森の奥 田沼

 目を覚ますと、未だに森の中だった。いや、さっきより更に奥まで運ばれたような気がした。明らかに木々の密度が濃い。


 ここは、どこだ? 俺はいったい、どうしたんだ?


 田沼は頭を抱え、体を起こす。いたる所に痛みを感じた。その痛みが脳を刺激していくとともに、朦朧としていた記憶も呼び戻される。


 怪物は――?


 痛みなどに構っていられなかった。素早く体を起こすと、辺りを見まわす。だが、何もいない。


 奇妙なのは、鳥や虫など他の生き物の気配も全くないことだった。静かすぎる。耳が痛くなるくらいだ。


 傍らに自動小銃が落ちていた。まるで、それを持てと誰かが言っているようでもあった。


 恐怖感を何とか押し込めながら、歩き出した。小銃を構え、十分な注意を払っている。


 いったいどこまで連れてこられたんだ?


 足取りが重い。だが、こんな所からは早く抜け出したい。焦りばかりが強くなった。


 ん……? 


 少し歩くと、巨木の枝に何かが突き刺さっていた。暗くてよく見えないが、それがゆらゆらと揺れている。


 とてつもなく嫌な予感がした――。


 ゆっくりと近づく。それが何なのかわかった途端、足が動かなくなった。体の奥底から恐怖と嫌悪感が噴火のようにわきあがる。


 部下の一人だった。胴体のど真ん中に巨木の枝が突き刺さっている。腹から背中にかけて貫かれているのだ。二つに折れた体は壊れた玩具のようだった。頭のてっぺんと足の先から、まだ血が滴り落ちている。


 「うわぁあ!」


 堪えきれず叫び、走り出した。方角などわからない。とにかくその場から早く逃げ出したかった。






 どこまで走っても森の中だった。どこまで走っても生き物の気配がなかった。足がもつれ、倒れる。それでも立ち上がり、走る。……その繰り返しだった。


 どの程度走ったかわからなかった。息が乱れ、立ち止まる。そこでまたまわりを見る。何もいないのを確かめて、大きく深呼吸した。立っているのがしんどくて、近くの木によりかかる。


 くそう。くそう――。みんな、どこにいるんだ?


 もう、黒崎達でなくても良かった。沢崎や東谷でも構わない。とにかく、誰かに側にいて欲しい。一人というのがこんなにも心細いとは……。こんなにも恐ろしいとは……。


 ポタリ、と何かの雫が頬に落ちてきた。


 唾を飲み込み、恐る恐る手を当てて確かめる。月明かりに照らされたそれは、紛れもなく血だった。


 ひいぃっ! 


 ガバッと寄りかかっていた木から離れ、見上げる。悪夢のような光景がそこに再現されていた。


 5メートルほど上の枝に、やはり部下と思われる男の体が突き刺さっている。干涸らびたようになった顔が、恨めしそうに田沼を見つめていた。


 田沼はまた走り出した。そして、途中で思い立ち、ポケットをまさぐる。トランシーバーがあった。思わずホッとして立ち止まる。黒崎を呼び出した。


 「田沼です!」


 「どうした? 何があったんだ?」


 憎らしいとさえ思ったこともある黒崎の声が、とても懐かしかった。


 「怪物です。怪物が現れたんです。助けてください」


 「落ち着け、田沼。今どこだ?」


 「わかりません。森の奥に連れてこられたようです。お願いです。助けて……」


 言葉が続かなかった。少し先から田沼を見ている、赤い大きな目に気がついたからだ。






 「たす、たす、助けて……」


 後退る田沼に合わせるかのように、赤い目が近づいてくる。月明かりに照らされて姿を顕わにした。大柄な田沼より更に二回りも大きな身体。点滅する大きな赤い目。


 その怪物が、大きく羽を広げた。


 「うわぁぁっ」


 田沼はトランシーバーを落とし、そして自動小銃を撃ちまくった。この距離ならはずさない。弾丸は、怪物に向かって何発もたたき込まれていった。


 怪物は最初体をグラグラと揺らしていたが、ついに仰向けに倒れた。


 やった。やったぞ――。


 恐怖が強かった分、安堵も大きかった。まだ身体が震えている。


 「おい、田沼。どうした? 返事をしろ」


 トランシーバーから黒崎の声が聞こえ続けていた。すぐに拾いたかったが、身体が震えてしまい、なかなか動かない。


 ようやく息を整え、トランシーバーに手をゆっくりと伸ばし始めたとき、ガサッと忌まわしい音が聞こえた。


 怪物が、のっそりと起き上がった。


 そんな馬鹿な――。


 人間ならとっくにミンチになっているくらい銃弾を浴びせたのに、この怪物にはダメージを与えていない――。


 怪物は、起き上がると、いっそう目の輝きを増した。羽を広げ直すと、そこからバラバラと弾丸が落ちる。






 「ヒイィ!」と叫び、走り出した。もう、逃げるしかない。どこまでも走るしかない。


 がむしゃらに走っていると、後ろから激しい衝撃が来て、体ごと飛ばされた。痛みに耐えて立ち上がると、怪物が飛び去っていく。そして、旋回してまた向かってくる。


 逃げた。とにかく逃げた。今度は正面から怪物が凄いスピードでぶつかってくる。飛ばされる。叩きつけられる。それでも、立ち上がってまた走る。


 もう、子供ほどのスピードも出せていないのはわかっていた。だが、逃げるしかないのだ。自分が泣いているのにも、失禁しているのにも気づかなかった。     


 ふらふらと進んでいると、何かにぶつかった。前もわからないほど取り乱していた。


 尻餅をつき見上げると、そこに赤い大きな目があった。強く輝いたかと思うと、ゆっくりと消え、そしてまた輝く。


 楽しんでいる。この怪物は、俺を弄んで楽しんでいる――。


 もはや力は尽きていた。よろよろと立ち上がるが、逃げ出す余力は残っていなかった。


 殺される。俺は、こいつの餌にされる――。


 諦め、恐怖、その他様々な感情が入り乱れ、混乱していた。そうなると、人は動けないのだと始めて知った。


 怪物が大きく羽を広げた。それに抱かれ、田沼は虚ろになった目で怪物の顔を見た。


 忌まわしさの象徴であるかのような赤い目が、すぐ前にあった。その下の体毛が盛り上がり、そして、大きな口が現れた。まるで鮫のような歯が煌めいている。


 最後の最後に、田沼は言葉にならない叫び声をあげた。


 怪物の鋭い歯が、田沼の首筋に突き立てられた。


 目の赤い輝きが、更に強くなっていた。

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