞こえる。

押さえていた丸根マネの頭蓋が揺れる。



ドンドンドン!

バス・ドラムだとでも思っているのか、奴らが叩いて侵入しようとしているのだ。


「くっ……!まただ、奴ら!」


「ひっ、いい……!」


奴らとはなにか?

本当に人間なのか。

それとも人間の形をしているだけで、もう―――。

唸り声しか上げることが出来ない、が---!

ドア一枚隔てて向こうにいる。



助けを求めようとした。

この状況ではスマートフォンでメッセージをタップする指も誤字が増えすぎた。

暴動者を押さえつつの、ながらスマホはとても無理だ。

先程諦めたところだった。



というより、助けを求めてどうするのだ。

助けを求めてこの問題は解決するのだろうか?

メッセージを受け取れたとしてあの廊下を通れるものがいるかどうか。

女性スタッフが悲鳴じみた声で鳴く。


「丸根さあん!わ、私が抑えていますから、気にせず!」


「馬鹿を言っちゃあいけないよ!そっちに機材棚がある、そうだそれ、重い奴―――これでドア塞ぐから―――」


『丸根マネぇ、音響調整!いや音量だ!後ろ!』


「夢呼の奴、一体何を!?」


丸根マネと女性スタッフは、ドアを二人で背にしている。

体重をかけ、歯を食いしばっている。

この状況は緊急性が高い。

なのにあの女ときたら、何を言い出すのか。



なんとかかんとか、ドアを機材で塞ぐことには成功し、一人だけでも防ぐことは可能になった。

やや廊下が静かになり、少し安心する。



連絡を入れようとスマートフォンを握ったが、本番のステージに立つ彼女たちは電源を切っているはずだ。

連絡をしても通じない可能性―――どうする。



自分は自分で、この暴動―――パニック?

何なのかわからないが、大勢の客が暴れている。

自分たちの安全を確保することに必死だった。


『音響、スピーカーに奴ら、行くから! してくれえ!』



音に反応する!音だけに、たぶん、普通の人と違うからあ!

そんな説明が長々と続く。

全部シャウトだし説明が聞きづらい。

あといい声。



丸根マネ―ジャーはその指示、いや生きるための行動を読み解く。

自分の担当バンドメンバーが、この状況で声を張り上げている。

自らも危険であるはずなのに。

敵は音に反応する―――だってえ?



ステージ前部のスピーカーは直ぐ切らなければならない、夢呼たちに近付かせてはいけない。

音に近付く奴らがいる、ならばそれは自分たちである程度操作ができるのだ、スピーカーの音量配分はほとんどこの音響機器室で管理できる。



もともと予定はライブだ、最適なセッティングに近かったはずだが、パニックのどこかでズレは生じている。

ああ、もったいない―――今日、壊れた機材もあるだろう、壊された。

今までで一番デカい舞台だ、その損害費も想像するだけで怖い。


「丸根さあん!はやく」


『ステージの機器ものと繋ぐからァア、フォローしてくれ、そっち行けないから!』


スピーカーの音量、上げろ、良く響くようにと。

そんなことをしたら……!

そんなことをもしやったら……どうなるんだ?

本当にアレを操れるのか、数百はあろうかという大群を。


「くうううう……、知らんぞ! ボクは!」


元々、その目的で音響室に。

この部屋に来たとはいえ―――。

この状況で、マイクパフォーマンスを補佐しろと。

なんだそれ、聞き間違いじゃあないよな。

元より絡まってもおかしくないような乱髪を抱え、戸惑う、震える。



機材の作業台を睨む。

丸根はドアから離れる。

音響室を移動、椅子に座って。

様々な機材が並ぶ部屋であり、マジックミラー越しに観客席やステージも見ることが出来る。

なお、暴動者は状況に混乱している最中だった。

どいつもこいつも、ステージでなく宙―――いや天井を見上げている。


「マネージャーさん、私がやりますか」


「……ボクのところのボーカルだ、ボクがまず、やらないと」


言ってから強がりだと気づいたが、もうそれでもどうでもいい。

夢呼は言った。

暴れている人間は音に反応すると。



音に、音にだって―――?

機材を前にして狼狽える自分がいる―――こんな時にギャグじゃないよな。

つまりあれなのか、音で気を引く?

そんなことが、出来るとは……

それでも考え修正しようとする。

大量のスイッチ群、ところどころの付箋メモ。



言うまでもなく、奴らは、何かおかしい。

普通の人間とは違う―――中身が、精神、心が。

動物のそれか、なんなのか。



彼は脳裏に奴らの映像を浮かべた。

つまり剥きだした歯に腐臭。

その目に、瞳は生きている時とは明らかに違い―――!


あのうろつき魔が普通の人間と違う行動規範を持っている。

それはほぼ、間違いない。

なにか、この状況を抜け出す手、抑える手があれば藁にもすがりたい思いだ。


「……っ!音!」


丸根マネージャーは視線を機材に走らせた。

この仕事で来てからは操作も多少は覚えていた。


学生だった頃の放送室ですらその操作デバイスの多さに目を白黒させたものだが、

なんのことはない、いつも使うものはわずかだ。



ステージ上のメンバーから目をそらし、テーブル上の機材に並んでいるボリュームのつまみを高速で流し見る。

視線を泳がせ、いや全力で泳ぎ、定規のメモリのようなつまみ、貼り付けられた付箋メモ。

そうして、それを探す。


ホール後方の、右!

まずはそれを回す。


右奥のスピーカーの音量を大きくした。

夢呼たちのいるステージからは離れている一つだ。

観客の方を向いている。

よく音が届くように向いているはずだ。


「―――マネージャーさん、それです。そこでっ―――」



『―――これだ!』


音響室はマイクも添えつけられている。

若い男の声が場内に響き、

暴動者たちが全員、ホールの後方右を向いた。

その天井を。

その天井に、スピーカーは備え付けられている。


『それだ!それでいける!』


夢呼の返事も、後方右上から聞こえた。

前方から―――ステージに立つ四人から、暴動者が潮のように弾いていく。

一足早く後方右の隅にたどり着いたものは、そのまま天井を睨み、両手を伸ばしている。

海でおぼれている人みたいだ。

それが徐々に増えていく



一方ステージでは。

そのうえで一人だけ、狼狽えて右往左往する者がいた。

血の色が薄れ、漂白したような肌の暴動者。



スピーカーからの絶大な音量と、間近から聞こえた夢呼の喉部が出どころの純声に、迷っている。

音に気を引かれる前に、一匹上がって来ていたらしい。

仲間の肉体を階段として。

そんな一体の暴動者。



そこに、向かう。

マイクを持ったまま、ぐんぐんと近づく女が、一人。


『仲間のところに―――帰りなっ』


ここは私たち四人の空間ステージだ、と確固たる意志を込めて蹴りを入れる。

バランスを崩されて、よろけた暴動者。

腐肉の海に吹っ飛び、落ちていった。





――――

――――――




「―――はあっ、はあっ」


庄司巡査は人ごみをかき分けていた。

歩幅が小さい少年に合わせ、やや屈んだりしつつ、息も切らしていた。

慣れない姿勢と、全方位への警戒、焦燥で疲弊しつつある。



だが色々とわかったこともある。

全力疾走すれば奴らは追いついてこれないこと。

姿勢を低く、棒立ちの奴らの腰位置を過ぎ去るようにすれば、視界に入りにくい。



もしやこの少年、小さな子が助かった理由の一つでもあるか。

などと頭の中に降ってきた理屈もあった。

おそらく妄想と大差ないが。

背の低さは肝要。



これのおかげか。

背が低いゆえに、暴動者―――奴らの視界や牙から離れていた、という。

どうやら哀れな連中は、しゃがむ、だとか、そういった動作がかなり遅い。



そしてステージも気になる。

なんださっきから、マイクを持った女がいる。

腕で客席後方を指差している、眼鏡をかけた女だ。

大声で叫び―――。

馬鹿な、この状況で頭がおかしくなったか?

ああ、その可能性はあるのだろう。



どちらにせよ、無事に助かる可能性はもう低いが―――

警察官である自分も、今は助けに行ける余裕など全くない。

期待するなよ、まあ向こうからだと私はほとんど見えないはずだが。

助けは来ない、部長はもうどこにいるかわからない。


『音量を上げてくれ、ステージに近づけさせるな!』



音量?

会場の、マイク握って何をやっている?

……まあいい、もうすぐ非常口にたどり着く。


だが非常口のランプの光の下には、たくさんの暴動者が集結していた。

皆、ドアを叩いている。

駄目か。



この様子では、他のあらゆる出口も―――!

私は立ち尽くした。

諦観はあった。

だが出口に関しての思考は回していた。

考えても考えても、答えが見えない。



そしてこれは私の感覚でしかないのだが、なんだか、増えている。

増えている、気がする―――当然だが数えているわけではない、数えられるわけなどない。

あくまで気がするというだけだが、暴動者が。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る