第13話 鎌刃城の攻防

主要登場人物別名


弾正… 六角定頼 六角家当主

加賀守… 平井高安 六角家臣


京極五郎… 京極高延 京極家当主

京極長門守… 京極高吉 高延の弟 高延と家督争いを起こした

弥五郎… 朽木植綱 朽木家当主 幕府直臣


公方… 足利義晴 十二代足利将軍

六郎… 細川晴元 細川高国と権勢を争う

管領… 細川高国 室町幕府管領


――――――――


 

 大永八年(1528年)五月二日

 六角定頼は平島方との和睦不成立を報告するため、相国寺の足利義晴の元を訪れていた。


「申し訳ありません。和議をまとめる事はできませなんだ」

「貴様!さんざん大口を叩いておいて、今更そのザマはなんだ!」


 義晴は沈黙していたが、傍らにはべる細川高国から罵声が飛ぶ。しかし、下座で頭を下げる定頼は涼しい顔をしていた。


「重ねて、我らも近江に帰国せねばなりません」

「なん……だと……」

「北近江にて京極五郎が再び軍勢を集めております。京極めは平島方に参陣すると宣言しておりますれば、

 これを討ちに参ります」


 高国の顔が見る見る赤く染まっていった。

「き…貴様!朝倉の抜けた今、その方らが帰国すれば我らは京で孤立するのがわからんのか!」

「京に居て東西に敵を受くるは下策にございましょう。我らがそれを防ぎまする」

「そ、それでは京はどうなる!公方様はいかがする!」

「公方様に関してはご案じ召されるな。六郎殿より公方様へ忠誠を誓うと誓書を受け取っております。

 六郎殿の関心は管領様のみ。管領様については、我が六角家が近江までお供致しましょう」


 高国の罵声に義晴の左右に侍る幕臣達も顔をしかめている。男のヒステリックな声ほど不快感を煽る物もそうそうない。

 だが、いくら高国が叫ぼうが柳に風と定頼は一向に顔色を変えない。高国の方が上席でありながら、まるで子供のわがままをいなすような態度だった。


 やがて高国の金切り声が途切れ途切れになる。叫び疲れたのか、先ほどから肩で息をしていた。



「弾正。一つ聞きたい」

 上座の義晴から初めて声が発せられた。定頼もさすがに義晴の言葉には反応した。


「その方は朝倉が帰国する事を知っておったのか?」

 真っすぐに定頼の顔を覗き込む義晴の目には、疑いの光が灯っていた。


「いいえ。某も驚き入りましてございます。かくなる上は、朝倉もいずれ討たねばならぬかと思案しております」

 今度は幕臣達にも動揺が広がる。六角と朝倉は今の所義晴を支える両輪だ。

 一時の不審があるとはいえ、六角と朝倉が争う事などあって良いはずがなかった。


「いや、それには及ばぬ」

 義晴の声に、左右に控える幕臣たちに安堵の色が広がる。

「それよりも、いくら誓紙を出しているとはいえ六郎を信用する事は出来ぬ。余も近江へ参ろう」


 義晴の言葉に定頼の眉がピクリと動く。まだ六角の軍勢を使う気かと不愉快な気分だったが、近江へ下ると言われれば嫌とは言えない。


「安心するがいい。朽木へ参る」

「朽木へ……?」


 ―――それはそれで不味いな。弥五郎殿に迷惑を掛ける事になる


 定頼は朽木植綱の顔を思い出していた。

 負けん気が強い朴念仁だが、定頼は植綱の事が嫌いではなかった。下心抜きで突っかかって来る植綱は、薄ぺらい愛想笑いを向けてくる京の公家や京極長門守よりもよほど好もしかった。

 身代から言っても朽木と六角では相手にもならない。にも関わらず、あくまで佐々木同苗として肩ひじを張る植綱がなんとも言えず可愛い気がある。


「では、公方様にはしばし坂本にお留まりありますよう。朽木でもお迎えする用意がございましょう」


 とりあえず朽木家に事の次第を知らせておかねばならない。

 特に高国とは今後関わらないように忠告しておかなければ、最悪の場合は定頼自身の手で朽木を滅ぼさなければならなくなる。

 植綱相手にそのような真似はしたくなかった。



 五月十四日に細川高国は六角家臣の後藤高恒と下笠頼実が警護して近江に下向し、観音寺城を越えて永源寺まで退いた。

 二十八日には定頼自身が供奉して将軍義晴が坂本まで退去する。


 京は再び細川晴元の勢力圏に入る事になった。




 ※   ※   ※




「門徒衆の代表者と話が付きました。秋までに男手を帰村させるという事で納得しております」

「ご苦労。まったくキリがないな」


 蒲生定秀は家老の町野将監の報告を聞いてため息を吐いた。

 一向宗本願寺の実権を握る蓮淳は、細川晴元に呼応して加賀や畿内の一向宗門徒に激を飛ばし、細川高国方の諸将の領地に対して一揆を起こさせていた。

 近江国内でも一向一揆が勃発し、武力闘争に発展していた。


 と言っても、一揆は上洛軍に働き手を取られて困窮した農村の者が多く、食糧の援助と働き手を返すと言う約束で収束する事が多かった。

 やむを得ず武力鎮圧に乗り出す事もあったが、多くの場合は指導者層の地侍や僧侶を討ち取ればそれで終わった。


「ここの村にも里売りに来るように商人に言わねばならんな。呉服や食料品が足りていないようだ」

「左様ですな。保内衆も人手が足りるかどうか…」

「人手は他郷からも借りて来るだろう。横関や小幡にも商人は居るのだしな」


 食料や物資の足りていない地域には保内衆に依頼して積極的に行商人を出させた。

 この時期の一向一揆は食うに困った民衆が起こすことが多いが、本来一向宗の教義は戦闘と武装を禁止する平和的なものだった。

 一向宗が大名の敵対勢力として明確に武力集団と化してくるのはもう少し先の事だ。



「殿ー!観音寺城から文が届いております!」

 小高い丘の上に立つ定秀の元へ外池彦七が騎馬で駆けて来る。

 上洛軍をそのまま北近江に回せるように街道筋の一揆を鎮圧して回っているが、鎮圧部隊は蒲生勢だけではない。観音寺城で全体の状況を把握して次の鎮圧地を指示しているが、今回もその連絡かと定秀は思った。


「やれやれ。次はどこへ行くのやら」

 冗談めかした定秀の言葉に町野も苦笑する。渡り鳥さながらにあちこちへと派遣されていた。




「むぅ……」

「池田様からは次はどこへ行けと?」

 文を見て唸った定秀に町野が問いかける。定秀の顔つきが厳しい物になっているのを見て、不審な顔をしていた。


「鎌刃城だ」

「鎌刃城と言えば佐和山の北ですな。ほぼ鎮圧は終わったという事でしょうか?」

「いや、京極長門守殿が京極五郎に攻めかかって撃退されたらしい。浅井の追撃を防いで退却を支援してやって欲しいとの事だ」

「なんと… それほどに浅井は勢力を増しておるので?」

「朝倉から援軍が出たらしい。さすがに朝倉に出張られては長門守殿単独では厳しかろうさ」


 とはいえ、六角も今朝倉と正面から衝突するわけにはいかない。

 定頼が京の残務処理に追われている今、北近江で本格的に戦端を開けば泥沼にはまりかねない。

 とりあえずは京極高吉を援護しつつ前線を膠着状態にするのが関の山だった。


 ―――あと一月もすれば朝倉も軍を退くだろう


 顎を伝う汗を拭いながら定秀は空を見上げた。

 入道雲の浮かぶ空には蝉の声がうるさく響いてくる。もう夏も終わりが近づいていた。



「手勢をまとめよ!鎌刃城まで移動する!」

「はっ!」

 彦七が再び騎馬で駆けると、眼前の蒲生勢五百が隊列を整え始める。

 空に突き上げられた長柄の穂先が太陽を反射し、キラキラと眩しく目に映った。




 ※   ※   ※




「長柄で防陣を組め!騎馬は退却部隊を援護しろ!京極隊が鎌刃城に退くまで耐えろ!」

 定秀の大声が戦場に飛ぶ。

 河内城で孤立しかかっていた京極高吉を鎌刃城まで退却させるため、六角軍は鳥居本の北の加田の辺りまで出張っていた。

 京極勢は既に陣の後ろに収容している。あとは戦線を維持しながら後退するだけだった。


「殿!騎馬隊数十騎がこちらを目指しております!」

「後詰を出せ!前線の守りを厳しくしろ!」


 ―――退却の隙を与えないつもりか!


 平地での合戦である為、蒲生勢も浅井軍も共に相手の動きが良く見えていた。

 不意を衝く事は出来ないため、お互いに決定打に欠ける。そのうちに朝倉勢が加われば支えきれなくなる事は明白だった。


「彦七!前線に加われ!」

「はっ!」

 馬廻を三十割いて前線の補強に向かう。馬廻衆は蒲生家でも戦闘に優れた者を揃えており、一騎当千とはいかなくとも十の敵には当たれる。

 増援があるのは浅井軍だけではなかった。


 浅井の騎馬隊が勢いを増し、真っすぐに長柄隊に突進してくる。

 正面から前線を食い破る構えだったが、間一髪間に合った馬廻衆が互角の戦いを演じる。

 突撃の突進力を殺せれば、あとは長柄隊が落馬させて討ち取っていける。


 ―――ちぃ!素早く退いたか


 突撃が失敗した事を見て取って騎馬隊が引き上げていく。浅井の用兵もなかなかに手堅いものだった。


「殿!朝倉勢です!我らも退きましょう!」

「わかっている!」

 小谷城の方から朝倉の三盛木瓜みつもりもっこうの旗が隊列を整えているのが見える。定秀の心中にも焦りが出て来た。


 ―――このまま背を見せれば騎馬隊に討たれる!


 浅井騎馬隊の度重なる突撃に、後退もままならない状況になっていた。

 と、隊列を整えた浅井の騎馬隊が再び突撃してくる。厄介な相手だった。


「隊伍を乱すな!防陣を作って応戦しろ!」


 長柄槍を構えた歩兵が騎馬の衝撃に備える。

 その瞬間、多数の矢が飛来して浅井の騎馬武者を次々に落馬させていった。

 後ろを振り返ると平井の弓隊が次々に矢を放っている。放たれた矢は山なりに放物線を描きながら、狙いをあやまたずに浅井騎馬隊の進路の先に降り注いだ。


 ―――加賀守殿か!さすがは平井の弓隊だ!


「今だ!後退しろ!」


 定秀の号令で退き太鼓が鳴らされる。

 戦場に響き渡る太鼓の音に、蒲生勢が一斉に退却を始めた。追撃を仕掛けて来た浅井軍の進路の前に再び矢の雨が降り注ぐ。

 蒲生勢にはありがたい援護だった。




 ※   ※   ※




「ちぃっ!ここまでか」

 浅井軍の追撃隊を指揮する北河又五郎は、夕陽が照らす戦場を見渡しながら舌打ちをした。

 すでに目標である京極長門守の軍勢は、視界の奥に見える鎌刃城へ続々と入城している。今から追いすがっても到着する頃にはすでに城門を閉じているだろう。


「手勢をまとめよ!小谷城へ帰還する!」

 左右に指示を出しながら、前線で撤退戦を演じる『対い鶴』の旗印を睨みつけていた。


 ―――蒲生左兵衛太夫… 鬼左兵おにさへい


 又五郎の父である北河長綱は三年前の六角との戦で討死していた。浅井亮政の撤退を助ける為に殿しんがり役を務め、定秀の父・蒲生高郷によって討たれている。

 小谷城の守りに就いていた又五郎は、殿しんがりとして主君を逃がす役目を全うした父の死に不満はなかったが、それでも父を殺した蒲生高郷には恨みを抱いていた。


 話に聞く高郷の猛威はすさまじく、当時従軍した者からは「鶴を背負った鬼が出た」と、戦場を圧する大音声を夢に見て恐怖で眠れぬ者も居たほどだ。

 又五郎は高郷が既に引退して息子の定秀が軍を率いているとは知らない。父を討ち取った憎い鬼左兵が鶴の軍を率いていると信じた。


 ―――見ていろ。必ずやこの俺が鶴の鬼を討ち取ってくれる


 鎌刃城に向かって移動する鶴の旗を眺めながら、北河又五郎は後方の小谷城へ向けて馬首を巡らした。

 北河又五郎はこの時二十一歳。奇しくも、蒲生定秀と同い年の若き当主だった。



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