鯛のアクアパッツァ
壁にかかった電話が鳴り「延長なさいますか?」とそっけない声で聞かれる。事前に決めてあったとおり、あと30分の延長をお願いして受話器を置いた。今日は期末試験終了の打ち上げパーティーだ。友人たちのストレス発散に付き合う形で、私は小部屋の隅っこに座っていた。
「
「みんなの歌を聞いてるのが好きだから」
タンバリンを振りながら答える。仲の良い友人と一緒に遊ぶのは嫌いじゃない。だけど正直、最近の歌や流行りのファッションにはついていけない。そうかと言って、本当に好きなものを持っているわけでもない。期末試験はそれなりに頑張ったが、みんながそうしているから自分もしただけで、将来の夢などわからない。
宙ぶらりんな友人、宙ぶらりんな趣味、宙ぶらりんな自分。友人たちのか細い歌声は、宙ぶらりんの自分と一緒に煙草の臭いが染み付いた室内を当て所もなく漂っているようで、不思議と居心地がよかった。
結局、延長に延長を重ね、お財布の中身が心配になってきた頃、私達はカラオケ店を後にした。近くのハンバーガー屋さんで飲み物だけ注文し、酷使した喉を潤してから帰路につく。門限はとっくに過ぎているが、パパの帰宅前に家に着けばどうとでもなる。ポケットに手を突っ込んで、カラオケで聞いた歌を適当に口ずさみながら帰った。
「遅いぞ。母さんは風呂。
三つ上の兄貴がぶっきらぼうに出迎える。無言で通り過ぎると後ろから声がかかった。
「ちなみに、鍋の中身はお前の好物だ。今日で終わりだったんだろ? 期末試験」
お風呂上がりの兄貴を前に、カラオケ屋の匂いが染み付いた自分が少し恥ずかしかった。
部屋着に着替え、鍋の中を覗くと、大きな鯛の半身が赤いトマトやアサリ、オリーブの実に囲まれていた。パパと自分の分をお皿に盛り付け、冷蔵庫に入っていたグリーンサラダと一緒に口に運ぶ。しっかりと砂抜きされたアサリの出汁が柔らかい塩味のスープになっていて、そのスープを吸った鯛の淡白な白身が、口の中にするすると消えていく。優しい味付けだ。ほんのりと鼻孔をくすぐるニンニクの香りが食欲を刺激し、あっという間に食べ終わってしまった。
お腹に物足りなさを感じた私は、鍋にとっておいたアクアパッツァのスープを使って簡易リゾットを作ることにした。冷凍ご飯を電子レンジで温めてから水で洗い、スープの中へ入れる。クツクツとゆっくり煮ている間に常備しているチーズを多めに削り、ある程度量が溜まったところでそれもスープの中へ。フリーズドライのパセリを散らせば出来上がりだ。
自分で作ったリゾットをお皿に盛り付けていると、パパが帰ってきた。「いい匂いだなぁ」私が遅くに一人でご飯を食べていることには何も感じていないようだ。
パパ用に取り分けておいた鯛の切り身を、皮目だけフライパンで焼き付け、リゾットの上に飾ってみた。お母さんが育てているルッコラを少し拝借し、リゾットの周りに散らしてみる。『うん、かわいい』チクチクとしていた心が、なんとなく丸みを帯びたのを感じた。
「誰かとご飯を一緒に食べるのは久しぶりだな」
嬉しそうなパパと一緒に、チーズたっぷりのリゾットを頬張る。好きなこともやりたいことも宙ぶらりんだけど、美味しいものを一緒に食べる人がいれば、それだけでいいのかもしれない。そう思った。
食卓の上には しゅりぐるま @syuriguruma
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