十三節 闇からいずる竜人(肆)
ツクシたちは細い道を選択して東へ進んだ。フィージャの嗅覚と聴覚で敵を警戒しつつ、シャオシンとリュウ、それにたまにゴロウが(ゴロウは怠けものなのだ)照明を作りながらの進行だ。急いでも進行速度は速くない。戦闘が発生した北西区から離脱して三十分ほど移動しても、エイシェント・オークの姿を見ることはなかった。遠くから銃声と咆哮が散発的に聞こえてきてはいる。
ひとの悲鳴らしきものも交じる――。
「――ゴロウ、立体地図はどんな様子だ?」
歩きながらツクシが訊いた。
「ツクシ、この道は未探索だ。地図はまだねえぜ」
ゴロウは小アトラスから照射される立体地図を眺めている。
「――へえ、そうなのか?」
ツクシの不機嫌が、少しゆるいものになった。
ほんの少しである。
「それは不幸中の幸いっすね!」
ヤマダが声を上げた。
「ホレ、見てみろ。ちゃんと探索ポイントも増えているぞ」
ゴロウが促すと、
「おう、どれどれ――」
ツクシがその手元を横から覗き込んだ。
「あっ、もう探索ポイントが七十を超えてるっすね。この調子なら悪くないっすよ」
ツクシと同じような姿勢でヤマダがいった。
大雑把に十ポイントで金貨一枚相当が管理省から探索者団へ支払われる計算になる。
「ほう、諦めていたが、今回も稼ぎが出そうか。無事に帰れたら一杯やれそうだ!」
リュウが光球を進行方向へ蹴っ飛ばした。奇跡の力で形成した照明用の光球は蹴るとかなり遠くに飛ぶ。その大きさもサッカーボールを一回り小さくしたていどで蹴りやすそうだ。
「リュウ、駄目ですよ」
前方で炸裂した光がフィージャの獣面を半分照らしている。
「リュウ、節約を約束したじゃろ!」
シャオシンがギャンと吼えた。シャオシンは身体の周囲へ光球を生成して、それをくるくる回転させている。
顔をしかめたリュウは真横を向いて歩いていた。
「まァ、手ぶらで帰るのは避けられそうだ。どうなることかと思ったがなァ。しかし、さっきから大アトラスへ接続ができねえぞ。この導式具、どこか壊れたのかァ?」
ゴロウが小アトラスから照射された立体情報をパカパカ切り替えた。
「ああ、ゴロウさん、地下九階層の北東区は導式灯の設置がまだ終わってないらしいんすよ。だから、場所によっては報告機能が途切れるらしいっす。それが、ここらなんじゃないっすかね」
ヤマダがいうと、
「あァ、それをド忘れしていたぜ。これに速報が出るようになってから、横着でいけねえやなァ――」
ゴロウは苦笑いで小アトラスを懐へ仕舞った。小アトラスは管理省から提供される速報も表示されるようになった。
「おう、スマートフォンみたいになってきたな――」
ネストへ来るたび新機能が追加されているその導式具に、ツクシは感心半分、呆れ半分の感想を抱いていた。スマートフォンといっても、小アトラスは親機である大アトラスとのデータ送受信が可能なだけであって、子機の間で情報のやり取りができる機能は持ち合わせていない。
「ここらの区域は小アトラスの機能がほとんど使えないのか。ヤマさんはどこでそれを知ったんだ?」
ツクシは周辺に視線を巡らせた。見回したところで同じ階層では似たような景観が続くネストで目に留まるものはない。石壁とそれを支える壁際の円柱に石床、それにアーチ状の石天井があるのみだ。地下八階層同様、九階層も石で造られた巨大な宮殿の回廊のような景観だ。
宮殿というには殺風景すぎるきらいはあるが――。
「管理省天幕前の立体掲示板で公示されてたっすよ?」
ツクシと同様、周辺を見回していたヤマダの返答である。
「あ、ああ、そうかよ。ヤマさんは
ツクシの視線が石床へストンと落ちた。
「自分はツクシさんより一年早く
ヤマダは苦笑いで返した。
「いや、ヤマさんはさすがに大卒様だ。学がねェとよ、年齢がいってから惨めな思いをするんだな。物事に対する考え方に胆力がないっていうのか――まあ、今さら遅いって話になるんだけどよ――」
沈んだ声のツクシの最終学歴は高校卒業だ。ツクシは学歴コンプレックスを持つ男である。ただこの男の場合、学歴のあるなし、勉強ができたできなかったというよりも、今も昔もただの怠けものであるといったほうが正解だろう。
「あっ、いえ、それはあの――」
ヤマダはうつむいてどんより暗くなったツクシの横顔から視線を逸らした。
一行が緊張感も薄く駄弁りながら進行していると、嗅覚と聴覚を駆使して先導していたフィージャが足を止めて、
「進行方向、奥手の北から誰かがこちらへ向かってきます」
ツクシたちの足も一斉に止まった。
「フィージャ、敵か?」
ツクシが訊いた。
その右手はもう魔刀の柄にある。
「――いえ、ツクシさん、これはヒト族です。ヒトの言葉で喋っていますし」
左右の獣耳を小刻みに動かしながらフィージャが応えた。
「おう、ヴァンキッシュ
殺気の萎えたツクシが面白くなさそうにいった。そのうち、行く手の先にある十字路の左手から、ツクシたちの耳に逃走中であるらしい声が聞こえてきた。
「――ハーヴェイ兄さん! 向こうに導式で作った照明が見えた!」
若い男の声である。
「ニック、助かったぞ、生きている奴がまだいたか――おい、リッキー、こっちだ、こっちの道だ、走れ!」
中年男の太い声だった。
「た、松明の火だ! 後ろから奴らが来てるよ、ハーヴェイ兄貴!」
こちらは、甲高い男の声だ。
「だから、走れっていってるんだ、早くしろ!」
中年の男――ハーヴェイが怒鳴った。
ツクシたちは、そのまま直進して十字路に差しかかったろころで、北から息を荒げた三人の男が転がり出てきた。三者三様だがいずれも冒険者崩れ風の三人組だ。
「えっひっひっ、た、助かっ――!」
両膝に手を置いて息を荒げていた
「うっ、ごおっ、マ、マジかあ――!」
その横で同じようにして息を荒げていた甲高い声の男――リッキーが身体を起こして数歩下がった。
「げえっ、こ、こいつはあのときの!」
ハーヴェイが汗まみれの黒い髭面を強張らせた。この男は油を使うカンテラをぶら下げている。これが彼らの光源らしい。
「――あぁん?」
ツクシが不機嫌な態度で応じた。北の小路から逃げてきたのは、つい先日、ツクシの喧嘩三昧に巻き込まれた被害者の面々だ。この三人はヴァンキッシュ連合に参加をしていたようである。
「に、兄さん、お、落ち着け、落ち着こうぜ、な?」
ニックが両手のひらを下へ向ける動作を見せながら硬い笑顔を作った。
ツクシはまだ慌てる時間じゃない風のポーズを見せるニックを眺めながらむっつり沈黙している。
「堪忍だ! 兄貴、今は、堪忍してくれ!」
そう喚きながら、リッキーが両手のひらを突き出して腰を引く動作を見せた。
ツクシは見たまま及び腰の小男から真横を向いて視線を外した。
「いや、旦那、今はそれどころじゃねえんだ、すぐに南へ逃げないと追っ手に捕まるぜ!」
ハーヴェイが必死の形相で説得した。
ツクシは「チィイッ!」と鋭い舌打ちをしてそれを返答の代わりにした。
「ツクシさん、この彼らのいう通りです。北からエイシェント・オークの小集団が接近していますよ」
頷いたフィージャが警告すると、
「クソッ!
プッツンしたツクシが魔刀の柄へ右手を滑らせた。
「うっわあ!」
揃って悲鳴を上げた三人組が腰を抜かしてひっくりかえる。
「――まずは
魔刀の柄へ右手を置き、轟然と殺気奔ったツクシが、ゴロウへ視線を送って同意を求めた。
「ツクシ、こんな非常時によォ、やめろよなァ、もう――」
こんな返事をしたゴロウは呆れ顔だ。その他の面々の呆れ顔を見るとゴロウと同意見の者が大勢を占めている様子だった。顔を歪めたツクシがまた「チッ!」と舌打ちをした。
そうこうしているうちに、
「うっ、き、来たぞえ!」
北の小路の奥を見やっていたシャオシンが悲鳴を上げた。冒険者崩れ三人組とフィージャの予告通りだ。片手に松明を持ち、空いた手に大ナタを携えたエイシェント・オークが姿を現した。
まだその距離は遠いが――。
「――うーお、ありゃあ、装甲鎧かァ!」
ゴロウが髭面を固めた。
北から追撃してきたのは、エイシェント・オーク・スパルタンである。
「スパルタンは自分の弓じゃ無理だな――」
ヤマダが導式機関弓を背から下ろして眉間に谷を作った。十字路北の小路は長い直線だ。導式機関弓で攻撃ができる距離に敵影がある。しかし、スパルタンにはヤマダの矢が効果的ではない。戦闘中、ヤマダの担当は装甲の薄いスカウト狩りになる。
「ツクシ、ここで戦うか?」
リュウが龍頭大殺刀を手に一歩進み出た。
「リュウ、ちょっと待ってください。まだ後続が来ますよ。スパルタン二、スカウト五、おや――?」
リュウを制したフィージャが発言の途中で口篭った。
ツクシはガクガク震えている冒険者崩れ三人組からようやく視線を外して、
「フィージャ、どうした?」
「ツクシさん、それに小型がひとつ――」
無い眉を寄せたフィージャがツクシをじっと見つめた。
「小型? フィージャ、小型ってのは何だ?」
ツクシも眉根を寄せた。
「ツクシさん、ここだと場所も悪いし、敵の数がちょっと多いっすね。かといって、走って移動をすると逃げた先で敵と鉢合わせる可能性があるし――」
ヤマダが眉間の谷を深くした。零秒必殺だが連続して空間跳躍はできない。これがツクシが繰り出す零秒斬撃の特性だ。しかし、それでもツクシの魔刀は強力無比の武器だった。癖があるツクシの戦力を最大限に生かすのが、この班の方針となっている。
ネスト探索中、エイシェント・オーク相手の戦闘が避けきれないと判断した場合、フィージャが敵の場所を確認しつつ、リュウが囮になって適当な場所へ誘い出す。そこで待ち受けていたツクシが魔刀の
ツクシたちが北方面に出現したスパルタンを睨んで押すか引くか判断しかねていると、
「に、逃げようぜ!」
ニックが裏返った声でいった。
「そうだな、とにかく南へ走ろう、上がり階段の方角だ!」
リッキーはその場で駆け足をしている。
「スパルタンは、そこまで足が速くねえんだよ、走れば逃げきれる!」
ハーヴェイはツクシたちを見回しながら説得をした。
「――あのスパルタンども、俺たちの数を見て戸惑ってるのかァ? 向こうから動く気配がないな――おい、ツクシ、今のうちに歩きながら距離を取って様子をみようぜ」
ゴロウが髭面をツクシに向けた。
「あっ、その手もあるっすね、ゴロウさん」
おっ、と表情を変えてヤマダがゴロウを見やった。
「ああ、ゴロウ、折衷案か。それは悪くないな」
リュウが手を打った。
「それは手堅いと思います。走ると照明を作るのが追いつきませんし、周辺の敵情把握も難しくなりますから」
フィージャが頷いた。
「そ、そうじゃの、行くか、ツクシ?」
シャオシンの顔に血の気が戻った。
北の小路を見つめていたツクシは、
「おい、冒険者崩れども、お前らはちょっと待て!」
怒鳴り声である。
「――ひえっ!」
もう南へ向かっていたニックが恐る恐る振り向いた。
「す、すまねえ、兄貴! あんときのことは謝るからよ。この通りだ、な、な!」
リッキーは両手を合わせて拝むように謝った。
「旦那ァ、とにかく話はあとにして、ここから逃げようぜ。後生だからさ、頼むよ、なあ!」
泣きそうな顔のハーヴェイが哀れっぽい様を演出する。
「いや、向こうで戦ってるの、お前らのお仲間じゃないのか?」
ツクシが北の小路の奥へ顎をしゃくった。
「あァ? 戦ってるだァ?」
ゴロウが足を止めて振り返った。
「あ、刃を合わせる音がしますね――」
フィージャが獣耳を動かしながら北へ目を向けた。
「な、何じゃ、逃げるのか戦うのか、はっきりせんか!」
シャオシンがキャンと鳴く。
「あ、あれは、一体――」
黒ぶち眼鏡のつるにやったヤマダの手が震えている。
「うーお、何だァ、ありゃあ――!」
ゴロウのダミ声が裏返った。
「スパルタン三体を相手にして、ひとりで打ち合っているだと!」
「なんという
「た、達人! 達人じゃ!」
各々そう叫んだ三人娘は驚愕した顔を並べている。
「ああよォ、おめェら、そこなのか、驚くところ――」
背を丸めたゴロウがボヤきながら三人娘へ視線を送った。
北の小路の奥で、刃と刃が激突し、火花を散らしていた。戦っている生き物がいる。長いしっぽのある緑色の生き物だ。エイシェント・オークの小集団を相手に独り奮闘していたのは二足歩行する巨大なトカゲだった。
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