第5話 日清戦争と満州鉄道

「仕方ないではないですか。外務省も軍部も大陸の鉄道を注目しない中、後藤さんだけが唯一、東清鉄道とうしんてつどう南部支線の重要性に気づいて、児玉閣下にアイデアをお伝えしていたのですから」

「だってせっかく思いついたことがあるなら、伝えないともったいないだろう」

 後藤は『大風呂敷おおぶろしき』とあだ名されるほど、人が思いつかないような規模の大きな計画を立案するのが好きだった。

 また、それだけの才覚を持っていた。

「政府の中には全く東清鉄道に注目した人はいなかったのですか?」

「全くいないわけではないが、小村寿太郎こむらじゅたろう外相も元老の山縣有朋やまがたありとももロシアの再南下さいなんかを阻止するための軍用鉄道として、戦略上の必要から東清鉄道の南部支線を抑える必要があるとだけ考えているらしい」

 そこで後藤は大きく手を開いた。

「でも、それではつまらないじゃないか。旅順りょじゅんは港町だ。たくさんの国の船が着く。ただ、軍事のための鉄道じゃない。鉄道だけでもない。新しい街を作るんだ」

 夢を語る後藤が是公よしことには輝いて見えた。

「児玉さんの気持ちもわかります。後藤さんが語っているのを見ると、なんだかとても新天地しんてんちへの希望を感じられるので」

「そうか。だが、俺は行く気はないぞ」

 先程の勢いはどこへやら。

 後藤はあっさりと満鉄総裁を引き受ける気はないと言った。

「どうしてですか。後藤さん、児玉さんのいる奉天ほうてんまで行って、それで満州の戦後経営について話し合ったのでしょう?」

 政府が満州の戦後経営どころか、東清鉄道の運営状況もろくに研究しない中、後藤は日露戦争開戦から日も浅いうちに、児玉に満州経営のアイデアを伝えた。

 まだ、満州を得られるかもわからない時期である。

 大国ロシアを相手に勝てるかもわからない。戦争に勝てても講話交渉がうまく行かず、土地を得られないかもしれない。

 特に先の日清戦争の時には、三国干渉さんごくかんしょうで一度手に入れた遼東半島りょうとうはんとうを手放しているのだ。

 遼東半島を日本に奪われるということは、ロシアにとって日本に海への出口を奪われるということである。

 日露戦争の大目的である、朝鮮半島における日本の権益けんえきを全面的に認めさせるよりも、遼東半島を手に入れるほうが難しいかもしれなかった。

 もっとも日清戦争の時に遼東半島を手放したのは、陸奥宗光むつむねみつの交渉術であったとも言われている。

 日清戦争では台湾と澎湖諸島ほうこしょとう、遼東半島、賠償金2億テールを下関条約で手に入れた。

 だが、そこに列強れっきょうが干渉してくるのを陸奥は読んでいた。

 特に海の出口を抑えられたくないロシアは外圧がいあつをかけてくるだろうと先読みしていた。

 ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世がロシアの関心をアジアに向けて、欧州側の脅威を減らすためと自らの極東への野心のために、干渉してくることは読めなかったが、ともかくも干渉を読んで、台湾と賠償金を守るため、遼東半島は返す気で要求していたという研究もある。

 陸奥の回顧録『蹇々録けんけんろく』は陸奥自身が書いたものなので、あれは失策ではないのだと陸奥が言いたくてそう書いたのかもしれないが、陸奥の思惑を知らず、日清戦争後の日本国民はこの三国干渉を屈辱と考えた。

 日本国民の間で『臥薪嘗胆』という言葉が流行り、そのスローガンの元、対ロシアへの敵対感情を強め、国民のその感情が日露戦争へと進むエネルギーとなる。

 実際にはこの遼東半島返還はただで返したのではない。

 陸奥はしっかりと遼東半島を返すときにはその代償金をもらった。

 『遼東還付条約』である。

 日本は清国に遼東半島を返還し、その代わりに銀3000万両を得た。

 銀払いなため、計算がややこしいのだが、日本は当時の国家予算の4倍強のお金を日清戦争の賠償金と遼東半島の代償金で得た。

 これにより軍備の拡大だけでなく、財政難で見送られ続けていた京都大学が設立されたり、日本の発展に大いに貢献した。

 余談だが、日清戦争は“勝ち過ぎた”のではないかと思う。

 動員された兵役適齢年齢層は5%ほどに過ぎず、戦争期間も1年ほどと短く、戦時経済もむしろ好景気のような状況になり、さらには台湾と賠償金まで得た。

 日本が最初に経験した大きな海外との戦争がこれであったが故に、後の日露戦争の時にもっと何か得られると国民は期待してしまったのだろう。

 多くを得たのは陸奥の手腕ではあるが、その後の影響は大きい。

 

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