十六節 その赤い唇に笑みを浮かべて
「ヴォ、アーッ!」
「アヴァ、ヴァーッ!」
ギルベルト少尉の眼前にいたエイシェント・オーク・スパルタン二体の断末魔の声である。
これらは横から突っ込んで来た黒金の大鉄塊に轢き殺された。
「何事だ、視野獲得装置が壊れたか?」
ギルベルト少尉が防毒兜の面当てを引き上げた。この防毒兜は疫病兵器対策の耐菌フィルターつき呼吸弁に加えて、視野の導式レンズ部分には暗視と拡大機能、視界の片隅に地図と現在地表示機能までが組み込まれた最新式の導式具だ。ただ、高機能で最新型の道具が持つ宿命で故障が多く、兵士から信用されていないのもまた事実だった。ともあれ、ギルベルト少尉は装置の故障を疑って面当てを引き上げた。だが、ギルベルト少尉が肉眼で確認しても、その巨大な黒鉄のトロッコは確かに大通路に存在していた。それは、「シャッ、シャア!」と咆えながら、身体の方々から白い煙を吐きつつ鋼鉄の節足を動かしていた。
女王陛下の
カントレイア世界に蒸気機関を動力にした乗り物は存在しない。ギルベルト少尉が蒸気機関車を目にするのはこれが生涯初だ。どういった反応したらいいのかわからなくなったギルベルト少尉は輪廻蛇環号を歯を食いしばって睨みつけた。周辺にいた、生き残りの兵士やネスト・ポーターの反応もギルベルト少尉と似たようなものだった。エイシェント・オークですら動きを止めて戦場に到着した巨大な蒸気機関車を見つめている。そのうち、ずらりと並んだ客車から、ねずみがチュウチュウぞろぞろ飛び出てきた。その全員が、ラット・ヒューマナ王国は生活圏防衛軍に所属するワーラット兵だ。ワーラットの軍勢は周辺にいたエイシェント・オークに向けて、チュウチュウと気勢を上げながら発砲を始めた。
「シュポン、シュポン、シュポン!」
ワーラット兵の使う銃は奇妙な発砲音を鳴らしている
このワーラット兵が使うライフル銃は導式ジャイロ・ジェット・ライフル・ストーム・エンカウンターという名称がついている。これはティモトゥレ諸島海域に近年出没する海賊の小型鉄甲船(導式機関を動力とする)を沈めるため、コテラ・ティモトゥレ首長国連邦の軍部で開発された導式徹甲弾を射出するライフル銃だ。
銃身が二本あって中折れ構造を持つこの新式銃は、発射動力を内包した導式徹甲弾を元込めで装填する。この方法だと従来の前装式銃より弾丸の装填に必要な時間が遥かに短い。そのものが動力を持って回転しながら飛ぶ導式徹甲弾は弾道が安定してもいる。コーン形状の一二カンマ七×九九ミリ導式ジャイロ・ジェット徹甲弾(※導式徹甲弾の正式名称)を弾丸自身が持つ推進力で銃口から射出する、このストーム・エンカウンターは射撃時の反動がほとんどなく、命中精度も射程距離も従来の銃より遥かに優秀である。さらに導式徹甲弾は四〇ミリ複合白金装甲板を食い破るほどの破壊力がある。
このストーム・エンカウンターが高機能かつ高威力なのは間違いない。だが、いかんせん、人工秘石を弾頭にする弾の一つ一つに導式彫金細工(これは現状、導式彫金職人の手作業に頼るしかない)が必要で、しかもそれを使い捨てにする導式徹甲弾の単価は火薬を使った銃弾に比べると異常なまでに高額である。
結局、火薬を使用した大砲のほうが効率的かつ経済的であると判断されたストーム・エンカウンターは、コテラ・ティモトゥレの海軍での正式採用を見送られた。実際、このような携帯型の対物重火器を必要とする戦争は、これまで一度も発生していない。内燃機関や蒸気機関が発達していないカントレイア世界では戦車や装甲車のような装甲を持った戦争用の乗り物がまだ歴史に登場していないのだ。
もっとも、その一部に例外はあるが――。
ともあれ、無用の長物と思われたこのストーム・エンカウンターだが、これを必要とする国家もあった。
ラット・ヒューマナ王国である。
地下で暮らすワーラット族にとって、地下深くから沸く屈強な異形種を相手にした戦争は種の存亡に関わる危機として深刻に考えられていた。穴掘りだけが得意で特別な力はなく、導式を直接扱うのも苦手なワーラット族は銃弾を弾き返し、野砲の砲撃すら耐える装甲鎧を持つエイシェント・オーク・スパルタンに対して、誰でも使える有効な重火器を必要だった。ラット・ヒューマナ王国の生活圏防衛軍は、きたるべきエイシェント・オーク軍との決戦に備え、前々からコテラ・ティモトゥレ首長国連邦へ兵器の技術提供を要請していたのだ。そうして、交渉と贈賄を重ねた末、コテラ・ティモトゥレ首長国連邦の造兵廠倉庫で埃をかぶっていたこの対物重火器――ストーム・エンカウンターを、ラット・ヒューマナ王国は二千丁まとめて買い上げた――。
「――チュチュチュ、エイシェント・オークども、待たせたな。さあ全軍、新式銃の味を
メルモがチュウチュウ命令しつつ客車から飛び出てきた。
「何なんだ、この乗り物といい、おかしな銃といい――」
ギルベルト少尉が呆然としていると、
「おい、おぬし、ツクシはどこにいる?」
背後から夜露に湿った女の声がかった。
「お、お前は何者だ?」
ギルベルト少尉は、黒いマントの男を数十人引き連れて客車から戦場に降り立った女性を見て顔を強張らせた。腰まである長い黒髪を背に流した怖気立つような美貌の女性だ。妖しい美貌の女性はチュール刺繍の生地を使ったドレス――黒い下着が透けて見えるような薄い藤色の生地を使った女の性を声高に主張する、細身のイブニング・ドレスを着ていた。その上には襟首やカフス部分、裾などにふさふさとしたゴージャスなファーのついた黒い獣毛のロング・コートを羽織っている。足元は細い踵がこれでもかと高い黒のイブニング・ドレス・シューズだ。貧乏貴族のギルベルト少尉も公的な晩餐会の席で、この手の豪華でセクシーな服を着た貴婦人を見たことがある。しかし、ここは硝煙けぶり、悪鬼咆哮し、床に死体が散らばる戦場であって、富裕層が行う晩餐会の会場ではない。このような場所に、このような出で立ちで現れる人物は、カントレイア世界広しといえどもこのひとしかいない。ギルベルト少尉の前に下僕を引きつれて佇んでいるのは、
ギルベルト少尉は「そんな格好でここに来て、一体、お前は何をしようとしているんだ?」という意図でフロゥラに何者かを尋ねたのだが、
「うん、いっただろう、ツクシだよ。姓と名はクジョー・ツクシ。おぬしは知らんか? 目つきの悪い、刀を持った、黒い革の鎧の――」
フロゥラは相手の質問を無視してもう一度同じ質問をした。
女王様はこんな性格である。
「ああ、ツ、ツクシなら、向こうで死にかけている――ようですが――」
この女の目を直視すると危険――。
直感で察したギルベルト少尉が(さすがはネストの最下層で戦う戦士である)フロゥラから視線を逸らしながら応えた。
「う、うん――」
フロゥラが声と肩をワナワナと震わせながらうつむいた。
ギルベルト少尉はフロゥラを盗み見るようにして警戒している。
「そっ、そうか、ダ、ダーリンは、し、し、死にかけているか。わっ、私の未来の旦那に
フロゥラは背から歪みの翼を広げた。巨大な蝙蝠の翼である。フロゥラが放出する
「な、何なんだ、こいつら――」
周囲同様、平衡感覚を失ったギルベルト少尉は両膝と両手を石床についている。
輪廻蛇環号から降りてきたワーラット兵は何千という数を揃えていた。それが大通路の横一杯に隊列を組んで、チュウチュウ新式銃を掃射しながらの前進を開始する。
異変を察知したのか、連絡があったのか。
大階段前基地に侵入していたエイシェント・オークが続々と戻ってきた。ワーラット兵が放つ青い銃弾は戻ってくる敵兵を薙ぎ倒してゆく。弓を持つエイシェント・オークが、ワーラットの軍勢へ反撃を試みていたが、飛び道具の数が違いすぎた。エイシェント・オークはこと飛び道具の撃ち合いになると脆かった。自慢の装甲部隊が無力化されると、それは尚更である。
「――この青い銃弾は何なんすかね。装甲したエイシェント・オークもおかまいなしの、すごい威力っすけど?」
壁際で三角座りのヤマダが首を捻った。
青い光の尾を引く弾丸は大通路の戦場をビュンビュン飛び交っている。
「ヤマさんでもわからんのか?」
ツクシの頭上へ青い銃弾が着弾して「ボゴン、ゴリゴリッ!」と音を鳴らしながら壁面を削り取った。ツクシの不機嫌な面構えの上に粉塵が降りかかる。その不思議な銃弾は着弾した後も動力を維持していた。
ドリルの先端を銃口から飛ばしているような感じである。
「この弾、どうも導式を使っているみてえだが――」
ゴロウは背を丸めて大きな身体をできる限り小さくした。得体の知れない破壊力抜群の銃弾が大通路に飛び交っている。確率的には微差だが、しかし、自分の体は壁際に並んで座った四人のなかで一番大きいので、この流れ弾に当たる可能性も一番大きいのではないか、とゴロウは怯えていた。
「――ふあ、これはラット・ヒューマナ王国がつい先日、南方から調達してきた珍しい銃だよ」
オリガ大尉が三角座りのまま小さなあくびをした。他人が戦っているのを見ているだけというのは、この超好戦的な女戦士にとって退屈なようだ。
「オリガさん、もしかしてこれ新兵器っすか!」
ヤマダが鼻息を荒くした。ヤマダはもしかすると日本にいた時分、軍オタだったのかも知れない。
「新兵器だよ。導式ジャイロ・ジェット・ライフルだ。人工秘石の弾頭に白金合金を被せた導式徹甲弾を高速回転させながら射出する。前装填式長銃より射程がずっと長いし、空力学的にも弾道が安定しているぞ。私も生活圏防衛軍の試射に付き合ったがかなりの威力だった。ただ導式徹甲弾は高額過ぎてな。軍で使うとなるとコストが見合わん。まず、銃弾の補給が間に合わんよ。必要な弾の数を撃てない鉄砲などあっても仕方あるまい。それに現状、こんなものを叩き込む必要がある目標は地上の戦場にないからな――ああ、遠方からの狙撃には使えるのか。だが、あれは派手に銃口が光るし――」
オリガ大尉がぶつぶつ説明しながら、発砲するたびに銃口から派手な円状の閃光を放っているワーラット兵の隊列へ視線を送った。
「――まあ、対物ライフルだよな」
ツクシがぽつりといった。
「ほう、対物ライフルか。それはなかなか気の利いた名称だ。今後はその名称を、正式採用するか――」
オリガ大尉がツクシへ顔を向けたところで、ツクシたちの前にあった路面が爆発を起こした。
「ぬぅお!」
ゴロウが仰け反った。
「うひっ!」
ヤマダは頭を抱えた。
「――げふっ。これじゃあ、助けにきたんだか殺しにきたんだか、わからんな」
ツクシは粉塵を浴びて真っ白な顔だ。
血まみれの上に片栗粉をまぶした形相だった。
「ぺっ、ぺっ。この魔導式陣砲は女王様かァ? おいおい、頼むぜ、俺たちに当ててくれるなよォ――」
ゴロウが通路上空で魔導式陣砲の爆撃を慣行するフロゥラを見上げた。
「ひぇえ、ずっと宙を浮いてるっすよ、あのひと――あ、ツクシさん、手ぬぐい使います?」
ヤマダが手ぬぐいをツクシへ差し出した。
ものすごい威力である。
「ああ、ありがとな、ヤマさん」
ツクシが汚れた顔を手ぬぐいで拭いた。
「――うむう」
オリガが唸った。
「どうした?」
不機嫌な顔を綺麗にしたツクシが訊いた。
「フロゥラ女王陛下には目立つ活動を控えるようにと伝えてあるのだが。聖教会へは誤魔化す形で口約束を取りつけてあるだけなのだ。だから、この話が外に漏れるとまた面倒だぞ――」
オリガ大尉が眉間にシワを作った。
「へえ、ネスト制圧軍団は吸血鬼軍とも同盟をしたんすか?」
ヤマダが訊いた。
「いや、そうではない。ネスト管理省は女王陛下の存在を知らん。だが、この調子だと、じきに公然の秘密になりそうだな。時期尚早だ――」
オリガ大尉は大通路の戦場を爆発炎上させているフロゥラを見上げた。
「え? じゃあどうして、オリガさんは吸血鬼を――女王様のことを知ってるんすか?」
ヤマダが首を捻った。
「まあ、それはいいではないか――ツクシ、ひょっとして、そこに寝ている娘はアウフシュナイダー辺境伯のご令嬢なのか?」
誤魔化したオリガ大尉がツクシへ顔を向けた。
「そうだ」
ツクシはニーナの頭を膝の上に乗せている。ニーナはもう呼吸をしていない。だが、何となく、ネストの硬い石床の上に枕なしでニーナを寝かせておくのが気が引けた。
「――そうか。残念だったな」
オリガ大尉がいった。
「――ああ」
頷いたツクシはニーナの頬へ手を置いた。ツクシの手にニーナの頬はなまぬるい温度を伝えた。苦しむ間もなく息絶えたのであろう。綺麗な死に顔だった。
目を開けそうだがな、とツクシは思った。
ひょいと目を開けて「びっくりした?」といいそうだがな、とツクシは思った。
その赤い唇に笑みを浮かべて――。
ツクシはそのまま落ちた視線を上げられなくなった。
そのうち、大階段前基地の南門から内部で戦闘していた機動歩兵が表へ出て戦い始めた。大階段前基地に侵入したエイシェント・オークはすべて駆逐されたようだ。銃歩兵やら
ワーラットの軍勢にネスト制圧軍団が参加して掃討作戦が開始された。
もうエイシェント・オーク側は軍勢の体を成していない。エイシェント・オークは互いに呼びかけながら脇道の奥へ散り散りに逃げていく。大通路にはその死体が残された。古代宮殿の回廊のような景観に見渡す限り巨人の死体が転がっている。その戦場の光景は現実から乖離していた。神話に聞く終末大戦のようだ。
壁際に座ったままのツクシたちが、大通路を忙しく行き交うヒト族とワーラット族の兵隊を見やっていると、
「無事か、ツクシ!」
フロゥラが駆け寄ってきた。
眉尻を下げてツクシの前に佇むフロゥラは、豪勢な晩餐会に遅刻して登場した、大富豪の若奥様といった様相だった。
この女王様は、一着も普段着というものを持っていないのかな――。
座ったままツクシとゴロウとヤマダは無言でフロゥラを見つめている。
独り居住まいを正して跪いたオリガ大尉が、
「フロゥラ女王陛下。今はまだ気軽に外出してはいけません」
ツクシに飛びかかる気配を見せていたフロゥラがその動作を止めて、
「うん? おぬしは、オリガとかいったな。騎士よ、今日は『色が違う』ようだが?」
「はい、
「――うん。女騎士よ、気に留めておこう」
フロゥラが夜の女王の笑みを見せた。しかし、「気に留めておく」との返答であるから、恐らく、この女王様は忠告を受け入れる気が全然ない。実際、つい先日もフロゥラは地上――王都に出現してツクシの喉元を狙っている。
「――まあ、助かったぜ、女王様」
ツクシがフロゥラの妖しい笑顔へまっすぐいった。狙われる身ではあるが、今、助けられたのは事実であるから、感謝を素直に伝えることにしたのである。
「――うん、その亡骸。ツクシ、おぬしの愛人が死んだのか?」
フロゥラは笑顔を消して焼けつくような溜息を吐いた。フロゥラはツクシの膝に頭を乗せたニーナの亡骸を見つめている。明らかに夜の瞳は嫉妬の炎で燃えていた。この女王様の情念は人知で計り知れぬほど強いのだ。死して尚、私の想いびとに身を寄せるか、この小娘めとフロゥラは強く思っていた。しかし、フロゥラは胸中で暴れ狂う嫉妬を表情に出さない。フロゥラは女の若い肉体と精神を保ったまま二千年年以上生きている。その間ずっと愛憎劇の業火に身を焦がして生きてきた魔の眷属、それがフロゥラという女性である。愛したものと別離する侘しさ辛さを身のうちに永年蓄積しているフロゥラは無様を晒すような真似をしなかった。
フロゥラ・ラックス・ヴァージニアは誇り高き吸血鬼の女王なのである。
「ああ。ニーナは死んだ」
ツクシがニーナの死に顔に視線を落とした。
「私の来るのが遅かったか?」
フロゥラが訊いた。
「――いや、こいつを綺麗な墓に入れてやりたいからな。助けてもらって本当に感謝してるぜ」
ツクシはうつむいたまま口角を歪めた。
「ツクシよォ」
ゴロウが路面に視線を落としたまま呼びかけた。
「――なんだ」
ツクシが不機嫌に応えた。
「――
ゴロウがいった。
「――そうだな」
ツクシが頷いた。
「――そうっすね」
ヤマダも鼻声でいった。
「良し、ニーナ、俺がつれて帰ってやるぜ――」
ニーナの亡骸を背に乗せたツクシは何歩か歩くと前のめりに倒れた。石床に額をつけたツクシは顔を歪めた。全身の骨がばらばらになったような痛みがツクシを苛んでいる。ツクシは歩くことも難しいほど消耗していた。それでも、ツクシはニーナの亡骸を背負ったまま立ち上がろうとする。
身体がいうことを聞かない。
ツクシは呻き声を上げた。
「ツクシ、無理するな」
ゴロウがヤマダの手を借りてニーナの亡骸を自分の背に乗せた。
「私は後始末があるからここに残る。貴様ら、必ず無事に地上へ帰れよ」
オリガ大尉が三人の男とひとつの亡骸の背を見送った。
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