第49話

 いつもは整然と並べられている机が、今は多くが中央に寄せられている。


 資料や何やらで溢れているデザイン課は手つかずだが、外回りが大半の営業部の方の机はこういう時に可動式というのを発揮すると思う。中央には酒類や料理が並べられていて、他の部署からも人が集まっている様だった。

 先程から長々と社長が喋っていたが、今は乾杯の音頭が取られている。社長の横に花束を抱えた一條が立っているのを見ながら、羽柴は自分のデスクに座りつつ机の端に置いたビール缶に手を掛けた。


「あらあら、うっちーはいませんの?」

 また人が増えたなと歴代トップの売り上げだとか何とか言う文言を聞きつつ、自分はまだ仕事が残っていると画面に向き直ろうとした瞬間、脇から声が掛かって其方へと羽柴が瞳を向けた。


「鴫さんも来たのか」

「それは一條君のお祝いですもの。社員平均の四半期分を一月でなんて凄いですわね」

「件数とのバランスが絶妙だったな。あのセンスが無い限り流石に誰にも抜けんだろ」


 やってくれると思いながら羽柴の視線が一度鴫から離れて一條の方へと向け、そして軽く息を吐き出く。のべつ幕なしに仕事を取ってきた訳ではない、デザ課の最大容量を見極めながらの契約額の大きさというのはそれこそ一條の営業手腕だ。

 溜息の様なその様子に鴫が楚良の椅子を引いて座った。


「うちの女神は流石に疲れたってんで帰らせた」

「あら。流石のうっちーも一條君の本気にはついていけなかったんですの?」

「逆。ついていったから休ませてる。最終日までノーミスノーコンなんて空木だけだぞ」


 甘く見るなよとばかりにひらひらと羽柴の手が揺らされれば、あらすごいとばかりに鴫の両手がぱちぱちと鳴らされる。

 一度鴫の部署の人間が彼女に酒を持ってきたが、直ぐに会話を邪魔するのを避けるかの様に人の輪の中へと戻って、鴫がビール缶のプルタブを起こして羽柴の方へと近づけた。


「ノーミスも凄いですけれど、ノーコンはもう意味不明ですわね。没無しでしたの」


「今月は寧ろ派手に目立った一條よりデザ課じゃ空木の方が冴えてたな。忙しけりゃ忙しい程燃えるのは知ってたが、質も上がるなんて聞いてない」

「聞けば聞く程欲しいですわ。そろそろデザ課に飽きた頃じゃありませんの?」

「残念。空木からデザ課に骨を埋めたいから他にやらないでくれだそうだ」


 ゴツンとビール缶同士を重ね合わせて直ぐに離し、互いにそれを口へと運べば面白げに羽柴が笑って今度は鴫が肩を竦める番。

 しかし直ぐに二人の合間には微笑が零れて、再び一條の方へと顔を向けた。


「うっちーがいれば私も引退できそうなのに残念ですわ」

「鴫さんとの相性は悪くないだろうが、空木は人を選ぶぞ。芯が強そうに見えるが案外ストレスも全部入る奴だしな」

「絶対途中で倒れるかと思いましたのに、月末まで保ちましたわね?」

「悪魔と契約したんだろ。兎の世話をしてくれる家政婦でも雇ったんじゃないか?」


 化け物と悪魔の組み合わせは多分最高に相性が良いのだろうかと思いつつ、あの広い家をあの業務形態で一人で管理するのは無理だと羽柴も思う。

 どう考えたって兎は寂しがるだろうし、空木は兎不足で死ぬ。多分今日辺りは兎に顔を埋めて過ごしているのに違いない。


「表面上は余裕なのですけれど、本当に寸暇を惜しんで勤しむタイプですわね。もう少しお勉強の時間を割いて差し上げたらどうですの」

「今月の一條を見て、本当は好きなだけ仕事を取りたいところに自分の仕事が遅いせいで足を引っ張られるのは苦しいだろうとか言ってたからな。馬鹿だぞあいつ仕事馬鹿」

「その言葉を言われたいが為だけに営業に宗旨替えしたくなりましたわ。それで、一條君は走り切った訳ですわね」


 あれは天才じゃ無く秀才だなと羽柴が告げる言葉に、鴫がそうねと軽く頷く。視線を流す先は一條の方で、営業の女性社員に抱きつかれているのが見える。

 すう、と瞳を細めたのは一瞬。溜息を吐いた鴫がまた羽柴の方へと視線を戻した。


「でもやりきったという事は、うっちーはまだ入りそうなんですの?」

「寧ろ鴫さんはどう思う?俺は今月だけが異常だって踏んでるんだが。今月は失敗できない理由もあったしな」

「追われる兎の全速力って奴ですの?…でもそれを認めるのは癪ですわ」


 耳元へと営業の女性社員に唇を寄せられている一條から羽柴が視線を流したのは、相変わらず此方も女性社員に囲まれている勅使河原の方。

 だが此方は最初よりは随分取り巻きが減った様に思う。癪、と言った鴫の気持はよく分かる。楚良にとって勅使河原がそれほど重要人物だと思うのは、羽柴にとっても癪だ。


「一條君の為という方が余程有用ですわね。早く片付けて下さらないかしら、空木の本当の本気が見てみたいですわ」

 一條の長身では流石に無礼講と言っても女性が勝手に口付けるのは難しい。花束を抱えたままで器用に女性の腕を外した彼が、脇で飲む二人に気付いたのか人並みを抜けるついでに周りに女性社員達を軽く押しつけた様にも見えた。


「鴫さん、来て下さったんですね」

「主役が此方でよろしいのですの?一條君の祝賀会なら来ますわよ」

「鴫さんとは約束しましたからね」


 乱れたネクタイを片手で直した一條が普段鳴海が座っている席のあたりに立てば3人の位置は丁度三角、その位置でうふふと鴫に微笑まれる。それを見やりながら羽柴が足を組んで軽く息を吐く。

「――――…空木さんは?」

「あ?帰った」

 一條が鴫の方から羽柴の方へ、視線を流せば背もたれへと凭れつつビール缶を片手にしていた男がそう答えた。


「そっか。…お礼も言いたかったんだけどな」


 目の前で食事を取り上げられた犬だと鴫がその表情を見やりつつ、最早何も言う気がしないのか言葉さえかけない羽柴がまたビールを一口。

 あの食堂での一件から、それこそ一條のそれはあからさまで、人々の口にも上る程。


「一條君はうっちーが気になりますの?」

「最後の駄目押しはほぼ空木さんが即日上げてくれた分ですので」

「お前、思い出した。マジであれもう辞めろ、見ててこっちがひやひやする」


 鴫の質問に答えた一條にそれこそ羽柴が顔を顰めて口を挟んだ。彼が珍しく楚良を名指しして羽柴に渡したのは確かに彼女が好みそうな仕事だったが、だからって明日まで等という無茶な割り振りを営業から押しつけられるなんて何事か。

 付帯する大きな仕事を取る為だろうが、楚良はスーパーマンでもないし厄介事を処理する役職でもない。


 流石の楚良も仕様書を手にとても困った顔をしながら頷いていたから、それこそ祝賀会に出て貰えるなんて思う方が間違っている。


「一條課長!写真撮りましょう」

 人の群れから声が掛かって一條が振り返り、そうだね、と小さく頷いて落ち掛かった花束を抱え直す。

「二人も良かったらあっちに混ざって。料理もあるから」

 流石に主役が端っこで長時間立ち話という訳にもならないと、軽く羽柴と鴫に手を振った一條が身を翻して去って行く。

 本当にあいつは空木の事だけ聞きに来たのではないかと羽柴が疑った頃に、隣の鴫から溜息が漏れた。


「羽柴君はうっちーの男は知ってますの?」

「――――っ、…鴫さんまで何言い出すんだ…」

 思わずビールを吹き出しそうになった羽柴が、慌ててテーブルの上にあったタオルを取って口元へと当てる。本当に最近この話題しか自分に振ってくる相手はいないのか。


「俺は空木の兄貴じゃ無いからな?流石にプライベートの事までしらないんだが」

「あらあら、俺だと暴露して下さるかと思ったのに」

「正直アイツに気がある男の気が知れないね。俺はその気をゆっくり待つ様な恋愛はご免なもんで」


 一條が筆頭だが、勅使河原は兎も角最近他の社員もちらほら浮ついている気がして仕方が無い。色々と噂にされる事もあるし、一條にさえ冷たい視線で見られる事はあるが、羽柴にしてみればその気もない空木に自分が本気になる事など無いと思っている。

 最初から駆け引きたっぷりの恋愛を楽しむ質だし、尽くされるのが好きな方だ。兎なんて最大の依存対象がいる空木との恋愛など、絶対に苦しいだけに違い無い。


「相手に気が無ければ始めないなんて、羽柴君は臆病ですこと」

「何とでも言ってくれ。それに暫く仕事一筋だ、女に浮気は出来ないな」

「女性社員が泣きますわね」

 また溜息を吐きながら金髪を掻き上げた羽柴に、楽しげに笑う鴫が楚良の椅子から立ち上がり、左胸から小さなキーホルダーを取り出して幾つもの兎グッズが鈴なりに掛かっているデスクライトの突起へと掛ける。


 精巧に作られているそれは、どこかの土産なのかトウモロコシを抱えていた。


「何か出して欲しいデータがあればいつでも承りますわよ。うっちーが残れば尚良いですわ」

「俺に取っちゃそれが最優先だな。一條があれだけ餌撒いてんだ、イライラもピークだろ」

「餌、だけじゃありませんでしょうけれども」


 じゃあと楽しげに歩き出した老婆は本当にどこまで知っているというか、何を面白がっているのかと勘ぐりたくなる。部長3人に空木のあれこれはある程度バレているのだから、鴫も知っていると思っていいのだろうが、一條が楚良をどう思っているのだろうか等と言う事は完全に女の勘という奴だろう。


「羽柴。空木からだ」


 皆が騒ぐ中からスマートフォンを片手に長身が抜け出し、羽柴の方へと自分のスマホを差し出したのは鳴海で、背もたれへと凭れていた背中を話して羽柴がそれを受け取った。

 休めと言っているのに仕事を持ち帰ったのか、資料を二、三要求していて自分のPCのマウスへと手を掛けながら中を探る。世間話にもう家かと聞けば、今日は尾行の心配もないので即帰宅できましたと告げられた。良いから仕事をせずに今日は寝とけと言ったが資料は要求されて、仕方なく送付した旨を伝えれば挨拶をそこそこに電話が切られる。


 絶対彼女に恋愛感情なんて抱くまいよ。


「何だお前も向こうに飽きたのか?」

「お前が行け」

 自分の席へと腰を下ろした鳴海がスマートフォンを受け取り、デスクの端の受電器へとそれを起きマウスへと手を掛ける。後ろでは社長を組み入れて本当に盛り上がっているのか、どうせ同じ部屋なんだから行ってこいと羽柴に言われて出たものの、やはり鳴海には合わない。


「なあ、鳴海。お前、空木の男って知ってるか?」

 自分も仕事に入るかと思いながら羽柴が途中にしてあった仕事を開き、散々他人から聞かれた言葉を今度は鳴海の方へと向けてみた。

 難しい案件に手をつけたのかマウスを握るのとは逆の手で頬杖をつきながら口を覆った鳴海は、視線も上げずに肩だけで溜息を吐く。


「俺だと言った所でお前は信じないだろうな」


 これは返事が返って来ない方向だろうなと羽柴が思っていれば、それこそ予想外の台詞が帰って今度こそ羽柴はビールを派手に吹き出した。

「――――は!?おま、…えっ?」

「知りたかったんだろうが。知ったら落ち着いたのか?」

 服どころかキーボードやモニタにまで飛んだとタオルでそれを拭いながら、もう一度鳴海の方へと向いてみたが彼の視線は羽柴の方へと向けられてはいない。


「マジで?」

「営業希望の看板外しとけ。どこに信じる要素があった」


 本当に視線一つくれずに告げられた答えに、それこそ手元のビール缶を投げつけたくなったが、そこは自業自得であったのでぐっと我慢した。

 まさか鳴海にまで取って返されるとは思っていなかった。普段はこういう話題には一切関わらないくせに、である。


「もし会社にそんな人間がいるとすれば」

 何もかも楚良のせいにしておこうかと零れたビールの処理をしていれば、聞こえてきた言葉は鳴海のもので何だとばかりに視線を向ける。

「お前にその質問をしない奴の中のどれかだろうな」

 告げられて何となくどんちゃん騒ぎになっている営業のデスクの方へと目を向ければ、楚良に手の届く人物でそれに当てはまる人間なんてさして残っていない。


 いつの間にか一條の近くに水島が立っていて、その傍らに勅使河原が見える。双方何やら意味深な笑みを浮かべていて、一條が表面上は笑顔で話を聞いている様にも。


「どちらにしろ一條だろ」

「…いやお前、どちらにしろって何だ」

「会社にいるなら、という前提だが。仕事を口実にしか外に出ないんだから、一條にしか口説ける機会が無いだろ。これまでも、これから先も」

 鳴海の片手が持ってきていたビール缶へと掛かり、そのプルタブを引き上げた音がした。

 炭酸の抜ける音と、それを喉の奥へと流し込む音。


「お前の論には穴があるな。そもそも空木が受けるか?相手が一條だっつっても」

「ああ言う女を落とすのに一番いい手は何だと思う?」

「――――は?…いやそれお前が聞くのか?俺じゃなくて?」

「興味が無いなら良い」

 わぁっと歓声が起こるのに紛れて、無口な鳴海から聞き慣れない言葉が漏れて羽柴が手を止めてデスクの端に腕を突く。


 鳴海と羽柴の付き合いは長いが、女性に対してそういう事を言う奴だとは初めて知った。


「褒め殺しか?」

「自己評価が低いというだけならそれも良いが。恋愛感情なんぞ無いという顔をして外堀から埋めて行く方法だ。人付き合いに男女差がない奴の中でも、完全中立を貫くタイプは何でも他の理由をつけるのが一番だからな。気付いた時には全員から、相手は一條だと言われる」

 酒は殆ど入っていないと思うのに珍しく鳴海が饒舌だと、その言葉を聞きながら羽柴が軽く瞬いて一條の方へと瞳を向けた。


 何やら水島がその首筋へと抱きついていたので、瞳は逸らしておく。


「お前から男女の話を聞かされるなんて思わなかったんだが」

「相手が一條でなければ、同じ手を使っていた」


 半ば悲鳴の様な声が上がるその合間に紛れる様なその声に、思わず羽柴が一度瞬く。

 今。鳴海の口からとても重要な言葉が漏れた様な気がする、彼に似合わない、楚良にも似合わないそんな言葉だ。


「……お前」

「その為に此処までやって見せた、空木も認めている。だから一條なら構わない」


 またその口がビールの缶を掴んで一口啜る音。本気か等とは羽柴の口からは漏れず、そのままずるずると上体を寝かして机の上に突っ伏した。

 そりゃあ若い男女が一つの部屋に押し込められているし、その中でも仕事上の接点が多い年頃の二人だったのは理解できる。それにしたって相手が楚良で、鳴海だろうと思えば最早言葉さえなく、ああくそとか言いたい気分になった。

 鳴海は癖のある男だし仕事の腕も確かだ。女っ気の無い奴だったし、楚良の様な普通とは違う女はとか、何やら色々とぐだぐだ考えたがその先がもうとっくに決着をつけている想いだというのに何とも言えない気分。


 見れば一條に唇を寄せている水島の姿が見えて、羽柴の口から溜息が一つ。お前諦めるのが早いんじゃないのかと言いたい気分を、ビールと共にごくりと飲み込んでおいた。

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