第20話


 



 昔から喧嘩で負けた事がなかった。



 幼稚園の時には近所の小学生をボコボコにしたし、中坊の時には高校の不良共をシめていた。


 殴られても痛くない。どれだけ殴られたり蹴られたりしても怖くなかった。



 俺が一発ぶん殴るとどいつもこいつも、すぐにぶっ倒れた。



 はじめは確か、ムカついたんだ。



 幼稚園の友達が近所の悪ガキに黄色い帽子を取られて、からかわれてるのを見かけてよ。その時の悪ガキの表情がムカついて、気がついたらボコボコにしてた。



 あの時の俺を見る悪ガキや、帽子を取られていた友達の怯えた目つきも覚えている。



 小学生の時に、またクラスメイトがカツアゲされてんのを見かけた。



 学ランを着たエラそーにしているヤローの目つきが気に入らなかった、よえー癖に、さらによえー野郎から金を奪うその根性がどうしようもなくムカついた。



 ボコボコにしてやった。


 でも運が悪い事にその学ラン野郎が親にチクリやがった。


 俺はお袋と一緒にそのボコボコにした野郎の家に行って頭を下げないと行けなかった。じゃないと警察に通報するってよ。


 あの玄関先で顔を腫らしてんのにニヤニヤした顔でこっちを見下してやがった野郎の顔は忘れねえ。



 その家から帰る道の途中、お袋がこう言った。



 誠、アンタは何のために喧嘩をしたのって。


 俺は正直に答えた。



 野郎がムカついたからだ。よえー奴を脅してニヤニヤしているあの顔が許せなかった。てな。


 正直に言ったから怒られるって思ったけどよ、お袋はその場で立ち止まりニヤリと笑ったんだ。



 それで良い、誠。弱い子を守ってあげな。アンタの小さな拳はきっとそのためにあるんだよってな。



 なんでかわからないけど俺はその瞬間、わんわん泣いちまった。



 道の真ん中で泣き続ける俺をお袋は黙って、抱きしめ続けてくれた。



 俺は、中学になった後も喧嘩を続けた。でもこの時の俺はお袋との約束を守っていなかった。


 途中から弱い者を守るためじゃなくて単純に喧嘩が楽しくなっちまってた。



 ワザと喧嘩っ早い連中のシマに足を運んだり、怖いって噂の不良の先輩を挑発したりよ。



 気が付いたら誰しもが俺を恐れていた。



 喧嘩は続いた。流れ続ける潮みたいに毎日、毎日、殴って蹴って、傷付けた。



 それでも一度も怖いと思った事はなかった。警察に捕まった時も、その気になればケーカンをボコって逃げりゃいーやぐらいにしか思えなかった。



 お袋が警察まで来て、泣いてしまった時は少し、怖かった。



 ああそうだ、でも親父や兄貴に殴られた時は、痛かったし怖かったな。


 あまりにも喧嘩に明け暮れる俺を見兼ねて止めてくれたあの2人には頭が上がらねえ。



 そんなに強いならいっそのこと1番になってみろ。


 中2の春、肌寒い夜に親父と兄貴に近所の公園に呼びつけられて喧嘩したあの夜に言われた言葉は今でも覚えてる。


 俺がボクシングを始めたきっかけがその言葉だった。




 てか今、考えるとよ。アホな家族だと思わねえか?


 非行に走る腕っ節だけが取り柄のアホを止めるためによ、俺の親父や兄貴が何をしたと思う?




 大の大人や、名門大学に通うインテリが一年間、仕事や勉強をほっぽり投げて本気で身体を鍛えやがったんだ。




 時間と金をかけてよ、オッサンや今までロクにスポーツもした事なかったインテリがやることがよ。



 中2の我が子、弟相手の二対一の喧嘩だぜ?


 俺にはもう言葉では通じないから一回、ボコボコにしてから話し合いをしようだなんて……。


 この親にしてこの子ありって奴だよなあ。



 あれは、あれは多分死ぬまで忘れねえ。



 あの時の想いが籠もった拳の重さは俺の中の何かを変えてくれた。



 親父が折れた前歯を見せながらニカリと笑ってよ、兄貴がパンパンに目元を腫らせながら俺の頭を撫でてよ。



 お前は喧嘩の天才だから、それを活かせって言うんだぜ。



 馬鹿だろ、大馬鹿だろ。



 でも俺は2人に負けたんだ。砂場で大の字になってそこからもう立てなかった。


 中2だぜ、14のガキの顔面に本気でドロップキックかます中年の50代とか、本気で絞め落とそうとしてくる21歳とか信じれねえ。


 ったくアホばっかりだぜ。



 だけど。



 田井中 遼 田井中 道人 田井中 桜。


 それが俺の家族だ。俺の大好きな、大好きだった家族だ。絶対に、忘れる事はないだろう。














 もう、みんな、いないのだとしても、俺は、田井中 誠だけは俺の家族が最高のアホだった事を忘れない。













 ……………………

 ……………

 ……….…




 ギィイ。



 海原はプールサイドでの洗濯を終えて、ウエイトルームの扉を開いた。


 探索時に着ていたワイシャツとスラックスはプールサイドに備わっている物干し竿にかけて天日干しの最中だ。


 今は黒いTシャツに、薄い青のハーフパンツ、海原が避難した時に持ち込んだ予備の服装に着替えていた。



「海原だ、入るぞ」



 酸っぱい匂いに海原はわずかに顔を顰める。埃と汗の混じったあまり良い臭いとは言えないそれが鼻の穴に触れる。



「よう、オッサン。よく来たな」



 スミスマシン、ダンベルステーション、ランニングマシンに、サイクリングマシン。


 それらが整然と並んだウエイトルームの奥、大きな鏡の前のベンチに男が1人座っている。


 目につくのはその明るい金髪だ。脱色されともすれば白金にも見えるその髪色がその端正な顔立ちに映える。



 基特高校ボクシング部 3年、田井中 誠。そして今は警備チーム、リーダー、田井中 誠がそこにいた。

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