第六話 二人の亡霊

二人の亡霊①

 エレナから入手した情報は非常に有益だった。その情報を元にさらに取材を続けると、ここ数日蒼を悩ませていた仕事が一気に進み、これ幸いと彼女はデスクにかじりつきながら記事を書き起こしていた。


 しかし順調な仕事の一方で、振礼島の件については未だに朔に隠されたままだった。蒼が最後まで調べると啖呵を切ったにも関わらず、朔はそれをのらりくらりと躱しいつの間にか完全に話を逸らされてしまったのだ。


 だから今、蒼が振礼島について把握しているのは断片的な情報だけだ。島が滅びた原因はレオニードによる何やら怪しげな儀式で、朔の敵になり得る生き残りはレオニードを除いてあと六人。一人は確実に存在しているはずだが、残り五人はあくまで最大人数で実際にいるかどうかは分からない。おそらくここまでは朔の持つ情報と大差ないだろう。


 問題はその儀式の詳細だ。エレナの言葉尻から聖杯を用いたものだということは蒼にも理解できた。その儀式を行うためにまずエレナの姉が犠牲になり、続いて千人がレオニードの島を壊すという願いの代償となった。その願いによって具体的に何が起きたのかは蒼には分からない。だがその代償の中に朔とエレナは含まれていて、それを回避しようとして一人あたり百人の命を引き換えに生き残った。


「……なんというオカルト現象」


 いつの間にかタイピングする手を止めて考えに耽っていた蒼は、思わずそう口にしていた。彼らの話など、実際に朔やエレナのような生き残りの能力を見ていなければ到底信じられるものではない。振礼島ではそういったことが当たり前だったのか、それとも彼らも自分の身に起きて初めて信じるようになったのか――後者であれば、最初に儀式を行ったというレオニードはどうだったのだろう。エレナは遊び半分でと言っていたから、もしかしたら彼も信じていなかったのではないか。


 ――そうすると、レオニードに悪気はなかった……?


 絶対に叶うはずがないと思って願ったのなら、レオニードもまた自身のもたらしてしまった悲劇に心を痛めているのではないか。そう思ったが、その後ミハイルを追い詰め殺したのだというエレナの話を思い出し、慌てて蒼はその考えを追い払った。



「――今日はちゃんとやってるみたいだな」


 数時間後、一通り作業が終わって一息つこうとした時、蒼の傍にやってきた菊池がそう声をかけた。


「それだといつもちゃんとやってないみたいじゃないですか」

「やってなかっただろ」


 菊池の呆れたような声色に思わず肩を竦める。確かに最初は取材が進まなかった上に、どちらかというと振礼島のことを優先してしまっていた自覚があるからだ。


 しかし、今となってはそれは過去のことだ。エレナの協力のお陰で一気に進んだ仕事は既に完了と言っていい状態になっており、これ以上追加で何か振られなければやっと手が空く。ここぞとばかりに蒼は勢いよく菊池を見上げると、たじろいだ彼が居ずまいを正す間も与えずに自分の希望を言い放った。


「振礼島のこと正式に調べさせてください!」


 菊池は一瞬目を見開いたが、すぐに調子を取り戻し「お前、こないだの仕事は」と言いかける。それにかぶせるようにして「終わりました!」と蒼が言ったため、菊池は再び呆気に取られたかのように目を瞬かせた。


「……なら別の仕事を――」

「お願いします! ちょっと分かってきたんです。しかもあの島、密輸にも関わってそうですよ? これを放っておくなんてどうかしてます!」


 さすがに聖杯や儀式といったオカルトな内容を大声で言うことはできなかったが、その前に分かっていた情報を菊池に伝える。流石にこれならダメとは言えないだろう――蒼は挑戦するような目つきで菊池を見つめたが、彼は眉根を寄せると「ちょっと来い」と低い声で彼女を連れ出した。


 否定か肯定かどちらかの反応しか想定していなかった蒼は、不審に思いながらも菊池の後をついていく。オフィスの隅にある空いていた会議室に通され、促されるままに手前の椅子に腰掛けた。奥に座った菊池はいつもとは違った雰囲気を放ち、重苦しい表情を浮かべている。


「あの……?」


 中々口を開かない菊池に疑問を感じ、蒼は自分から声をかけた。その呼びかけにややあってから菊池は視線を上げると、思いつめたような表情で口を開いた。


「お前、どこまで知ってる?」

「え?」


 思いがけない言葉に蒼は思わず聞き返した。どこまで知っている――その質問は、菊池が何か公表されていないことを知っているということを意味している。まさか生き残りのことを言っているのだろうか――菊池が何を知っているか見当もつかなかった蒼は何も言えないまま、その射抜くような視線を受けることしかできなかった。


 このままでは腹の探り合いになって話が進まないと思ったのか、菊池は大きな溜息を吐くと少しだけ雰囲気を和らげ蒼に話しかけた。


「染谷が死んで五年か」

「……そうですけど」


 染谷とは蒼の父親のことだ。突然父親の話題を出された蒼は菊池の意図が分からず首を傾げる。世間話でもしたいのだろうか――菊池と生前の父親が友人だったことを思い出し、強面の上司が急に自分とノスタルジックな思い出に浸りたいのかと眉を顰めた。


「小鳥遊、お前最後に染谷に会ったのいつだ?」

「いつって……両親が離婚する前なので十年以上前ですよ。確か私が小学生の時に離婚したので」

「その後のこと、おふくろさんから何も聞いてないのか?」

「……多少は」


 菊池の質問に答えながら、蒼は父親のことを思い出していた。蒼の中にある最後の父親の記憶は、母親と共に家を出ていく自分を見もしない男の姿だった。蒼の父親、染谷は所謂仕事人間で、家庭を顧みない性格だった。細かい経緯は子供の蒼には知らされなかったが、母親との間に亀裂が生じ、結局修復出来ずに両親は離婚。蒼は同性の親の方がいいだろうということで母親に引き取られ、以来葬式で顔を見るまで一度も父親とは会っていない。


 菊池が聞いてきたのは、その空白の期間のことだろう。母親からどことなく聞いていたのは、養育費の滞納が続き様子を見に行ったところ、とてもじゃないが払える様子ではなかったということだけだ。何故払えないのかは母親の様子から子供ながらに察していた。かつて仕事に真骨を注いだ男は、何があったのか堕落して酒に溺れ、見る影もなくなっていたようだ。


 蒼の表情から何かを読み取ったのか、菊池は「アイツは不器用だったんだよ」とだけ呟いた。


「それで……父が何か?」

「アイツはどっかの歩道橋から落ちて死んだんだっけか」

「……はい。都内の歩道橋の階段で足を踏み外して、打ちどころが悪く。体内からアルコールが検出されたとのことで、おそらく酔っていて転んだんだろうと聞いています」


 蒼がそう言うと、「そうか」と菊池は考えるような表情を浮かべた。相変わらず何を言いたいのか分からない上司の様子に、段々と蒼の中に苛立ちに似た感情が芽生える。一体何の話をしたいのか――自分は振礼島について調べたいと直談判しただけなのに、何故何年も前に亡くなった父親の話をしなければならないんだと蒼は顔を顰めた。


「アイツな、北海道に行ってたんだよ」

「……それが何か?」

「死んだ日だ。染谷は北海道にいたはずなんだよ」

「何を……」


 何を言いたいんですか――そう聞きたくても蒼の喉からは掠れた音しか出てこなかった。ドクン、ドクン、と心臓の音がやけに大きく聞こえる。なんてことのない世間話――そう思いたくても、この状況であまりに真剣な表情で言う菊池を見れば、それは違うのだと気付かざるを得なかった。


「染谷も振礼島の事を調べてた。やっと酒辞めて立ち直ったと思ったら、やたら思いつめたように振礼島に行くって出掛けて、帰ってきたら東京で酒飲んで死んでたってな」

「それ、は……父は結局、振礼島に行かなかったってことなんじゃ……?」

「……死んだ日に北海道から連絡して来てたのに?」


 その言葉に、蒼は自分の頭から一気に血の気が引くのを感じていた。振礼島に行った男が死体で見つかった――どこかで聞いたような話だと思いながら、だとすれば自分の父親も同じように死んでいたとしてもそこまで不自然ではないのかもしれないと考えていた。むしろ元々蒼が聞いていた死因の方が、菊池の話を聞く限りよっぽど不自然だ。


 酒を辞めたはずの人間が、北海道にいたはずの人間が、東京で酒に酔って階段から足を踏み外す? ――菊池が嘘を吐いていないのだとしたら、染谷が東京で死ぬことなど有り得ないはずだ。


「つまり、父は……振礼島に行って、殺された……そう、言いたいんですか?」


 カラカラに乾いた喉からやっとのことでその言葉を捻り出すと、蒼は表情を引き攣らせて菊池を見つめた。菊池は眉根を寄せながら「分からない」と答え、しかしすぐに「だが、俺はそうだと思ってる」と言葉を続けた。


「だからお前が振礼島について調べるのは賛成できない」

「そんな……でも、それだったら尚更調べないと……!」

「大の男が殺されてるかもしれないんだぞ!? 女のお前が行って何になる。それに本当にあの島が滅んだなら、もうそこに染谷の死に繋がるものなんて残ってないだろうが」

「そう思ってるなら調べてもいいじゃないですか!」

「公表されてる情報が全部真実ならな。でもそうは思えない。だったら下手に危険に首を突っ込むもんじゃねぇだろう」

「なんで……!」


 ――なんで皆、同じ事を言うの……?


 菊池にしろ朔にしろ、自分に振礼島は危険だから調べるなと言う。そんなに自分は未熟に見えるのだろうか――確かに女性の中でも体格に恵まれているとは言えなければ、護身術の心得もない。記者としてもまだまだ経験は足りないかもしれない。だが、真実を知りたいという気持ちなら誰にも負けないと断言できる。菊池の話を聞いたことでその想いはより強まったのだ。


 なのに何故、誰も自分の背中を押してくれないのだろう――蒼は悔しさで唇を噛み締めた。今まではただの好奇心だったが、今となっては自分の父親の死に関係があるかもしれないのだ。それを調べたいと思うことの何がいけないのか。


「――引き下がれません」

「ああ?」

「こんなこと話した菊池さんが悪いんです! 責任取って許可してください! いいえ、許可がなくても勝手に調べます!」

「あ……おい!」


 蒼は菊池が引き止めるよりも早く席を立つと、そのまま会議室を飛び出した。


 ――ここにいたら止められる……!


 急いで自席から荷物を回収し、逃げるようにしてオフィスを後にした。


 勢いよく乗り込んだエレベーターの扉が閉まると、蒼は自分の目に涙が浮かぶのを感じた。悔しいのか、それとも単にまずいことをしてしまったと感情が高ぶっているのか。どちらなのかは蒼にも分からなかったが、震える唇は未だ強く噛み締められている。


 ――なんで誰も分かってくれないの……?


 荷物を持ち直すと、空いた手で口を覆った。やがて一階に着いたエレベーターの扉が開くと、早足で出口へと向かう。泣くな、泣くな――そう自分に言い聞かせ、雑居ビルのエントランスをくぐった。


「はぁ……」


 外に出て少しだけ歩くと、自分でも気付かないうちに足が止まっていた。膝がガクガクと震えている。それくらい自分には衝撃的な出来事だったのかとどこか冷静に分析していたが、一方でこれからどこへ行ったらいいか分からず頻りに辺りを見渡す。この時間は帰るには早いし、何より今の気持ちで朔には会いたくなかった。会ったらどうせ振礼島に関わるなと言われるのが分かりきっているのだ。いつもならともかく、今の自分ではその言葉を聞いた途端感情のままに怒鳴り散らしてしまいそうで怖かった。


 だからと行って、行く宛があるわけではない。このところ一気に本来の仕事を片付けていたのだ。振礼島関連でどこか調べる宛が見つかるわけもなく、うまく働かない頭ではどこに行けばいいのかも思いつかず途方に暮れてしまった。


 ――どうすればいいんだろう。


 まるで迷子になってしまったかのような心細さを感じて思わず俯く。そんな蒼を嘲笑うかのように、夕方と言うには少し早い時間帯の街中はいつもどおりの喧騒で賑わっていた。


「あれ? こんな早いの?」


 聞き覚えのある声に、蒼は弾かれたように顔を上げた。その先には少し前に出会った、あの茶髪の男性の姿があった。


「あ……」

「うっそ、何かあったの? 泣きそうだけど」

「いや、これは……」


 なんでこの人がここにいるのだろうか――必死に考えようとしたが、今の蒼にはそんな余裕はなかった。蒼の様子が変だと気付いた男性は心配そうに彼女の様子を見つめている。「よし」、そんな声が聞こえたかと思うと、男性は蒼の腕を掴み歩き出していた。


「え……え?」

「この前の約束。お茶しに行こう」

「いや、でも……」

「あ、それとも先に名乗った方がいい?」

「そういうわけじゃ……」


 戸惑う蒼に構うことなく男性はずいずいと歩を進める。いつの間にか蒼の荷物は男性に持たれており、今更断ろうにも断りにくい状況に蒼は困惑していた。


 ――さすがに今はお茶だなんて気分にはなれない……。


 そう思ったが、もし男性の腕を振り払ったとしてもその後の行き先が無いことを思い出し、気付けば手を引かれるまま歩いていた。男性はそんな蒼の心境に気付いているのかいないのか、「世間話でもしようか」と蒼に声をかける。


「じゃあまず自己紹介ね。君の名前は?」

「え? えっと……小鳥遊蒼です」

「蒼ちゃんね。俺は――」


 何を普通に答えてるんだ――男性のペースに巻き込まれていたことに気付いたが、今はそれがとても楽に感じた。この人は何も知らない、だから身構える必要がない――それは今の蒼にとっては貴重な時間だった。ぼんやりと言葉の続きを待つ蒼に、男性はやっとニカッと笑った。


「――俺は涼介りょうすけ。よろしくね、蒼ちゃん」

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