朝の目覚め

「アイ。アイ、朝だよ。起きて」

「ん~……、な~に~?」


 昨日の相次ぐ災難に疲れが残っているのか、瞼を閉じたままベッドから体を起こしたアイは眠い目を擦る。瞼を開くと窓から差し込む目映い朝日の光と共にリーンの顔が映し出された。


「おはよう、アイ」と、爽やかに微笑むリーンのエメラルドグリーンの髪の毛が朝日に当たって煌めく。


「う~ん……なんで、寝室にリーンが?」


 徐々に頭が働き始めて昨夜の記憶が甦ってくる。思い出したアイはパニックになり、今の自分のシフトドレス姿を見て益々困惑を隠せない。


「えっ? えっ? どうして私……というより、なんでリーンがここに!? あ、そうか昨夜……いや、縛ったはずよ? 一体どうやって……」

「はははは。縛った? あれが? 僕にとっては何もしていないのと同じだよ。いやぁ、一晩中堪能させて貰ったよ」

「はぁ~、もっときつく縛れば良かったかしら。ん、堪能……? 堪能って、私に何したの!?」


 思わずベッドの上でアイは身構える。ゆっくりと自分に近づいてくるリーンに怯えた表情を見せながら、少しずつ後退りをするがヘッドボードにすぐに行き詰まる。


 リーンは顔を寄せ耳元で「君の寝姿」と囁く。


「へ? 寝姿? 何もしなかったわけ?」

「可愛い寝姿だったよ。涎を垂らして折角綺麗なピンク色の髪の毛はボサボサ。思わずキスしたくなったよ」

「絶対やめて」


 アイは口元を確認してボサボサになった髪を手櫛で整える。


「けど、寝込みを襲うなんて僕の矜持に反する。むしろ嫌がりながら、アイの方からされたい」

「しないわよ!」


 己の欲望駄々漏れのリーンに呆れ、顔を横を背け拒否を示す。リーンは残念そうにふーっと軽く息を吐き、ベッドに腰を降ろすとアイの顔へと近づく。


「ちょ……!?」

「大丈夫。今は何もしないよ。けどね、近々アイは嫌がりながら僕にキスすると予言するよ」

「な、何言ってるのよ! しないって言ったでしょ!」


 アイの顔が赤いのは怒ったからなのか、それとも……。リーンは、そんなアイを見てヤレヤレと大袈裟に肩を竦めて見せた。


「まだ、わからない? 僕とアイは婚約するのだよ?」

「そうね。形だけは!! きっと貴方の変態を治してやるわ!」


 アイの答えは的外れだったようで、リーンは仕方ないなぁと呟きながらアイの耳元へ顔を寄せ「婚約の儀」と再び囁いた。


「あれ、まだわからないの? ブルクファルト領へ戻ったら婚約の儀を行うのは聞いているだろう?」と、リーンはわざとらしく大仰に両親を広げる。


「ええ、もちろんよ。それは覚悟しているわ。それが?」


 首を傾げるアイを見て本当に分かっていないのかとリーンは少し楽しくなってきた。


「手順は? アイの両親から聞いていない?」

「何か言っていたかしら? うーん、弟への引き継ぎで慌ただしかったから、覚えていないわね」


 答えを言えば、アイは一体どんな顔をするのだろうかと、満面の笑みを浮かべてリーンは興奮気味にアイに答えてあげた。


「じゃあ、覚えておいて! 婚約の儀の中には、皆の前でキスするから」


 アイはまさしく狐に摘ままれたとも鳩が豆鉄砲を食らったとも、体は固まり顔が無表情になると、首の辺りから頭の天辺に向かって白い肌が赤く染まっていく。


「ええええええっ~!! 待って、キス? リーンと? 皆の前!?」

「そうだよ、皆の前で熱~い、口づけを交わすのさ! どうだい、興奮するだろう?」

「しないわよ! 恥ずかしいだけじゃない!!」

「想像だけで興奮するね。皆の前で絡み合う舌と舌、混ざり合う唾液──」


 リーンは、自分の腕で体を抱きしめながら、想像を膨らまし身悶える。


「ちょちょちょ、ちょっと待って!? 舌!? 軽くじゃないの? そ、そこまでするわけ!?」

「アイは、どっちがい~い?」


 漸く、リーンにからかわれた事に気づくと「軽く」ときっぱり答えた。


「軽く……ね。じゃあ、そうしようか。皆の前で、僕と軽くだけどキスをすることを認めたからね、今」


 ハッと、自分がリーンの手のひらの上で転がされていたことに気付き、頭を抱える。


「その……リーンは、恥ずかしくないの? キス、したことは?」

「はははは。僕、まだ十一だよ。挨拶で手の甲へはするけど、あるわけないだろ!」


 リーンがまだまだ子供であるのは見た目だけで、自分よりずっと大人な気がしていたアイは、遊ばれている自分が本当はしっかりしなければ、と決意する。


「ところで、アイは着替えなくていいのかい? シフトドレスのままだよ。まぁ、その姿もとっても蠱惑的だけどね」


 カラカラと笑うリーンに、アイは顔を真っ赤にしてベッドの境界線にしていたクッションを投げつけて部屋から追い出した。


 アイは公爵邸の使用人が用意してくれた真新しいシフトドレスに着替える。今、着ていたシフトドレスは少しうす汚れており、昨日の拉致されたことを思い出させた。


「あの時、リーンが来てくれなかったら……」


 もしもを考えると、アイはブルッと身震いする。穢されなくて良かった、命が助かって良かった。それを考えると「軽いキス程度なら……」と妥協してしまうのであった。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



 準備が整い、アイはリーンが新たに用意した馬車へと乗り込む。アイを拐った連中に殺された老齢の御者は、近くの墓地に埋葬され、家族への連絡もリーンが手配してくれたようであった。


「それでは、公爵様。婚約の儀にまたお会いしましょう。ロージー、キミも来てくれるね?」

「はい、もちろんですわ。アイリッシュ様も息災に。婚約の儀には手土産・・・も用意しておきますわ」

「ありがとう、ロージー。それでは公爵様、お世話になりました」


 馬車がゆっくりと、そして徐々にスピードを上げていき、アイとリーンを乗せた馬車はゼロンの警護の元、ラヴイッツ公爵領を出るのであった。

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