第598話 余の顔を見忘れたか

「コブチ!」


 声の方へ視線を向けると、マルガリータ姫が芽依ちゃんに連れられて小屋に入ってくるところだった。


「おまえまで、捕まってしまったのか」


 だが、声を掛けられた小淵の分身体は、何の事だか分からないようにキョトンとした顔をしている。


「コブチ! なんとか、言ってくれ」


 小淵は首を捻ってから答えた。


「あの……失礼ですが、どちら様でしょうか?」


 ん? 小淵はマルガリータ姫を知らないのか?


「コブチ! の顔を、見忘れたか!」


 なぜそこだけ、一人称が「わらわ」ではなく「余」になる? いや……まあ、翻訳機の誤訳だと思うが……


「忘れたも何も、あなたの事は、まったく覚えがありませんが……」

「コブチ! 意地悪はやめてくれ!」

「僕はこう見えてもフェミニストですから、女性に意地悪など……」

「では、なぜ妾を知らぬなどと……? 昨夜の作戦会議で、おまえの意見を却下した事を根に持っているのか?」

「昨夜の作戦会議?」


 困ったような表情を浮かべて、小淵は僕の方を向いた。


「隊長……いや北村さん。このご婦人は、どなたですか?」

「知らないのか? マルガリータ皇女だ」

「マルガリータ皇女? そんな方が、なぜベイス島に?」

「なぜもなにも、彼女がベイス島駐留帝国軍の総司令官だそうだ」

「総司令官? はて? 僕の最後の記憶では、ネクラーソフ中将がベイス島駐留軍の総司令官でしたが……」


 ネクラーソフのおっさんも来ていたのか。てか、中将への降格だけで済んだようだな。


「ネクラーソフは、何かと口うるさい奴なので、帝都へ追い返したではないか。忘れたのか?」

「それは、いったいいつの事です?」

「十日前じゃ」


 ん? ひょっとして!


 ダニの人格は、ブレインレターを仕掛けられた後はずっと眠らされていたが、小淵の人格は時々目覚めていたのではないのだろうか?


 それを聞いてみると……


「そうです。僕は時々目覚めていました」


 やはりそうなのか? 


 では、分身体の中にいるのは、やはり小淵本来の意識。


 しかし、レムはなんのために、小淵の意識を時々目覚めさせていたのだ?


「理由は分かりませんが、レムは時々僕を……僕本来の意識を目覚めさせていました」

「その時に、最初の僕が死んだ事と、二人目の僕が再生された事を知ったのかい?」

「ええ。目覚めている時に、矢納がそんな事を話していました」

「以前に別の接続者の分身体を作ったが、ブレインレターを掛けられた後の記憶がなかったんだ。どうやら、奴は一度も目覚めた事がないらしい。君の近くにいた接続者はどうなのかな? 目覚めていたのは君だけか?」

「もちろん、僕だけじゃありません。矢部さんも、成瀬さんも、カルル・エステスさんも時々目覚めていました。期間は不定期で、一ヶ月以上眠っていた事もあれば、三日ぐらいの時も……もっとも、目覚めている時期が重なる機会は少なかったですが……」

「そうか。それじゃあ話を変えるけど、君がリトル東京でブレインレターを食らった時は、どんな感じだった?」

「ブレインレターのマイクロロボットに身体中を覆い尽くされ、しばらくして僕の五感がすべて消えてしまいました。意識はしばらく残っていましたが、そこへレム神の声が聞こえてきたのです。『これよりおまえを支配下におく。抵抗は無意味だ』と。その後、心の中を探られているような感覚を覚えました。これは僕のオリジナル体が、スキャナーに掛けられた時の感覚と似ていた事から、記憶をコピーされていると推測したのですが……」

「君の推測通りだ。レムはコピーした記憶を元に君たちの疑似人格を作って、君たちの身体を遠隔操作していたらしい」

「やはり、そんな事でしたか。意識がある状態の時に、自分の現状を推測して、そうではないかと薄々思っていました」

「しかし、レムはなぜそんなややこしい事をするのだ? 疑似人格を脳内に送り込んでしまえばいいのではないのか?」

「それは……僕にも分かりません。なぜ、本来の人格を脳内に残しているのか」

「まあ、それは今考えても仕方ない。それより」


 僕は床で寝ている小淵を指さした。


「今、君の本体は眠らせてある。脳間通信を断ち切れていないので、目覚めたらまたレムの操り人形だ。その前に聞いておきたい。ここで君を目覚めさせた場合、レムは君に自決させると思うかい?」

「その可能性はあります。ただ、レムはその前に僕を解放するように、交渉を持ちかけてくると思います」

「そうか。その時は、解放するしかないな」

「残念ですが。脳間通信を断ち切る方法が分かったら、もう一度僕を捕まえて下さい」

「簡単に言わないでほしいな。同じ手は通用しないだろう」

「いいえ。北村さんなら、きっと僕の思いつかない方法を考えてくれると思います」


 言ってくれるよ。


「きゃああああ!」


 突然あがった悲鳴は、マルガリータ姫のものだった。


 何があったのだ? 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る