第19話


 



「あー、カッコつけすぎたー」



 海原は服を脱ぎながら大きく独りごちる。ここは校内の一角にスペースを構えるプールの男子更衣室。


 無骨なロッカーと青いベンチが1つ置かれた簡素な部屋だ。


 汚れたワイシャツやスラックスをベンチの上に放り投げてパンツ一丁で出口に向かう。


 シャワールームとルームプレートが下げられたそのドアを開いた。



「あー、疲れた」


 引き戸をカラカラと引いて海原はシャワールームへ入室する。


 青いタイル張りの部屋には10以上のシャワーが備え付けられている。仕切りに覆われ1人1つを使えるような造りのそれ。


 海原は手近なスペースに入り壁に備え付けられているボタンを押し込んだ。


 サアアアアアア。



 頭の天辺に冷たい水が降りかかる。頭皮のシワや逆剥けた皮に水が染み込む。頭蓋骨にまでその冷たさが染み込むような感覚。


「あー」



 そのまま海原はしばらくその水の冷たさに感じいり立ち尽くした。ガスが死んでいるために温水はでないものの、給水管と直結しているシャワーはまだ生きている。



「あー、もう友達とかいらねー」



 頭の悪い独り言を言いながら海原は目を瞑ったままシャワーの感覚に集中した。



 水の流れる音、水の砕ける音だけが海原の耳の中に混じる。自分の呼吸の音が合間合間に聞こえる。


 胸の中に溜まっていた重たい何かが汗や皮脂汚れとともに流れ落ちて行く。



 やかましいわ、がきんちょ。



「あー、キモい。カッコつけすぎたー。恥ずい」


 口を開くたびに口内に水が入り込む。独り言は水の音にかき消されて行く。



 この避難生活には娯楽が少ない、食べること、寝ること、後はこの探索後に許されている時間無制限のシャワーぐらいだ。


 節水の為に基本的にはシャワーは女性のみが毎日使えることを許されており、男性は3日に一度しか使えないように決められている。


 不満はあるが仕方ない。だからこそこのシャワーの時間は海原にとって換えるもののない大切な娯楽になっていた。



「体育館組の連中に知られたらまたブーブー文句垂れるじゃろうなあ」



 海原は、あの体育館に籠る事を選んだ連中のことを思い返す。もう戻らない世界のことにしがみつき、こどもたちに守られるだけの道を選んだ連中。



 体育館には現在100人弱の避難民が暮らしている。彼らの生活のことは今や海原はあまり知らない。



 あの生徒会長の演説の日より、海原は避難民たちとは距離を置くようになっていた。



 避難民からすれば海原を始めとした探索チームは狂人としか映らないのだろう。社会が崩壊し、化け物が世界に溢れ出しまだ1ヶ月。


 その短い期間にある意味順応しつつある探索チームは同じ凡人の集団である避難者たちから見ても異質な存在だった。



「やめよ……。連中にも連中の考えがあるもんな」



 海原は努めて、頭の中を空っぽにしようとする。肌を流れる冷水の冷たさ、髪を伝う水音だけに意識を向ける。



 それが、ただ心地よかった。


 その心地よさだけの中に、海原は沈んでいーー。


「あ、いた」


「うお」




 背後から突然かかった声に、海原は呻く。反射的に壁のボタンを押してシャワーを止めた。



「っす。すんません、シャワー中に」


 海原は振り向く。


「お、おお。竹田君か。すまん気付かなかった」


 声の主は奇妙な出で立ちをしていた。




 全裸。いやそれは普通だ。シャワールームなのだから。


 だが、頭部にこしらえたそれはどう見てもおかしかった。


 野球帽子。つばの広いそれをシャワールームにいるというのにきちんと被っている。


「あれ、海原さん。シャワー浴びてんのにパンツはいたままなんすね」



「あ、ああ。洗濯ついでにな。ていうか君も帽子被ったままじゃん」


「え、変っすか?」



 竹田と呼ばれたその少年は帽子を外して手に取り、外観を確認する。


「いや、その帽子自体が変じゃなくてここで被っているのがよ」



「ああ、なるほどす。でも自分、野球部なんで」


 竹田はそう言い放ち再び帽子をかぶった。帽子のつばから水が滴っているが特にそれを気にした様子はない。



「ああ、なるほど、野球部ね。納得したわ」


 海原はそれ以上の追求をやめる。人には人のルールがあって、自分は彼の教師でもなんでもない。別に彼がシャワー浴びてんのに帽子をかぶっていてもなにも害はない。


 無理やり自分に言い聞かせたのちに、海原は目の前の奇妙な少年を見つめた。


 竹田 翼。


 基特高校 野球部 2年。ショートで3番を背負う、背負っていた少年。



 この終わった世界では、校外や校内の見回り、そして怪物の撃退が役割の警備チームに所属している。



 数少ない戦える人間の1人だ。



 身長は高い。17歳ながら180センチ中盤ほど上背を誇り、その体は練習やトレーニング。そして天性が混じり合ったしなやかな筋肉で包まれている。


 手足は長く、それらに筋肉の筋がうっすらと浮かぶ。


 フィジカルエリートというのはまさに彼のような存在の為にあるのだろうと海原は感じた。


 これでまだ成長期だ。適切な運動と栄養摂取を続けた時に彼は完成するのだろう。この終わった世界でそれが叶うのならば。



 海原は彼を見上げながら



「で、どうしたんだ? 俺を探してたような口ぶりだったが」



「っす。田井中のやつが海原さんが帰ってきてるらしいから呼んでこいって。さっき保健室行ったんすけど、春野とお姉さんしかいなかったから、テキトーに校内回ってたら……て感じっすね」


「田井中が? 何の用……て聞くのも野暮か」



「すんませんす。何の用かまでは自分はちょっと。たちまちとりあえず呼んでこい的な感じすね」



 竹田が肩をすくめた。日焼けして黒くなった顔が申し訳なげに目元を細めた。


 きつい目つきだが、それぞれのパーツは整っている。


 このスタイルにこの顔つき、そして名門野球部のレギュラー。女子ウケは抜群なのだろうなと海原は呑気な事を考えていた。



「了解、わざわざ探してくれてありがとう。呼び出し場所は?」


「とんでもないす。自分も一旦シャワー浴びるかと思ってたらたまたま見つけたんで。ウエイトルームに夕方までいるみたいなんでお願いするす」


「ウエイトルームだな。分かった。この後向かうことにするよ」



 海原は髪を撫で付けて水を切る。


「っす。田井中、割と海原さんがお気に入りなんで。口は悪いすけどあまり怒ってやらないでくださいす」


「今に始まったことじゃねえからな。慣れてるから大丈夫さ。ありがとう、竹田君」



 海原はそう言ってシャワースペースから出る。海原と入れ替わるように竹田がそのスペースに入り込む。


 サアアアアアア


 竹田が帽子を被ったままシャワーを浴び始めた。


「あの! 海原さん」



 水音を切り裂いた竹田の声。海原は肩越しに振り向く。


「おお、どうした? まだなんかあるのか?」



「あ、いや、その。また今度でいいんで話せないっすか? ちょっと相談あるんすよ」



 竹田が頰を掻きながら呟く。



「ん、分かった。また声かけてくれや。今日はありがとな。竹田君」


「あざっす! つまめるモンも用意しとくんで、また声かけるす」




 海原は手を挙げて竹田の声に返事をした。そのままシャワールームの戸口に立ち、おもむろにパンツを脱いだ。


 トランクスタイプのパンツは濡れそぼっており水が滴り落ちる。


 手に持ったそれを海原は雑巾を絞るようにギュと捻る。


 そのまま絞ったそれを履き直し、戸口を開けた。


 濡れたそれはたしかに履き心地は良くないが、海原は大して気にしない。


 生来の図太い性格は避難生活を送るにあたって最も大事なものなのかもしれない。



 海原は、濡れた身体のままロッカールームへ足を運び入れる。


 備わっているタオルを棚から取り出して、乱雑に身体を拭くと、脱ぎ捨てていた衣服とタオルを小脇に抱えて、プールサイドへ向かった。


 洗濯して、乾かして、それからウエイトルームだな。


 海原は頭の中で、これからの行動の算段を立てる。世界が終わった後も大して、人間のするべき事は変わっていなかった。

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