第65話 逃げた先で

「はぁ……はぁっ……」


 夏音は走っていた。

 暗い闇の中、家と家の間を縫うように必死に走る。


 あんなに強いとは思わなかった。

 自分の力なら、絶対勝てる自信があったのに。

 だって、自分の力は――


 そうこう考えているうちに、見慣れた温泉宿にたどり着いた。

 ここが夏音の家。

 逃げなきゃと思って一心不乱に逃げ惑ううちに、ここに帰ってきてしまったらしい。

 気が重い。


「……ただいまですにゃ」


 勝手口――館員用のドアを開けると、シーンという静寂だけが出迎えた。


 はぁ……とため息をついて、靴を脱ぐ。

 すると、館員の一人が夏音の方に向かってきた。


「あら、夏音さん。おかえりなさい」


 四十代ほどの優しそうな館員さんは、朗らかな笑みを浮かべる。

 そして、すぐそばにあった調理室へと入って、またすぐ料理の乗ったお盆を持って出てきた。


 忙しいのだろう。

 汗を流しているせいか、少々色っぽくなっている。

 そしてまた夏音に向き直ると、


「ごめんなさいね。夏音さんの分のお食事が出来ていないの。悪いけれど、先にお風呂に入ってきてくれる?」


 お客の少ないうちに。と付け加えると、歩きづらそうに廊下を小走りして去っていく。


「……分かったですにゃ」


 夏音は誰に言うでもなくそう零すと、浴場へ直行した。


 ☆ ☆ ☆


 「はふぅ……」


 浴場は、まだ人の少ない時間帯。心を落ち着かせるにはいい環境だ。

 温かいお湯に、心が満たされていくような気持ちになる。


 大浴場に一定時間いると、だんだん飽きてきたのか、夏音は立ち上がって露天風呂の方に向かって歩き出す。

 露天風呂は、大浴場とは違った雰囲気が漂う。


 そこで夏音は息を呑んだ。


「お、やっほ〜」


 気軽に夏音に声をかけた人影は。

 深緑の長い髪と、黄色に輝く猫のような瞳が特徴的な少女だった。

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