第13話 医療カプセルから《VRモードへ移行中》

***


 医療カプセルメディカルホスピスは馴染みではある。まずは、ナノテクノロジーが進化し、近未来医療ナノメディカルという文字を見ない日はなくなった。医療カプセルとは、中に入り、繊細なナノ細胞の分析を受け、ただちに悪腫瘍を排除する治療法で、やっと民間にも降りて来たところである。


「どうした」

「いえ、会社にカプセルがあるなんて凄いですね……と」


 門奈計磨は「そう?」とにこやかに告げると、カプセルを開けた。ドーム型をしたハッチを覗きこむと、いくつかの器具を手に、また優利のほうを向く。


 手には、腕輪ウェアラブルアームズ、それに脳波測定のマニピュレーター・コード。それに小さなパネルを取り出して、腕輪を翳す。壁に映したり、読み込んだり。スマホを改良した機能の腕時計式端末WMDは、そうそう買うことができない。


『認証コード、社員番号を』


「あー、おやっさん、まだ暁月優利の登録してないな。ゲストナンバーを貸してくれ。どのみち初動だから」


 呟いたところで、「ヒコマロくん」と親父声がして、汗をふきふき、おやっさんが入って来た。優利の父は若いので、「お父さん」という感覚のおやっさんは、なんだか「日本の親父」という感じがする。


「ヒコマロじゃないと言ってるだろう。あ、こいつのコードですか? すいません。登録し直します」

「せっかくだから、登録してあげて。しかし」


 おやっさんの目が、カプセルと、優利に向いた。目の前で門奈計磨はもう一度ペアリングをやり直し、頭上には「Akatsuki Hiroki」と文字がオレンジ色に浮かび上がっている。


「大丈夫です。こいつは」


「まあ、他でもないきみが云うなら……しかし、うちも人材不足で、やっと見つけた逸材をだね」


 優利側からは、門奈計磨の表情は見えない。おろおろするおやっさんの顔色が良くなったり、悪くなったりを繰り返すのだけは見えている。


「見たでしょう、あの驚異的な電磁力数値プラズマ・ライン。これから脳測定を始めますが、間違いなく新人類の脳ヒューマンズブレインだ。Zuxiメンスで重宝されるレベルのね。かのアルツ・エルンストの脳科学の空想の賜物、感覚超越者ヴァーチュアスです、暁月優利、そこに座って」


 なんだろうと思いつつも、「これを受けないと、入社できないが」の一言で、開いたカプセルに靴を脱いで潜り込んだ。ウォーターベッドになっている様子で、水の音がする。しかし、機体スフィアは透明で、夥しいコードが絡み合い、まるで血流のように配備されていた。


「ああ、自己紹介を忘れていたよ。僕は宮辺俊徳みやべとしのり。このシーサイト業務課の監督だ。ゲーム開発部長も兼ねている。どうやらエミちゃんがきみを気に入った様子だね、昔であった頃の妻」


「もういいですか。点滴しておきたいんで」


 点滴? いぶかしんでいるうちに、足元が温かくなった。まるで風呂だ。門奈計磨は続けた。


「人間のリラックス度に風呂がおおいに役立つのは立証しているから。リラックス度が安定している。では、……健康診断スタートだ」


「和磨さん!俺、暗闇とか集合体が怖いんですけど」

「ああ、じゃあ、VGOモードにしてやっから、黙ってねんねしな」


「あのですね」

「モード、スタート。患者はおとなしくしてくださいね」


 強制的にカプセルに押し込められた途端に暗転した。正面のハッチに『メディカルモード』と表示が浮かぶ。優利はこのカプセルが大嫌いだ。幼少に一度だけ入れられて、固定されてパニックになった。

 今も懸命に堪えている。


 なにかがくる。

 なにかがみている。大勢で、なにかが見ている気がして、幼少も暴れて出されてからは、人医者しか通わない。


 だが、正面に出て来たOPはヴァーチュアス・ゴドレス・オンライン特別攻略。とある。キャラクターのヒロインが飛び交い、あっという間に夢中になった。


 あ、MONA……ちっちゃいMONAが妖精の格好で出て来て浮かんでいる。


『こんにちは! VGOみんな楽しんでいるかなっ。怖い世界だけど、みんなで協力して神をぶっ倒して神様になっちゃおー!!!!!!』


 ――アバターは確かに可愛い。しかし、MONAの正体を知っているから何とも。


『診断の間、ちょっとこのヴァーチュアス・ゴドレス・オンラインと、会社についてご説明しまーす! 新入社員のみんな! 頑張ろうね!』


 ……新入社員用のチュートリアルだった。

 合間に伸びて来たマニピュレーターが両足に絡みついたが、優利の視線はひたすら3DのSD版MONAに吸い付いている。


『このゲームは、キャッスルフロンティアKKという運営会社が管理しています。キャッスルフロンティアKKといえば、『VGO』『ねこやしき』『家康の叛乱』『GCGドラゴンファンタジー』それに、乙女ゲームの『ふわ★きゃっとおんらいん』などがありまーす』


 どれも有名な、5大ゲーム。それを全て管理していたとは。


 MONAがくるりと回転し、世界地図を立体的に映し始める。


 ゆっくりとHMDが降りて来たが、慣れた感触の中で、優利は地球の上に立っていた。


『この地球の、東。ドイツ・マルク領域において、zuxiメンスという会社があります。元はバイエルンと呼ばれた土地で、そのお城を買い取った会社から、キャッスルフロンティアKKと名付けられました。この世界の実に1/3のネットワークを使用し、インターネットの次世代として、VRMMOは注目されていますの』


 腕にバンドが伸びて来た。手のひらにも、電極が張り付いている。それでも、感覚は変わらない。


『では、これから、お仕事のご説明、しまーす!』


 地球からゆっくり降りると、またキャッスルフロンティアKKの屋上に戻って来た。



『このキャッスルフロンティアKKはただのゲーム会社ではありません。目の前にある電子契約書に腕を翳してください。電子署名IDの入ったのを確認したら、こちらにflipしてください』


 ――入社規定書。腕を翳すと、読む暇もなく、透明のガードが掛かった。球体をそっと手で押し返す。モナSDは『締結しました』と呟き、「では、お仕事現場に行きます。チュートリアルは完了です。次の指示に従ってください」


 一度消えると、カプセルが静かになった。



『HMDの固定の確認』

『メディカルチェック問題ありません』

『可能拘束時間10時間。それ以上のVRMMO滞在は危険を要します。脳内に僅かなエンドルフィン数値を確認』

『筋肉反射、副交感神経優位位置確認』

『脳波異常なし。象徴キーワードVGO』


 なんだ? と思った瞬間、脳が揺さぶられた!


 手足の感覚が奪われる。続いて視界の強烈なブレがやってきた。今まで感じた覚えのない神経の麻痺、脳内が破壊されるような感覚はVRゲームのとば口で味わう初動より強い。


 生きている感覚が喪われて、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚全てが引きずり込まれる死の恐怖がやって来た。


『VRMMOモード移行中です。ただいまより、シーサイト業務、勤務開始となります』


 強烈な揺れと、脳のしびれに、優利は死ぬと確信した。


 少し前、はやった死ぬと異世界に飛び込む作品の主人公たちのように。ああ、俺は死んで美少女に生まれ変わるだの、畑仕事でまったりスローに生き直すだの、魔王になるとか。でもどうせゲームに転生なら、ヴァーチュアス・ゴドレス・オンラインの世界に行きたい。


 意識が途絶えそうになった瞬間、ふっと楽になった。


勤務開始打刻タイムカードデータ時間:二分経過。VRオフィスにて、遅延届けを出してください。それでなければ、自由勤務手当は認められません。VRオフィス総務部』


 時の流れを泳ぐと言えばいいだろうか。


 タイムトラベルというには、感覚が乏しい。手足の感覚がないから、幽霊となったでもいい。精神体でもいい。ふらっとしたところで、MONAが現れた。


『手元の腕輪ウェアラブルアームズに触れてください。三半規管の修整が行えます。VR酔いをした場合は、すみやかに上司に名乗り出てください。早退は――』


 機械喋りだから、データのMONAだろう。そしてこれは健康診断なんかじゃない。


 ――もう、死ぬな。死んだら、ヴァーチュアス・ゴドレス・オンラインの世界に行けるのかな。



『いくじなし』



 胡桃が浮かんで、優利は唇を噛み締めた。そうして思い出す。唇は柔らかくて、噛み締めると痛い。母親の作るカレーがマズイ、父親と見た秋の四方面の景色VRは美しかった。胡桃の声は可愛くて、抱きしめると柔らかい。柔らかいあの先を知りたい。


 死ぬわけに行かない! 胡桃と……その。


『精神継続完了。まもなく入社手続きとなります』


 落ち着いてみていくと、暗がりにいくつもの人影が浮かび始めた。それはぼんやりと輪郭になり、一つの街並みに変わっていく。すると、どこからかカレーの香りがしてきて、近くにカレー屋が開店したのかと考える。


『やだあ、もう』

『本当なんだってば。取引先が――』


 楽しそうな女子の喋りに、がやがやした喧噪。


 360度見回したところに、高く塔が浮かんでいた。ヴァーチュアス・ゴドレス・オンラインの実装手前の塔に似ている。窓に人影が見えた。女の子だ。紫のガードに覆われているが、向こうも優利をまっすぐに見ていた。



 ――あの塔、確か、どこかで……。



 脳裏がさああーと拓けていく。それはいつもと変わらない感覚が戻って来た証拠だった。


 


 風が吹いているのがわかる。頬に木漏れ日が射しこんでいる。

 パラリアルワールドに立ち尽くす主人公、暁月優利に笑顔で告げる、門奈計磨。

 実体のある感覚に驚き、暁月優利は周辺を見回した。


 門奈計磨は騎士ナイトフォースのホロアバターを着ている。


「ようこそ、わが社キャッスルフロンティアKKの誇る、日本最大のVRオフィス・キャッスルへ。入社手続き行くぞ」


「ここ……まさか、VRの世界ですか! 俺、VR内で実体化してるんですか!」



「ご名答」と門奈計磨は肩を竦めて頷いた――。




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