第115話 恋心 ~新田紫帆~

 顔がずっと熱い。それにさっきから心臓の音がうるさい。


 生徒会室から飛び出してきて家に急いで帰って来たのはいいものの、私の体はまるで他人に乗っ取られたかのようにおかしくなっていた。


『――いいことがあった時、真っ先に知らせたい人は誰なのか』


 華ヶ咲先輩が言った言葉。この言葉を聞いて私の中に浮かび上がってきた人物。


「……しーちゃん? さっきからどうしたの? 何か変だよ?」


「……な、何でもないわ。それより早く食べて勉強しなさい」


「う、うん……。――本当に大丈夫? さっきから全然箸が進んでないように見えるけど……」


 私と食卓を囲む千明が心配そうに私の顔を覗きこむ。だが私は自分の表情を見られないように深く俯く。


(一体どうしてしまったのかしら……。こちらから呼んどいてあんな風に華ヶ咲先輩を放って帰ってしまうなんて……。私らしくもないわね)


 あの時はとにかくあの場所に居たくなかった。いや、居たくないというか、自分の表情を華ヶ咲先輩に見られたくなかったのだ。


「……あ、そうだしーちゃん。あの話ってどうなったの?」


「あの話? ……ああ、生徒会演劇の事ね。出演したいならすればいいわ。明日の放課後に会議室に集合ね」


 弟である千明は何故か生徒会演劇に出演したがっていた。理由は『自分を変えたいから』らしい。


 確かに大勢の人の前で演技をする事は、千明の性格強制にもってこいだ。


「やった! ……ね、ねぇしーちゃん。アニキも生徒会演劇に出るの?」


 ――ガタッッッ!!!


「~~っっ!!」


 机に私の足が勢いよくぶつかる。ジンジンと痛む足。こんなにも分かりやすい反応をするこの体が、自分の体だなんて信じられない。


「だ、大丈夫?」


「……大丈夫よ。心配いらないわ。後、多分だけどご、ごご、伍堂君も演劇に出演すると思うわ」


 痛む足をさすりながらお味噌汁を啜る。さっさと晩御飯を済ませてお風呂に入ろう。きっとお風呂に入ればもやもやした気持ちがすっきりするはずだ。


 せわしなく動く心臓を落ち着かせながら黙々と晩御飯を食べていると、じーっとこちらを見る千明と目が合う。


「……何?」


「いや、もしかしてアニキと何かあったのかなと思って」


 ――ガタッッッ!!!


 ……本当に私らしくない。同じミスを繰り返すなんて。


「な、何訳の分からない事を言っているの貴方は。何でご、伍堂君の名前が出てくるのよ」


「うーん……。――何となく? 弟の勘ってやつだよ。しーちゃんさっきから様子がおかしいし」


 ぐうの音も出ない。余程の馬鹿ではない限り、私の様子がおかしい言葉一目瞭然だろう。


 そして、私の様子がおかしい理由も、本当は気付いている。気付いているけど、認めたくないのだ。


 私は今までずっと勉強をしてきた。だってそれが学生に求められる仕事だから。


 色恋沙汰なんて興味がなかった。興味が湧くような異性が周りにいなかったのも、色恋沙汰に興味が湧かなかった理由かもしれない。


 今まで学んできた知識を用いても、私がある人に抱いている気持ちが何なのか分からなかった。――だけど今日、その気持ちが何なのかが理解できてしまった。


「……ねぇ、千明」


「うん? どうかした?」


「千明って……彼女いるの?」


 私の言葉を聞いた千明はポカンとした表情を浮かべる。口も半開きだ。


「……えーと、聞き間違いかな? 今しーちゃんの口から恋愛に関する話題が出た気がしたんだけど……」


「聞き間違いではないわ。いいから聞かれた事に答えなさい」


 信じられないといった様子の千明。まぁこんな風な顔をするのも分かる。今まで姉弟で恋愛トークを展開した事なんてないから。


「……な、ないよ。確かに何度かそういった話は貰うけど、まだ誰かと恋愛関係を持った事はないね」


「……そう。千明もまだなんだ」


 恋愛なんて創作の世界の産物だと思っていた。


 だが意外にも――誰かに恋するという気持ちは、心地がいい。


 いい加減認めよう。私は――、


「……ちょっと、話があるの。聞いてくれる?」


 私の勘が当たっているのであれば、この戦いに勝つのは容易でない。何故なら相手は私何かでは太刀打ち出来ない程に美しくかっこいい人だから。


 過ごしてきた時間だって私は負けている。あの人に勝っている手札は、今の私には無い。


 ならどうやって勝負するのか。


 ――殻を破って、全力でぶつかっていくしかない。


「は、話? ……もしかしてしーちゃん、アニキの事……」


 千明にそう言われた瞬間、全身が燃え上がるように熱くなる。今私の顔は完熟トマトのように真っ赤なのだろう。


 喉元で引っ掛かっている私の言葉。殻を破ると誓っておいて、身内である千明にさえこの言葉が届けられない。


 私は深く深呼吸し、そしてこう言った。


「……ええそうよ。わ、私は――伍堂君の事が好きらしいわ」


 ……『らしい』って何よ『らしい』って。


 まだまだ私はあの人と同じ土俵には立ててないらしい。


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