三節 穴倉の賞金首(弐)

「リカルドさん、ニーナ!」

 声と一緒にユキがやってきた。片手でお盆を運ぶ様も堂に入ったものだ。運ばれてきたビールのタンブラーは四つだった。ツクシは自分の分を注文した覚えがない。黙っていても、ユキもミュカレもどんどん酒を運ぶし、ツクシのほうも全部それを飲んでしまう。だからこの男は常に金がないのである。

「おお、ユキか。元気そうで何よりよな」

「ユキちゃん、似合ってるわね、その服」

 リカルドとニーナが笑顔を見せた。

 ユキも猫っぽい唇を笑みの形へ変化させて応じた。

「ユキ、リカルドさんとニーナにも、冷たいビールを頼む」

 ツクシがいうと席についたリカルドの髭が上下に動いた。

「うん、すぐ持ってくるね!」

 ユキがすいすいと厨房へ戻ったあとで、ニーナが牙を剥いた。

「ツクシ、だめだってば!」

「ニーナ、いいだろ。飲めない奴の前で飲むと俺の酒が不味くなる。一杯だけつき合え」

 ツクシがニーナの美貌をじっと見つめた。

 ニーナの切れ長の眼にある瞳はとび色である。

 茶色に近いが、ユキの琥珀色より黄色が強い明るい色だよな――。

 ニーナの瞳を観察しながら、ツクシはそんなことを考えていた。

 要するに、ツクシはたいしたことを考えていない。

「し、仕方ないかな。い、一杯だけだからね――」

 ニーナは視線を外した。この男女の間にはそれなりの事情があって、交渉となると少しだけツクシは有利なのだ。ニーナの横に座ったリカルドが自分のカイゼル髭をつまんで嬉しそうにしている。悠里は視線で会話をするツクシとニーナを不満気に凝視している。ヤマダはオリーブの漬物をコリコリ齧っていた。

「で、その話ってのはなんだよ、リカルドの親父さん」

 ゴロウが冷たいピルスナーを喉へ流し込んだ。

 それに続いて、ツクシ、ヤマダ、悠里も喉を鳴らした。

 飲んでないのに喉仏を動かしていたリカルドが、

「ウ、ウム、ツクシたちも噂で聞いておろう。近頃エレベーター衛兵の失踪が多発しておる。ネスト最下層の前線にいる兵士にも失踪者が出ているらしい。恐らくは脱走兵か――」

 中途半端に言葉を切ったそのリカルドは厨房のほうをチラチラと見やっていた。このカイゼル髭を生やした初老の男は元貴族というだけあって、人柄や相貌に品格のようなものがあるのだが、普段好きに飲めないせいか酒が絡むと少し性格が卑しくなる。少しである。

 酒に全力全開で卑しいツクシが空にしたタンブラーの底を睨みつつ、

「ああ、前にも聞いたよな。ネストのなかにいる兵士が夜中に消える、だとか――」

「あァ、前にトニーがいってた噂かァ――」

 頷いたゴロウも空になったタンブラーの底を眺めていた。

「その失踪兵士がどうかしたんすか?」

 ヤマダのタンブラーはまだ半分内容が残っている。

 視線を惑わせて落ち着かないリカルドに代わってニーナが応えた。

「賞金が出ることになったの」

 うつむいていた不機嫌な顔をすっと引き上げたツクシが、

「賞金だと? それは聞き捨てならねェな」

 金目の話だ。

 ツクシは真剣だった。

 この男は元いた世界でも異世界こっちでも借金まみれなのである。

 そのだらしのないツクシが若いニーナの美貌を熱心に見つめている。

 頬を赤くした顔をプイと横に向けたニーナが、

「えっ、ええとね――ネスト内部で失踪した兵士を拿捕すると、ネスト管理省から賞金が出ることになったの。賞金が給与の支払いに上乗せされるわけね――」

 男女のことなので理由を明確に説明できない。しかし、何故かニーナはツクシに惚れ込んでいる。よもやもするとニーナは駄目な男が好みなのかも知れない。これは男で苦労するタイプの女性なのだろう。ニーナという誰が見ても若い美人は男の趣味が信じられないほど悪いのだ。もったいない。

「へえ、ネストのなかで失踪した兵士と鬼ごっこか――」

 ツクシはまたタンブラーの底へ視線を落とした。

 失踪した兵士がネストにいるとは限らない。これまでツクシが収集した情報を統合して考えるとネストの出入口はひとつだけではないからだ。ネストで失踪した兵士を追いかけると結果的に、ジークリットの要求通り、ネスト内部にある出入口を探すことになるのかも知れない。

 この点、ツクシは面白くなかった。

「でもよォ、ネスト・ポーターはネストのなかで荷を運ぶだけだろ。自由に行動できる時間はほとんどねえぜ。どうやって、ネストのなかで失踪兵士と鬼ごっこをするんだよォ?」

 ゴロウは空にしたタンブラーを手で弄んでいる。

「ほら、最近は人手が増えたから夜間の休憩時間が多いじゃない。その時間帯を使わせてくれるみたい」

 ニーナがオリーブの塩漬けを指でつまんで口へ入れた。形の良い顎のラインをくっと引き上げて赤い唇を開けるその様は絵になるものだ。悠里がその若い美人の一挙一動を値踏みするように眺めている。悠里が何を値踏みしているのかは不明瞭である。

「ウム、最近は運ぶ荷それ自体が少なくなっておるからな――おお、ユキよ、ようやく来たか。待ちかねたぞ!」

 リカルドが大声を出した。

「おまたせ!」

 ユキが冷えたピルスナーが注がれたタンブラーを卓へ並べた。ツクシやゴロウのお代わりも、注文をしていないのだが運んできた。

 クソッ、ここの宿の連中は俺を借金漬けにするつもりか――。

 ツクシは顔を歪めたつもりであったが口角は完全にゆるんでいる。

 この男は酒と女が絡むと極端に意思が弱くなるのだ。

 ツクシは結局、お代わりのピルスナーへ口をつけながら、

「ネストの下層では王国軍が異形種を押し込んでいるのか?」

「フムフム、これは器までもが冷たい。なるほど、それが目的で熱が伝わりやすい錫のタンブラーに、冷たいピルスナーを注いでおるのだな、これは、なかなか考えおるわ――ウム。ツクシよ、我輩にもそこまで詳しいことはわからぬが、少なくとも下から上がってくる兵士の死体は明らかに減っておる。軍が優勢に戦を進めていると考えるのが妥当であろうな」

 リカルドがようやく貴族然とした態度を取り戻した。

「――あァー! 最近、仕事が少なくなったのは、その所為もあるのか。いいんだか悪いんだかなァ」

 ゴロウが杯を一気に干してボヤいた。

 苦笑いのニーナが杯に唇を寄せて、

「何をいってるのゴロウ、いいことよ――このビール、ほんとうに冷たいのね。オリーブの塩漬けとも相性抜群。夏に飲みものとしてはもってこいかも」

 ニーナは瞳を見開いている。このニーナはまだ十九歳だが、タラリオン王国では『飲酒は●●歳から始めましょう』などとのたまう法律は存在しない。そもそも地下水の質が悪いこの王都ではアルコール飲料がないと生活することが難しい。

「なるほどな、今後、時間限定でネストでの自由行動が許可されるってわけか。面白いじゃねェか。逃げた兵士を捕まえて金が出るなら一石二鳥だ」

 ツクシが口角を邪悪に歪めた。

「やっぱり、やるんすか、ツクシさん」

 ヤマダがツクシへ顔を向けた。この話題にほとんど関係がない悠里もツクシの顔を見つめている。もっとも、ツクシと一緒にいるとき悠里はたいていツクシの顔を飽きもせずに見つめているのだが――しつこく記述するがツクシも悠里も男性である。

「もちろんやるさ。俺の目的はネストを探索して日本へ帰還するための手段を探ることだ。ヤマさんだってそうだろ。だが、結局はくじ運次第だぜ。朝の抽選で仕事にあぶれたら話にならん」

 ツクシは杯に半分残したビールを眺めていた。これを一息に飲んでしまうと、ユキが注文していないお代わりを持ってくるのは目に見えている。

「ツクシ、それは違いねえ。それで、逃げた兵士をとっ捕まえると金はいくら出るんだ?」

 金目の話になると、先程まで気の抜けていたゴロウの髭面に覇気のようなものが漲ってくる。

 ゴロウが真剣な髭面をニーナへ向けた。

「失踪した兵士の拿捕で三十枚。または失踪兵士の発見に繋がる報告をしたら五枚」

 ニーナが舌先に乗せたオリーブの種を指先でつまんだ。

「三十、それは銀貨でか?」

 ゴロウが唸った。

「――金貨よ」

 ニーナは悪戯っぽい調子である。

「――きっ、金貨だとォ!」

 ゴロウが絶叫した。薄汚い音の爆弾である。それは、ゴルゴダ酒場宿の表にまで響き渡った。ダミ声爆弾を真正面から食らったニーナが、「きゃあ!」と、目を白黒させて硬直した。同じ丸テーブル席にいた全員が耳鳴りで顔を歪めている。

 ツクシは耳鳴りを不機嫌で押し殺しながら、

「おい、管理省も大きく出たな! 金貨三十枚は折半でもでかいぞ!」

 自分の声がまだ聞こえないので、ツクシも怒鳴っていた。

「おっしゃ、ツクシ、明後日は朝一番に出るぞォ!」

 ゴロウがツクシの耳元でまた怒鳴った。

 わざとやってるのか、この赤髭野郎――。

 ツクシはゴロウを殺すつもりで睨みながら、

「朝早くに行っても変わらんだろ、クジ運だけは、どうにもならん!」

 それでも声量はゴロウの半分以下だ。

「――ツクシ、おめェは馬鹿なのか。こういうのは気合の問題だぞ?」

 呆れ顔のゴロウの声がここで普段の大きさに戻った。もっとも、この赤髭を生やした大男の地声は普段から大きい。

「――うーん、ネストの自由探索っすか。ちょっと怖いっすね」

 聴力が回復したヤマダが苦い笑顔を見せた。発言や態度は弱気に見えるが案外とクソ度胸のあるヤマダは失踪兵士探索をやる気になっているようである。

 冷たい杯をゆっくり干したリカルドが、

「ウム。ヤマのいう通り注意は必要だ。しかし、屍鬼は消えたのだ。浅い階層のネストで危険なのは、ファングていどのものよな」

「そうね、犬斬りサムライもいるし平気じゃない?」

 ニーナがツクシへ視線を流した。

「ニーナ、あのなあ、俺はサムライでも何でもないからな。それに、犬斬り――」

 ツクシが顔をしかめた。確かに、最近のツクシは、ネストに棲む巨大な猛犬――ファングを魔刀ひときり包丁で片っ端から斬り殺している。獰猛な犬を放っておくより良いだろう、ツクシはそう考えたのだ。これをやりすぎた。最近ではツクシの姿を見ただけでファングが悲鳴を上げながら逃走するようになった。それで、ツクシを『犬斬りサムライ』と妙な渾名で呼ぶものが出始めた。

「まあ、ひと斬りよりもいいじゃないですか、ツクシさん。あはっ!」

 悠里が笑うとツクシの口角が苦く歪んだ。確かに悠里のいう通りだ。ひとを斬るとツクシの悪夢に嫌な客が増えるだけだった。

 腰にある刀、いっそのこと『いぬきり包丁』とでも銘を変えるか。

 ひとを斬るのはこれまでにしておきたい――。

 ツクシはうつむいてくだらないことを考え始めた。

 リカルドが近くで床をモップで磨いていたユキへ、

「ユキよ、すまぬが、もう一杯これを――」

「んっ?」

 顔を上げたユキが猫耳をぴこぴことさせた。

「ダメよ、お父様。私たちはそろそろ帰るね。ツクシ、ビールご馳走様」

 ニーナが父親を牽制しつつ席を立った。

 手に持ったタンブラーを見つめて、リカルドは酒への未練を匂わせている。

「ああ、いいんだ、ニーナ。三十枚ならお釣りが来るぜ」

 ツクシはタンブラーを淋しげに見つめるリカルドを眺めていた。

 ニーナは親父さんに対して厳し過ぎるのじゃないかな――。

 ツクシはそう思っている。テーブル席にいる他の面々の表情を見る限り、ツクシと同意見の者が大半を占めているような感じだ。

「呆れた、もう賞金を取った気でいるの?」

 ニーナがツクシへ目を向けた。

「ああ、いくらだって取れるさ。逃げる奴を追うのは得意でな。昔取ったなんとやらだ」

 ツクシは口角を歪めて見せた。

「ふぅん。私、ツクシの昔のこと何も知らないかも?」

 ふっと何かを思い出したような、そんなニーナの表情かおである。

「――そんなこと知っても、きっと、つまらんぜ」

 ツクシの視線がニーナの美貌から滑り落ちた。

「――ま、そのうち教えてもらおうかな。じゃあ、みんな、またね」

 ニーナは赤い唇に笑みを浮かせた。

 顔を上げたリカルドが、

「ニーナよ、もう行くのか。そうだ、皆の衆。夜にでもこの酒場でまた――」

「お父様、さっさと帰るわよ!」

「ウムウ、では、またな、皆の衆――」

 ツクシたちは自分の娘に連行されてゴルゴダ酒場宿をあとにするリカルドを見送った。

 そのあと、

「あれではリカルドの親父さんが気の毒だ」だとか、

「女なんてみんなあんなものだ、ひとの情というものが理解できんのだ」だとか、

 男たちは身勝手な話題でひとしきり盛り上がった。

 四杯目の冷たいピルスナーを一気に飲み終えたゴロウが、

「さて、ヤマ。俺たちもそろそろ行くかァ?」

「そうっすね、ゴロウさん!」

 ヤマダもそわそわっと椅子から腰を浮かせた。

 へらへら笑ってもいる。

 ヤマさんが屈託のない表情を見せるのは何かおかしいぞ――。

 むっと怪訝な表情になったツクシが、

「へえ、珍しいな、今日はもう終わりにするのか。お前ら二人でこのあとに何か用事でもあるのか?」

「んまァ、暇ついでにな。ヤマを案内してやる約束だぜ」

「ツクシさんも行きます? 行きますか? 行っとくっすか?」

 ゴロウとヤマダは粘着質な笑みを見せた。

「案内って、何の案内だ?」

「お? ツクシも行くかァ?」

「ぬっえへへえ――」

 ツクシが睨んでもゴロウもヤマダもイヤラシイ笑顔を崩さない。

 ツクシも口角をぐにゃりと歪めて、

「なるほどな。お前ら、その顔は悪いアソビか。女でも買いに行くのか。それは断る理由がな――クッ!」

 ツクシは腰を浮かせたのだが、すぐ顔を歪めて席へ戻った。強制的に着席を促されたのである。ツクシの後頭部をユキがお盆で殴った。ゴルゴダ酒場宿で使われているお盆は、油の強い赤茶色の硬い無垢材を削りだしたものでとても重い。鈍器の代用品としての使用にも十分耐えられる仕様である。

 女郎買いの相談を始めた中年男どもを不服そうに睨んでいた悠里が、

「ユキ、いいよ、もっとやっちゃって」

「ツクシ、不潔だし!」

 ユキがギャンと吠えてツクシの後頭部を硬い盆でゲシゲシやった。そのしっぽがぶわっと大きく膨らんでいる。これは猫が威嚇行動をするときに見られる現象である。

「――良し、じゃあ行くか。ゴロウ、ヤマさん」

 かなりいい音をさせながら、ユキはツクシの頭をお盆で殴り続けている。

 しかし、ツクシは意に介さない素振りを見せていた。

「あ、ああよォ――」

「ツクシさん、いいんすか、ユキちゃん何か怒ってますけど?」

 ユキにぼこんぼこん後頭部を殴られながら悪い顔で笑うツクシを、呆れ顔のゴロウとヤマダが見つめた。我慢強いのか。それとも、ツクシの石頭は他人より遥かに頑強なものなのか――。

「こっちの金を残しておいても意味がねェだろ。俺は何が何でも日本へ帰るんだからな。俺の懐はサムいもんだが借金は男の信条だ。あえて今は気にしねえ――」

 男の気構えを低い音程で語っていたツクシが、

「――痛ってェな。ユキ、いい加減にしろ!」

 痩せ我慢の限界に達して振り返った。

「死ねっ、このすけべ!」

 ユキは大人に怒鳴られてシュンとなるような女の子ではないのである。

 ユキはお盆を縦に振り下ろした。

 力の限りだった。

「あはっ、刺さった!」

 悠里が嬉しそうにいった。鋭い打撃音を立てて表面の面積が小さくなった硬い盆がツクシの眉間へ食い込むと、さすがに石頭自慢の中年男も「ぐああっ!」と悲鳴を上げて身体を丸めた。

 悶絶するツクシを鋭い犬歯を見せたユキがフンッと睨む。

「あ、ああよォ、行くかァ?」

「ツ、ツクシさん、またの機会で!」

 ゴロウとヤマダが面倒になって逃げようとすると、

「あっ、ゴロウ、ヤマさん、お勘定!」

 ユキが出入口に立ちはだかって足止めをした。ミュカレはほわほわとしているので同じ卓についた客の勘定をひとまとめにしてしまうのだが、ユキはその点、抜かりがない。

 まあ、ユキのああいう部分は、ありがたいよな――。

 ツクシは渋々と懐から鎖のついた財布を取り出したゴロウを指の隙間から見やった。

「ツクシさん、大丈夫ですか。あっ、僕が手当てを――」

 悠里がツクシへきらきらした笑顔を寄せた。

「ああ、悠里。いい、いいから、こんなもん大丈夫だ――」

 ツクシが額から手を外すと、その眉間に血が滲んでいる。

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