第40話 VRの世界での最後の輝き
廊下には人気はないが、時折ただ、モニターの無機質音が響き、規則正しいキー音が続く。
「アンドロイドたちがカルテをひたすら入力している音だ」
門奈計磨は告げると、病室を離れ、長椅子に落ち着いた。電子硬貨でしか買えない自販機で珈琲を二つ買うと、優利に差し出す。
「さっき、そうだよなって言いましたよね」
「……言ったね。
優利は水槽にぷかりと浮かぶ脳を思い描いた。それと、VRの関係性が気になった。
脳と、感覚超越と、水槽の脳がきっと繋がるのだろう。
『きみは、知ってはいけない領域を知ってしまった可能性がある』アーサーの朧げな言葉を思い出すと、身震いがしてたまらない。
「それじゃ、スパコン並みじゃないですか」
「数あるゲームの中でも、VGOはその脳の持ち主を探すために作られている。大抵の人間はVRでまでSSS《サバイバル・ソリューション・デスゲーム》をやりたくないというのが本音だ。まして、感覚を重んじるVRでの
――最初のモナ(門奈計磨のアバター)の容赦ない攻撃を思い返した。肉体の痛みはない。VRだから、ホロは復活する。しかし、暁月優利は確かに「死」を感じて慄いた。
迫りくる「自分の終焉」猛攻撃の耀の洪水に貫かれて、自分の存在が消える瞬間。ガタガタと青ざめた優利に、珈琲を飲み下す音が響く。
「俺は、いくどもユーザーを試してきたさ。塔から先の実装はしていないが、間もなく新しいエリアが解放される。……そう、目を輝かせるなよ」
指摘されて、優利は目元を熱くした。
「いえ、いちユーザーのやったぜGJ運営! みたいな気持ちで」
「ははは」門奈計磨は珍しく声を上げると、「きみは強いな」と微笑みを向ける。向けた後で、思い出したように、わざとらしい口調になった。
「――聞きたかったのだが、きみは感覚切断でも感覚を取り戻せずに、死海を彷徨った。大河内李咲によると、きみの
「えっ……」
「きみにもゾルピデムを投与したんだ。そのほうがすっと感覚を切り替えられると思って。だから、きみのその瞬間の脳波の輝きの理由を知りたいのだが」
優利はその時を思い返して、持ち前の記憶の正常さに呆気にとられた。確か、感覚を切られてもう何も分からない、と思った時に胡桃に逢いたくなった。
――で?
「ヒロ?」
「わ、忘れました……は通用しないんですよね。俺、彼女がいるって言ったでしょう! か、彼女とHするまでは死ねねぇって……」
「…………すまん」
「いえ、社員として、お答えしなきゃって……そうしたら身体が熱くなってきて……あの、まさかですが」
「アメリカ大国のマストン学者は「欲望に精神的段階があり、脳の階層性から「意は欲から生まれ、意欲、意志へと昇華する」と名言を残しているが、性欲が……」
恥ずかし過ぎて、優利は門奈計磨の口に片手を当ててしまった。「もご」と門奈計磨は何かを言ったが、ちょうど腕輪が『勤務終了です』と告げたのをいいことに、頭を下げた。
「お先に失礼します!」
「ああ、明日も頼むぞ。アーサーの野郎には逢って……はいかないか」
暁月優利は首を振った。キャシーの現状だけで、なんとなくこの世界とVRの繋がりは分かった。元気な姿が見られるなら、明日、VRで逢おう。
背中にヤジが飛んできた。
「彼女とよろしくな――っ」
「逢いませんよ! にやにやしないでください、門奈さんっ!」
一度センターから会社に戻って、出たところで思い出した。また、ハッカーの話をはぐらかされた。いつになったら向き合えるのだろうか。
*****
――で、やっぱり来ちゃったじゃないか。夕暮れ時の「七味庵」はお客の出入りが激しい。日本橋の駅前でエナジードリンクを買ったら甘味が強過ぎて、腹のたしにはならなかった。結局、好物のカレーうどんと言えば、ここしかない。
はたはたと元気よく「七味庵」の暖簾が夕暮れにはためいている。ほとんどが電光になった中で、七味庵だけは、ずっと「老舗」として変わらない。
「よっこらしょ」
見ていたら、お店から、胡桃が出て来た。しゃがんで看板を書き換えようと、チョークを持っている。よく動く丸まった背中に、買い置きのエナジードリンクを載せてやった。
「ぴゃ」冷たさに胡桃は飛びのくと、しゅっとパンチを繰り出してくる。兄妹で武道を齧っているので、胡桃は強い。
「そこのぷー……じゃなかった。会社帰りのお客様、嫌がらせはおやめください。何しに来たの?」
優利は有価硬貨を指ではじいて、胡桃に飛ばした。
「胡桃に逢いたくなったから来たんだ」
胡桃は大きく頷いて、ぱっと笑顔を見せた。
「おやおや? 社会人になると、きみは素直になるのかな? うん、カウンター掃除するから待ってて」
「そうじゃない。別に腹なんか減って……」
盛大な音に、胡桃は「カレーうどん二つ、お兄ちゃん!」と元気に飛び込んで行く。待っている間に、門奈計磨との男の会話を思い出した。
(俺って……そうだよな、生命の危機を感じると、男はそうなるっつーもんな。でも、俺、死にかけても胡桃と)
ぬっと包丁を突き付けられて、正気に還った。「もー。お兄ちゃんやめてってば」と胡桃の声。どうやら今日は兄妹で切り盛りしているらしく、胡桃は元気よくお湯からうどんを器に盛り、兄の向日葵がカレーをこんもり装ってくれた。やっぱり、食べ物は身体と一緒に楽しみたい。でも、きっと、次もカレーうどんを食べる時はきっといい記憶になっている。
「あれ? 二個?」
「胡桃の休憩分。カウンターだと話ししにくいから、持って部屋に上がれ。酔っぱらいが増えるし。就職したなら、別に俺は胡桃とのことをとやかくは言わんが」
再びぎらりと包丁を向けられて、「妹に触れるなよ、元ニートゲーヲタ」と痛恨の一言を投げつけてくれた。
いや、大変に余計なお気遣いだ。しかし胡桃は嬉しそうに「いこ」と平然と優利の腕を引いて、階段を上がらせる。可愛い部屋に、いい香り。たちまち四肢が緊張した。
「お父さんとお母さん、旅行中でね、今夜やっちゃおと思って」
お父さんお母さんご不在ですのお泊りHイベントフラグ――! かと思いきや、胡桃は「じゃぁーん」とスマホを見せて、ねこやしきにご満悦だ。勘違いを口にしなくてよかったと、持参のドリンクを煽った。
「夜通し付き合えってか? 俺、明日も仕事……」
「若旦那ねこのヒントが見つかったの! 街はずれに情報屋の花魁ねこがいるから、そこに通ってるんだって」
どんな若旦那だ。そして、何気にこのアダルト要素をぶっこんでくる運営会社キャッスルフロンティアKK……に勤めているのだった。
ゲームは一種の娯楽で、心の拠り所だ。でも、裏では……壮絶な命のやり取りが隠されている。この世界で「死した」と判断された人々が起死回生を願い、ずらりと並ぶ医療カプセルはまるで墓場のようだった。
胡桃のように、ヒトに優しい人間だけが、幸せであればいいのに。
「ヒロ?」
「カレーが目に染みた」嘘をついたが、胡桃は真に受けて、「ティッシュ」と立ち上がる。腕を引くと、弾みで胡桃のスマホが落ちた。
思った以上に柔らかい腕に、頭を摺り寄せる。「カレー、冷めちゃうぞ」「もうちょっと」
VRの世界で最後の輝きを放つ人々が脳裏に焼き付いていた――。
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