番外編

主人公の災難

 ……最近、結衣には困ったことがあるようだ。

 出だし早々「何言ってんだこいつ」と思われるかもしれないが、どうか解ってあげて欲しい。

 この状況を――


「……ねぇ、あの……緋依さん? ちょっと近くない?」

「ん〜? 何がですか? 私は普通にしてるだけですよ?」


 この状況が普通? この人は何を言っているのだろう。

 腕を組まれ、胸を押し付けられている状況が――普通?


 ――そんなわけないでしょ!!


 結衣は内心吼えた。

 別に結衣はスキンシップが嫌いとか、緋依さんが苦手とかそう言うことでもないのだ。


 結衣が何故この状況に困っているかと言うと、緋依の態度があまりにも違いすぎるから。

 妙に距離感が近くなったというか、懐いているというか……とにかく変なのだ。


「結衣ちゃんはこういうの嫌いですか?」


 緋依が唐突に、涙目で捨てられた子犬みたいな顔を浮かべる。

 結衣はそれに何かを感じ、


「そ、そんなことないよ……」


 それ以上何も言えなくなった。


 ☆ ☆ ☆


 しばらくすると、結衣たちは見慣れない公園に辿り着く。

 そこには、見知った顔がいた。


「えっ! せーちゃん!?」

「あれ? 結衣? ……って、何してるのよ?」

「それはこっちも訊きたいよ…………」


 呆れ気味に、半眼で結衣と緋依を見るせーちゃんの姿がある。

 結衣はため息を吐きながら、そう零した。


 緋依は一層強く結衣の腕を組み、せーちゃんを睨むように見つめると――


「結衣ちゃんは渡しませんからね……」


 ――とんでもない事を言い放った。


「ちょっ!?!? 何言ってるの!?」


 結衣は驚愕のあまり大声で叫んだ。

 せーちゃんも口を開けて、呆然と緋依を見つめている。


 そして、緋依はなおも口撃を続ける。


「あなたも結衣ちゃんのこと好きって分かってるんですよ? なのであなたに渡す気はありません……」

「え? 待って? 私、緋依さんのものになったつもりないよ???」


 だが、結衣のツッコミは華麗にスルーされ、そして――


「私の気持ちが嘘じゃないって――見せ付けてやります」


 ――チュッ。


「んんっ!?」

「なっ――!」


 別々の悲鳴が、人気のない公園で上がる。

 ――一つは結衣で、一つはせーちゃん。


 結衣は何が何だかわからず混乱していて、抵抗する余裕がなかった。


「ぷはぁ……ごちそうさま」


 緋依はそう言うと、ペロッといたずらっぽく舌を出した。

 結衣は何も言えず、ただ呆けることしか出来ない。

 そして緋依は、


「じゃあね〜」


 と言い、手を振って得意げに帰っていった。


 その場に取り残された結衣とせーちゃんは。

 嵐が過ぎ去ったような謎の疲労感と、異常なまでの静寂に襲われる。


 ――ファーストキスを奪われた。


 喪失感が結衣を包み、その場に膝から崩れ落ちる。


「な、なんだったの……」


 思わず結衣の口からその言葉が出てしまう。


「えっと……その――大丈夫……?」


 せーちゃんは結衣の顔を、心配そうに覗き込んだ。

 結衣はせーちゃんを心配させないようにと、明るく振る舞う。


「あはは、大丈夫だよ……」


 だが、その笑みが乾いたものであるとせーちゃんは気付いたのか――


「あの悪魔にやられたのが嫌だったのね……それなら……」


 と、何やら不穏な空気を放ち、ブツブツと何かを呟くせーちゃんの姿が――

 結衣は何故かとても怖いと感じ、思わず身震いした。


「あ、あの……せーちゃ――」


 結衣は勇気を出して声をかけたが、


 ――チュッ。


 またもリップ音が聴こえてきた。

 だが、今回は緋依と違い、強引ではなく、優しく包み込むように柔らかい感触があり――甘くどこかに誘うようだった。


 そして、その時間は長くなく、あっという間に終わる。


「……あ、あの……せーちゃん。なん、で……?」

「消毒と……あとは……マーキング?」


 そう言われ、結衣は唖然とした。


 ――せーちゃんも自分の貞操を狙っている!


 何故か結衣の本能がそう告げ、忠告してくる。

 言外に、“私のモノだっていうしるしを付けた”――そう言われた気がして、結衣は戦慄した。


 二度目の嵐を経験した後、せーちゃんは足早に帰っていった。

 結衣も、いつまでもここに呆然と立っているわけにはいかないと思い、重い足取りで家への帰路につく。


 しばらくため息を吐きながら下を向いて歩いていると、またも見知った顔を見た。


 結衣はもう声を掛ける気力がなかったが、気を紛らわせたいと思っていたこともあり、力無く声を掛ける。


「あれ? 真菜ちゃんじゃん……どうしたの?」

「え? あ、結衣……? 私は……散歩の、帰り……だけど……」

「へぇー、そうなんだ……」


 こんな普通の会話に安堵した事が、今まであっただろうか――と、結衣は幸せな気分になる。

 先程の怒涛の記憶が、嘘のように浄化されていくのを感じた。


 ――結衣は今、かつてない幸せを噛み締めている。


「結衣は……どうした……の? 家……ここら辺……じゃ、ない……よね?」


 その言葉に、幸福感に包まれていた結衣が再び嵐を思い出す。

 そしてあからさまにテンションを落とした結衣に気が付き、真菜がわたわたと慌てる。


「あ、ごめん……言いたく……ないこと……なら、無理……しなくても……」

「あはは……ありがとう。でも、大丈夫だから……ちょっと私の周りにだけ、局地的に嵐が吹き荒れていっただけだから」

「え!? 嵐……!? どういう……事……!?!?」


 ☆ ☆ ☆


 結衣たちはそうして話をしながら帰った。

 真菜がいつもこの辺で散歩していると言っていたので、しばらく結衣もお供させてもらうことにした。


 ――結衣があの強烈な出来事を、忘れるまで。

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