婚約の儀
ゼファーから実家の危機を知らされたアイは、部屋の中をウロウロと歩きながら対策を考えていた。
このままでは、自分の実家が自分の嫁ぎ先から攻められることになりかねない。
自分の立場も危ういが、このままでは盛大に見送ってくれた領民達が戦乱に巻き込まれてしまう。
「ゼファー、この事を知っているのは?」
「お嬢様とそこにいるラムレッダくらいです」
「いいわ、この事は内密に。ラム、それと貴女の実家の力を借りる事になるかも」
「アイ様、それは承知しましたが果たして動いてくれるでしょうか? うちはスタンバーグ家と蜜月ですし」
「動いて貰わないと。直接私が手紙を書くわ。二人は婚約の儀が終わり次第その足でお願い」
自分がここから動けないのをもどかしく思うも、アイはラムレッダの実家であるスカーレット子爵を動かすしかなかった。
「それと、ゼファー。貴方は、そのあと旧坑道が誰に買われたか調べて。それと、ジェシーに頼んでユノ商会の行商を使って私と連絡をちょくちょく取るようにして」
「はい、承りました。頼りになりませんが、俺の兄にも頼んでみましょう。それと、お嬢様……」
「どうしたの? 貴方が口ごもるなんて珍しいわね」
「いえ、思い過ごしなら良いのですが、ここにいるゼロンという男」
アイはしまったと額に手をあてる。出来れば意気投合しそうで似た二人を会わせたくなかったのだが、どうも、アイの元に来る前に出会ったらしい。
「気をつけてください。あの手の男は何を考えているかわかりません」
「それを、あなたが言うのね……」
ゼロンを気をつけろと言うからには似た性格のゼファー自身に気をつけろと言っているようなものだと、アイは大きくため息を吐いた。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
婚約の儀前日まで、ラムは何度もアイの部屋を訪れた。ベール作りに駆り出されたのもあるが、ただでさえ気疲れしているアイを心配してのことだった。
「出来たー、最後の一つ!」
「お疲れ様です、アイ様」
アイは立ち上がると凝り固まった背筋を伸ばし、そのままベッドの上にダイブする。
「本当にラムが来てくれて助かったわよ。私一人じゃ、絶対に間に合わなかったもの」
「そんな、アイ様。でも間に合いましたね。これでアイ様の花嫁姿を拝めるのですね」
ポーッと想像を膨らますラムレッダを横目にアイは「まだ婚約よ」と、不満を漏らすのであった。
ラムレッダが「明日、楽しみにしています」と退室すると、入れ替わりに扉がノックされる。
「はい」
「ちょっといいかな、仔猫ちゃん」
「リーン。どうしたのよ、大体貴方、殆んど予行にも姿を現さないで。どこに行っていたのよ」
「あれ、言っていなかったっけ? ちょいとルベル王と会談にね」
「ああ、王様と会だ──王様あっ!?」
はあっ!? と、片眉を吊り上げ分かりやすく驚いてしまったアイは、勢いよく立ち上がりリーンに詰め寄った。
「王様ってどういうことよ!? ま、まさかと思うけど婚約の儀に……」
「ははは、来ない、来ない。安心していいよ。別件だから」
「そう、それなら。ここに来て王族なんて心臓に悪いわよ」
「実はその別件でアイに聞きたい事があってね」
「聞きたいこと?」
殆んど社交界にも姿を出さないアイにとって王族、ましてや王様相手に何かしでかした覚えもない。アイには心当たりは全くなかった。
「バーリントン商会って知っているかい?」
リーンの質問にアイは首を傾げる。ジェシー率いるユノ商会くらいしかアイには商会の知り合いなどもいないし、名前も聞いた事がなかった。
「さぁ? その商会がどうかしたの?」
「いや……うん。どうも胡散臭い連中でね。色々と関わってラインハルト王国にちょっかいかけている。噂ではどこぞの領地を買い取ったとも聞いている」
アイは心臓が止まりそうになる。ほんの数日前にゼファーから聞いた話に当てはまる。もし、このバーリントン商会というのが、スタンバーグ領の土地を買い取った張本人なら、既に中央は動き出しているということになる。
「聞いたことないわね。私の持つ商会はユノ商会ってところだけよ」
アイは冷静を装う。心の中でざわめくノイズを止めるように何度も落ち着けと言い聞かせる。
「そう……か。いや、知らないのならいいんだ。あ、そうそう。君にとって朗報だよ。邸内に君が所望していた工房、建てる許可を父上から貰ったから」
「え……あ、ああそう。嬉しいわ」
(ダメよ、このままじゃ。早く……早く何か手を打たないと)
「うっ!」
アイはリーンが此方をジーっと見上げて来ているのに気づくとあからさまに動揺してしまう。
「あまり嬉しそうじゃないね」
「そ、そんなことないわ! 嬉しいわよ、やったーっ!」
端から見ても、アイの喜び方は不自然さが表に出ていた。しかし、リーンは、それ以上追及することなく「明日は朝早いから早く寝なよ」と残して部屋を出ていった。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
「大丈夫ですか、アイ様?」
「ええ、平気よ、リムル」
アイは結局何かしら手段を講じるために一睡も出来ずに婚約の儀の朝を迎えた。
目の下にはうっすらと隈が出来ている。
「おはよう、アイ。よく眠れた──すごい隈だね」
「その、緊張からあまりよく眠れなくて」
アイは言い訳をして、リーンに嘘を吐く。何故かアイはリーンに対して、後ろめたさを感じていた。
「さぁ、お手を。これから宜しくね、仔猫ちゃん」
爽やかなリーンの笑顔が眩しく、アイは大人しく従い手を繋ぐと衣装を着替えるために向かった。
リーンは、自分の背丈に合わせた燕尾服に自分の髪の色と同じエメラルドグリーンのマントを肩に装着して、アイの着替えが終わるのを今か今かと待っていた。
「お待たせ」
アイが最初に選んだドレスは純白のドレス。レース編みで出来ているものの目立って透ける訳ではなく、若干肌の色が分かるかと思う程度。大きく開いたスカートは、まさにウェディングドレスを想像させた。
アイがこれを最初に選んだのは、明らかにウェディングドレスに見えそうだから。大衆や他の貴族の前で出るのは恥ずかしく、親族と知人で行われる最初の儀式にリーンと手を繋ぎ並んで歩き出すのであった。
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