3本目:『とっておきの唄』


人生で一番大事な約束をした次の日。土曜日。


いつもと同じ時間に起きて、お父さんと一緒にご飯を食べる。


食べ終わったら紅茶を飲む。砂糖たっぷりのミルクティー。毎朝の決まりごと。ルーティーンである。





昨日の出来事を思い出しては、普段通りに振る舞おうと紅茶をすすり、ほっと一息をついていると、お父さんは何かを決めていたようにこう切り出した。



「世界を本気で狙うなら、知っておくべきことがある。」



実に大事な話っぽい。ただ、表情や声のトーンが昨日とは明らかに違う。楽しそうだ。




「みうちゃん。陸上競技において、『勝つ』人ってどんなヤツだと思う?」



うーん。。。

確かにそこを押さえておけば勝つために必要な練習ができる。


少し考えていると、お父さんは割とすぐに答えを出した。



「『勝つやつ』。それは足が速いヤツのことなんだよ。」



一瞬、意味が分からなかった。

だって、陸上競技ってそもそも足の速さを競うスポーツなんじゃ。。。

そんな当たり前のこと誰だって知っている。


いや、でも、世界を制したお父さんがいうことだから、何か意味があるに違いない。



「『今、当たり前のこと言ってる』って思った?」

とお父さんは笑ってわたしの頭を撫でながら言った。



「でもね。中長距離の選手でこのことを正しく理解していない人はいっぱいいるんだ。」



「中長距離はスタミナのスポーツ。だから、持久力を鍛える。


というのが常識だよね。


ただ、それは中長距離を速く走るためのトレーニングであって、『勝つため』の練習ではない。」


「持久力を鍛えるトレーニングをすれば、タイムは縮まるかもしれない。自己ベストが出るかもしれない。


ただ、それだけでは勝てないんだ。ずば抜けた才能がない限り。」



「最後の最後で、全力でラストスパートをかけても、スピードがなければ負けてしまうんだ。」




「スローペースになったら何が起きると思う?自分よりもレースが上手い選手やラストのキレがある選手が勝っちゃうんだよ。」



「僕が国内で無敵で、世界でも通用したのはラストスパートに自信があったからだ。それと、絶対的なスピードだけじゃなく、スパートを仕掛ける上手さも自分の持ち味だと思ってる。」



「1500m、5000mは最初からスローペースになることが多い。もし、ラスト1周まで集団が塊りになっていれば、ただの『かけっこ勝負』になる。ポジション取りも大切になるから不確実性が増してくる。当然、スピードがないと勝てない。」


「僕は1500mと5000mを走るときは、ラスト1周のことを考えている。常にどれくらいのタイムで最後走れるか確認して、自分でチャンスを作るんだ。トップを狙うレースは特に。」


「単独で走っている自己ベストペースであれば、56秒~57秒。」

「集団が縦長で5人くらいに絞られているときは、53秒~55秒。」

「スローペースのときは、50秒~52秒。」


速い。速すぎる。



「『このタイムで走れば勝てる』『あいつらはついてこれない』。走りながら、ラスト1周何秒で走れるかをイメージしながら自分をコントロ―ルするんだ。」


「どんなに苦しいレースでも、先頭についていってイメージしたタイムでラスト1周走れれば、絶対勝てる。」


「スタミナも大事。ただ、スピードも大事なんだ。実際に1500m~10000mで世界を制したランナーは、僕を含めて800mのタイムが速い。年齢とともに距離を伸ばして、培ってきたスピードを活かしているんだ。」


「みうちゃんの夢を叶えることに僕は本気だよ。今まで口出していなかったけど、今の練習方法じゃ足は速くなっても『勝てる選手』にはなれない。」



「スピードをコントロールできるようにするんだ。」


「がむしゃらに頑張ることも必要だけど、自分をコントロールして冷静に確実にスパートを決めた方が勝てる。」


「というわけで。これからは家の中だけでなく、競技場にいって一緒にスピード練習しよう!」






というわけで。競技場でのスピード練習が始まったのである。



こちとら引きこもり歴4年。お外、コワイ。


中学には一応通学していたとはいえ、保健室登校だし人目を避けて過ごしていたから、他人がいる場所に行くのは苦手だ。



お父さん以外の人がいるところで走るのは抵抗がある。



しかし、お父さんはそういうことも分かっている。だからどうすれば、わたしがわくわくするかも知っている。





3月8日。


今日はわたしの誕生日。




なぜ、この日にお父さんがスピードの話と競技場での練習を提案したかというと、とっておきのプレゼントがあったからなのだ。




「じゃーんっ!!」


そこには2足のスパイクがあった。「手、気をつけてね。」と注意を促しながら、わたしに手渡す。



1つはがっちりとした作りのスパイク。

もう1つは、マラソンシューズみたいに軽くていかにも走りやすそうなスパイク。



お父さんの仕事柄、わたしもランニングシューズが好きだ。

軽いシューズ、走りやすいシューズ、クッション性が高いシューズ、、、

新しいシューズを目の前にすると「どんな感じで走れるんだろう。」とわくわくする。

じゃ、スパイクだったら?


あの赤いゴムでできた陸上競技場を、スパイクで走ったらどんな感じがするんだろう。


今までのどんなプレゼントよりも間違いなくわくわくした。




その日のお昼。藤沢市のとある競技場にいった。


中学生や高校生がちらほら練習している。


「まずはサブトラでアップしようか。」


競技場は1人で使っているわけじゃない。だから、走るときは周囲への気配りを忘れてはいけないんだ。

と、お父さんはジョグをしながら話した。



あと、スパイクはスピードが出る分、体に与える負荷も大きくなるから入念にアップすることが大切。とも。



「いやー、みうちゃんは羨ましいくらいに体が柔らかいなぁ。」


わたしは日本記録保持者が羨むほど体が柔らかいらしい。元から柔らかかったのではなく、小学3年生のころから毎日柔軟体操をしていたからだ。


家にあった本には「疲労が溜まらない唯一のトレーニング。」と書いてあったし、柔軟性が高ければ可動域が広がって、少しでも低身長分をカバーできると思ったからだ。


そして、メインのトラックに入る。雰囲気が変わる。日が当たって少し焼けたゴムの匂いがする。


地面がほどよく固い。ぴょんぴょん跳ねてみると、コンクリートよりも跳ね返りが強くて少し楽しい。


川沿いとかをお父さんと一緒にジョグをすることもあるから、ロード、砂道などを走るのがほとんどだった。あと、自宅のランニングマシン。



そのどれとも違う感触。

わたしが目をキラキラ輝かせていると、


「スパイク履いたら、もっと違うよ。」と。



軽く流しを3本走ったあと、いよいよスパイク解禁。


ランシューよりも少しキツい。けど足にピッタリと収まってフィット感がヤバイ。


そのまま走り出して、驚いた。





まるで空を走っているようだった。


いやホント、まじで。



『空』っていっても上空3cmくらい。超低空飛行。



ランシューで走ったときよりも滞空時間が長い。空中にいる時間が長い。


思わず笑ってしまった。満面の笑みで走るのは、それはそれはかなり恥ずかしいのだけれど、頬の緩みを元に戻すことはできない。



「お父さんっ!コレっ!すごいっ!」



だろ?と。お父さんは「こちら側の世界へようこそ。」と言わんばかりに、笑顔でうんうん頷いていた。




お父さんがなぜ、あんなにスピードを強調していたのかわかった。





めちゃくちゃ楽しい。




単純に、スピードを出すことが。



ランシューでは味わえない加速感。スパイクのピンが確かに引っ掛かって、地面を押し出す。



いくらでもスピードを出せそうになる感覚。しばらく続けて走って体が重くなるのが悔しい。いつまでもスピードを出して走っていたい。




ただ走る。スパイクを履いただけなのに、ゲームよりも、マンガよりも、楽しかった。




この日、気づけば100mの流しを十数本走っていた。




翌日、ふくらはぎが筋肉痛で動けなくなったのは言うまでもない。







スパイクで走ってから2日経った。


筋肉痛はすぐに取れた。

スパイクを履いて走った翌日の気怠さもなくなり、むしろ調子が良いくらい。


また競技場で走りたいな。






今までの練習はいつも一人で、たまにお父さんと一緒に外へジョグをしていた。だから、中1の誕生日までお父さんから練習について何か言われたことはない。


ただ、スパイクを履いた次の日に、お父さんと話し合って練習のルールを作った。基本的に今まで通り、自分で練習を考えて実行する。ただ、練習が始まる前までに内容をお父さんに相談する、というルールが追加された。


新しいルールとは、お父さんが決まった質問をするから明確に答えられるようにしておく、というものだ。


【舞洲家ルール】練習編

◎なぜ、その練習内容なのか。

◎なぜ、その量とペースなのか。

◎今日の体の調子・状態はどうか。

◎今日の目的と目標は何か。


この質問をお父さんがするのは、『なんとなく』の練習を防ぎ、自分で考える力をつけて欲しいから、という意図があった。


練習内容はたまに修正されるも、自分が考えたものを実行することが多かった。今まで、カジキングの練習内容が載ったブログを見たり、トレーニング理論を本で読んでいたから効果的な練習を組み立てられるようになっていたんだと思う。


特にお酒みたいな名前の人が書いた本は、わかりやすくてとても参考になった。


たまにスピード重視の練習=800mの練習は、お父さんが考えたものが追加される。


(600m+200m)×3セットとか、(300m+300m+200m)×3セットとか、

1600m×5本とか、、、


あとは、メインの練習が終わった後は、わたしのワガママでスパイクを履いて100m~150mのダッシュを3~5本走るようにしていた。


競技場で練習できる最大のメリットは、お父さんと一緒に走れることだ。いつもわたしを引っ張ってくれる。お父さんの背中を見てわたしは速くなった。



だいたい週に5日から6日は練習して、必ず1日完全休養日がある。

といった生活を中学を卒業するまでずっと。



少しでも早く夢を叶えたくて、練習をするとき意識していたことは


『毎日自己ベスト』。



毎日タイムトライアルをやる、という意味ではなく、

練習の組み合わせはいくつか決まっているから、今日は前回の練習よりもタイムを縮められるようにする、という意味。

例えば、10日前に1000mを5本走るインターバルを平均3分20秒でやったら、今日は平均タイムを0.1秒でも縮めようという感じ。


速く走れるようになることもそうだけど、

自分の成長を実感できること、少しずつでも確実に夢に近づいているということが、ただただ嬉しかった。





中学3年になったら受験を意識するようになる。


でも、勉強して走るという生活が変わることはなかった。先生からも今の調子でいけば受験で苦労することはないよ、と言われていた。


実際、今の生活が充実し過ぎているから、このリズムが崩れるのは耐えられない。

だから、高校にいくのは少し不安があったんだ。



ただ、その不安もすぐに解消される。具体的な進路を決めたことによって。




とある日の晩御飯のとき、お父さんが

「みうちゃん、高校ってどこに行くの?行きたいところある?」と。



全く考えていなかった。。。

言葉に詰まる。



だって、高校に通ったとしても今みたいな生活が続くんだと思っていた。そもそも、このときは「部活」に入るという考えがわたしの頭にはなかった。



いや、仮に「部活なるもの」に入ったとしても、今の生活を変えたくない。


「1つ提案があるんだけど。僕と同じ高校に行ってみない?あそこなら、、、」




「行くっ!!」


話しの途中で即答してしまった。





神奈川県立夕陽ガ丘高校。


お父さんの母校であり、公立高校では珍しく陸上競技場のような400m6レーン。(これはお父さん=カジキングによる影響が大きい)

自宅からは30分くらいでいける近さ。


「まだ話してないけど、夕高に行くなら僕コーチできるし。」




「行くっ!!!」




さっきよりも力強く答えた。




なんて魅力的な提案なんでしょう!

こうして、わたしの進路は秒で決まった。





高校受験から入学まで、お父さんには本当にいろいろしてくれた。


受験の対策も手伝ってくれたし、入試のときは事情を説明してくれて別教室で受験させてもらった。



入試は問題なくクリア。



夕高に当然行けるものと考えていた。それは、お父さんも同じだった様子。


なぜなら、2人揃ってジャージ姿で合格発表を見に行ったからである。


合格発表日は平日で在校生は通常授業である。発表を見に来た人たちが減った頃合いに現地に向かい、受験番号を確認。


お父さんは陸上部の顧問の先生に合格を報告した。

事前の打ち合わせ通り、合格した当日の放課後から高校の練習に混ざる、予定。




「早く練習したいっ!」という気持ちは強いものの、受験本番よりも緊張していた。



お父さん以外の誰かと練習をする。



夢を叶えるために必要なのは分かっているけど、怖いものは怖いのだ。


どんなに速く走ったときよりも、自分の心臓が脈打っているっているのが分かる。



陸上部の熊取先生に挨拶し、陸上部が集合している場所に向かう。もう部員は集まっているらしい。



「みんな。前にも言った通り、娘さんが合格されたので今日から一緒に練習に混ざる舞洲さんだ。」とわたしたちは紹介された。


わたしはお父さんの背中に完全に隠れた状態で。


「舞洲 健太朗です。」

「ま、、、ま、まいしま、、、み、、みうな、、、です。。」


簡単な自己紹介。自分でも声が小さいことがわかる。恥ずかしい。もう。なんか全部が。




先生は部員に「新しいコーチが来るかもしれない。」ということしか伝えていなかったらしい。そこに自分たちの期待を大きく上回る存在が現れたのだ。






1人の部員が、



「カジキングだーーーっ!!!!」



と、お父さんを指差しながら叫んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます