第44話 エリス教の闇:5
「さぁ目覚めなさいアンジェラ。貴女はここに居て良い人ではありません…」
聞き覚えのある声で目を覚ますと、見覚えのある光景が眼前に広がっていた。暗くて広い空間、2脚の椅子、モザイク模様の床、怒り顔の幸運の女神様…。
あれ? また私、死んじゃったのかな?
「驚いたな、どうやってあの瓦礫の山をどけたんだ?」
ゴルーザさんが只の御者さんじゃなくて教会の騎士だった。それだけで色々と察せられてしまう、暗い気持ちが拡がっていく。
「…それを話したら私達の疑問にも答えてくれますか?」
私の声にゴルーザさんは首を振る。
「そいつぁ出来ねえ。何も話すなって厳命されてるんだ」
口調は軽いが、兜から覗き見えるゴルーザさんの目は笑っていない。
「…もうその言葉が聞きたい事の答えですよね…」
私は目を伏せる。分かってはいたが認めたくなかった事実が残酷につきつけられた。
『バルギル枢機卿は私を殺したいほど危険視している』のだという事を。
「あんたらに恨みは無いし、女子供を手に掛けるのも気は進まねぇ。カワイコちゃんなら尚更だ…」
ゴルーザさん、いやゴルーザは言葉を切る。
「だがこれも仕事なんでな。悪く思わないでくれ」
そう言ってテニスボール程の球体を軽く上に投げた。その球体はゴルーザの頭上で破裂してスライムのような物質をゴルーザに浴びせた。
そのスライムがゴルーザの鎧に沿うように動きやがて凝固する。その表面は例えるなら珊瑚や軽石の様だった。
「始めに言っておく。これは他者からのあらゆる魔法やスキルを無効化する神器だ。そして俺は王都聖堂騎士団第6席のゴルーザ・ビジエンド。『鉄壁のゴルーザ』と呼ばれている…」
これは降伏勧告だろうか? ゴルーザが次の言葉を話す前に私の横で動く影があった。
「我が名はくまぽん! 紅魔族随一の風使いにして竜巻を操る者!! 我が姫を弑さんとする悪の手先め! 我が魔力の前に消え失せるがいい!!」
…………………………
ビシッと相手を指差してポーズを決めたくまぽん。とても誇らしげな顔をしている。
…ど、どうだー、うちには空気を読まない紅魔族がいるんだぞー。
はぁ…。
どうしよう? 私もゴルーザもお互いに『どうリアクションすれば良いんだろう?』という雰囲気になってしまった…。
両者の動きが止まる中、動いたのはゲオルグだ。ゲオルグは大きく息を吸って言葉を出す。
「ゴルーザさん… 俺もアンタと同じエリス教の
くまぽんの突飛な行動に毒気を抜かれたゴルーザだったが、ゲオルグの説得攻撃で正気を取り戻した。
「正しいとか間違いとかじゃねぇ。これは『任務』なんだ。『ここから出てきた奴を殺せ』ってな。大人しく墓場で干からびていれば良かったのにな」
そう言って私達に向けて剣を振り上げる。
「じゃあボクらに殺されても文句は言えないよね!」
シナモンがゴルーザを後ろから不意打ちした。くまぽんとゲオルグに時間を稼がせて潜伏と忍び足の併用でゴルーザの後ろに回りこんだのだ。
そうだ、くまぽんの名乗りもゲオルグの説得も全てシナモンへの援護だったのだ。
だ、誰も教えてくれなかったけど、わ、私だってこういう作戦だって知ってたもんね! 本当だからね!
「お姉様、顔が赤いですが具合でも?」
ヘレンがそう言って
私は急いで
ゴルーザの野太い悲鳴が響く。
シナモンの攻撃は無防備な相手の鎧の隙間に
シナモンの剣は魔法がかかっており、相手を麻痺させる毒が常に刀身に流れているらしい。剣を刺したまま手放したのは刀身が接触した時間が長ければ長い程相手を強く麻痺させる効果があるからだ。
「うがぁっ! 小癪な真似をしやがるぜ…」
ゴルーザは両手剣を地面に刺し、己の体に刺さったシナモンの剣を抜いて投げ捨てる。シナモンは落ちた剣に
「さて、通常なら一撃熊でも動けなくなるくらいの薬が体に入ったはずだけど…?」
シナモンの声に応えるかの様にゴルーザの動きがぎこちなくなる。その隙を見逃さずゲオルグが攻撃を仕掛ける。
しかしゴルーザはゲオルグの攻撃に対して完璧なタイミングで両手剣でのカウンターを食らわせた。痺れた様に見えたのは演技だったんだ。
「グハハハ、無駄だよ! この神器はあらゆる状態異常も受け付けない。毒だの麻痺だのは俺には効かんよ!」
「
くまぽんの魔法は命中する直前に掻き消えた。
「魔法は効かんと言った! 話を聞いてなかったか、信じていなかったかどっちだ、紅魔族?」
歯噛みするくまぽん、不利を悟ってゴルーザと距離を取る。
「真空波!」
ゴルーザをくまぽんに近づけまいとゲオルグが斬りかかる。
「真空波!」
ゲオルグの技に対して同じ技で返すゴルーザ、アクシズ教のチンピラの様に武器の性能に頼った雑な戦い方ではなくて、研鑽を積み重ねた上の熟練の戦技だ。ゲオルグは打ち負けて数歩後ずさる。
「さっきの攻撃は効いたぞ、だが2度目は無い。あの時に俺を殺せていればお前らの勝ちだったのにな」
あれだけ剣を深く刺し込まれて、まだ自由に動けるのは異常だ。周囲にゴルーザを回復させる人間も見当たらない。
あの神器とかいう鎧だ。あれのおかげで徐々に傷が治っているんだ…
「ニホンジンとやらはこういった便利な魔道具をたくさん持っているよな。アンジェラ、お前もニホンジンなんだろ? お前は何を持っているんだ?」
…何も持ってねぇよ。強いて言うならシショーくらいなものだ。
でも教えない。教えなければ無駄に警戒してくれるかも知れないから。小さなハッタリだが少しでも効けば御の字だ。
敵は魔法やスキルが効かない、しかも防御スキルに優れた
冷静にならなければいけないのに妙に熱っぽくて思考が定まらない。胸が痛くて息苦しい。先程から体調が芳しくないのは自覚していたが、こんな時に風邪でもひいたのだろうか?
ゲオルグが仕掛け、同時に別方向からシナモンが仕掛けるが、ゲオルグの攻撃は難なく捌かれてしまい、シナモンの攻撃は相手の鎧を抜けられない。
しかし、必要以上に攻めが返ってこないのを見るにゴルーザはまだ本気じゃなく私達を嬲るために遊んでいるのだろう。
相手がこちらを侮ってくれているうちに何か手は無いだろうか?
あの神器だけでもどうにか出来ればチャンスはあるのだが…。
私の後ろでヘレンがくまぽんに何かを耳打ちする。何か思いついたのかも知れないけど魔法は効かないのは分かっているよね?
2人の作戦は決まったようだ。
「お仲間2人が離れた瞬間にやりますよ」
「心得た。初撃のタイミングはお前が取れ。吾輩は一拍遅らせていくぞ」
ねぇ、何をするのか私には教えてくれないの…? お姉ちゃん寂しいな…。
「お姉様!」
急にヘレンに声を掛けられる。は、はい、何でしょうか?
「今からあいつに隙を作ります。あとは上手いことやってください」
え? 丸投げ? な、なんだかよく分からないけど分かりました!
ゴルーザの方はゲオルグとシナモンが足止めしてくれていた。ゴルーザも堅いが、ゲオルグだって全身魔法の板金鎧で固められた動く要塞だ。そしてシナモンは
ゲオルグが傷を負えばシナモンが
そして時は来た。
ゴルーザが両手剣を薙ぎ払い、ゲオルグを跳ね飛ばし、シナモンは回避の為に大きく跳躍した。ヘレンとくまぽんが同時にゴルーザに向けて手を伸ばす。
「
「
ゴルーザの頭上に大量の水が現れ、そこに火球が撃ち込まれた。
火球の火は水に入ってすぐに消えてしまったが、その熱量は水の中に蓄積される。そして出来上がった『熱湯』はグツグツと煮えたぎりながらゴルーザに降り注いだのだ。
「あっ………、ちぃぃぃぃゃぁぁぁぁぁ!!!」
ゴルーザの絶叫が響く。彼は鎧で身を固めていたが、全身を隈無く覆っていた訳ではない。むしろ動きやすさ優先で板金で覆われていない部分の方が大きい。
その下に着ている鎖帷子は刃物は通さないが液体は素通りだ。板金の部分も意匠上の理由等で少なからずの穴や隙間は空いている。
更にその下のクッション用の厚布の防具や肌着はとても吸水性が高い。熱湯を含んだ衣服を着たままだと熱が引かないので、その苦しみたるや灼熱地獄の如くだろう。
ゴルーザは叫びながら持っていた剣を投げ捨てて、次は神器の効果を解く。彼を覆っていた謎の軽石は全て消散し球体のアイテムに戻る。落ちた神器をシナモンが素早く回収する。
ゴルーザは被っていた兜も投げ捨てる。火脹れた顔がとても痛々しい、こちらに向けた目は魔界の悪鬼の様に憎悪に満ちていた。
怒りのゴルーザが何かを言おうと口を開いたところで、熱湯爆弾の第2波が彼を襲った。
絶叫を上げながら地面を転がり回るゴルーザ、段々可哀想になって来た…。
無慈悲な3発目を食らった辺りで、彼はこちらに両掌を向けて言った。
「わ、分かった、降参だ。だから… だからもう止めてくれ…」
ゴルーザを武装解除し厳重に縛り上げる。恐らく放置したら死ぬ位に全身が重度の火傷を負っていたが、なんとか放置しても死なない程度には回復させておく。
「…始めに言っておくが、俺は何も喋らんぞ…」
「クリエイト・ウォーター…」
囚われてなお強気なゴルーザにヘレンが無造作に魔法を唱える。するとゴルーザの鼻と口から水が溢れだす、その水に溺れたゴルーザが激しくむせる。
ヘレンは咳き込むゴルーザの顎を掴むと口を閉じさせ彼の唇に向けて「フリーズ…」と唱えた。凍りついてくっつくゴルーザの上下の唇。
次にヘレンはゴルーザの顔を指差し「ティンダー…」と呟いた。
ゴルーザの鼻先が小さく燃え上がる。叫び声を上げようとしたゴルーザだが、凍りついた唇を無理やり開けようとして唇が裂ける。見てて痛い。ゴルーザの顎が滴る血の色に染まる。
「ヒール…」
その魔法で先程ヘレンが与えたダメージはほぼ回復されていた。肉体的ダメージだけは、だが。静かに微笑むヘレン、ローティーンとは思えない艶っぽさだ。
ゴルーザの眼の色がみるみる恐怖に染まっていく。
いやいやいやいや、ちょっとヘレンさん怖すぎるんですけど? なんで普通に拷問してんの? お姉ちゃんマジでドン引きしてるよ?
私だけじゃないよ? 他の皆も引いてるよ? 変態のシナモンですらこっち見ないようにそっぽ向いてるよ?
「お姉様、こいつ口が固いです」
ヘレンが私の方を向いて拗ねたように言う。う、うん知ってるから。…分かったから交渉役交代しようか…?
「…何も言わなくても大体の事は察しました。これからの貴方の処遇について何か希望はありますか?」
ゴルーザは怪訝そうに私を見る。
「は? 希望を言わせてもらえるならそりゃあ無罪放免だな。それが無理ならさっさと殺せ。俺からは何も引き出せんぞ?」
「そうですか… 分かりました。ではギリギリ歩ける程度の体力は残しておきました。拘束を解くのでそのままお帰り下さい。あ、でも神器だけはこちらで回収させてもらいますよ?」
これ以上喋らないと分かっているなら後は殺すしかない。縛られて無抵抗の人間を殺すなど鬼キラ時代にすらやった事は無いのだ。
周りの仲間たちも『分かってるよ』という顔をしてくれている。
「…それに貴方を殺したら残された息子さんが可哀想ですし」
「あー? 俺に息子は居ねぇぞ? むしろカミさんすら居ねぇんだが」
なんですと?
「…やっぱり処刑しましょう、ヘレンは居ますか?」
「はいここに」
「わーかった! 分かったよ、騙して悪かったよ! お詫びに1つだけ質問に答えるから見逃してくれよ」
ふむ、さて何を聞くべきか? 何か大事な事を忘れている気がするのだが…。
「アンジェラちゃん、譲ってもらっていい?」
シナモンが口を挿む。変態的な質問でなければどうぞ。
シナモンがゴルーザの前にしゃがみこむ。
「ゴルーザさん、この墳墓を壊していった人はどこに居るの?」
それか。まだ敵が残っている可能性を失念していた。ゴルーザを中心に纏まっている所に爆発魔法を食らわされたら一瞬で全てが終わっていた。
うーん、どうにも頭が働かない。熱っぽくて息苦しい。ゴルーザを倒して緊張感が抜けたせいか、体の不調が一気に重くのしかかる。
「あいつは俺達の乗ってきた馬車で王都に戻って行ったぞ。走っても間に合わんだろうな。以上だ」
「そっか… ありがと。じゃあボクたちも早くアクセルに帰ろう。アンジェラちゃんも具合悪そうだし、回復魔法じゃ病気は治せないからね」
やっぱりシナモンには気付かれてたね。パーティの回復役が病気でダウンとか笑い話にもならない。確かに早く帰った方が良いだろう。
ゴルーザはまだ重い火傷で鎧などを着られる状態ではないし、今は両手剣を振り回す余力も無いはずだ。護送はしない、放置で構わないだろう。彼には途中の道で体力回復ポーションの1本でも置いておけば、1人で歩いて何処へでも行けるだろう。彼が再戦を願うならまた相手をしても良い。それまでに私達ももっと強くなっていれば良いだけの話だ。
何はともあれ犠牲者無しでこの窮地を突破出来た。奇跡と言っていい。もう今日はヘレン様々だ。私が権力者だったら今日を『ヘレンの日』として休日に制定するだろう。
そのくらい今日はヘレンが頑張って…。
ゴホッ!! ゲハッ!!
…私は呼吸が出来なくなった。苦しい、意識が遠のく、仲間たちが駆け寄ってくる、ヘレンが何かを叫んでいるようだが聞こえない。
そして闇に飲まれた…。
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