第122話 姉の戦い

 


「イエス! あいあむ!」



 目の前で倒れている私の妹がポカンと口を開けた。


 しまった、少し調子に乗り過ぎかしら。


 ボロボロの状態から無理やり覚醒し、ハイになっているのかも知れない。


 妙に身体がポカポカして軽い。この感覚を知っている、もしかしたら眠っている間に一姫ちゃんが治療してくれたのかも知れない。



「本当、いい子ばかりね。ここの子達は」



 笑いが溢れる。私が寝ていた間にもみんな戦っていた、もしあのまま寝ていたままだったら……



「あの女のおかげでってのが、気に入らないけど…… まあ、結果的には救われた訳ね」


「ね、姉さん? だ、大丈夫なの……? えと」


 継音が呆然と話しかけて来る。私は継音を見る。


「よくがんばったのね、継音…… 髪も、服も、顔もボロボロじゃない……」



 私に似た黒髪や、白い肌には土がこびりつき、肌には所々血が滲んでいる。



「姉さん…… 私を助けてくれたの……?」



 信じられないものを見ているように継音が大きく目を見開いている。普段の自分の行いのせいかしら……



 私は、地面に這い蹲ったままの継音の身体を静かに抱きしめる。


 細い身体がこわばる。抱かれたのを驚く猫のようだ。そっか、継音を抱きしめるのっていつぶりなんだろう。


「姉さん……」



 こんなに華奢な身体で頑張ったのね。


 私を、友人を守るために。貴女のなすべき事のために。


 私は誇らしい妹の身体をゆっくりと抱きしめた。



 互いに冷たい血の持ち主のはずなのに、継音のからだは本当に暖かい。



「継音、よくがんばったね。貴女は私の誇りだよ。ダメなお姉さんでごめんね」



「……ううん、そんな事ないよ。信じてた。が絶対、助けてくれるって、私は信じてたよ」



 抱きしめ合う。ああ、私はなんて愚かだったのだろうか。


 この暖かさを、私は忘れていた。


 大切な、かけがえのない姉妹を見捨てかけていたのだ。



 もう、絶対に手放さない。


 わたしからこの暖かさを奪おうとするやつは、わたしの大切なものに手を出さやつは。






「……嘘。姉さん!! 後ろ!!」



 抱きしめた継音が、悲鳴をあげた。


 ええ、わかってる。






「あばろろろろろろろ!! あはあああああ、わたしイイイイイイイい、リンネエエエエエエ!! 死なないのオオオオオオオオオオン!!」




「皆殺しにしてやる。わたしの継音に傷をつけた奴は、魂すら粉々にしてやる」





 上半身を消しとばした化け物が、訳の分からない事をのたまいながら起き上がる。



 ジュルジャルと粘着質な音を立てながら、下半身が起き上がり、肉が盛り上がって言ってる。




「わたしイイイイイイイ、死なないイイイイイイイ! 不滅、死なず、不死、永遠なのおオオオオオオオオオオ!!」



「そうなの、なら、死ぬまで殺してあげる」




 血はここに。


 人ならざる古き血の肉袋はここに。


 魂は今、くそったれの祖とともにある。



「力を貸しなさい……クソ婆!」



 命令する、身体に、血に、その身に刻まれた呪いに。



 わたしの奥底に眠る血が、雪代の力を世界に顕す。



「姉さん…… 髪の毛が……!」


「大丈夫よ、継音。もう、大丈夫だから。もう貴女には手を出させない」



 髪色が変わっていく。


 海原さんの褒めてくれてた黒髪が、雪にまぶれるように白く変わっていく。


 目が熱い、きっともう、雪兎のやうに真っ赤になってる。



 血の記憶が、わたしに混ざり合う。力を扱う代償に、ユキシロが、わたしと混ざって行く。



 差し出せ。差し出せ。


 お前はわたしのものだ。


 その血も美貌も力も男も全て、わたしのものだ。


 力を貸してやろう。


 だから、差し出せ。




 耳の奥から声が響く。


 雪代の女としての役割を果たせ。依り代よ、お前はその為に生まれてきたのだ。




 その声は甘く、重い。


 その声にわたしは、笑った。



「うるさい…… うるさい、うるさい、うるさいい!! わたしはお前じゃない! わたしはユキシロじゃない!! わたしの名前は長音だ!! お前の依り代なんかじゃない!!」



「もう雪代家も終わった! 世界が終わって一緒に滅んだ!! わたしは只の雪代 長音だ! そんな宿命どうでも良い! いいから黙って、力を貸せエエエエ!!」



 叫ぶ…その声に抗う。


 体力を精神を魂を、燃料にわたしはわたしの身体の中に眠るモノに抗う。




「わたしがお前に差し出すんじゃない!! お前が寄越せ!! お前がわたしに全部差し出すんだ!」



 力の根元を掴む。



 もう、身体の底からの声は聞こえない。私の叫びが全てをかき消したからだ。



「舐めるなよ、私は雪代の女じゃない、雪代 長音、あの人が見つけてくれた、そして継音と唯のお姉ちゃんの雪代 継音だ!」



 力をもぎ取る。


 そうだ、よこせ、それを寄越せ!



 叫べ。恥も外聞もなく。


 あの人が恐怖と対峙するときにしていたように、雄叫びを上げろ。



 私は、わたしは、わたくしは、叫んだ。





「お前が下!! 私が上だ!!」




 カチリ。



 歯車が噛み合う。身体の中で、まだ起こされていなかった力が回り始めていく予感。



 髪の毛が逆立つ。まるで髪の毛の一本ごとが意思を持つかのように、くねり喘いだ。



 真白の髪、赤き双眸に、新雪のごとき肌。



 はるか昔、まだ人と魔が分かたれる前の時代、雪深き血に棲まうと噂された理外の生命。



 雪白の女、その力が今、私の手に在る。



 膝が、笑う。


 気を抜けば、眠ってしまいそう。



 時間はない、体力もない。


 私の背には傷ついた妹。この力に全く怯えずにただ、私を心配そうに見つめる妹がいる。



 それだけで、命を賭ける理由は充分だった。



「アハアアハアアハアアハア!! あなた、ダメエエエエ! 私とオナジイイイイイキイ!! 化け物ねえええええええ!!」



 化け物が愉快そうに笑う。


 私は前を見る。


 その赤く光る目で、化け物をにらんだ。



「醜い化け物VS美しい化け物、宿命の対決ね」


 自嘲気味に笑う。今の私を人間だと言い張るのはさすがに図々しいから。


「あははあああああ、あなたがああああ、醜い化け物ねエエエエ!! イイワアア、遊んであげるウウウウウウウウウ」



「てめーよ、醜い化け物は」


「貴女の方、醜い化け物は」



 私の声と、妹の声が同時に。


 私は振り向いてクスリと笑う、妹も同じく笑っていた。




 ああ、私は、これを守る為にあの家を出たんだ。




 取り戻したその笑顔を守る為ならば、私はなんでもこの力で捻り潰す。



 まずは



「お前からだ。継音を傷付けた事を後悔しながら、殺してやる」



「あはああああえあ、やれるもんならやってみてエエエエエエエ」






 化け物が迫る。




 ………

 ……

 …



 その戦いはまさに、お伽話の戦いだった。


 お伽話で語られるような、言い伝えの存在同士の殺し合い。



 雪代長音の力が、首のない巨人の体表の面積をこそぎとる。


 腕、脚、胴。へこみ、潰れ、ネジ切れる。


 雪代長音の見えない力が、首のない巨人を殺し続けた。



 本当ならそれで決着がつくはずだった。



 しかし、敵もまた遥か化け物。雪代 長音も、雪代 継音も知ることはなかったが、首のない巨人もまた、彼女たちと同じ、古い血の力を受け継ぐ人間だった。



 人間だった。


 樹原との戦いに敗れ、ヒロシマ城のお堀に沈められた彼女の成れの果て。


 その不滅の力と、樹原に埋め込まれた化け物の種が歪に結びつき、生まれた化け物。



 それが首のない巨人。


 その夜の色をした身体には大量の蛆が湧き続け、その身を喰らい続ける。しかし、食らわれた肉が己で再生し、次は身体には湧いた蛆を取り込む。


 破壊と再生を繰り返す醜い化け物は何度、何度、その身体を雪代の力により潰され、捻られてもまだ立ち上がっていく。



 不滅、死なず、不死。



 それは皮肉にもかつての在りし世界が、奈落へと求めたものの1つ。



 世界が滅んでも手に入らなかった奇跡が、今ここに存在していた。



 首のない巨人が暴れる。肉を潰されて骨を捻じ曲げられてもなお、片っ端から再生し、その暴威を雪代へと向ける。



 白い髪が舞う、月明かりの中、赤き双眸が爛々と光を放ち化け物の攻撃を不可視の力が受け止める。


 人など容易に潰してしまうその暴威を真正面から受け止める。


 雪代 長音に後退の選択肢はない。


 彼女の背中には数少ない彼女が守りたいと思うものが1人。


 多数を救おうとし、多数に貶められた勇気ある少女の前で奮闘する。



 これはなんら特別なことではない。


 ただ、不器用な姉が、同じくらい不器用な妹を守るが為の戦い。


 その身を嫌悪していた血に堕としてでも守りたい者のために戦う。


 今、この瞬間、この戦いの中だけでは、雪代 長音はもう海原 善人の影を追ってはいない。


 姉として、雪代 長音としてただ、妹を守る為だけにその力を振るう。


 世界が終わってようやく、姉妹は姉妹となった。



 校庭がえぐれる、校舎の周りのもう点かない蛍光灯や、フェンスが崩れる。



 化け物が動くたびに、基特高校が傷付いていく。


 化け物がぶつかるたびに、基特高校が崩れていく。



 化け物とはそう言うものである。




 そして、その時が訪れる。




 想いも、願いも、結果には影響しない。正しい道を歩む者に微笑む神などいない。


 この終わった世界にいるのは2つだけ。


 生き残る者と死んでいくものだけだ。




 何かを守ろうとした者が力及ばず全てを失う、それもまた、樹原 勇気の望む悲劇である。



 そして、それはこの終わった世界では特別珍しいものでもなかった。



 先に限界を迎えたのは、雪白の美しさを持つ化け物だった。




 ……

 …



 あ。


 唐突に、限界はやって来た。


 血がもたらす力、見えない力を操り世界を侵すその業は、側からみれば理解不能の所業だろう。


 でも、わたしからしてみれば力を使って敵を押しつぶすのも、瞬きしたり呼吸したりすることと同じぐらい当たり前の事だ。


 当たり前なんだ。やり方とか仕組みとか考えた事がない。出来るから、出来る。それが感覚で分かる。



「あ、やべ」


 その感覚が薄れて行く。


「姉さん!!」


 膝が落ちる。


 身体に満ちていた血の感覚が薄い。


「だいっ……じょうぶよ、継音、お姉ちゃんに任せて」


「でもっ!」



 ダメだ、もう情け無い姿は見せれない。


 妹がこれだけ頑張ったのに、わたしがここで折れるわけにはいかない。



 前を見る。


 ぐじゅぐじゅと身体を沸かせながら怪物が笑う。



「あはああああああああ、58回! 凄オオオオオい。わたしをここまで殺したのはああああ! あなたが初めてよおおお! でもおおおお、もう終わり見たいねエエエエエエエ」


「黙れ、化け物。わたしはまだ、…。く」


 力が溢れる。息が続かない。


 ダメだ、ここで倒れるわけには行かない。




「う、ぐっ」



「姉さん! もう、もういい! もう無理しないで!」


 大丈夫よ、継音。そんな泣きそうな声出さないの。


 私は振り向いて、必死に立ち上がろうとする継音に笑いかける。


 立ち上がれもしないのに、無理しちゃいけないのはあなたでしょ、馬鹿ね。



 うまく笑えたかな。わたしが必死に笑顔を作る。


 そこに化け物が声を上げた。


「もう終わりねエエエエエエエ、あ! いい事を思いついたわああああ! 貴女と後ろの貴女! どちらかが、どちらかをををををををを、差し出しなさいいいいいいい! そうすれば、片方だけ生かちゅブレれれれれれれ」



 プチん。



「お前は、お前はもう喋るな……」



 あ、力出た。


 どおおん。上半身が潰れた化け物が仰向けに倒れる。


 奴の台詞があまりにも頭に来た。怒りが疲労を凌駕し、身体から力が吹き出してた。



「お前が言う言葉など、何1つ信用出来ない。お前と交わす契約などない、わたし達を舐めるなよ! 化け物があああ!」


 叫ぶ、叫ぶ。


 許せなかった。わたし達を試すようなことをするこの化け物が。


 コイツは愉しんでいる。人の選択を、人の苦悩を。



「お前が操れるものなんか…何もないのよ。勘違いするな、化け物が……」


 限界だった。



 四つん這いになって地面に這いつくばる。


 砂の匂いが、妙に心地よかった。



 ジュルジュルジュルジャル。


 また聞こえる。奴の生命が回帰する音が。


 何秒だ、アイツが生き返るまで何秒かかる?



 わたしが力を取り戻すまで、何秒かかる?



「姉さん、姉さん、姉さん!!」



 大丈夫よ、継音、お姉ちゃんすぐに立ち上がるからね。


 だから、そんな泣きそうな声あげないの。


 継音、愛してるわよ。



 動け、動け、動け、動け。


 今動かないと、全てを失う。


 これだけ願うのに、力は戻らない。身体の痺れがわたしから全ての感覚を奪っていく。


 ーーばっか、雪代。トレーニングつうのは結果じゃねえよの。辛い時、限界を超えたその先で、テンションとノリで身体を動かせるようにするためのな、なんたらかんたらうんたらかんたら。



 こんな時、呑気な記憶が蘇る。



 高校のトレーニングルームで空き時間に筋トレをする海原さんの言葉だ。



 もし、わたしが海原さんみたいに身体を鍛えていたりしたらこんな時、動けたのだろうか。


 あの人みたいに、もっと生きる事に必死になっていたらよかった。




 もし、ここを乗り切ったら少し、身体を鍛えてみようかな。


 あれ、今わたし何考えてたんだろ。


 わたし、私。


 わたし。






「あはあああああああああああ、ごじゅうううううきゅうかいめええええええ! 凄オオオオオい! 凄オオオオオいよおおお!」



 間に合わない。


 奴の再生の方が早い。



「楽しかったああああああああ、貴女達を食った後はああああ、体育館の人たちイイイイイイイ、そして最後はああああああああ」




「樹原 勇気に借りを返してやる。あの男、この私にトドメを刺さなかった事を後悔させてやる」



 化け物の言葉が、流暢にはっきり。



 強い、この化け物は強い。


 勝てない。


 わたしはこの化け物に勝てない。



 ぎゃおオオオオオオオオオオン!



 グオオオオオオオオ!



 和オオオオオオオオオオン。



 気付けば、再び校内にほかの化け物も集い始めていた。



 化け物も首なしの巨人が怖いのか。遠巻きに眺めるだけで攻撃はしてこない。


 だが、もうこれで逃げることもできない。


 殺される。わたしも、継音も、殺される。



 なんで、いつもこうなる。


 なんで、私は守れない。


 なんで、私は失う。



 私は、無力ーー


「……姉さん」



 暖かい。


 這いつくばる私に、何か暖かな感覚が伝わる。


「……継音?」


「……もういいの、姉さん。もう、いい。これ以上、もう……」


 継音がわたしを抱きしめていた、細い身体でわたしの事をゆっくり抱きしめた。



 それが暖かくて、私は今自分が怪物に囲まれて死にかけている事を一瞬忘れた。



「姉さん、ううん、お姉ちゃん。嬉しかった。私を助けに来てくれて、ありがとう。……ごめんね。私の為にお姉ちゃんを危険な目に合わせてしまって」


「違う! 違うよ、継音! 謝らないで! 私がもっと早く来てれば! 私がもっと強ければ! ごめんね、ダメなお姉ちゃんで、ごめんね、助けてあげれなくて」


「ううん、最期にお姉ちゃんとこうして話せたから、いい、ごめんね、ありがとう、大好き」


 私を抱きしめる継音の身体が震えている事が分かった。



 がたがたと恐怖で震えながらも継音が私の身体を離す事はない。



 私は、その身体を抱きしめる。


 ああ、居るわけのない神様、何もしない神様

 。



「あはあああああ、綺麗なあああ姉妹ねエエエエ、でもさようなら」



 願うなら、妹の震えを抑えれる力を、特別なものではなく、この頼りない細腕に僅かな力をください。



 どうせ、くれるわけないけど。


 怪物の手が迫る。



 捻り潰されるのだろうか、押しつぶされるのだろうか、摘まれて食われるのだろうか。




 願わくば、先に死ぬのは私でありますように。継音が苦しまずに逝けるように。


 私は継音の震えを止める事が出来なかった。




 おおおおおおおおおおおおおおおおおおお。



 ああ、また。


 新しい化け物の咆哮が届く。



 空から、新しい化け物の叫びが。




 チョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ。



 空から降ってくるその声。


 ん?



 あれ?






























「アッチヨオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ! ホワタアアアアアア!!」












 あ、海の香り。

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