第126話 ーーをここに

 


「が、ゲホ! ゲホッゲホ! うえええ! ゲホッゲホ! あああーっと、お! しゃあ! 生きてるううう!」



 "PERK解除、ダメージコントロール開始、三半規管、神経系、関節、気管、心臓部、全て許容範囲内。ああ、アビス・ウォーカーを上手く下敷きにできましたね、ヨキヒト"




 海原が砂煙の中。立ち上がる。


「学生んときに嫌になるほど地面に叩きつけられてたからな。身体に染み付いてんのよ」



 海原がマルスの言葉に返事をする。砂煙の埃っぽい匂いと、肺から湧いてくる血の匂いが混じり合う。


 ぺっと、口の中に溜まった血の混じる唾を吐き捨てた。



「さて、これで終わりだ」



 海原は無造作に指先を少し前方、下に向ける。



「あ……ぎ……く、くそ……」



 仰向けに倒れ伏したままの樹原へとその指先を油断なく向けていた。


 大鷲を模した翼は適当にねじった針金のように秩序なくいびつに折れ曲がる。



 身体の末端、長い手足がピクリ、ぴくりと痙攣していた。



「翼がクッションになったか。命拾いしたな。少しの間だけだが」


「あ、…… ま、待て……う、海原……、やめろ……」


 樹原の力ないつぶやき。


 海原は表情を変えない。小さく息を吐いて



「死ね」



 指先を向けた。








「ーー避けろ!! オッさん!!」




 "警告!! ヨキヒト、離脱を!!"



 聞き慣れた田井中の声と、身体の内側からマルスが叫ぶのはほぼ同時だった。






「ミイイイイイイツケタア!!! キィハラァアアアアアア!! ユウキイイイイイキイイ!!」



「っ!! うっお!!」



 飛び退く、その場から。


 次の瞬間、校庭が大きく揺れる。



 海原が立っていた場所に大質量が飛び現れた。


 黒い体表、建物程の巨大な体躯、蛆の湧く皮膚に、首の無い胴体。


 首なしの巨人が、叫びながらその場へ乱入する。



「あおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオン!! キィハラァアアアアアアアアアアアアアア」


 首のない巨人が、その腹に生やした唇を開き叫ぶ。


 ビリビリと空気が震え、思わず耳を塞いだ。


 とてつもない怒りとおぞましさ、人のようでいて、化け物のようでもある。



「オッさん!! 無事か?!」


「田井中! こりゃどう言うことだ?」



 駆け寄って来た田井中に向け、海原は言葉を飛ばす。


 脱色した金髪にはべっとりと青黒い血がこびりつき、その赤黒い四肢にも同じく返り血が飛んでいた。



「悪い! アンタと樹原が空から落ちて来た瞬間、あの化け物まるでスイッチが入ったように動きが変わりやがった、すまねえ、俺のミスだ」



 田井中が悔しそうに首のない巨人を睨みつける。



「状況はわかった! 待て、田井中、雪代たちは?!」


 巨人の相手を任せていたもう2人の姿が見えないことに海原の心臓は嫌な鼓動を立て始める。



「安心しろ! 連中は無事だ! 限界が来たから翼と春野に任せてある! 凄かったぜ、あの女ども。オッさん、アンタあの2人だけは怒らせないようにな」



「ああ、それ一番気をつけてる」




 くくと田井中がいたずら気に笑う。


 良い。


 逼迫した状況においてもまだ笑う余裕がある。海原はその様子を見て少し落ち着いた。



「そいつは安心した、アンタがそのうち痴話喧嘩でぶっ殺されるんじゃないかとーー ……おい、待て、アレ……」


 田井中の軽口が止まる。


 海原はその視線を追って、目を見開いた。




「アアアアアアアアア、いい気味ねエエエエエエエ、キイイイイイハラアアア、ユウキイイイイイキイイ!! この時を待っていたわあああああああ」



 首の無い巨人がいつのまにか、倒れ伏している樹原を虫でもつまむかのように持ち上げている。


 だらりと地面に垂れる樹原の身体、意識が残っているとはおもえなかった。



「お前ヲヲヲヲわわわ、グウウウウウウウ。私はアアアア、私を取り戻すのオオオオオオオ!!」



 唇が開く。


 食おうとしているのだ、樹原 勇気を。



「いただきまああああ吸ううううううう!!! あああ、この時をヲヲヲヲを待っていたのオオオオオオオ!!」



 摘まれた樹原は力なく垂れ下がるように、口の中へ運ばれてーー













「ーーいいや、違う。この時を待っていたのはこの僕の方だ。夏山 凛音」




 くるり、体勢が元に戻る。樹原の身体に力が戻る。



 その身体を摘んでいた指先を身体の肩からはやしたタコの触手でちぎりとばした。



「……あはは。備えて置くものだね、本当に。夏山、君のその不死を貰う……!」


「ああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア?!! ナニイイイキイイイイイイ?!!」



 樹原の身体のありとあらゆる部分からタコの触手、怪物の口、かぎつめのついた腕、様々な怪物の部位が飛び出る。



 それらが全て首の無い巨人の身体へとまとわりついていく。




「あアアアアアアアアアアアアア!! やめろおおおおおおおお! キィハラァアアアアアア!!」



「あはは、僕の力で得たその姿だろう? それは僕が貸し与えたものだ。返して貰うよ、夏山」



 樹原が首の無い巨人に取り付く。触手が鉤爪のようにその巨体に食い込んでいる。




「アオオオオオオオアアア、イヤアアアイヤアアイヤアアア!! 私が、消える!! やめろオオオオオオオ、食べないでエエエエエエエ!!」



「あはは、悪いが予想以上のダメージを、食らっているんだ。キミの全てを貰う! キミを喰らって僕は更に自由になる!!」



 ズブ。ずず。


 底なし沼にゆっくりと沈むように、樹原の身体が首なしの化け物の胴体へと沈んでいく。


 ちょうどその位置は本来の生き物であるならば首が付いているはずの部分、胴体の上、肩と肩の間。



 首の部分に樹原がそのまま入り込む。




 首なしの化け物の抵抗は続く。必死に自分の身体に這う触手や、怪物の部位をめちゃくちゃに暴れながらも、引きちぎる。



 苦悶の声を上げつつ、懸命さすら感じるほどに首なしの化け物は必死だった。




「アアアアアアアアアアアア…… 嫌だ、私は、私は、夏山凛音だ!! キハラじゃないイイイイイイイ!!」


「いいや、もうキミは僕だ。僕はキミではないけどね。餌となれ、夏山」





 樹原の身体が完全に沈み込む。



 まるで首なしの化け物へ寄生するように、寄生虫のようにその身体へ強引な侵入を果たしていた。



「ま、まじかよ……」



 田井中は動けなかった、



 あまりに現実離れした光景に、その異様な空気に呑まれる。



 あれほどまで強かった首なしの化け物がいとも簡単に制圧される様を見て、田井中の足は止まっていた。












「馬鹿が。二番煎じ野郎め。それはもうあのがやってんだよ」



 田井中の足は止まった、では隣に立つもう1人の男は?


 否、止まらない。


 海原はすでにそれを見ている。化け物と化け物の殺し合い、壮絶な


 小さく舌打ちしてぼやいた後、もがき続ける首なしの巨人の元へ走り始めた。



「オッさん?!」



「田井中、援護頼む。マルス、樹原の位置がわかるか?」


 "ポジティブ、巨大怪物種の体内、胴体上部より異常な数値のブルー因子を確認。ネガティブ、おそらく結合、いや侵食している? どちらにせよ ヨキヒト、奴は今、無防備です"



 駆ける、跳ぶ。



 余人が手を出すことを躊躇う理外の光景、おぞましさの中にどこか神秘的な、畏れ多いものすら感じる景色の中へ海原が飛び込む。




 畏れはない、躊躇いもない。


 海原にブレーキは存在しない。タブーも禁忌も今の海原を止める理由にはならなかった。




 首の無い巨人がそれでもまだ暴れまわる。


 鉄骨のような強度を持つ大腕が海原に向けて水平に迫る。



「ふっ!」



 身体を沈み込ませて、足を地面に投げ出す、スライディングの勢いそのまま大腕とすれ違うようにその一撃を躱す。



 地面を蹴る、下半身に力を込め瞬時に起き上がる。


 首のない巨人の身体の真正面。



「アオオオオオオオアアア?! アイヤアアオマオオオオオオオ」


 地団駄を踏む巨体の股下を、全身を投げ込むように飛び込みくぐり抜ける。


 地面に硬化した腕を突き立て、そのまま軸にして反転。



 首のない巨人の背後に回り込む。



 その巨体の背中に飛びかかる。硬化した腕をその肉に突き刺し楔とする。


 一気呵成に巨体を垂直に駆け上がった。



 狙うは、化け物の首の部分。



「てめー、コラ、逃げてんじゃあねーぞ」


 とっ。


 そこにたどり着く。


 暴れる巨人の身体をよじ登り、化け物の首の部分にまで到着した。




「マルス、ここだな!?」


 "ポジティブ 我々の足元!! 直下!! この巨体の体内です! ヨキヒト!"



「了解、逃すわけねえだろうがよおお、ノミ野郎がよおお!!」


 ずぐん。


 そのまま、無造作に海原が腕を真下に差し込む。


 蛆の湧く肉をえぐり、硬い右腕がめり込んだ。



「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア?!!!!」


 化け物が暴れる。


 海原は空いた片方の手も、突き立てる。


 ずずり。肘を超え、肩口の近くまで腕をさしこむ。


「ぐ、おおおおおおおお!!! 出て来いやああああ!!」



 "姿勢制御、三半規管コントロール、進行。問題無し、ヨキヒト、作戦行動の継続を。ブルー因子反応増大"



 肉を掻き分けていく感覚、冷たい水の中に肌を晒しているような寒気を感じる。


 関係ない。海原は蛆の湧く化け物の身体へと腕を更に深く、深く差し込んでいく。




 ふと、指先に触れる感覚。明らかに化け物の肉とは違う感覚を見つけた。


 その感覚を探り、がしりと肉の中でその異物を掴んだ。



 思い切り、引き抜く!




「おおおおおおおお!! もう逃げられねえぞ、クソが!!」



 ぶち、ぶち、何かを引きちぎるような感覚。


 海原はその異物を畑から大きな実りを引き抜くように力を込める。



 ず、ずす、ずず。


 異物が徐々に引き上げられていく。その度に、化け物の首の肉がドロドロと溶けていく。


 マルスとの融解結合の時と似ている、海原は緊迫の中そのことに気づき、そしてーー




 ぶりゅん。



「ーーぐ、あ、ああああ?!! は、離せエエエエエエエ、海原アアアアアア?!」



 海原が樹原の頭、首根っこを掴み、化け物の身体から引きずり出した。



 タールのように溶けた黒い肉まみれになった樹原が踠きながら叫ぶ。



「よおおおお、てめえエエエエ、惨めだなァァ? 今のてめーはよおお、飼い犬にくっついたノミよりも惨めだぜええ?」



 ぶちぶちぶち。


 樹原にくっついている肉の筋を引き抜き、その身体を完全に引きずり出す。



 そのまま海原はゴミを集積所に投げ込む主婦のように樹原を校庭へと投げ捨てた。



「ぎゃっ?!」


 樹原が地面に転がる。それこそ雑に捨てられるゴミの如く。



 ふっと、首の無い巨人の身体の動きが止まる。


 海原がその首の位置から飛び降りたと同時に、糸の切れた操り人形のごとく崩れ落ちる。



 巨体が倒れた音、舞う砂煙、月明かりの夜、終わりが迫る。



 スポーツシューズの足跡が硬い砂の地面に残る。



 倒れ伏し、立ち上がろうとして崩れ落ちる樹原に向かい海原は歩みを進める。


 指先で、狙いを定める。


 人差し指の爪の先、倒れる樹原へと向けた。



「合体出来なくて残念だったな。もうあんまり尺をとるのも辞めようぜ。飽きてきた」



「やめろ…… 来るな、来るな!」




 ロケット・フィンガー、有効射程範囲。


「ま、待て…っ! 海原! 僕を殺すなっ! 知りたく無いか?! この世界がなぜこうなったか? なんで、世界が滅んだのか、知りたくないか?! 僕は知っている! お前に教えてやることもできる!」



 叫ぶ樹原、海原の顔色は変わらない。




「お前に教える事なんてない。それと同時にお前に教わることもない」


 海原が立ち止まる。


 もう近づく必要はない。


 ロケット・フィンガーの有効射程、及び、樹原の攻撃を確実に避けられる位置にまでたどり着いた。




「ゴミを捨てる場所は決まっている。燃えるゴミは燃えるゴミ。燃えないゴミは燃えないゴミ、なら、樹原 勇気はどこだろうな?」



「待っーー」



 樹原が膝立ちになり上体を起こす。血走った目、傷だらけの身体。


 あの余裕に満ちた面影もなく。



 海原は完全に樹原を追い詰めていた。





「お前を捨てる先は、地獄だ」





「やめっーー!!」







 水袋を貫く音、海原の指先から血煙が硝煙の代わりに辺りにまろび出る。




 指の骨が弾け飛ぶ、指の肉が千切れる。


 吸い込まれるように樹原の胸へと海原の人差し指が飛んだ。


 PERKによりもたらされた進化が、樹原勇気の心臓を貫いた。



「ーーぁ」



 "命中、確認"



 ぱたり。


 樹原の身体が後ろ倒しに。


 がくりと、立ち上がろうとして、膝が消えたように倒れる。




 うつ伏せの身体から、赤い血が流れる。


 奴の身体が血溜まりに沈む。




 "心臓を潰しました。ヨキヒト、アビス・ウォーカーの活動を完全に止めてください"



「ああ、分かってるよ、マルス」




 ビス、ビス。


 倒れ臥した樹原の身体に海原は何発も指弾を撃ち込む。



 反動で何度も、樹原の身体が跳ねる。



 死体撃ち、樹原の死を確実なものにする為海原はありとあらゆる場所へ狙いを向けた。




 樹原の身体が血の海に沈む、最期の狙いを定めた。




 頭。脳みそ。


 力が人の意思に依るものだとしたら、そこはその力の源泉。


 人を人たらしめるものが宿る部位に狙いを定める。





 別れの言葉はなく。




 海原は最後の仕上げを放った。











































 ピスっ。






 頭へ吸い込まれるように飛ぶ人差し指。



 空中で、樹原の頭を貫く寸前、何かに阻まれた。




 海原は初め、樹原の最後の抵抗。身体のどこかから生やしたタコの触手か、怪物の部位が悪あがきとして発動したのではないかと思う。







 違う。



 樹原は血の海に沈んだまま。ピクリとも動かない。



 心臓を貫き、身体中にはロケット・フィンガーの指弾が穴を開けたまま。



 樹原の力は発動していない。


 それなのに、最後の一撃が樹原の頭に届いていなかった。




「……あ?」



 目を凝らす。


 目を凝らす。



 その目の前に在る違和感を感じる景色のワンポイントを見つめる。




 樹原の頭部、その血の海、地面から何かが生えている。



 くね、くねと動き、血を滴らせるそれが、器用にくるくると絡めとった海原の指を巻き潰した。













 













「ーーをーこに……」




 樹原の声、血だらけになりながらもたしかに奴の声が聞こえた。



 今、何と?




 海原は、耳をすませた。




















「ーー約定をここに」








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