第6話 満州に行きたくない理由

 こんな遼東半島が本当に得られるかわからない時期でありながら、後藤は児玉に満州経営のアイデアを伝えた。

 東インド会社をモデルとした組織を設けましょうと児玉に持ちかけたのだ。

 もちろんこれはどこかに発表したわけではない。

 日露戦争の最中も児玉は台湾総督を兼任していたため、そのついでに後藤は児玉に話したのだろう。

 日露戦争開戦から日も浅いのにそんな話をできたのは、後藤が台湾という離れた地にいて、かつ軍人ではなかったからかもしれない。

 この後藤の話は日露戦争が終わりに向う直前あたりで本格化する。

 後藤は奉天にいた児玉を訪ね、現地を見て、児玉と意見を交わし、児玉は日露戦争終結直前にそれをまとめて『満州経営策梗概』を出した。

 この『満州経営策梗概』に載っているのが有名な語句である。

「戦後満州経営唯一の要訣は、陽に鉄道経営の仮面を装い、陰に百般の施設を実行するにあり」

 満州経営の根本的思想である。

 この梗概に大いに協力したにも関わらず、後藤は満州には行かないのだという。

「満州に行きたくない理由はいくつかある。一つは台湾を離れたくない」

 後藤にとって台湾は自らが心血を注いだ地である。

 日清戦争後、なかなかうまくいかなかった台湾統治を、後藤は児玉の元で見事に成し遂げた。

 台湾を徹底的に調査し、中国哲学の研究者や史家まで呼んで、現地を知悉し、無理な変更や押し付けをせず、台湾の地に合わせた形で施政を行った。

 電気水道交通直が整備され、少しずつ阿片中毒者を減らしていき、伝染病の蔓延る環境を変え、学校教育を普及させ、サトウキビなどの産業を育成して、台湾の近代化を促進した。

 それが功を奏し、経営が軌道に乗り始めた台湾は儲かる島になっていっていた。

 後藤は八年八か月をかけて基盤を築いた台湾から離れるのが惜しかった。

「せっかくここまでやってきたのだ。台湾が発展し、成長していく姿も見ていきたい。森林調査もしたのだし、阿里山森林鉄路が開くのも見たい」

「そのお気持ちはわかります。でも、それだけではないでしょう?」

 水を向ける是公に、茶で喉を潤しながら後藤は頷いた。

「ああ、台湾は島だったが、満州は大陸だ。しかも、清とロシアが接している。台湾に比べて、ずっとやりづらい」

 台湾には他の列強はいない。自分たちと地元民だけの問題である。

 しかし、満州はそうはいかない。

「その名の通り、東清鉄道“南部支線”だ。この部分以外はロシアが権益を持っているし、南部支線の土地自体は清国のものだ。何かあるたびに、清との交渉が必要になる。しかも、それを怠ればロシアのみならず、他の列強からも槍玉にあげられるだろう。鉄道敷設に関して、ロシアと清が結んだ条約をこちらが批准する必要もあるし、何か一つするにも手間だ。内側までごちゃごちゃなのに、外側もごちゃごちゃとか物事が進まない」

「内側もやはりごちゃごちゃですか」

 これが後藤の三つ目の理由である。

「外務省や逓信省、陸軍など、それぞれがいろんな思惑で関わってくる。権限も入り乱れていて、台湾のような一元的な管理とはまったく違う」

 台湾は台湾総督府があり、その総督の下に民政長官(総務長官)がいる。

 さらにその下に総務局長がいるという形なのだが、後藤たちの時代で言うと、これが児玉源太郎総督→後藤長官→中村是公局長という形になる。

 他にどこかの省や軍が関わってくるとかはなく、とてもやりやすかった。

「だけど、満州はそうはいかない。児玉さんが南満州鉄道株式会社設立委員会を設置したのだが、80名も委員がいる。その面々を聞いたが、あれだけの数が関わってくるとなると、混乱をきたす未来しか見えない」

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