第116話 変化
「……え、本当?」
「本当よ。私だって混乱してるわ。今までこんな気持ちになんてなったことないんだから」
千明の目が大きく見開かれる。「そ、そんな訳ないでしょ!」と私が言うと思っていたのだろう。
「……伍堂君の事を考えると熱くなってふわふわするの。これが恋心ってものなんだと思うわ」
「そ、そう……。し、しーちゃんがアニキの事を……」
千明は持っていた箸を置き、深く深呼吸する。
「――良かったね、しーちゃん」
千明は満面の笑みを浮かべながら、優しい声色でそう言った。
「よ、良かった? 一体何がよ」
「僕は嬉しいよ。しーちゃんって周りの人達に全く興味が無さそうだったから。……学校で友達と仲良くしてる所見たこと無かったし」
……知らなかった。千明がそんな事を思っていたなんて。
千明が心優しい人間である事は知っている。身内目線抜きでも、こんなに朗らかで可愛らしさを持ち合わせた男子生徒はうちの学校にはいないだろう。
そんな子に気苦労を掛けていただなんて……姉として失格ね。
「だから嬉しいんだ。しーちゃんが身内以外の人にそんな感情を向けてくれた事が! しーちゃんは勘違いされやすいけどいい人だからね!」
「そ、それは買いかぶり過ぎよ。私は別にいい人なんかじゃ……」
いい人……いい人か。
今までそんな風に自己分析した事は無かったな。伍堂君の目に私はどう映っているんだろうか。……やっぱり堅苦しい女といったところか。
「ねぇねぇしーちゃん! いつ告白するの!?」
「……え?」
告白という聞き慣れない言葉が私の体を凍らせる。たった二文字の筈なのに、私の脳はまるで容量オーバーしたように動かなくなる。
「告白だよ! こ・く・は・く! しーちゃんの魅力ならアニキだってイチコロの筈だしね!」
「か、簡単に言わないで頂戴。そんな急に言われても……!」
でも千明の言っている事は正しい。私が相手しないといけないのは学校一の女性。人としての能力や魅力も私なんかじゃ到底叶わない。
(あの二人の仲がいいのは私にだって分かる。……だけどまだ恋仲といった関係ではない筈……)
ならば私にできる唯一にして効果が期待できる行動は――先手必勝だ。
◆
「き、きつ……!」
水の入ったペットボトルを勢いよく傾ける。水分を失った口内に水分が染み渡っていくこの感覚はとても気持ちがいいものだ。
道場を出てすぐのベンチに腰掛け一息ついていると、足音がこちらに近付いてくる事に気付く。
「どうした政宗。今日は何だか動きが悪かったぞ」
相変わらずの筋骨隆々とした体。俺とは違いまだまだピンピンしているベンさんは俺の隣に座る。
「いや……そうですか? 別に何もないですよ」
「嘘だな。政宗とこうして関わってきて結構経つんだぞ? そんな分かりやすい嘘なんて俺には通用しないぞ」
ベンさんは持っていた水の入ったペットボトルを一気に飲み干す。……この人はどんな飲み物でも一気に飲むな。
「……あの、ベンさん」
「何だ」
「ベンさんって――人の気持ちを察するのって得意ですか?」
……いきなり何を聞いてるんだ俺は。アホなのか。
というか俺ってこういう相談をベンさんにする頻度高すぎないか? いや、ベンさんくらいしか相談する相手がいないっていうのもあるんだけどさ。
ベンさんは俺の問いに少し驚いた様子を見せるが、すぐに普通の表情に戻る。
「……そうだな。取りあえず言える事は、人の気持ちを完璧に理解できる他人なんて存在しないって事だ」
「……そうですよね。その通りです」
俺が去った後の生徒会室で一体どういった話があったのだろう。多分彩乃先輩や新田に聞いても答えてくれないんだろうな。
だが確実に生徒会演劇の話以外の事も話していたのだろう。
「まぁ何があったのかは敢えて聞かないでおくが……若い内はそうやって悩む事も時には重要だと思うぞ俺は」
ベンさんは俺の背中を強く叩いた後、勢いよく立ち上がり、
「あ、そうだ政宗。一つ聞きたい事があるんだが……」
「はい? 何でしょうか」
「お嬢の事だ。お嬢って将来の夢とかってあるのか?」
唐突にそんな事を聞いてくるベンさん。
彩乃先輩の夢? そんなの俺には分からない。
「いや……特には何も聞いてないですね。あまり将来の事とか彩乃先輩喋らないですから。何かあったんですか?」
「いやな、この前鈴乃様がお嬢の将来について大和様と電話で話していたっぽいからな。お嬢は高校卒業後どうするのかと気になってな」
「ベンさんにだったら彩乃先輩は答えてくれそうな気がしますけどね」
「アホいえ。一応俺は華ヶ咲家に仕えている人間だぞ。直接は聞きにくいだろ」
(彩乃先輩はベンさんの事をただの使用人だとは思ってないと思うけどな……)
そういえば彩乃先輩は俺の叔母である三咲さんからの話を保留にしたと言っていたな。
まぁ即決で断りの電話をするのが少し気になるから時間を置いているだけだと思うが……。
「将来、か……」
ふと、自分の未来を考えてみた。
俺は一体どんな大人になっているんだろうか。
そして、周りにはちゃんと信頼出来る人間がいるんだろうか。
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