第26話 ボランティア少女とゲーヲタ少年

***


 新宿の駅に辿りつくと、俄かに人が増えて来た。やはり、あまりにも人が減っている気がする。


「いらっしゃいませ」


 無人が多くなったショップでうやうやしく頭を下げたヒューマノイドを横目に、久しぶりにチョコ菓子を二つ買った。ちらっと見た腕輪にはまだ給料の文字はない。入社できたのかどうかもあやふやな頭のために、糖分を口に放り込む。


 ――甘いな。


 舌を出して、吐き出した。見る世界は変わらないはずなのに、どこかくすんで目に映った。あまりにも、VRの世界は綺麗過ぎて、残酷で、したたかだった気がする。


「これが、依存症?」


 どんなゲームをしようと、暁月優利は寝るし、食事をする。もちろん胡桃にも逢いたいし、本だって読みたい。

 社会不適合者であることは自覚しているが、単にゲームする時間が惜しいだけで、人格破綻はしていない……と思う。


 公園について、携帯を取り出すと、メッセージボックスには所せましとリスの怒り顔が並んでいた。面白いので、遡ってみる。最初は『やっほー』とプレゼントボックスからリスが飛び出して『げんき?』と問いかけていたが、だんだん『ぷりぷり』だの、『さみしいと浮気しちゃうぞ』だの、『あんたなんか知らない』の合間に『お仕事なのかな』『がんば!』が入り、しばらくしてまたいじけたリス。


 不思議だが、そんなもので、胡桃が愛おしくなった。多分ログインしているだろうとねこやしきを開いたが、フレンドの中には見当たらない。


「……顔でも見に行くかな。苦手なんだけど」


 昼間の白幡胡桃は、介護ボランティアを勤めている。とはいえ、門奈計磨のような医者ではなく、あくまで介添えのサポートだ。


 公園に集まるじじばばの健康診断や、話し相手、時にはお散歩に付き合うデイサービスの手伝いらしい。兄の向日葵と一緒に始めた時、優利は少し羨ましかった。

 年老いて弱くなっていく老人を、真っ向からみるのは、辛い。ただ、それだけの理由が、なんとも心に重くのしかかる。


「VRの感覚のせいか」


 背中を撃たれたキャシーや、バズーカを構えて戦うシーサイトの面々の鬼気迫る空気と、門奈計磨の無茶な新人研修は、やっぱりどこか、優利を疲弊させていた。


***


 胡桃の担当する日本橋公園に差し掛かったところで、空が陰りを帯びて来た。まだ暖かい公園にはリムジンバスが停まっている。黄色の「にこにこマンション」と書かれた向日葵柄の車を確認して、そっと公園に歩み寄った。帽子を被った胡桃の頭が見える。


「おばあちゃん、ゆっくりね」


 どうやらバスから降りる老婆の手助けをしているらしい。時折見せる笑顔に胸が締め付けられた。


 幼少から、胡桃のことは知っている。腐れ縁が嫌になった時間もあったが、二人を繋いだのはゲームだった。


 背中合わせになって、違うゲームに夢中になっていても、いつしか互いの気配を感じる。でも、どちらかというと、優利が胡桃に寄り添うようになった気がする。



「やだ、ヒロ」

「あんたの、彼氏かい」婆さんがしわっとした笑顔で、優利を見やる。前で胡桃は頬を染め、「はい」と明るく答えるのだった。


***


「今日はデイサービスのサポートなの」渡してやったチョコを受け取りながら、胡桃は目を細めて、次々降りて来るじじいやばばあを見詰めている。わらわら集まって来る老人の何が嬉しいのか、胡桃はほんのりと頬を紅潮させていた。


「そっか。連絡できなくて、ごめん」

「寝ていたか、VGOか、だけど、仕事終わった後、一緒にお祝いでもって思ってたのに」


 ぶらぶらさせる足の動きを目で追いながら、優利は肩を竦めた。


「仕事だったんだよ。一晩中の研修」

 嘘は言っていない。胡桃は「そこ、ダイジョウブなの?」ともっともな言葉を返してきた。


「――ゲームの運営会社だからな。ゲーマーは夜に蠢くから。俺を見てれば分かるでしょ。夜型が多いんだよ」


 堂園誠士を思い出し、キャシーやジェミーを思い出し、言葉が減った。


「警備員だから、俺」

「自宅警備員とピザの管理人だったくせに。そっかあ、就職おめでと」


 おめでとうなのだろうか。VRの世界の警備は確かにきつい。しかし、優利は揺らいではいなかった。会社に入りたくて、あの世界に焦がれて泣いたのも初めてだったし、門奈計磨の頼り甲斐のある人格も敬愛できるだろうし、名付けたクルタにだって逢いたくなった。

 

「死にかけたけど」

「え」


 にやっと笑って、胡桃の前に立ち上がる。いつしか胡桃よりずっと身長が伸びて、胡桃は優利を見上げるが当たり前になった。


「だからかも知れないな。胡桃に逢いたくなったんだ」


「ヒロ」


 はっと気が付くと、じいさんばあさんがにやにやと二人を見ている。


「さ、さあ、みなさん、お散歩の時間ですよ~! 今日は紅葉が綺麗ですね」


 そそくさと戻る胡桃に苦笑いして、手を振って別れた。笑顔で見送って、姿が見えるなるなり、地面にがっくりとしゃがみ込んで項垂れる。



 ――あー、ヴァーチュアス・ゴドレス・オンラインはさくさく進んで実装前まで辿り着いたのに、胡桃とはさっぱり進まない。

 VRのほうではキャシーや、ジェミーと上手く交流が持てるのに。こっちの自分は胡桃の一挙一動でどきどきして、一線を越えられない。ゲーヲタで、社会不適合者で、童貞のカレー好き。

 

 間違いなく現実に還ってきたのだと、優利は息を吐いた。それはそれで満足なのだが、本当に満足しているのだろうか、疑問に思った。

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