第4話「あなたを待っています」
4話「あなたを待っています」
「ラベンダー畑に行きたい」
その言葉を発した瞬間、椋の表情が固まった。一瞬だったけれど、彼が動揺したのがわかった。
「………花霞ちゃん、それはどうして?」
「見ておかなきゃいけないなって思ったの。それに、ラベンダーにお礼も言わなきゃいけないなって思って。私を椋さんの元へ導いてくれたから」
「…………」
椋は無言のまま視線を下にずらした。
彼は何を考えているのか、花霞は何となくだけれど、わかったような気がしていた。
自分が復讐を成し遂げようとした場所であり、花霞が撃たれた場所。
椋にとっては自分の間違いを思い出させてしまう場所なのかもしれない。
だからこそ、目を背けたくなる。それは誰もがそう感じてしまう事だと思う。
けど、花霞は彼とその場所に行きたいのだ。
しばらく考えた後、椋は顔を強ばらせたまま「わかったよ」と返事をした。
「花霞ちゃんが行きたい所に行こう。」
「………ありがとう、椋さん。」
その返事の後の朝食は、カチャカチャという食器の音がとても大きく聞こえるほど、静かな食卓となったのだった。
その後、互いに準備をして椋の車でラベンダー畑へと向かった。
車内では普段通りに会話をしていたつもりだったけれど、どことなく椋がいつもより元気がなく、口数も少ないように花霞は感じていた。
あの事件以来、椋の不眠症はほとんどなくなっていた。花霞が怪我し入院した時はほとんど寝ていないようだったけれど、退院し生活が落ち着いてきた頃から椋は花霞と同じように夜に寝て、朝方起きるという普通の生活を過ごしていた。睡眠時間が短かったり、途中で起きてしまう事もあったようだが、結婚式後には熟睡出来ている事が多かった。
朝起きても、ぐっすりと眠っている椋の姿を見られるようになり、花霞は安心していた。
そんな中でも、寝室にはラベンダーの香りがほんのりと漂っている。寝る少し前にアロマオイルを専用のライトに垂らして、寝るときはその香りで包まれて眠るようになっていた。
花霞が退院後は、ラベンダーの香りを感じると椋が事件を思い出してしまうと思い、止めていた。けれど、懐かしさからこっそりラベンダーの香りのオイルの瓶を見ていたのを椋に目撃されてしまい、「使おうか。俺も、その香り好きだから」と言ってくれたのだった。
「ラベンダーが満開の時期に行けて嬉しいね」
「そうだね。アロマとは少し違った香りだったから、俺もよく覚えているよ」
「うん。楽しみだね」
「………そうだね」
花霞はなるべく自分で話しをしながらラベンダー畑に向かう時間を過ごした。
椋はきっと緊張しているのだろう。そう思って、少し気が紛れるようにと思ったのだ。
平日の昼過ぎとあって道は空いており、予定より早い時間にラベンダー畑に到着した。
花霞は彼に近づいて、自分から手を繋いだ。すると、少しハッとした表情で花霞を見た後に、少し固い表情のまま「行こうか」と、手を握りかえしてくれた。その手は、夏だというのに、少しだけ冷たかった。
その日は、そんなに気温も高くない日で、風を吹いていたので散歩には丁度良い気候だった。2人は手を繋ぎながらラベンダー畑を見てあるいたり、写真を撮ったり、休憩してベンチでお茶を飲んだりとゆったりとした時間を過ごした。
花霞は見渡す限りの紫色の景色に見いってしまい、興奮してしまっていた。それを見て、椋は「本当に大好きなんだね」と、微笑んでくれる。目の前には大好きな花たちがあり、香りもとても穏やかで、隣には愛しい旦那様がいる。
それがとても幸せだからこそ、あの時の事を忘れないようにしたいと強く思った。
花霞は、ラベンダー畑を歩いている時に立ち止まった。奥の方まで来ていたので、周りには人はいない。突然止まった花霞に椋は心配して、「どうしたの?」と聞いてくる。
花霞は両手で繋いでいた彼の手を握りしめた。
「この場所であった事を思い出しても、後悔なんてしないで………欲しいの」
「花霞ちゃん………」
「椋さんが遥斗さんを大切に想っていた事だからのその結果、復讐になってしまった。それは確かにダメな事かもしれない。けど………間違いだと気づいて新しく動き出すきっかけになった場所がここだから………。この場所を思い出して、悲しいことを思い出さないで」
花霞は、ここに来るまでに彼に何を伝えればいいのかずっと悩んでいた。
椋はきっと、結果的に花霞を傷つけてしまった事を悔やんでいると気づいていた。だからこそ、このラベンダー畑に来るのを渋っていたのだろう。確かに、花霞も怖いことがあったこの場所に良いイメージを持つことは難しかったし、今でもその場所にいれば震えてしまうかもしれない。
けれど、この場所での出来事があったからこそ、今彼の隣に居る事が出来るんだ。そう思えると、このラベンダー畑がとても良い思い出の場所になるように感じたのだ。
そして、きっと自分を傷つけたことをずっと彼は気にしているのだと思うと、花霞は辛かった。
大丈夫だよ、と伝えたかった。
だからこそ、この場所に2人で来たかったのだ。
溢れる思いを止めることなく花霞は言葉にした。握りしめる手の力は強くなってしまっているはずだ。けれど、椋はまっすぐに花霞を見てくれていた。
「それに、ここで私を助けてくれた。私が椋さんを助けたんじゃないよ。私は椋さんに会いたかったから来たの。守りたかったから来た。………そんな私を選んで幸せにしてくれた。それは椋さんが私にしてくれたんだよ。」
花霞は、感情が高まり目が潤んできてしまう。けれど、彼の瞳をまっすぐに見つめる。椋の瞳はとてもキラキラしている。花霞の大好きな目。
その目にも、うっすらと滴が溜まっているのがわかった。
「………ねぇ、椋さん。ラベンダーの花言葉の1つに「あなたを待っています」っていうのがあるの。………私はあなたを待っていた。本当の椋さんに会うのを、待っていたのかもしれない。ぴったりな花言葉ですよね。だから、この場所を大切にしたいんです。これならも、ずっと………」
そう言うと、椋は花霞の肩を腕で引き寄せて、そのまま自分の胸の中に閉じ込めた。
そして、声をつまらせながら「………ありがとう、花霞ちゃん」と、言葉をくれた。
「…………この場所に来るのが怖かった。君の傷跡を見るのが悲しかった。………自分のせいだとずっと攻めてきたのかもしれない。でも、それは当たり前の事で、だからこそ君を一生をかけて守ろうと決めたんだ。それは、今でも変わらない。」
「椋さん…………」
「でも…………君のおかげでラベンダーの花が1番好きな花になりそうだよ」
花霞が少し体を離して彼を見上げると、椋の頬には一粒の涙が流れていた。
けれど、それと似合わないほどの満面の微笑みで花霞を見ていた。
彼に自分の気持ちは伝わった。
椋の気持ちが変わった。
それがわかって、花霞も鼻がツンッとして涙がこみ上げてくるのを感じ慌てて彼の胸に顔を埋めた。
「毎年この時期にここに来よう。当時の気持ちも今の気持ちも忘れないように」
「うん!」
椋の素敵な提案に、花霞はすぐに賛成の言葉をあげた。
紫の花がゆらゆらと風に揺れている。その時、2人は先程より強いラベンダーの香りを感じた。花たちも、その提案も喜んでくれているようだと花霞は思った。
花霞は心の中で、ラベンダーたちに「ありがとう」と伝えた。
街で偶然気づいた誰かのラベンダーの香水。それが花霞を椋の元へ導いてくれたのだ。
これからも、彼と一緒に過ごす時はラベンダーの香りを纏おう。
花霞は彼に抱きしめられながら、ラベンダーの花達を見つめてニッコリと微笑んだ。
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