『Unnamed Memory-after the end-Ⅰ』発売記念SS『新しく始める前に』

『Unnamed Memory-after the end-Ⅰ』発売記念SS『新しく始める前に』


 冷えた玉座は半分壊れかけていた。

 そこに足を組んで座すティナーシャは、朽ちた広間の惨劇を眺めている。

 彼女の契約者であった五人のうち四人は、そこで倒れ伏している。彼らはそれぞれ達成者として自分の望みをティナーシャに伝え、彼女は五人の望みを叶えるために、三カ月の間共に過ごした。

 一つ一つ願いを叶えていって――最後の一つが今だ。最後に出された願いである「王位争いの立会人になって欲しい」というものを叶えて、彼女はここにいる。


 剣を手に一人立っている青年は、檀上の玉座に座すティナーシャを見上げた。


「皆、死んだ。これで僕が王だ」

「そのようですね。死んではいませんけど」


 彼女の言葉に青年は眉を上げる。彼は改めて倒れ伏している者たちをじっと見やると、そのうちの一人へと剣を振り上げた。

 けれど、その剣は空中でぴたりと止まる。


「できませんよ。貴方がそういうことをするだろうと思って、貴方を止めるように私に願った人間がいますから」

「……なるほど。はなから僕は信用されていなかったということか」


 青年の目はその時、少し傷ついているようにも見えた。

 少女の姿をした魔女は肘掛に頬杖をつく。


「玉座を獲るには問題ないでしょう。決着はつきました。貴方の望みは叶いますよ」

「お前もそうなのか?」


 突然の問いにティナーシャは首を傾ぐ。


「なんのことです?」

「お前も僕を裏切るのか?」

「契約は守りますよ。ちゃんと貴方の勝利を証言する。それで充分でしょう?」


 何を言っているのか分からない、と魔女は双眸に疑問をよぎらせる。

 彼女が受領した願いはそれだけだ。それ以上のことを人間たちは彼女に触れさせたがらなかった。

 だが青年は大きくかぶりを振る。


「そこから先は? 話を聞くだにお前は充分すぎるくらい永く独り生きてきた。そろそろ塔を下りて人と生きてもいいだろう」


 ティナーシャは美しい顔に乗せた表情を変えない。

 制ねんは剣の血を払って鞘に納めると玉座の方へ歩き出す。ゆっくりとひび割れた石段を上がり彼女の前に立った。


「お前を愛している。僕の隣で共に生きる選択肢もきっとあるはずだ」


 そうして彼はティナーシャの頬に手を伸ばす。

 その指先を彼女は感情のない目で見つめた。


「私は、魔女ですよ」


 びくり、と指が空中で止まる。男の目に恐怖がよぎる。

 そのまま、どうしても彼女に触れられないまま固まってしまった契約者を――ティナーシャは何の感慨もない目で見上げていた。



                 ※



 ふっと意識が浮上する。

 広い寝台で丸くなっていたティナーシャはぼんやりと天蓋を見上げた。

 次第に記憶が定まってくる。彼女は寝台の上に起き上がると前髪をかき上げた。


「……ずいぶん懐かしい夢を見ましたね」


 あれはいつのことだったか。契約者たちの名前ももううろ覚えだ。

 ただ「そんなこともあったな」ということは覚えている。懐かしい記憶に彼女は苦笑した。


 しかしいつまでも物思いに耽ってもいられない。ファルサスに来てからも彼女は昼過ぎまで寝てることが多かったが、母親になった後は子供たちの悪い手本にならないよう気を付けているのだ。端的に言うと涙ぐましい努力で朝起きている。それでも昨日は城都の結界張り直しがあったので、疲労で長く眠てしまった。


 ティナーシャは身支度を整えると、息子と約束した講義室に向かう。オスカーの三人の子供たちの中で一番年下、今年六歳のルイスは、既にそこで待っていた。


「おはようございます、母上」

「早くないですけど、おはようございます。フィストリアは?」


 ルイスと同じ精霊術士である娘は、本来弟と同じ講義を受ける必要がない。五歳の年の差の分、魔法士として先に進んでいるからだ。けれど彼女は「面白いから」と言って弟の講義を見学に来ることの方が多い。今日はその姿が見えないのでティナーシャは不思議に思ったのだ。

 母親によく似た顔立ちの少年は、あっさりと答える。


「父上と兄上と出かけましたよ」

「……は? オスカーと? 外出予定なんて聞いてないんですけど。何をしにですか?」

「時間が空いたから遺跡探検に行くと言ってました」

「…………」


 ティナーシャの美しい顔が引き攣る。ふつふつと怒りを堪えているらしい母親を、机についているルイスは面白そうに見上げる。


「追いかけて懲らしめに行きますか?」

「行先分かるんですか?」

「分かりません。父上と姉上は、僕が口を割ることを予想していて行先を教えませんでした」

「やっぱり」


 姉のフィストリアは父親に似て思いきりがよく冒険大好きな性格だが、末子のルイスは母親に似て自分の立場を慮る合理的な性格だ。だからルイスは最初から誘われても「行かない」と言ったのだろうし、それを踏まえて行先を教えてもらえなかった。そこまでは家族なのでティナーシャもよく分かる。分かるが、感情は別だ。


「は、腹立つ」

「探しますか? 大体目的地を絞って探知をかける手もありますけど」

「行きません。オスカーがいないのに私まで城を離れたら緊急時に対応できませんから。あまり遅くなるようだったら探しますが」


 一息ついて感情を切り替えた王妃に、ルイスは不思議そうな目を向ける。


「母上はどうして父上と結婚したんですか。しょっちゅう怒ってますよね」

「進んで怒ってるわけじゃないんですよ……」


 怒ってない時の方が多いのだが、子供から見たら怒ってる方が印象深いのかもしれない。ティナーシャは己の態度を反省すると、率直な問いに答える。


「私や貴方が、普通の人間ではないということは分かっていますか?」

「はい」


 普通の子供には酷であろう確認に、ルイスは即答する。

 それは二人が王族であるということではない。単純に強大な魔力を持つ者として突出しすぎているという意味だ。ルイスも物心ついてまずそのことを教えこまれた。

 ティナーシャは我が子の答えに微笑む。


「そういう妻子を持つことを気負わない人だというのが、結婚した理由ですよ」

「父上が図太い精神の持ち主だということですか?」

「あってるけどちょっと違う……」


 息子の遠慮ない物言いに、ティナーシャは額を指で押さえる。そうして少し考えると彼女は苦笑した。


「私を魔女だとよく知っていて、それでもまったく躊躇わずに触れてくる人は、今まであの人しかいなかったんですよ」


 ティナーシャはそう言って笑うと、「人間、口だけならいくらでも強気なことを言えるんですけどね」と毒めいて付け足した。


                 ※


 地下に広がる遺跡は、薄茶色の石造りの街並みをそのままに残していた。

 ここに至るまで迷路のような複雑な分岐を辿り、いくつかの罠を越えてきた子供二人は感嘆の声を上げる。


「すごいすごい! 父様も前来た時はここまで来たの?」


 両手を上げてはしゃいだ声を上げるのは十一歳の長女フィストリアだ。母親そっくりの美貌の少女は道中も図抜けた魔法で遺跡の罠をくぐりぬけてきた。オスカーは軽く笑う。


「来たぞ。あの時はラザルも一緒だった。鳥の卵を見つけて持ち帰ったな」

「その卵ってどうしたの?」

「ティナーシャに捨てられた。魔法具か何かだったらしい」

「なーんだ」


 フィストリアは頭の後ろで腕を組む。その後ろで剣を持っている弟のウィルは、監督者である父親を見上げた。


「こんな奥まったところに人が住んでいたんですね」

「昔の精霊術士の集落だったんだと。精霊術士は隠れ住むことが多いから、こういう場所は大陸にいくつかあるんだ。水没している都市とかな」

「え、何それ! 水没都市なんてあるの!?」

「ああ。ティナーシャに連れて行ってもらったことがある。精霊術士の隠れ里であいつが継承してるらしい」

「じゃあ母様、私も連れてってくれるかな?」


 フィストリアが無邪気にそう言うのは彼女自身も精霊術士だからだろう。未来しかない娘のまなざしにオスカーは苦笑した。


「どうだろうな……。あいつは自分が引きずってきた歴史を終わらせると決めたみたいだからな」


 時を渡ることをやめて成長停止の魔法を解いたこともそうだ。子供を産んだことも。

 魔女であるティナーシャは、失われたものを失われた時のまま留めることをやめた。だからあの海に浸された都市はここから先、誰にも継がれぬまま朽ちていくかもしれない、と思う。


 フィストリアは残念そうに「そっかあ」とだけ言うと、廃墟の通りへ駆け出す。

 姉の背を見ながらウィルが父親に問うた。


「ここもティナーシャ様がご存じだったんですか?」

「いや、俺が文献から探し出して勝手に来たんだ。後でめちゃくちゃ怒られた」

「……それ、今日も怒られますよね」

「怒られるのは俺だけだから大丈夫だ」


 あっさりと請け負う父親に、ウィルは何とも言い難い表情になる。ただそれでも少年らしい好奇心がうずくのが、彼は先に駆け出している姉をちらちらと見やった。オスカーは息子に笑って見せる。


「見に行っていいぞ。ここには罠もないからな。ただの街の遺跡だ」

「は、はい!」


 ウィルは飛び上がると嬉しそうに姉を追いかけて駆けていく。オスカーは二人の子供の楽しげな姿に頬を緩めながらその後を追った。



 フィストリアとウィルは一通り街の遺跡を探検して満足したらしい。三人はしばらくして中央にある広場に集合した。オスカーが高い岩天井を見上げる。


「さて、そろそろ帰るか。いくらティナーシャが寝坊してるって言っても、いい加減起きてるだろうからな」

「そんなの、転移で帰るから大丈夫よ」


 フィストリアは軽くそう言うと転移構成を広げる。

 だがすぐに転移構成は少女の腕の中で霧散した。フィストリアは闇色の目を丸くする。


「え、なんで……転移禁止の結界が張られてる……」

「あ、そう言えばティナーシャが『盗掘防止の処置をした』って言ってた気がするな」

「母様が?」


 フィストリアの目にむっと勝気な光が宿る。それに気づいた弟は心配そうな顔になったが、少年の心配はすぐに現実のものとなった。若き魔女は両手を広げる。


「なら別に力で押し破ればいいんでしょう。いくら母様の結界って言ったって、ただの遺跡にそんなに強いものをかけてるわけじゃないし。私の方が母様より魔力があるんだし!」


 少女が本当に言いたいのは言葉の後半だろう。フィストリアは手の中に構成を組み始める。だがその構成も発動させようとした瞬間霧散してしまった。彼女はますますむきになって次の構成を作り出す。

 熱を上げていく姉の様子に、魔法士でないウィルは父親に囁いた。


「放っておいていいんですか? 転移禁止がない場所まで戻る方が早いと思うんですが」

「なるほど。それも手だな。だが、かなり複雑な道だったと思うぞ」

「覚えてます」


 息子の即答にオスカーは声を出さずに笑う。

 だがその時――ぴしり、と空間が軋みを上げた。二人が振り返るとフィストリアが巨大な魔法球を生み出しつつある。その強さに耐え切れず結界が軋んでいるのだ。

 フィストリアは母親を凌ぐ魔力を練り上げながら言う。


「父様、ちょっと余波が行くかもしれないけどウィルを守ってね」

「姉上ちょっと待って……遺跡が壊れちゃう」

「壊さないようにやるわよ」

「いや姉上が危ないって」


 ウィルは姉を止めようと躊躇なく手を伸ばす。一方フィストリアは平然とその手を一瞥しただけだ。


「大丈夫だってば。後で転移封じはもう一度張り直しておくから。あなたと父様だけ先に城に戻しておけば対応できるでしょ」


 少女の白い手が糸を紡ぐように大きく引かれる。


「ほら、もう破れるわ」


「――面白いことをやっていますね」


 凛と、芯の通った女の声が響く。

 その声にびくっと身を竦めたのは二人の子供たちだ。彼らの父親は笑って後ろを振り返った。


「来たか。よくこの短時間で行先を当ててきたな」

「あ……僕がラザルに行先を教えてあったんです。時間になっても戻らないようだったらティナーシャ様にお伝えして欲しいって」

「ウィル! 予防線張るにしてももうちょっと時間に余裕持たせなさいよ!」

「充分持たせたよ……」


 二人の姉弟が揉めているのをよそに、白い魔法着姿の王妃は夫の隣に歩み寄る。彼女は目だけが笑っていない笑顔で夫を見上げた。


「で、楽しかったですか?」

「ああ。なかなか面白かったぞ」

「それはよかったです。あ、後で色々お話がありますからね? 全部の仕事が終わったら、夜にでも」


 魔女は美しい笑顔のまま手を伸ばして王の頬をつねる。その指先に力がこめられて真っ赤になっているのを、二人の子供は言葉を失くして見守ったのだった。


                 ※


 オスカーは子供たちを連れて城を抜け出すにあたって一通りの執務を片付けていったが、追加で来た緊急の案件にはティナーシャが対応していた。執務室でそれらを確認している王を、着替えたウィルが訪ねてくる。少年は挨拶もそこそこに父親に切り出した。


「父上、最初から全て計算内だったのではないですか?」

「なんのことだ?」


 城を抜け出した二人の子供は、ティナーシャに「立場を弁えなさい」と軽く注意されただけで無罪放免になった。それはそれで安心したが、ウィルはどうにも今日の出来事に父親の作為を感じるのだ。


「今日のことは、姉上と僕とルイスが予定外の事態にどう対応するのか見るためのものではありませんでしたか? 父上はほとんど僕たちのやることに口出しをなさらなかったでしょう。本当は遺跡の奥に転移禁止の結界があることもご存じだったのではないですか?」


 予定にない外出を提案されて、面倒なことになるからと断ったのが末弟だ。他の二人はその話に乗り、ただウィルは不測の事態が起きた時のためにティナーシャへ時間差で話が行くようにしてあった。長女のフィストリアは予定外のことがあれども何とかできると自信を持っていて、事実それが可能だった。

 父王は自分の子供たちがそれぞれどのように動くのかを見るために、提案だけしてその様子を観察していたのではないか。そんな率直な疑問に、オスカーは声を上げて笑い出す。


「どうだろうな。でもお前たちが自分で考えて自分らしく動いてるのを見るのは楽しかったぞ」

「それでティナーシャ様に怒られてもですか」

「ここだけの話、あいつに怒られるのが俺は割と好きなんだ」


 その言葉にウィルは「子供みたいだ」と言いたくなるのをぐっとのみこむ。子供の自分に分かるようなことだ。ティナーシャもきっと分かっているに違いない。分かっていて彼女は仕方なく夫を叱るのだろう。ウィルは心の中で「次は姉と弟ともっと相談しよう」と決めると、王に向かって一礼する。


 そうして少年が退出するのを見計らったように、執務室内には黒衣の女が転移してきた。彼女はふわりと宙に浮くと、執務机の角に腰掛ける。


「貴方の子供たちは愚かではありませんよ」

「知ってる。本当にあいつらを見てるのが楽しいだけなんだ」

「私に怒られても効かないなら、誰に怒られても効かないじゃないですか。子供たちに嫌われる前に自重なさいね」


 魔女は腕を伸ばして王の額を指で弾く。オスカーは笑ってその手を取ると、妻を膝の上に引き寄せた。


「分かった。気を付ける」

「あと、それはそれとして抜け出しは大罪! お説教はちゃんとしますから! フィストリアに結界を壊されたし!」

「悪かった悪かった。まさかあそこまで強引なことをするとは思わなかったんだ」

「ちゃんと止めなさい! 親なんですから!」


 細い足をばたつかせて怒る妻を、オスカーは笑いながら抱きしめる。

 魔女の怒りをものとももしない精神、触れることを畏れない夫の手にティナーシャは形のよい唇を曲げて――けれど耐え切れず微笑した。


「本当に……貴方は仕方がないんですから。そんなだから魔女を娶ったりするんですよ」

「おかげで幸福な毎日を送らせてもらってる。次はお前も一緒に遊びに行くか?」

「その時は貴方を留守番役にさせてあげます」


 妻の意趣返しにオスカーは端整な顔を軽く引きつらせる。その表情で溜飲が下がった魔女は、王の膝の上で嬉しそうな笑い声を上げた。

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Unnamed Memory 古宮九時/電撃文庫 @dengekibunko

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