第12話
いや、なんだそれ。逆バンジー?
俺は、目の前で起きたことに認識が追いつかなかった。
宙に浮くヤツの金色の瞳は大きく見開かれている。
その手にはヤツがすんでの所で、慌てて拾いあげた鉈があった。
一体、何が起きた?
斧は本来抉るべきヤツの首ではなく、唐突に現れた木の根の盾に突き刺さってしまっている。
木の根に防がれた事自体も驚きだが、流石にこれほどではない。
まるでタコの触腕のように器用に胴に巻きついた木の根は、そのままヤツを空中に引っ張り逃してしまっていた。
反則だろ、それは。
俺は抜け殻のようにそこに残る木の根から斧を力任せに引き抜く。少し力を入れると簡単に抜けてくれた。
幸いそんな深く突き刺さってはいないようだった。
俺が斧を引き抜いている間にヤツは8メートルほどの、後ろに引っ張られている。
3つあるヤツらのティピー式住居、その一番奥の住居の辺りから木の根は生えているようだ。
そこの近くまでヤツを運ぶとすぐに木の根はヤツを地面に下ろす。
漏れ出る煙はだいぶ薄くなっている。その煙を背に2匹の灰ゴブリンが互いの無事を祝うように、耳障りな鳴き声で騒いでいる。
感動の再会か?余計なことしやがって、クソが。
「グエ、ギィ…ゲァゲァ」
「ギィギギギギギ、グゥ」
抑揚をつけながら、あれは…会話をしているのか?
俺は、気づかぬうちに乾いていた唇を舐めとる。
これは良くない。予想だにしていない事態、完全に当初のプランからは外れている。
灰ゴブリンとの交戦はこれで7度目。7度目の狩りで始めての事態。
対応力のある仲間はなく、俺だけで対処しなくてはならない。
異様な光景だ。人間以外の生物が明確に意思を持ってコミュニケーションを図っている。
人間とはかけ離れた外見の生物が、まるで人間のように家族の死に激昂し、家族の無事に安堵する。
危険すぎる。コイツらは。
俺は灰ゴブリンへの認識を再度改めながら、斧を構える。
やがて、そいつら2匹がやけにゆっくりと、此方を振り返る。
照準を定めたかのように1つの金色の瞳と、2つの銀色の瞳が俺を射抜くように見つめていた。
片方はまた体勢を低くして、鉈を体の前に突き立てるように構え始めていた。
俺の方へ飛びかかるチャンスを伺っているのか?
ヤツはレースの始まりを待つ車のように細かく振動しながら、低い声で唸っている。
俺はもう片方の新手の灰ゴブリンへも視線を動かす。
少し距離があるため、細かい部分まではわからない。ヤツよりほんの少し大きい事や、体色が濃い灰な事、それにあれはサークレットか?
頭に孫悟空の様な輪っかが付いているのが特徴的だった。
「個性は大事だよな…?」
俺の問いかけは届いていないだろう。
その個性的な個体の周りからはソイツを囲むように、また新たな木の根が地面から生まれていた。
三本の根が地面から空へ伸びている。
ゆらゆらとくゆらせながら、2メートルほど伸びたと思うと、歪に曲がり始めその尖った先端を狙うように俺に向けていた。
あのタコ足を攻撃にも利用出来るのか?
以前行った灰ゴブリン狩りのときはあんな芸当が出来るヤツはいなかったはずだ。
もし、あの伸縮自在の木の根が襲いかかってきた場合、俺は避けることが出来るか?
いやよしんば、避ける事が出来たとしても、もう1匹いる。あの強い幼体まで捌くことが…
あと2人ほど頭数があればな…。
俺はふと、別れた仲間の事を思った。でももうあいつらはいない。
考えても仕方ない。現状頼りになるのは自分だけだ。
俺は斧を眼前に構え、体重をつま先に集中させる。
ヤツの木の根がしなり、悶える。獲物に飛びかかるその瞬間を待っているかのように。獲物の血を吸うのを心待ちにするかのように。
ヤツはまるで地面にキスをするかの如く、低く、低く構えている。その下半身にはどれほどの力が溜められているのだろう。一体どれほどの速さで俺に飛びかかってくる?
あー、これはヤバイな。
死ぬかもしれない。
素直な感想だった。
俺がもし他の探索者より優れている点は何かと聞かれたなら自信を持って言える事が1つだけある。
俺は、俺の限界を知っている。
斧で生き物を殺す事に躊躇いはない。
10キロを大体45分で走れる程度には体力もある。この前、ベンチプレスも105キロを挙げることが出来た。
まあ、大体以上が俺の限界だ。
襲いくる木の根を躱す眼や、それを捌きながらもう一匹を相手にするセンスは残念ながらないだろう。
ああ、ヤツらがそろそろ襲いかかってくるな。
毛穴に細い針が突き刺さるような独特な雰囲気を感じる。
闘い、いや殺し合いの空気。
生きる為に殺す。殺さなければ死ぬ。
でも、俺はまだ死にたくない。殺す。死ぬのはお前たちだ。
俺は、俺が生き残る為なら、なんだってするぞ。
例えそれがどんな倫理、禁忌に触れる事だろうと。人間の常識から悪と判断されようとも。
限界まで引き絞られた弓矢のような緊張を持つ時間。
体勢の低い個体が更に前のめりになった瞬間だった。
ふっと、また唇がにやける。
俺は足元にある黒いビニール袋を無造作に掴み、右肩を振りかぶり、ヤツらへ投げる。
ぶつけるように投げるのではなく、ヤツらにきちんと届くように優しく。ふわりと山なりに投げる。
袋を掴んだ瞬間、手袋越しにだが
ちょっと鳥肌が立った。それだけだ。
ヤツらは思わずと言ったように、その中空にある黒いビニール袋をポカンと見上げている。
それはすぐにヤツらの足元に堕ちる。ナイスコントロール。
あれだろう。家族はいつも一緒にいるべきだ。
たとえどんな姿に変わり果てようとともな。
ビニール袋の口は縛っていない。きちんとその中身が地面へ落ちるたと同時に転がり落ちてくれていた。
さあ、感動のご対面だろう? 首だけのな。
聴こえてきたヤツらの声。今度は威嚇や、コミニケーションの声ではないんじゃあないか。
そう。それは悲鳴のようなー
うん、いい声だ。
化け物でも、仲間の死骸には反応するらしい。
ダンジョン酔いの心地の良い感覚が蘇る。その生き物の悲鳴が脳髄に甘い痺れをもたらす。
さあ、出来る事をしよう。
そして、俺はポケットから爆竹とマッチを取り出し、導火線に火をつける。
狩りの終わりは近い。
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