第67話 お手合わせ

「よし。取り敢えずかかってこい。俺に一撃でも喰らわせられたらすぐに帰っていいぞ」


 ベンさんはそう言い構える。その構えには一分の隙も無く、飛び込んだ瞬間に俺が地面に倒れる未来が見える。


(だけどこのまま固まってても駄目だしな……)


 俺は深呼吸を行い、覚悟を決める。


「……行きます」


 畳の床を思い切り蹴りベンさんとの距離を詰める。ベンさんの襟元へと伸ばした右手はそのまま標的を捉え、道着をグッと握る。


(よし……! このまま押し倒す感じで――)




「――フンッッ!!」




 ベンさんを押し倒す為に全体重を掛けた筈なのに、その体はびくともしない。


 そして何故か、俺の目に映るのは道場の天井だった。


「甘いぞ政宗。無策で突っ込んでくるのは悪手だな」


「いや……今どうやって投げたんですか……」


 手加減無しだと言っていたが、体はどこも痛まない。畳の上というのもあるだろうが、多分ベンさんが手心を加えてくれたのだろう。


「別に特別な技は使ってないぞ。政宗から伸びてきた手を払って足を刈っただけだ。これくらい相手の動きをしっかりと見れれば誰でも出来る」


 俺は立ち上がり再度ベンさんと向き合う。だがやはり隙は無く、どう仕掛けても倒されるイメージしか湧かない。


「いいか政宗。お前がこうやって人と相対する時は多分緊急事態になった時だ。そんな時にまずする事は――落ち着く事だ」


「落ち着く、事ですか」


「そうだ。勝負事においては先に冷静になった方が勝ちだ。一点だけを見るのではなく、全体を視界に入れるようにし戦うんだ」


 ベンさんは「まぁまだ難しいか」と呟き、


「さぁ、もう一本!」


 ◆


「――ほら、お疲れさん」


「あ、ありがとうございます……」


 普段殆ど運動してないせいか全身の筋肉がピクピクと痙攣しているような感覚に陥る。こりゃ明日は絶対に筋肉痛だな。


「中々堪えたようだな、政宗」


 ゴクゴクとペットボトルに入った水を一気に煽ったベンさんは俺を見下ろしそう言った。


「……そうですね。久しぶりに汗かきましたよ」


「いかんぞそんな事では。若い男は体を動かしてなんぼだろう」


 はっはっはっと笑うベンさんを尻目に俺はスマホで時刻を確認する。……うわ。こりゃ帰ってから勉強するのは無理だな。


(まぁまだテストまでは期間あるし……。うん。焦るのは早いよな)


「……政宗」


 少し声色が変わったベンさんの言葉に俺はスマホに落としていた視線を上げる。


「どうしました?」


「いや……この前華ヶ咲家に泊まりに来た時にも聞いたのだが……。お嬢、何か悩んでたりしないか?」


「……そうですね。心当たりはないです」


 空閑やベンさんに言われてから少し気を付けてはいたのだが、特に変わった様子は見られないのが事実。


 まぁ例え何かあったのだとしても、簡単には人を頼らないのだろうが。


「やっぱり家だと違うんですか?」


「何となくだがな。気にしすぎだと言われればそれまでなんだが……どうしてもな」


(うーん……。これまでと違った所、か……)


 改めて考えてみる。それほど長い付き合いだとは言えないかもしれないが、普段近くにいる事は多いんだ。何かある筈。


「……あ」


「ん? 何かあるのか?」


「いや……。多分全然関係無いと思うんですけど――車で帰る事が多くなったなと思って」


 学校帰りに一緒になれれば二人で帰る事もあるのだが、最近下校は別々が多い。


 彩乃先輩は元々迎えを呼ぶのがあまり好きではない。それは自分だけ特別な待遇を受けるのは姓に合わないかららしい。そういう考えもあの人らしいのだが。


「……言われてみればそうだな。確かに呼ばれる回数は増えたような気がするな」


「いや、まぁ多分関係無いと思うんでそんな真に受けなくても……」


 ベンさんは顎に手を当て何やらブツブツと言葉を発しているが、何を言っているのかは分からない。


「……ベンさん?」


「……ん? ――ああ、すまん。少し考え事をしていた」


 ベンさんはサングラスを掛け、


「よし、なら着替えてこい。家まで送ろう」


「は、はぁ……。分かりました」


 何を言っていたのか少し気になったが、どうせ教えてくれないだろうし。


 俺はペットボトルに入っている残りの水を一気に飲み、勢いよくゴミ箱へペットボトルを捨てた。


 ◆


「いいのかここで? 家まで送るぞ?」


「いえ、少しコンビニ寄りたいので」


「そうか。なら気を付けて帰れよ。後、体のケアもしっかりしとけ? 今度はもっと厳しくいくからな!」


 そう言い残し、黒塗りの高級車は速度を上げ闇の中に消えていく。赤いテールランプが見えなくなった所で俺は深く息を吐く。


「……疲れた。今度っていつなんだろ。明日とかは勘弁してほしいな……」


 そうして俺はコンビニに寄り必要な物を購入し、再び帰路につく。


 ピクピクと動く筋肉を感じ、家にある湿布の残量を頭の中でイメージしながら歩いていると、前の方に一人の男性が歩いているのが見える。


(……ん?)


 まだ時刻的には人が出歩いてても不審には思わない。


 だが、その男性は何故かキョロキョロと周りを見渡しながら歩いていた。……道にでも迷ったのだろうか。


(……しゃあないか)


「……あの。どうかされました?」


 俺は前を歩く男性に声を掛ける。すると、その男性は振り向く。


 街灯に照らし出されたその男性の顔は、よく知っていた顔だった。


「――ッ。さ、澤田先生っ!?」


「……あれ。伍堂君じゃないか」


 こ、こんな所で会うなんて夢にも思わなかった。夜だが思わず大きな声が出てしまう。


 だがそんな俺とは対照的に、少しだけ目を見開いた澤田先生はその後、学校で会った時のようにイケメンスマイルを見せる。


「どうしたんだい? 塾か何かに通っているの?」


「い、いえ。俺の家がここら辺で、さっきまで少し野暮用があって……。先生こそこんな所で何やってるんです?」


 ここら辺に何か美味しいお店でもあるのだろうか。だがこのイケメンが通うようなお洒落な店なんて無い筈だが……。


「僕かい? 僕は親戚の家に行っていてね。少しだけ親戚の家でお酒を飲んだから、今から駅まで歩いていこうと思ってね」


 澤田先生は「案外僕の親戚の家と伍堂君の家は近いのかもね」と付け足す。


 いつも通りな澤田先生。とてもお酒を飲んでいるような感じはしない。……凄いな。顔も良くて酒まで強いのか。何故神はここまで理不尽なのか。


「そうですか。――でも」


 俺は澤田先生が歩いていた進行方向とは逆の方を指差し、


「多分こっちから行った方が駅まで近いと思いますよ? もし道が不安なら案内しましょうか?」


 このまま澤田先生の進行方向に歩いていっても駅にはつくが、かなり遠回りしないといけない。


 全然酔ってなさそうに見えるが、顔には出ないタイプなのか?


「……そうなのかい? あまりこの辺に詳しくなくてね。恩にきるよ伍堂君。でも案内までは大丈夫だよ」


 澤田先生は俺にお礼を言った後、指差した方向へと歩いていく。


 その後ろ姿はいつも学校で見ている姿と一緒だった。


(案外抜けてるのか……あの人)


 学校で人気の先生の意外な側面を見た。


 さて、俺も帰るか。

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