小人

得たり応

第1話

19年間生きてきた僕の唯一の特技は人から諦められることだ。これを言ったら皆はそんな下らないことしか誇れるものがないなんてだとか思いながら憐れみの目を向けるだろうが、いや実際僕にこれに勝る特技はないし、これ程素晴らしい特技もないと思うのだ。全く、諦められるってのは最高だ。なんてったって自由気ままに、自分の生きたいように生きられるんだ。人から一切何にも期待されないんだから、何をやっても罪悪感なんてものは湧いてこない。いや勿論、僕は良識ある人間だから、犯罪に手を染めたりはしないけれど、自分の人生の全ての選択を自分で握って生きられるんだ。こんなことは中々ない。

僕は人生で宿題なんてものを一切やったことがないんだが、人から諦められていればこれにも何の文句も言われない。殆どの先生は二月もすれば何も言わなくなる。一番粘ったのが僕が小学校高学年の時の先生で、16ヶ月で彼女は諦めた。いやはや、なんて快適なんだろう。宿題なんてのはほんの一例で、僕はそれ以外の全てにおいても諦められている。もう僕と関わる人は誰に僕に常識だとか言ったものを求めてこない。諦められているからね。ところで今思ったのだが、僕が人見知りなのはこれが原因なのかもしれない。さっき言ったように僕は良識ある人間だから、人が悲しむ姿を見たくないんだ。既に諦めている人は僕が僕のやりたいように動いても何も感じないだろう。でも初対面の人はそうじゃない。殆どの場合僕に失望して、そして悲しむ。これを数ヶ月繰り返して、ようやく諦めてくれるんだ。その数ヶ月が僕には辛い。辛いだけじゃなく煩わしい。僕も疲れるし相手も疲れる。どっちにとってもデメリットしかないと分かりきってる関係をわざわざ作りたくはないよね。


散々諦められることを褒め上げてきたからいや何言ってんだよお前と思われるかもしれないけど、諦められることにもデメリットはある。いや、実際にはないんだけど、僕が抱える特徴というか障害みたいなもののせいでデメリットが生まれてしまうんだ。僕は生来自己顕示欲が強くてプライドが高い人間だ。そして諦められるってことは舐められるってことだから、最初はプライドとの折り合いに本当に苦労した。人から見下されて、見放されて、放置されることによる自由を当時の僕のプライドは我慢ならなかったんだ。最初の僕に対する諦めは、僕の意図じゃなく、むしろ突然親から見放されたものだったのもあって、その直後から、僕は全力で努力した。まあ、結果から言えば親は見直してくれなかったし、僕のプライドはそれ以来ぶっ壊れてるから、当初の目的からすれば無駄な努力に終わったんだけれどね。でも副産物もあったんだよ。というか、プライドをぶっ壊してくれたことが良かったんだ。あんなプライドを持ってちゃ、僕は今頃他人の目とか評価とかにビクビクしながら大学で必死に勉強してただろうね。プライドなんて物は無駄だ。人からどう評価されるかなんて気にするだけ無意味なんだよ。ただ自分だけが自分の行動の意味を、価値を知ってさえ入ればいいんだ。


ああ全く、頭に血が上ってきた。頭に血が上るって凄く良い表現だよね。実感がありつつ、書いた時も雰囲気が伝わる。海外でも同じように言うんだろうか。ちょっと話がそれたけど、とにかく僕は誰の干渉も受けず僕が動きたいように動いているんだ。人間として完璧に近いんじゃないか?そんな僕を見下すなんて!ああ、ダメだダメだ。またプライドが顔を出してきてしまった。とっくに壊れたはずなんだから、大人しくしていてくれ!お前は全く狂暴だなあ。実家の隣の家に住んでいたペスみたいだ。あいつはでっかい犬で、僕が前を通るといつもいつもギャンギャン吠えたんだ。その恐ろしいのなんの!一回うっかり確認するのを忘れて、ペスが道路に近い側に寝っ転がってる所を通ったときなんか酷かった。僕は必死に脚を動かして、自分の家の前まで行ったんだけれど、焦っていたから通用門をスムーズに開けられなかったんだ。その間にもペスはギャンギャン走って追いかけて来ていたから、僕は意を決して門をよじ登ったんだよ。そしたら落っこちたんだ!肘からは血が出たし、ぶつけた膝もジンジン傷んだ。でも、あの時ばっかりは門の間から鼻を突っ込んでるペスの鳴き声が心地良かったね。最高の気分だった。何の話をしていたんだっけ?いやまあ、とにかく、ペスは怖くて、諦められるのは最高なんだ。


そんな僕なんだけど、今どこでこれを書いていると思う?実は予備校のトイレなんだよ。ちなみに僕は予備校が嫌いだから、予備校のトイレでは流さない事にしてるんだ。ここのトイレは狭くて暑苦しいけど、授業がつまらないから殆どここで時間を潰してる。中高六年間を人から諦められつつ過ごした僕は、就職もしたくないし、受験も面倒だったから何となくそのままニートになったんだ。僕の事を諦めてて、何の期待もしていないから親は今まで殆ど何も言ってこなかったんだけど、一人息子が家で何もしていないなんて世間体的にマズい事を気にしたのか、僕は勝手に予備校に入れられていたんだよ。行くのも面倒だし、初日から家でテレビを見ていたら、父親が椅子を持って部屋に乗り込んで来たんだよね。勿論話せばわかるとかじゃなく、鈍器としてだよ。あれがペス以来の命の恐怖だったかもしれないね。その日以来僕は毎日一応ちゃんと出ているんだ。トイレで時間潰しているだけだけど。こんな益体もないことをトイレでブツブツ考えていれば授業はいつの間にか終わるんだ。今も一応時計を確認したら、あらまあもう八時半!とった授業は全部終わってるじゃないか!まあ、毎日毎日僕はこういうことを考えながら過ごしてるわけだ。


一応尻を拭いて流さずにトイレを出たら、大便器用の列が出来ていた。僕はイヤホンをつけながらぼーっと考え事をしていたから、全く気づかなかったんだけどね。僕が手を洗おうと列の横を通ったら、先頭に並んでいた古いタイプの、のび太みたいな眼鏡をかけた細い青年がチッと小さく舌打ちした。いやまあ、これは僕に舌打ちされる謂れはあるわけだから、別段怒ることもなかったんだけど、僕は不愉快な気分で手を洗うことになってしまった。実際に大便していたわけでもないから手を洗う必要はないんだけどね。トイレを出て、構内に出た僕は、急いでエレベーターに向かった。とにかく急いで帰って、部屋のパソコンを見たい気分だった。イライラしていたのもあって、エレベーターのボタンをバチンバチン連打していたら、後ろに並んでいた女の子から白い目で見られてしまった。予備校、というか浪人生なんて一般の社会基準からすればゴミクズの集まりだし、社会不適合者の集団なんだけど、僕はその中でも特にクズに写ったのかも知れない。


無事気まずいエスカレーターを乗り切った僕は、スマートフォン片手に駅までの100メートルくらいの道程を歩いた。歩きスマホは危ないって?大丈夫だよ。視界の上の方に入ってきたらサッと避ければ良いんだから。チカチカ目障りな駅ビルを抜けて、駅へと繋がる大きな通路を通った時、僕の視界の上部に人の影が写った。僕は右側に素早く避けたから衝突はしなかった。ほらね!歩きスマホは危なくないんだよ。鈍くさいやつが言ってるだけだ。僕はそんな風に脳内ののろまに完勝し、最高の気分だったんだが、後ろから割と大きめの舌打ちが聞こえてきた。それは明らかに僕とぶつかりそうになった男の口から鳴っていた。ぶつかるのは双方の責任だし、実際ぶつからなかったのに舌打ちされるなんて!しかもこの大通路には公式の通行方向はないけど、皆なんとなく駅に向かう人達が右側で、逆が左ってなってるじゃないか!僕はそれを忠実に守ったのに!そんなことを考えていると今度こそ本当に頭に血が上ってきて、後ろを振り向いたけれど、僕が見たのは靴の先だけだったから、舌打ち犯はとっくに人混みに紛れてしまっていた。ここで諦めて、落ち着いて家に帰っても良いんだけれど、僕はそれも我慢ならなかった。ぶつかりそうになったのが20秒前くらいで、舌打ちされたのが18秒前くらい。それに僕が人混みを掻き分ける時間を考慮したら、30メートルくらい戻ればいいかな?僕は反対側に出て人の流れに乗って30メートルほど下がったあと、周りの全員に聞こえるような大きな音で舌打ちした。


僕はなんてことをしたんだ!?なんて無駄で下らないことをしたんだろうか。今度は怒りじゃなく恥で顔が真っ赤になってしまった。僕はその場を逃げるようにして走り出し、急いで電車に乗り込んだ。電車の中では、数人の子供がつり革にぶら下がって遊んでいた。キャイキャイうるさかったけれど、人はまばらだったし、僕は落ち込んでいたから、大して気にならなかった。舌打ちなんて無視すればこんな気分にはならなかったんだろうか?わからない。

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小人 得たり応 @analketuemon

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