九節 白い巨人(壱)

 ネストダイバー連合レイドの総勢八百五十名余は昼過ぎに王座の街を出発した。参加者はまた多くなっていた。連合は少しの移動をするだけで手間になりつつある。地下九階層をだらだら進行する列の最後尾を、ネストダイバー九班――ツクシたちは追随している。

「――参加者がまた多くなったな。先頭が見えやしねェぞ」

 ツクシが前の長蛇の列を見やってボヤいた。

「本当に多くなったなァ。あァ、そうだそうだ。おめェら、全員、聞いておいてくれ。探索データの分配金の件なんだけどなァ――」

 ゴロウが背後へ髭面を向けた。

「リュウ、よいではないか、よいではないか!」

 そういいながら、飛び跳ねているのはシャオシンだ。

「ご主人さま、それは緊急時の備蓄ですよ」

 フィージャが無い眉を寄せてシャオシンを見つめている。

「ゴロウ、探索データの分配金がどうしたのだ?」

 リュウがゴロウへ顔を向けた。そのリュウが手に持って高く掲げているのは、シャオシンから取り上げた飴玉の缶だ。それを狙うシャオシンがぴょんぴょん跳ねている。

「あァ、今回の探索から賃金の分配方法が変わったぜ」

「あっ! そうそう、いい忘れてたっすね」

 ゴロウとヤマダがいった。

「どこがどう変わったのだ?」

 リュウが訊いた。

「地形データを収集していた探索班から苦情が出てな。今回から探索データを換金した分は、それを収集した班が所属する団へ、まるっと分配することになった。異形種討伐金の分配はこれまで通りだ」

 ゴロウが頬髯を手でいじりながら説明した。

「今回から探索データでもらえる賃金を等分するのは止めるのか。だが、それだと計算が少し面倒じゃないか?」

 細かい数字に弱いツクシは眉根を寄せている。

「確かに小アトラスの設定を変えるのが少し面倒なんだがよォ。この前の探索のとき、戦闘班にくっついて仕事をサボっていた奴らが多かっただろ。探索班で身体を張っていた連中が頭にきたらしくてなァ――」

 ゴロウは髭面を曲げた。仕事のサボタージュを試みるものはどこにでもいる。参加者が多くなったネストダイバー連合レイドも例外ではない。

「うくっ――」

 シャオシンが視線を落とした。

「ツクシさん、前回遊んでたのは、ほとんど『天幕街探索者組合』の連中っすよ」

 ヤマダが眉間に浅い谷を作った。

「ああ、あの薄汚い格好をした連中か?」

 ツクシが呟いた。この「薄汚い格好をした連中」とは、錆びの浮いた斧槍だの粗末な短剣だのをもって戦闘班に紛れ込んでいた、何の役にも立たない探索者たちのことだ。

「あれは一体、何の集団なのだ。戦うつもりがまったくなかったようだが?」

 リュウが飴の缶を懐へ突っ込んだ。

 シャオシンがリュウの横顔をキイイッと睨んでいる。

天幕街探索者組合あそこにいるのは冒険者崩れでなくて流民だからなァ――」

 ゴロウは呻くようにいった。自身も戦場から命からがら逃げ延びてきたゴロウは王都の流民――戦争難民に対して同情的な立場だ。

「天幕街探索者組合はほとんど全員が元ネスト・ポーターらしいっすね」

 ヤマダはフラットな表情と声音でいった。

「ああそれで、彼らはあんなにビクビクしていたのですか。戦うことに慣れていないから――」

 フィージャが獣耳を折った。

 それぞれの感情に囚われて押し黙ったツクシたちのなかで、

「ゲッゲッ、戦ウ怖ガル。腰抜ケ、腰抜ケ!」

 ゲッコだけゲコゲコと臆病者を嘲笑っている。

「ゲッコ、呑気に笑ってるがな。探索データの賃金が等分されないと俺たちの稼ぎはごっそり減るんだぜ。お前の大好きな鶏の刺身をゴルゴダ酒場宿でもう食べられなくなるぞ。それでいいのか?」

 ツクシがいうと、

「ゲッ、ゲロゲロ!」

 パカンと大口を開けてゲッコは絶句した。ゲッコは鶏肉を生で食べる。鶏肉の刺身が盛られた大皿と一緒に厨房から出てきたセイジが「これはゲッコさん専用です。生の鶏肉は危険な寄生虫がいることも多いので、他の方は絶対に食べないでください」そうツクシたちへ警告した。ゲッコはどんな生き物の生肉を食べても全然平気なのだ。

 ゲッコを人類の範疇に入れて本当にいいのかよ――。

 最近のツクシは訝っている。

「ツクシ、それなんだよ、俺が心配しているのはよォ。俺たちの班は頭数が少ねえだろ。戦闘班と探索班に分けるのは難しいしよォ――」

 金目の話である。

 歯噛みして視線を落としたゴロウはすごく深刻な顔だ。

「――うーん!」

 腕を組んだヤマダも顔が赤らんだ。

「ツクシ、俺とフィージャが探索班に回るか?」

 顎先を指でつまんで考えていたリュウである。

「連合の人数も増えて戦闘班に余裕がでてきましたから、それでもいいかも知れませんね」

 フィージャが頷いた。

「わ、わらわは怖くないぞえ!」

 シャオシンがキャンと吼えた。

 リュウもフィージャもシャオシンへ視線を送らない。

「確かにフィージャの鼻は探索向きだがな。二人きりじゃキツイだろ。俺も探索班に回るか?」

 ツクシがいった。

「そういってもよォ、戦闘班からツクシが抜けるのはどうかなァ――」

 ゴロウは渋い顔だ。

「うーん。ツクシさんが戦闘班から離脱するのは、アレス団長が承知しないっすよねえ、たぶん――」

 ヤマダは苦笑いだ。

「そうそう、ツクシはボクと一緒に戦闘班だよね?」

 そういったのは、ツクシの左腕にずっとまとわりついていたゾラである。美貌の彼が所属するスロウハンド冒険者団は隊列前方を進んでいるのだが――。

「――うん。俺も今回は探索班に回るぜ」

 ツクシはうつむいていた顔をすっと引き上げてはっきりいった。

「それなら、ボクもツクシと一緒の探索班に回る!」

 ゾラがツクシの肩口に赤らんだ頬をすり寄せた。

「クッ――ゾラ、お前は団の――ロジャーの指示に従えよ。独断専行はよくないぞ。独断専行は集団の規律を乱すからな。迷惑だぞ本当に――」

 顔を歪めたツクシが力いっぱい身をよじったが、やはりゾラの腕力は異常に強いもので振り払うのは無理だった。

「――うーん。ツクシさん、自分も探索班に回るっす」

 ヤマダが顔を上げた。

「おっ、大丈夫かよ、ヤマさん」

 ツクシが引きつった顔をヤマダへ向けた。その左腕にまとわりついたゾラの視線は、そのままツクシの顔に固定されている。

「戦闘班は銃を持っているのが多いんすよね。自分も周囲からサボっているように見られているのかも知れない。リュウさんたちの足手まといにならなければ探索班に入っていいっすか?」

 ヤマダが訊くと、

「ヤマ、足手まといなどと。変な物言いをしなくていいぞ」

「ヤマさん、頼りにしてますよ」

 リュウは笑みを浮かべて、フィージャは白い牙を見せて頷いた。

「うっ、うむ、ヤマ、頼りにしているぞえ!」

 シャオシンがいった。

「だめだ。シャオシンはツクシの近くに残れ」

 リュウが冷たくいい放った。

「――リュウ。探索中にエイシェン・オークと鉢合わせたら、じゃ」

 むうとシャオシンはリュウを睨んだ。

「急になんだ?」

 リュウが眉を寄せた。

「リュウがフィージャに『五行・土乃陣』を使うのじゃろ?」

 シャオシンがいった「五行・土乃陣」とは、あるていどの衝撃を受け止める防壁を、対象へ張り巡らせる奇跡の力のことである。ゴロウも防壁を展開する導式陣・聖なる防壁を扱う。名称が違うだけで動作原理も効果もまったく同様のものだ。

「――そうだ。いつもの通り、俺がフィージャへ防壁を張る。どうしたのだ?」

 リュウが訊いた。

「そのとき、『五行・金乃陣』は――照明役は誰が担当するのかえ?」

 このシャオシンは奇跡の力を駆使して照明を作るのが大得意だ。

「むう、そういわれると――」

 視線を落としたリュウへ、

「確かに三人だけでは不安ですね。他の団からひと手を借りるのはどうでしょう?」

 こう提案したのは、ツクシにくっついているゾラを眺めていたフィージャだ。

「ああ、その手もあるな」

 リュウが頷いた。

「そういう場合は賃金が折半になるんで分け前は減りますけど。ま、安全第一っすかね――」

 眉間に深い谷を作ったヤマダは見るからに不本意そうだが一応は頷いた。

「ゴロウ、そこらの人数調整は連合内で融通が利くのか?」

 ツクシが一応の班長に訊くと、

「ああよォ、団長と相談する必要はあるだろうな。そうだなァ、ロジャーの団なら手堅いんじゃねえか。ロジャーはざっくばらんな性格だし、あそこの団員は肝が据わってるからな」

 ゴロウがツクシの肩口へ頬をすりすりしているゾラへ目を向けた。

「そうだな。おい、ゾラ、ウチの三人を頼むぜ。ロジャーに口利きをしてくれ」

 この際だからこいつを使ってやるか。

 そんな感じでツクシが頼むと、

「ボクはツクシと一緒じゃなきゃ絶対やだ」

 ツクシをまっすぐ見つめてゾラは断言した。

「あのなあ――」

 ツクシは斜め下にうなだれた。

「わ、わ、わらわはへいきじゃ。わらわも探索班に――」

 シャオシンが左右に顔を振りながら必死だが、

「おや、おかしいですよ」

 獣耳を立てたフィージャの硬い声がそれを遮った。

「どうした、フィージャ?」

 リュウが訊いた。

「私たちの後方――少し遠い位置に六十前後の集団がいます」

 フィージャが背後を見やった。

「フィージャさん、ウチらが最後尾の筈っすけど――」

 ヤマダも後ろへ顔を向けた。後ろは大通路のガランとした空間が広がっている。壁面に並んだ導式灯で照明は確保されているが見えるひと影は今のところない。

「だから、妙です」

 フィージャが無い眉根を寄せた。

 後ろ歩きをしていたシャオシンが、

「小アトラスの地図には何か表示されておらんのかえ?」

「あァ、それで確認できるなァ――いや、俺たちの後方には何のシンボル・マークも出てねえぜ――?」

 ゴロウが懐から小アトラスを取り出して、ネストの地図を照射してみたものの、ツクシたちの後方には何の生体反応も表示されていない。

 探索済み区画を動く生体は、すべて地図上に表示される筈なのだが――。

「フィージャ、後ろからついてくるのはエイシェント・オークなのか?」

 そう訊いたツクシは、得体の知れない技術よりも、フィージャの鼻と耳のほうが頼りになると考えている。

「いえ、ツクシさん、それは違います。足音から察するとヒト族の集団でしょうね」

 獣耳を動かしながらフィージャが応えた。

「そうなると連合に参加してない探索者の集団だな?」

 ツクシが唸った。

「本当にそんなのいるのかァ? なら、なんで導式生体反応器にかからねえんだ?」

 ゴロウが怪訝な顔でツクシを見やった。

「何か小細工をしているのだろう。後ろにいるのは、例のアマデウス冒険者団かも知れんぞ」

 リュウが眉間に険を見せた。

「グル!」

 フィージャが白い牙を剥く。

「うっ――!」

 シルヴァ団長の殺人と一瞬発現させた鬼の力――魔導式を思い出して、シャオシンの顔が青ざめた。

「アマデウス冒険者団は、また連合の仕事を邪魔するつもりっすかね?」

 ヤマダが眉間に深い谷を作った。

「はァ、本当についてきてるなら、そうなんだろうなァ。面倒だなァ――」

 ゴロウは溜息と一緒に肩を落とした。

「すぐにアレス団長とロジャー団長に伝えるべきだな」

 厳しい顔のリュウがいうと、

「ええ、そうですね」

 横のフィージャが頷いた。ネストダイバー連合レイドの取り纏め役は、ヴァンキッシュ冒険者団のアレス団長だ。この禿頭の元冒険者は我慢強く、人格が太く、部下や同僚の面倒見が良いので周囲から信頼されている。アレス団長のサポート役はロジャー団長の担当になる。ツクシが聞いた話だと、アレス団長とロジャー団長は地上で仕事をしていた頃から何度か合同で仕事をこなしてきた旧知の間柄らしい。

「よし、ゾラ、今の話を聞いてたな。お前、走ってアレス団長オッサンに、『後ろから馬鹿どもがついてきてるぞ』って伝えろ。今すぐに行け。用事を済ませたら二度とここへ戻ってくるなよ、いいな?」

 ツクシが自分の左腕にまとわりついて嬉しそうにしていたゾラへ冷めた口調でいった。

「え? ボクが? 何で?」

 ゾラは不満気である。

「うるせェ、口答えするな」

 ツクシは益々冷たい態度と口調でいった。

「あっ、ボク――」

 ゾラが顔うつむけてぶるっと身体を震わせた。

「あぁん、何か文句あるか?」

 ツクシは極端に不機嫌な声だ。

「――そういう態度で命令されるの、すごく好きかも」

 甘く鼻にかかった声で囁いたゾラは上目遣いでツクシへ視線を送った。

 その瞳がうるうるしている。

「おう! ゾ、ゾラ、走れ、走れ! 早く行け、シッシッ!」

 身をよじったツクシが喚き散らした。ゆっくりとツクシを拘束していた両腕を放したゾラが、「すぐ戻るね!」と宣言したあとで走っていった。美少女っぽいエルフ男子のゾラは怪力で足も速い。あっという間にゾラの姿は見えなくなる。あの勢いだとすぐ戻ってきそうな感じだ。

 溜息を吐いたツクシは、しばらく視線を落として歩いた。

 探索者の足音だけが響く大通路は静かだった。

 はっ、と何かに気づいて顔を上げたツクシが、

「何だ、手前てめえら! 俺をそんな目で見るんじゃあねェ!」

 甲高い怒鳴り声だ。

 周囲の面々が、それぞれ様々な表情で、ツクシをじっと見つめている。


 半日の移動で時計の針は午後七時を回って、ネストダイバー連合は移動を停止した。

 ここで翌日早朝五時まで夜間休憩に入る。場所はネスト地下九階層の南東区、その北寄りの水場に近い場所だ。食料の配給は補給班の手で行われる。地上を遠征していたときの名残で補給班には料理を得意にしているものがたくさんいた。この彼らが夕食八百五十人分を準備する。三食豪華なもの――とまではいかない。しかし、ネスト探索中、ツクシたちは以前よりもずっとマシな食べ物にありつけるようになった。

「ツクシさん、後方へも夜警班を出しておいた」

 アレス団長がのっぺりとした口調でいった。

 大通路に陣取った連合の野営キャンプ、その中央付近である。

 導式ライト・キャンプ・ストーブを囲んで車座を作ったツクシたちは、各団の代表者と打ち合わせついでに夕食中だ。


 硬パンと、

 謎肉ジャーキーよりは、

 ずっとマシ、

 それでも不味い、燕麦のかゆ――。


 ゴミのような短歌を思い浮かべながら、木皿の燕麦かゆをザラザラと乱暴に腹へ流し込んだあと、

「そうか」

 ツクシが不機嫌に頷いた。

「仕事が早いな、アレス団長。ありがたい」

 無表情で燕麦かゆを口に運んでいたリュウがアレス団長へ顔を向けて引き締まった笑みを見せた。

 アレス団長は何もいわずに頷いて応えた。

「おい、リュウ、先にアレスそっちへ挨拶が行くのか。臨時編成の夜警班に団員を貸したのはウチの団だぜ」

 ロジャー団長が苦情を申し立てた。ロジャー団長は木皿に盛られたラム肉ソーセージとたまねぎの炒め物を頬張っている。

「ロジャー、無給の仕事を押しつけてすまんな」

 アレス団長が厚い唇の端で笑みを作った。

「おい、アレス、お前の団から給金を出してもらうぜ。一人頭で金貨一枚だ。負けておいてやった。感謝をしろよ」

 ロジャー団長が杯のエールを一息に干した。

「ロジャー、そうケチなことをいうと男が廃るぞ」

 アレス団長がピッチャーを手にとって、それをロジャー団長へ突き出した。

「違うな、金がないと男が廃るんだ」

 ロジャー団長は空にした杯を突き出した。

「いやいや、ケチは男が廃るさ。なあ、そうじゃないか、ツクシさん?」

 アレス団長はロジャー団長の杯へエールを注ぎながら、空のマイ・タンブラーを両手で強く握り締めて順番を待っているツクシへ視線を送った。

「ああ、それは違いねェ」

 ツクシがマイ・タンブラーをアレス団長に突きつけた。

 その横で空の杯を片手にリュウもそわそわしている。

「アレス、仕事は慈善事業じゃないんだぜ」

 渋い顔のロジャー団長がエールの杯に口をつけた。

「ふぉれで、アレス団長、ロジャー団長。連合にちゅいてきてた奴らは、もうみつかったんしゅか?」

 ヤマダが燕麦かゆを口いっぱい頬張りながらいった。ヤマダはこの味気ない主食が大好きで三食これでも満足だと公言している。両頬ふくらませるその食いっぷりも豪快だ。

「うん。ボゥイ、夜警班からの報告は?」

 アレス団長が横のボゥイ副団長へ視線を送った。

「団長、報告待ちだ」

 ボゥイ副団長は気が向いたときにラム肉のソーセージとたまねぎの炒め物を食い散らしながら、ちびちびエールを飲んでいる。たまねぎは避けて残っていた。これは猫食いである。

「連合を追ってきたのがアマデウスの奴らだとすると、そう簡単にしっぽを出さんだろうな――」

 ロジャー団長が呟いた。

「団長、ウチの連中なら奴らのしっぽをフン捕まえてくるぜ。ゾラも出ているしな」

 その横でアドルフ副団長が唸りながら杯を呷った。このアドルフ副団長が抱えているのは自前のグラッパの瓶だった。ロジャー団長は過去、酒に酔った勢いで気に食わない上官を半殺しにして王国陸軍から追い出されたこの導式術兵ウォーロック――アドルフ・タールクヴィストを夜警班から意図的に外した。その代わり、好いた男の前では度を失うが、仕事にかかれば冷静沈着なゾラを臨時編成した夜警班の責任者に回してある。ネストダイバー連合傘下の探索者はアマデウス冒険者団に恨みを持つものが多い。アドルフ副団長では恐らく暴走するだろう。

「まだ小アトラスの反応がないのか?」

 ツクシがタンブラーの縁を噛んだ。

「あァ、それはあったぜ、ツクシ」

 ゴロウがエールを飲みながら返事をした。

「あったのかよ。なら、連合を追跡している奴らの位置はわかるだろう?」

 ツクシが横目で刺すようにして睨みつけると、

「ツクシ、ホレ、こいつだ」

 ゴロウがツクシの目の前に小アトラスを突き出した。

「――おう。何だよこれ。電子メールか?」

 ツクシが眉根を寄せた。

 小アトラスからは立体地図ではなく文面が照射されている。

「あァ、チューソツは文字が読めなかったよなァ、すまん、すまん!」

 ゴロウが歯を見せてニヤニヤ笑った。

 これはわざとである。

「あぁん! この赤髭野郎、俺は高卒だ、そこは間違えるんじゃねェ――ええと、ち、九階区で信がチュウチュウ、現原、調査チュウ――だよな?」

 カッと殺気立ったツクシが、小アトラスから照射された文字列を目で追って、チュウチュウ唸った。

「ツクシ、全然、意味が通ってねえぜ」

 全開でニヤニヤしているゴロウを見て、「ようし、今日こそ、この赤髭野郎を殴り殺してやるぞ」そう固く決意したツクシが腰を浮かせたところで、

「ええと、『地下九階層南東区で一部の導信機能に障害が発生チュウ。探索中の各員はチュウ意されたし。現在、原因を調査チュウ』っすね。ネスト管理省からのお知らせっすよ。文字がチュウチュウってことはワーラット工兵隊が発信したんすかねえ、このお知らせメール――」

 ヤマダがそこにあった文面を読み上げた。

「ツクシ、要するに探索済み区域に設置されてる導式生体感応器が壊れてるみたいなんだよ。管理省はちゃんと仕事をしろよなァ、って話だ。何を管理してんだかなァ、まったくよォ――」

 ゴロウが溜息を一緒に小アトラスを懐へ仕舞い込んだ。

「なるほど、道具は頼りにならんか。ロジャー団長、フィージャを後方の警戒に使ってくれてもかまわんぞ」

 リュウは自分の手にある空の杯を厳しく睨んでいる。

「ええ、ひと探しなら私の鼻と耳が適任ですからね」

 フィージャがロジャー団長へ視線を送った。何か考え事をしていた様子のロジャー団長は、「んっ――」と目を向けただけの反応だ。

「いや、フィージャさんはこれから、北西方面に回っている俺の団の夜警班を指揮してほしい。小アトラスの機能が今は使いものにならんからな。いつもより夜間の警備に注意を払う必要があるだろう」

 アレス団長が腰を浮かせて、リュウの杯へエールを注いだ。

「しかし、アレス団長。連合を追跡してくるのが、あのアマデウス冒険者団となると――」

「団長、この際、奴らをここで始末――」

「ゲロゲ! 今スグ奴ラ皆殺――」

 リュウとアドルフ副団長、それに、ツクシの横で正座のゲッコが同時に口を開いた。

「奴らが先行してまた逃げ帰ってきたらさ。それを追ってくるエイシェント・オークのほうが面倒だよねえ」

「うん、そうだな、ガラテア」

 そういって頷き合ったのは、この打ち合わせに参加していた北北西運輸互助会の会長ガラテア・クズルーンと副会長のイーゴリ・クズルーンだ。この二人はドワーフ族の夫婦だが立場も態度も妻のほうが偉そうだった。両方、金刺繍の入った土色のサー・コートをすっぽり羽織って、そして両方、茶色い髭を顎から生やしている。百名近いドワーフ戦士を率いている彼らの互助会はスロウハンド冒険者団と同程度の戦力を持つ連合レイドの主戦力だ。北北西運輸互助会は、その名が示す通り、元々はタラリオン王国からドワーフ公国へ向かう隊商の護衛を主な仕事にしていたのだが、戦乱で内陸から王都へ流れてきた冒険者団に仕事を奪われて、ネストへ足を運ぶようになったという。「王都の冒険者管理者協会は、ヒト族の冒険者団を優先して仕事を回すからね!」これはガラテアの弁だ。

「そ、そうだな、それが一番怖い――」

 これはクズルーン夫妻の横で所在なさげに座っていた、茶色い軽武装服に白ズボンを履いた男の発言だ。年齢は三十歳前後に見える。

「ジャン=ジャック組合長、テージョ副組合長はどこへ行った?」

 アレス団長が茶色い軽武装服の男――ジャン=ジャック組合長に訊いた。

「ああ、テージョか――あいつ、どこだろうな。そこらにいると思うが――」

 ジャン=ジャック組合長は周辺を見回しながら歯切れの悪い返事をした。

「今回はお前らの団からも――ああ、組合なのか? まあ何でもいい。とにかく、お前らのところからも、探索班へひと手を貸してもらうぜ」

 ロジャー団長の声が重い。

「わっ、わかってる、ロジャー団長さん」

 ジャン=ジャック組合長が二度三度頷いた。このジャン=ジャック・マルモッタンは天幕街探索者組合の取り纏め役で、元はネスト・ポーターをしていた流民の男だ。ネスト・ポーター上がりで組織された天幕街探索者組合は総じて戦闘能力が低く臆病で、冒険者団に所属するものからは白眼視されている。ただ、総勢で四百名以上と所属している人数だけはむやみに多い。

「ジャン=ジャックさんよ。あんたらがやりたくなきゃ、それはそれでいいんだぜ。銭にならねえだけだからな。今回からそういう取り決めだろ――そうだったよな。メンヒルグリン・ガーディアンズのお二人さんよ?」

 酒で目が据わってきたアドルフ副団長が、並んで座っている二人の男へ視線を送った。二人ともまったく同じベージュ色の軽武装服を着込んで深緑色のズボン姿だ。

「私たちとしては異存がない」

「その条件は以前に呑むと伝えただろ。アドルフ副団長さんは酒に酔うとしつこくなるのか?」

 二人の男がそれぞれ応えた。背丈の大きい黒髪の男が、メンヒルグリン・ガーディアンズの団長ルシア・トルエバで、金髪の男が副団長のゲバルト・ナルチーゾだ。彼らも言葉数も少なくこの場に参加していたが、ジャン=ジャック組合長のようにおどおどしてはいない。そのあと、食事を終えた他の団長も参加して本格的な探索の打ち合わせが始まった。

 その最中である。

「――ん、シャオシンがまたいない」

 リュウがいった。ついさっきまで大人たちに囲まれて萎縮していたシャオシンは、フィージャの隣で小さくなって夕ご飯を食べていたのだが、今はそこにはいない。

「水場へ行くといっていましたよ。トイレのほうかも知れませんが――」

 今回はフィージャがシャオシンの行き先を知っていた。

「それでも独りで行動するのは感心せんな――」

 リュウが眉を寄せた。

「大丈夫だと思いますが――ご主人さまの匂いは近いですし。リュウ、心配なら私が様子を見てきましょうか?」

 フィージャが鼻先を動かしながら腰を浮かせた。

「いや、その心配はないと思う」

 アレス団長が制した。

「ほう、ツクシの班の女に手を出す奴が連合いるのか。それはそれで頼もしいな。そうだ、アドルフ、お前が試してみたらどうだ?」

 ロジャー団長がニヤリと笑って、横で大胡坐をかいてグラッパの杯を呷り続けていたアドルフ副団長へ目を向けた。

「――いや、団長、それはやめておこう。俺はまだ命が惜しい」

 アドルフ副団長はツクシをしばらく眺めたあとに破顔した。目を細めて笑うと意外にもアドルフの強面には愛嬌がある。ツクシたちの班は人数が少なくても連合最強の戦力だ。特別、ツクシの不可解な零秒斬撃は周辺に畏怖されていた。その上で、ツクシの面倒な性格も連合に参加する探索者に知れ渡っている。ツクシの近くにいる女へ無理を承知で手を出した場合、その勇者に与えられる結末は死あるのみであろう。そのツクシは大きなピッチャーにあるエールを、リュウと争うようにして飲んだくれている。ツクシは腰にある魔刀を引き抜かない限り、酒と女にだらしのなく見苦しいただのオッサンだ。

「まあ、シャオシンさんが一人でいても心配はないだろう」

 アレス団長は班の振り分け表とネストの地図へ視線を戻した。

 両方とも小アトラスから照射されているものだ。

「しかし、用を足しに行ったにしては戻るのが遅すぎるぞ。ああ、いや、ちょっと待てよ――」

 視線を落としたその隙に、リュウの持っていたピッチャーを横からツクシがかっさらった。

 むっと目尻を吊り上げて気色ばんだリュウは、空いた手で脇に置いてあった自分の武装ハーフ・コートをごそごそやって、

「ああ、やっぱり飴玉の缶がない」

「ご主人さまは、どこかに隠れて飴を食べてますね――」

 くふんとフィージャがうなだれた。

「なんだァ、シャオシンは盗み食いかよォ――」

 ゴロウがいった。

「ははっ――」

 ヤマダが苦く笑った。

「しようがねェな、子供ガキは――」

 ツクシが呟くと、

「ゲロゲロ」

 その横で正座のゲッコが鳴いた。

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