第10話 未来と《パラダイム》とVGOへ

 ――夜風にふわりと髪がそよいだ。キコ、キコと胡桃が漕ぐブランコが軋む。


「面接、駄目だったんだって言うけど」


 胡桃はブランコを止めた。店だと兄の目があるので、寒空の中、公園までやって来ている。とはいえ、住宅街の公園だから、照明も明るいし、大通りに面しているCGシアターがあるせいで、にぎやかだ。


「ヒロはいつもそうやって未来決めちゃう。あたしだったら、ヒロを取るよ。そんなに凹まなくてもいいんじゃない?」


 ラムネをコロコロやりながら、胡桃はブランコを降りた。


「だって、嬉しかったんじゃないかなあ。VGOだっけ? それ、作ってる会社なら、ユーザーさんが強くて、そこまで大切に……んー……ちょっと行き過ぎているかもだけど」


「反論はしねーから」


 暁月優利という人間は、本来は冷淡なのだと思う。自分で自分を冷淡というもなんだが、どこか冷めきったところがあり、どこか世界を、社会を斜めに見る傾向にある。とがっているわけじゃない。諦めているわけでもない。


 ――無関心。ヴァーチュアス・ゴドレス・オンラインに会うまでは。


「初めて会社に入りたいって思ったんだ。そうだ、胡桃、アンドロイド見たことある? ホログラムを被せていて、ARかな。ともかく、スゴイ技術だった。この国の技術力はぱねぇって聞いていたけど、こういう部分なんじゃないかって」


 胡桃は「もう元気になった」と笑うと、腕時計を覗きこんだ。


「そろそろ警備ガイドが来る時間。会社、入れるといいね」


 ――そうだ。まだ、駄目だったと決まったわけじゃない。それに、エミだって「次会うときは」って言っていた。


 未来なんて見えないのに、視えたふりするなら――VGOやろう。

 VGOのベストタイムは23時以降。夜中なら、サーバも空くし、装備ガチャも当たる利率が上がるからだ。


「胡桃の前では、泣き言ばかりだ。――でも、僕は、胡桃だけだから」

「VGOより?」


 ――うっ……詰まったところで、胡桃は「わたしも若旦那ねこ追いかけてるから同じか」と舌を出した。


「でも、運営の人間がゲームにいるって不自然でもないよね。テストだったのかも知れないし。あたし、どういうゲームか分からないけど。なんか、楽しそう」


 ――おすすめは、しません。多分、virtual・reality仮想現実でも、内面のほうを掘り下げたパラリアルなのだと思う。極限まで、人が五感センスを磨き上げたらどうなるのか。脳がどこまで耐えられるか。実際に、ヴァーチュアス・ゴドレス・オンラインはSELOマーク脳刺激要注意が付いている他、成年対象の完全に大人向けのゲームだ。いや、VRはほとんどが大人向け。子供の脳は電磁波や視覚障害を起こしてしまうため、VRは禁止されている。


「また、運営さんが挑んでくるかも知れないし、VGOやって待ってればいいと思う」


 それは最大の気遣いだったのだろう。何度抱きしめても慣れないぬいぐるみのような体を十秒だけ抱きしめて、すぐに離れた。

 女の子は柔らかすぎて、いつだって新鮮味に負けそうになる。胡桃は大抵頭を寄せてくるのだが、柔らかい髪と、きらきら目に生唾飲み込み、頭が真っ白になる。

 しかし、その夜は結局何も起こらず、優利は翌週、ピザのバイトに行った。がんがんに叱られながら、数時間ピザを箱に詰めて、深夜に持ち帰った。



「いつまでバイトで生活するつもりなんだ」


 父親の小言を聞きたくないから、深夜に帰宅したら、ドアのセキュリティは開いていた。親ともすれ違う日々が当たり前になっている。


 一週間、めいっぱいVGOに勤しんで、ピザを運んだ。実装が待ち遠しかったが、まだその兆しがないので、代わりに胡桃とのコミュニティゲーム、『ねこやしき』が実装されて架空江戸が広くなった。


 そんな中、『ねこやしき』の運営からメールが届く。レアなねこキャラのご案内――。



 しかし、その配信アドレスの署名に目が釘付けになった。



『キャッスルフロンティアKK』



 見れば、VR機器は少し埃をかぶっていた。あれほど夢中だったVGOはこんなにも遠くなっていた。


『今度は、負けねぇから』


 今度は。

 無意識に、パソコンを立ち上げようとして、またケーブルがないので、探すところから。ベッドの下から出て来た。カタ結びにされたので、古いLANケーブルを引っ張り出して、何とか通信速度を確保する。


 IDはログインし直しになっていて、パスワードがわからない。試しに胡桃の誕生日を入れたら起動した。HMDはすっかり冷えてしまっていて、少しばかり固くなっていた。ベルトを緩めて、ヘッド固定する。

 VGOはVRでないと、操作が出来ない。


 ギフトボックスに、メール招致が詰まっている。ほとんどは挑戦者からのものだが、一つだけ、皮のメールアイコンが混じっていた。


 それも、毎日一つずつ。未開封のメールはあと数日で、運営に回収される寸前だ。


『――冒険への誘い』と称されたメールこそ、キャッスルフロンティアKK入社のご案内だったことは、言うまでもないだろう。ついでに、モナからの挑戦状メールも確認した。


 あのレベル最高値なら、もう塔の上に戻って来ていてもおかしくない。


 雑魚を一瞬で焼きつくして、フロアのバルコニーに飛び出す。手にはしっかりと鍵の入ったカプセルが付いて来る。

 廃墟の世界ディストピアの遠くに霞んだ塔が見えた。それは禍々しい気配を放ち、すぐに消えた。蜃気楼のように。


 ――あの塔、なんだ……?


 高さのある塔から見えるのだから、相当に高い。霧に包まれていて、空から消しにかかったような濃霧の中、塔は消えて、また彩雲の夜空になった。


 城壁にモナは座っていた。優利を見つけると、大振りの剣を下ろし、髪を揺らす。ばいんばいんの胸に輝くペンタグラムの印璽は最高レベルの賢者の証。

 

『あらん、遅かったわね』

「もう、正体知ってるので、キモイんで止めませんか、門奈さん」


 モナは途端に口調が変わった。


『ああ、そうだったな。俺も暇じゃないんだが、ここに来たら逢えると思って一週間を待ちぼうけしたんですが』


「すいません。彼女と別のゲームに……でも、キャッスルフロンティアKKの名前を見つけて」


『あれ、うちの会社が運営だぞ? それと、俺、今度は負けない、と言ったよな』


 ――胡桃の言う通りだった。「ほらみなさい、ネガティブ莫迦なんだから」幻聴を追い払って、VRの世界で、モナと向かい合う。


 戦闘の体制を取ったモナに、問うた。


「どうして、僕を……合格にしたんですか」


 モナは戦闘姿勢を解き、可愛く考え込む仕草をしたが、あの眼鏡のホスト系の門奈計磨がどうしても浮かんできて、優利は考えるを止めた。


『おまえ、会社の前で泣いたから。悪いな、高遠笑巳子モデルには、CCCDカメラと映像記憶装置がついていて、うちのボスが興味を持った。ボスが興味を持てば、いくら俺たちが反対しても、無意味、というか、俺もきみが欲しいとは思っていたけれどね』


「俺が、欲しい……?」


『意味深に言うなよ。ソッチ系かよ』



 頬に冷たいものが伝わって現実に還った。現実にも、ゲームにも、彼女の前にも居場所の実感がなかった。優利にとっては、現実のほうが科学理論知的活動の産物パラダイムで、ゲームのほうが現実リアルだ。


「俺が欲しいって……そんな人間がいるとは思わなかったんですよ」


『まあ、うちはブラックなんだが。だが、ヴァーチュアス・ゴドレス・オンラインの運営は人が足りているから、こちらの仕事を引き受ける条件で』



 モナは背中を向けた。



『今はシーサイト管理業務、とだけ告げておく。さて、今日は負けないわよ』


 浮かれさせておいて、それはないだろう。


 先日以上の容赦のない攻撃に、優利は遠慮なく最下層に叩き落されたが、自分を責めないでおいてやった。

 ――実は生まれて久しく泣いた。その涙の意味が生きたなら、それでいいよと。何より、またVGOに戻れたことが嬉しかった。

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