第125話 逃走〜華ヶ咲彩乃〜
「――まぁ可愛い。どうしたの? ママやパパはどこ?たぶん迷子なのね」
紫帆ちゃんが作成した台本を手に、私はセリフを言っていく。
……うん。とてもよくできている。学園祭で披露する演劇に確保された時間はそれほど多くはない。寧ろ短いくらいだ。
だがこの台本はよくできており、白雪姫の大まかなストーリーが上手く要約されている。これなら限られた時間の中でも完成度が高い作品が出来上がるだろう。
(……まぁ、台本がよくても演者がしっかりしないとダメなんだけどね)
小さな頃から大勢の人の前に立つ事は多かった。今更学校のステージで演技する事に不安や焦りはないと思っていたけど――そんな事はなかった。
いや、今まで通りならこんなに緊張していない。
「……しっかりやらないと。あの人の前なんだから」
台本をきゅっと握りしめそう呟いたその時だった。
「――あの、華ヶ咲先輩」
私を呼ぶ声に振り返ると、そこにいたのは私が演じる白雪姫の王子様役でもある新田千明君だった。
相変わらずの美少年ぶり。うんうん。王子様って感じがするね!
「千明君。どうしたの?」
「あの……ちょっとお話がありまして……」
「話? 何かな?」
「ここじゃちょっとあれなんで……二人になれる所に行きませんか?」
一瞬告白されるのかと思ったが、曇る千明君の表情を見てそのような考えは捨て去る。
……一体何の話があるのだろう。私と千明君の関係はそれ程深くはないと思う。私に人生相談をしたい訳でもないだろう。
となれば政宗君関係だろうか。
「うん。いいよ。それじゃあ行こうか」
「はい。すいません華ヶ咲先輩」
◆
教室から出た私達は少し歩き、人気のない廊下へと足を運んでいた。
「申し訳ないです。稽古中に」
「気にしなくていいよ。あれくらいのセリフ量ならすぐに覚えられるし」
「あはは……。流石は華ヶ咲先輩ですね。僕はちょっとパンクしそうです……」
苦笑しながら頬をポリポリとかく千明君。
私が担当する箇所以外の所もパラパラと台本を捲り確認したが、確かに王子様のセリフはそれなりに多かった。
「ふふ。でも千明君なら大丈夫よ」
「そう言っていただけて有難いです。……でもやっぱり緊張しますよ。だって華ヶ咲先輩の相手役ですから」
「そんなに肩肘張らなくてもいいよ。千明君なら絶対大丈夫。……政宗君ならちょっと怪しいけどね」
私がそう言った瞬間、千明君の口が少し開き、そしてきゅっと強く結んだ。
そして千明君は――深く頭を下げた。
「……え?」
「――すいませんでした、華ヶ咲先輩。本当なら僕の立ち位置にいたのはアニキの筈だったのに」
綺麗に頭を下げた千明君はそう言い、一向に頭を上げない。
「ちょ、ちょっとやめてよ千明君。そんなの気にしなくていいのよ?」
「いえ、気にせずにはいられません。だって僕が王子様役になったのは――」
ああ、そういう事か。
千明君はそれを気にしていたのか。
私はくすっと笑いをこぼし、
「それ以上は言わなくていいよ。分かってるから」
「……え?」
千明君は頭を上げ、訳の分からないといった表情で私を見上げる。
「紫帆ちゃんが関係してるって事でしょ? いいのよ、千明君は気にしなくて」
私は千明君の肩をぽんぽんと優しく叩き、その横を通り過ぎようとする。
「ま、待ってください! ……だ、だって華ヶ咲先輩はアニキの事――」
私は振り返り、人差し指を口に当てる。
「……っ。な、なら」
「初めてだったの。私に挑んでくる人って」
「……え?」
「そりゃ苦労せずに欲しいものが手に入るんだったら楽だよ? ……でもそれじゃあ面白くないよね」
紫帆ちゃんはもうなりふり構ってられないって感じだろう。
あの女の子耐性ゼロの政宗君の事だ。多少は私の影響で耐性がついたにしろ、紫帆ちゃんのアクション次第でコロッといってしまうかもしれない。
「人生で初めて、負けるかもしれない戦いな筈なんだけどね。この戦いを楽しんでいる私がいるの」
だけど――私は負けない。負ける筈がない。
「……正直な話、僕は姉を応援してます」
「ふふっ。それはそうだよ」
私はくるっと回転し、歩を進める。
「それじゃあね。演劇、頑張ろうね」
◆
演劇チームの元に帰り、私は裏方チームがどこにいるのかを周りの人に聞き、その場所へと向かっていた。
千明君と話していた影響からか、なんだか無性に政宗君に会いたくなった。……こんな事絶対に本人には言えないなぁ。
「えーと……。確かこの教室だよね……」
中からは若干ではあるが話し声が聞こえる。まだ打ち合わせ中みたいだ。
(うーん。邪魔したら悪いかな……)
少し考えたが、まぁでもそろそろ終わる時間帯だろうと判断し、突入する事を決める。
教室の扉の取っ手に手をかけ、音をたてながら開ける。
「政宗くーん。終わったから一緒に帰――」
私の目に飛び込んできたのは打ち合わせをしている――ようには見えない、二人の姿だった。
政宗君と紫帆ちゃんの距離はあり得ない程に近く、友達同士としての距離ではなく、まさに恋人達が愛を確かめる為に近づく距離だった。
飛び込んできた光景の衝撃は凄まじく、私はつい手に持っていた鞄を床に落としてしまう。
「……ふ、二人共、何を……やってるの……?」
何とか口を動かし、途切れ途切れになりながらも言葉を紡ぐ。
「い、いや彩乃先輩……! 誤解しないで下さい……! こ、これには深い訳が……っ!」
いきなり現れた私の姿を見て慌てふためく政宗君とは対照的に、政宗君に迫っているような体勢をとる紫帆ちゃんは一切表情を変えず、しっかりと私の目を捉えた。
「――あ、あはは。ご、ごめん。お邪魔しちゃったみたいだね」
私は紫帆ちゃんと合わさっていた目線を切り、気づけばその場を走り去っていた。
まだ走り始めたばかりなのに呼吸が荒い。「彩乃先輩!」という政宗君の声が聞こえた気がするが、自分の足は止まらなかった。
(あ、あれ……? 私、何で逃げたんだろ……)
走りながら考える。
さっき千明君にあんな事言っておいて。紫帆ちゃんからの挑戦を受けるみたいな事言っておいて。
私は嘘をついたのか?
――いや、さっきは本当にそう思っていたのだ。
自分で自分のやっている事が理解できない。こんな事は今まで体験した事がない。
私は一体、どうしてしまったんだろうか。
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