第17話 雲次一閃

主要登場人物別名


藤十郎… 蒲生定秀 六角家臣

加賀守… 平井高安 六角家臣


――――――――


 

「蒲生だけに血を流させるな!我らも前線へ出るぞ!」


 岩脇山いおぎやまに布陣する平井高安から各陣に激が飛ぶ。それを受けて平井勢も続々と前線の穴を塞ぎに山を下っていた。

 岩脇山は海抜百メートルもない低い山で、小高い丘というくらいの位置だ。だが、たとえわずかでも高所から矢を射かければ威力も増す。前線で戦う蒲生勢を援護し、前進してくる敵の足を止めるのが平井勢の役目だった。


 開幕からの浅井の積極攻勢に、平井勢も一刻の間ひたすら矢を撃ちっぱなしだったおかげで、平井勢の中にも矢を切らす部隊が出てきている。

 高安は矢が切れた部隊には下山して前線に加わるよう指示していた。


 平井勢は矢戦が得意だが、それは即ち白兵戦が出来ないという訳ではない。蒲生勢ほどに粘り強く戦うのは難しいが、蒲生勢の隣で敵の刃を防ぐ事くらいは充分に出来る。


「父上!我らも山を下りまする!」

「うむ!藤十郎だけに手柄をくれてやるなよ!」

「ハハッ!」


 高安の長男、平井ひらい源太郎げんたろう高好たかよし莞爾かんじとして笑うと、平井勢三百を率いて土煙を上げながら山を下る。

 高好は今年三十一歳になり、平井家の家督も既に継がせている。戦の指揮は未だ隠居の高安が執っているが、そろそろ本格的に隠居を考えても良い頃合いだった。


「よし、我らも山を下って……うん?」


 側近に声を掛けようとした高安は、視界の端に奇妙な物を捉えた。

 視線を巡らせると、旗も挿さずに疾走する騎馬の一団が目に入る。


 ―――使番か…?それにしては数が多い…


 騎馬は三十ほどで駆けている。それに、使番ならばそれを示す旗を挿しているはずだ。と、その後ろから対い鶴の旗を挿したこれも三十ほどの一団が後を追うのが見えた。

 向かう先に視線を向けると、そこには六角定頼の本陣を示す一間四方の『隅立て四ツ目』の大幟おおのぼりが風にはためいている。

 高安はたちまち状況を理解した。


「わしに続け!御本陣に奇襲だ!」


 側近の者が十名ほど慌てて騎乗する。それを尻目に、高安は素早く馬に跨ると先頭を駆って定頼本陣に向かった。



 平井高安の一団は山を下ると、ギリギリで奇襲部隊の前に出た。

 既に敵は目前二町(二百メートル)の距離にまで間を詰めている。土煙のせいで正面からは総数が判別し辛い。

 定頼本陣でも蒲生と平井の動きに状況を理解したのか、旗指物が慌ただしく動き始めていた。


 ―――馬を下りているヒマはない!


 高安自身も日置流の弓術を修めた弓の上手だったが、騎射はやや不得手だった。しかし、今この時に馬を下りて矢をつがえている時間はない。

 騎馬のまま矢立から矢を一本取り出して弓を引き絞ると、先頭を走る日輪の立て物目掛けて矢を放った。


 ヒョウッと唸りを上げて飛ぶ矢は、狙い違わず先頭を走る武者の兜に命中した。だが僅かに狙いが逸れたか吹き返しに当たり、緒を引きちぎって兜だけを吹き飛ばした。

 兜の下からは若い男の素顔が露わになる。


 ―――やはり、北河又五郎か!


 鎌刃城でウンザリするほど見た顔だった。又五郎の突撃は初見で防ぐには難しい。万に一つも本陣に攻めかからせるわけにはいかない。


 もう一本矢を番える。又五郎との距離はすでに四半町(二十五メートル)にまで詰まっていた。高安が弓を引き絞るのと同時に又五郎も手に持った槍を大きく振りかぶる。


 高安は一瞬迷った。だが、土煙の向こうに定秀の顔を見つけて肚が決まった。


 狙いを下に変えて矢を放つ。矢は狙い違わずに又五郎の乗馬の胸を撃ち抜いた。

 馬は先導する頭に従って走る習性がある。先頭の馬を射殺せば一時的に集団の足は鈍るはずだ。


 前方に放り出されながら又五郎が槍を放つと、六尺ほどもある大身の槍が空をまっすぐに走り、平井高安の胸を刺し貫いた。



「加賀守殿ぉぉーーーーーー!」


 戦場に定秀の悲痛な叫び声がこだまする。


「藤十郎… 御屋形…さまを… ゴポッ」


 高安の声は吐き出した血にかき消され、定秀の耳に届く事はなかった。




 ※   ※   ※




 時間は少し遡る―――



 前線で不審な一団を視界に捉えた定秀はそちらの方に顔を向けた。

 ほぼ同時に気付いた外池弥七が誰何すいかしようと馬を寄せていくのが見えた。

 その瞬間、先頭の騎馬武者の持つ槍が弥七の喉元に突き刺さる。


 ―――弥七!


「敵だ!御本陣を狙っている!」

 直ぐに状況を理解した定秀は、隣の彦七に叫ぶと一人北河又五郎に向けて駆け出した。


「あ…兄者ぁぁぁ!」

 振り返って状況を確認した彦七が血を噴いて落馬する弥七を見て叫び声を上げる。

 すぐさま彦七も定秀に続き、その後ろから声に気付いた馬廻衆が二十名ほど後に続いた。



 ―――弥七は助からぬ…


 定秀は一瞬目を閉じて瞑目した。不意を突かれたわけではなかっただろうが、それでも弥七は一合も交える事なくまともに槍の穂先を受けていた。

 おそらく致命傷だ。


 ―――仇は取る!俺が又五郎を討ち取る!


 右手の槍を握り直し、定秀はより厳しく馬を追った。


「敵襲だ!御本陣へ奇襲だ!」


 大声で喚いた声に反応した数名が駆けよるが、弥七と同じく無造作に又五郎の槍先に掛かって次々と落馬していく。

 馬の足を一切落とさずに敵を打ち払う馬術は相変わらずの見事さだった。


 ―――おのれ!待て!


 定秀も全力で馬を責めるが、一向に差が縮まらない。前方を見れば定頼本陣の四ツ目の旗がだいぶ大きく見えるようになっていた。


「待て!又五郎!」

 定秀の叫びにチラリと後ろに視線を投げて寄越した又五郎は、兜の下でニヤリと笑いながら再び前方を向く。

 又五郎の配下らしき騎馬が定秀の声に反応し、馬を寄せて来る。

 寄って来た騎馬を定秀も無造作に突き崩しながら、馬の足を緩める事無く追跡した。



 ―――あれは!加賀守殿か!


 又五郎の進路の先に弓を持った騎馬が山を下って来るのが見えた。

 平井高安が矢を放つと、先頭を行く又五郎の兜が弾け飛んで上体を大きくのけ反らせた。


 ―――さすがの技の冴えだ


 高安の弓術に舌を巻きながら定秀も槍を握り直す。矢の衝撃を受けて一瞬馬が怯んだ事で、又五郎の姿が一町にまで近づいていた。

 もう一本高安が矢を番える。と同時に又五郎が大きく槍を振りかぶった。


 ―――いかん!投げ槍が届く!


 定秀の目の前で又五郎の馬が足をもつれさせ、手綱を握る又五郎が前方へ投げ出される。

 だがそれよりも一瞬早く大身の槍が又五郎の手を離れていた。


 空を走った槍は定秀の目の前で鎧を貫いて平井高安の胸に突き立つ。

 槍を受けた高安はあぶみを踏ん張る事もできず、そのまま後方へ弾き飛ばされていた。


「加賀守殿ぉぉーーーーーー!」


 素早く受け身を取った又五郎が平井高安に走り寄り、胸に突き立った槍を引き抜いた。

 血を噴きだす高安を尻目に、又五郎が定秀に相対して槍を構える。


「鶴の鬼よ!この時を待っていたぞ!」



 定秀は馬から身をひるがえすと、徒歩になって又五郎と相対した。

 騎馬では馬の足を払われて落馬させられる危険が大きい。又五郎相手に隙を見せるわけにはいかなかった。

 又五郎の後ろからは定頼本陣から杉山三郎兵衛が手勢を引き連れて駆けて来るのが見える。もはや奇襲部隊は袋のネズミになっていた。


 馬を失い、奇襲に失敗した又五郎はすでに生還は望めない。冥土の土産とばかりに定秀に向かって槍を繰り出してきた。

 鋭い突きを柄を払ってかわすと、返す槍で又五郎の胴を払った。


「ハッ!」

「ヌン!」


 定秀の薙ぎ払いを槍を返して受け止める。多くの者を防御ごと吹き飛ばしてきた薙ぎ払いだが、又五郎は悠々と受けて見せた。


 ―――やはり、強い


 槍を合わせた箇所を支点に石突で巻き打ちを放つ。だがそれも槍先を小手で返して受け止めた。

 定秀が槍を退くと、今度は又五郎が攻めて来る。


 又五郎は左手を緩やかにしつつ右手で槍を素早く二回しごいて突きを繰り出す。

 まるで二本の槍先が同時に襲って来るように見えた。


 一つ目を辛うじてかわすが、二つ目の突きで左肩を突かれて左の大袖おおそで(肩当)が吹き飛んだ。

 傷は深くはないが、肩先を切り裂かれたようで左腕が燃えるように熱くなる。


「ぐっ」

「もらった!」


 又五郎が突き終わりの姿勢から一歩踏み込み、石突を巻き込んでくる。

 辛うじて右手一本で握った槍を合わせるが、そのまま槍の柄を使って薙ぎ払って来た。

 右手に染み付いた血がぬめり、こらえきれずに槍を吹き飛ばされた。


 ―――殺られる!


「死ねぇぇぇぇぇ!」


 又五郎の突きが定秀の胸を目掛けて一直線に突き出された。



「殿ぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 定秀の危機に飛び出した彦七が定秀に代わって又五郎の槍先を受けた。

 胸を刺し貫き、彦七の背中に槍の刃先が飛び出していた。

「彦七ぃぃぃぃ!」


 彦七の体の陰になって又五郎が視界から消える。だが、すぐに次の一撃が来るはずだ。

 定秀は腰にいた雲次の柄に手を掛けた。


「この下郎がぁ!」


 又五郎は彦七の体を蹴り飛ばして槍を引き抜くと、再び突きの姿勢に移る。

 だが定秀はその間に雲次の太刀を引き抜いていた。


 ―――カヒュッ


 夢中で振るった定秀の太刀が又五郎の槍の柄を斬り飛ばした。鬼胡桃オニグルミの木を伐り出して拵えた柄は定秀の赤樫の槍に劣らぬ硬さだったが、下段から斬り上げた雲次は易々と鋭利な切り口を作って槍の穂先を空中へと跳ね飛ばす。恐るべき切れ味と言えた。


「くそっ!」

 手に残った柄を投げ捨てて又五郎が太刀に手を掛ける。だが、定秀が一瞬早く間合いを詰めると上段から袈裟がけに太刀を振るった。


「ルアァァァァァ!!!」


 雄叫びと共に振り下ろされた太刀は、又五郎の鎖骨の辺りに刃を突き立ててなめらかに滑りながら、まるで豆腐でも斬るように鎧ごと又五郎の胸のあたりまでを深々と斬り裂いた。


「き… さま… ガハッ」


 口から血を吐き出し、腰に手をやった姿勢のまま又五郎が崩れ落ちる。

 定秀の太刀は又五郎の命を刈り取る一撃を与えていた。



 肩で息をしながら、定秀は太刀を持ったままの右手を高々と突き上げる。


「敵将!北河又五郎!蒲生藤十郎が討ち取ったぁ!」



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