十三節 リカルド・フォン・アウフシュナイダー辺境伯(弐)

 ツクシはユキを背負って、ゴロウはツクシの背嚢を背負って階段前広場へ戻ると、ネスト・ポーターたちが負傷者や身内の死体をリヤカーや四輪荷車へ乗せて出発する準備をしていた。戻ってきたツクシとゴロウ、それにユキを見て、ヤマダ、トニー、モグラが駆け寄った。最初は安堵した様子だった。しかし、ツクシに背負われてまったく顔を上げようとしないユキを見てみんな首を傾げた。

「ユキの命に別状はねえ」

 それだけゴロウは伝えた。ユキを背負ったままツクシはずっと黙っていた。ヤマダとトニーは何かを察して視線を落とした。モグラがユキに何か声をかけようとしたが、かける言葉が見つからない。

 悪いことは常に重なる。

 リカルドとニーナが階下からチムールとヤーコフの死体を引き上げて戻ってくると、トニーの顔が真っ青になった。モグラの顔は真っ赤になった。ツクシの背中に顔を埋めていたユキがまた泣きだした。掠れて蚊の鳴くような泣き声しか出てこない。

 ここにいるネスト・ポーターのたいていは地下三階層で起こった激闘を知らない。チムールとヤーコフの死体を見て階段前広場がどよめいた。チムールもヤーコフもネストで長く生き抜いて生存者サバイバーと称された男たちだ。自分たちがどれだけ危険な状況にいたのかを再確認したネスト・ポーターたちの口数が少なくなって、やがて、階段前広場は沈黙した。

 周囲の視線が集まるなか、リカルドとニーナがチムールとヤーコフの亡骸をリヤカーに乗せた。リカルドは自分の赤いマントをチムールとヤーコフの亡骸へかぶせると胸の前で十字を切るような仕草を見せた。エリファウス聖教会の象徴――カドゥケウス・シンボルへ祈りを捧げるときする所作だ。

 そのまま、リカルドは顎を引いてまぶたを閉じた。

 右の手は己の心臓の上に。

 チムール・ヴィノクラトフと、ヤーコフ・ヴィノクラトフの魂へ黙祷――。

 リカルドの横でニーナもそれに習った。ツクシは黙ってその様子を見つめていた。ゴロウもヤマダもトニーもモグラも黙っていた。

 ユキはツクシの背に顔を埋めている。

 祈りを終えたリカルドが、ツクシの背のユキを見やった。

 少し顔を上げてユキはリカルドへ視線だけを返した。

「ツクシよ、ユキは!」

 目を見開いて大声を上げたリカルドだったが、

「――いや、ユキは無事だったのだな。それで、よかろう」

 次の言葉は押し殺した声だった。

 例え大切な何かを失っても生き抜く。

 打ちのめされても、再び顔を上げて、自分の足で立ち上がる。

 生を自力で積み重ねているひとの尊厳は何ものにも挫くことはできぬ。

 リカルド・フォン・アウフシュナイダーはそう考えている――。


 §


 魔帝国軍の南方制圧第二軍集団系統の第四混成師団。

 これがアウフシュナイダー城の城下町へ迫る魔帝国の軍勢である。その第四師団に組み込まれた第一騎兵大隊、この騎兵大隊が魔帝軍第四師団の先頭を走っていた。

 第二四一騎兵大隊の隊長である魔人族ディアボロスのフェオドル・イド・サンタバレウスが騎乗している雪毛有角馬ウェンディゴ・エポの腹をブーツの踵で小突いた。鼻を鳴らした馬が駆ける速度を上げる。フェオドルはこれまでに殺したヒト族の老人や子供――労奴ろうどとしては不適合とされ、処刑斧隊エクスキューター・アックスによって「処理」された非戦闘員を思い出していた。

 無抵抗な彼らの絶望に染まる瞳の色。

 悲嘆を通り越して鈍くなった病人や老人や子供たちの表情。

 縛られた彼らの首筋に振り下ろされる処刑斧。

 聖霊ウルテマへ祈りを捧げながら首をなくし、祈る事もできなくなった死体の山。

 空を焦がし黒煙を上げて燃え盛る彼らの畑と家と教会。

 厩舎と一緒に生きたまま炎に巻かれた家畜の悲鳴。

 井戸へ流し込まれる肺腐熱発症菌の原液。

 槍先に突き刺したヒト族の赤子を掲げ気勢を上げる荒野サンドオークの傭兵ども。

 狩り残した獲物を上空から銃で狙い撃つ翼の生えた合成獣キマイラゴブリン。

 上空を旋回するヒッポグリフ騎兵偵察隊――そのヒッポグリフのけたたましい鳴き声。

 あの飛行生物は肉なら何でも食らう――。

 これから先で同様の殺戮が繰り返される予定だった。

 吐き気を覚えたフェオドルは顔を隠していた銀色の告死仮面デスマスクを上へ押し上げた。マスクの下にあったフェオドルの顔は黒い髭も雄臭く力強いものだった。しかし、その表情に明らかな苦悶が刻まれている。フェオドルが持つ魔人族特有の瞳――赤い瞳にアウフシュナイダー城下街の外壁門が映っていた。

 正面の大門は硬く閉じられている。

 そうか、ここにいる奴らは少なくとも抵抗をしてくれるか――。

 フェオドルが少し笑った。

 そうだ、それでいい。

 時間を稼げヒト族よ。

 長い時間を稼げ、タラリオン王国よ。

 そうすれば我らの「希望」がやってくる。

 希望が――。

 フェオドルは彼のささやかで不確定な最後の望みを思う。魔人の貴族、フェオドル・イド・サンタバレウス伯爵が、かつて仕えていた偉大なる魔賢帝デスチェインと、彼の八人目の息子の、少し頼りない笑顔を思う。魔賢帝の第八子ローランドは先帝とよく似た笑顔を見せる男だった。

 魔賢帝デスチェイン・ヨイッチ=フィオの没後、魔帝国では後継者争いの内乱が起こった。その結果、魔賢帝九人目の息子であるエンネアデス・ヨイッチ=ハガルが台頭した。そして危惧した通りだ。暴君によって粛清の嵐が吹き荒れた。エンネアデスは魔帝の座に着くや否や、反目していた兄弟たちを次々断頭台へ送った。その親族もみんな殺した。それに与するものも殺した。魔帝エンネアデスの狂気を見て、フェオドルとその有志は内乱を静観していた魔賢帝の第八子ローランド・ヨイッチ=ウィンを魔帝国の守護神――双子の黒不死鳥とともに国外へ脱出させた。むろん、これは極秘裏にである。

 あれから十年の歳月が流れている。平均的に八百年近い寿命を持つ魔人族にとって十年間は短い年月といえる。しかし、このフェオドルにはこの十年間が恐ろしく長く感じられた。

 老いた魔賢帝の死。

 跡目争いの内乱。

 エンネアデスが帝位に就いた直後に起こった血の粛清。

 魔帝国の守護神――双子の黒不死鳥の輪廻再生失敗。

 魔賢帝の第八子ローランドと双子の黒不死鳥の国外脱出。

 魔賢帝の治世に廃止された労奴制の復活と優位種保護法(※純血魔人種の優遇法)の制定。

 帝国議会の廃止。

 各国との一方的な国交断絶。

 軍事費の増強。

 帝国の財政破綻と困窮する市民生活。

 ハイパー・インフレーション。

 食糧難とそれに伴う暴動。

 自国民を殺すために出動する軍隊。そんな窮状のなか、魔帝エンネアデスが白鯨宮殿モーヴィ・ディック・パレスに増設した悪趣味な大後宮ハーレム――。

 いや違うな、とフェオドルは考え直した。あれは死の収容所だった。まだ幼さが残る少女たちの出口なき収容所だ。エンネアデスは極端な加虐嗜好の持ち主で自分が弄んだ少女をその手で殺してしまう。子供が遊び飽きたオモチャを壊してしまうように――。

 魔賢帝の血を濃く引くあのお方と、力を取り戻した双子の黒不死鳥が、いずれ我が祖国へ帰還してあの狂王エンネアデスを打ち倒す。そのときは、千年帝国ミレニアム再興のため、真の帝王のために、俺はこの名もこの命も捧げよう。

 それまでは、生きる。

 それまでは、何としても――。

 これが、魔賢帝健在であった頃から魔帝国騎兵隊の勇として戦場で名を馳せた、この魔人の貴族の希望だった。魔帝エンネアデスの大後宮ハーレムに妻子を監禁され、この一方的な虐殺に手を貸すことを強要された魔人族の騎兵大隊長の望みだった。

 それは、ともあれだな。

 門が閉じた外壁へ騎兵が突撃するわけにもいくまいよ――。

 フェオドルは胸中で進撃を急かす後方の将官を鼻で笑った。帝国軍の司令官は全員が魔帝エンネアデスの操り人形だ。魔帝の言葉を肯定するためだけに呼吸をしている人形である。もっとも、魔帝の言葉を否定したものは全てその呼吸を止めてしまったのだが――。

 魔賢帝デスチェインの背を追いカントレイア世界の戦乱を収めるため転戦した日々を、フェオドルは思った。魔帝国に大儀と調和があった日々の青春と栄誉をフェオドルは思った。だが、あの暴虐の魔帝エンネアデスは――フェオドルの顔が捻じ曲がった。

 俺の、祖国の、世界の希望の種はもう撒いてある。

 だが、貴様らにとってそれは破滅の種子だ。

 今に見ているがいい、エンネアデスとその傀儡くぐつらめ――。

 フェオドルが騎兵大隊を停止するために右手を上げようとした、その瞬間である。

 紫炎に揺れる巨大な魔弾が騎兵大隊の後方から飛来して、アウフシュナイダー城の城下町の外壁門を吹き飛ばした。これで、騎兵大隊の突撃を阻むものはなくなる。

 魔導式陣・魔槍の投擲弾ゲイボルグ・ハウザーの支援攻撃だ。

 二頭の雪毛有角馬ウェンディゴ・エポが引く戦馬車チャリオットに騎乗した魔導式術兵四名が、一つの魔導式陣の機動へ参加し巨大な魔弾を生成。これを曲射射撃で射出し遠方にある目標を破壊する。野砲にとって代わる戦力として魔帝国陸軍で近年正式に採用された、最新の魔導式陣であり新しい戦術だ。この魔導式陣の正式採用で魔帝国陸軍は騎兵の高い機動力を維持しつつ、大規模な野戦・攻城戦闘能力を保持することが可能となった。

「ヒッポグリフ騎兵が魔導師メイガス崩れどもの照準を手引きをしたのか。おのれ、余計な真似を――」

 フェオドルが上空へ視線をやると、ヒッポグリフ騎兵が得意気に上空を旋回したあと、後方へ戻ってゆくのが見えた。苦味走った顔を隠すため、フェオドルは告死仮面デスマスクを引き下ろした。人面を模したその銀の仮面は死の微笑みを浮かべている。

 向かい風が強くなってフェオドルの背にある黒マントがひるがえる。

 その裏地が血のように赤い。

 フェオドルは馬を駆ったまま右手を前へ向けた。

 突撃の合図。

「長蛇突破隊形!」

「突破隊形!」

「突破隊形!」

 馬上で復唱が繰りされると、隊列前面に出た騎兵が重騎兵槍ランスを並べて、破壊された外壁門を駆け抜けた。何の抵抗もない。

 魔帝国の騎兵大隊は大地を揺らし次々城下街へ駆け込んでゆく。

「また無抵抗か、何をしているのだ、タラリオンのヒト族どもは――」

 これから始まる一方的な殺戮の光景が頭に思い浮かび、告死仮面デスマスクのなかでフェオドルが目を伏せると、その視界が暗くなった。

 この調子だと、俺の精神が持たんかも知れん――。

 フェオドルは仮面のなかで己を嘲笑った。だがそれはフェオドルの眼前が絶望で暗くなったわけではない。巨大な翼が太陽の光を遮ってフェオドルと彼が率いる騎兵隊に影を落としていた。城下町へ突入した魔の騎兵隊列の前方で混乱が起こった。雪毛有角馬ウェンディゴ・エポが驚いて後ろ立ち落馬するものもいる。街並みには前にも左右にも王国軍の姿はなかった。

 だが、戦闘はもう始まっている。

 馬を落ち着けてフェオドルが顔を上げた。

 そこで、歴戦の勇士、フェオドル・イド・サンタバレウスが呆気に取られた。

 上空五十メートルだ。

 その距離からグリーン・ワイバーンの背に乗った兵士が次々飛び降りてきた。一兵士に規格外の戦力を供給する導式機関仕様重甲冑、その導式の力を使った重装機動歩兵隊による強襲であった。飛来した白金しろがねの機兵が強引に大地へ降り立つと、そのたび、道の石畳が吹き飛んで粉塵が舞い上がる。空から降ってきたタラリオン王国の兵機は常人の力で持ち上げることもできない、重量のある巨大なポール・アーム――大斧槍ギガント・ハルベルト大戦斧ギガント・アックスを武器にしていた。白金の機兵は着地したそばから手の鉄塊を粉塵と血吹雪を巻き込みながら振り回す。断末魔と雪毛有角馬ウェンディゴ・エポのいななきが重なって戦場の狂騒曲を奏でた。白金の兵機の爆撃が、フィオドルの騎兵大隊を大混乱に陥れている。

 一体、何が起こっている――。

 フェオドルの赤い瞳のなかで導式の光が散った。強襲してきた白い機兵が武器をうち振るうたび導式の光が発生している。その全員が装備した導式鎧の動力を頼りにしているのは間違いない。だが、急襲してきた兵士全員に標準装備として導式鎧を供給するのは、コストを考えると難しい筈だ。導式鎧の動力は希少価値が最も高い上級秘石――蒼玉、紅玉、豹目石などであり、どのような手を尽くしても量産するのは不可能。これまでタラリオン王国で導式鎧を運用しているのは、王族の親衛隊である三ツ首鷲騎士団か、有力な貴族階級出身者で構成された重装機動歩兵隊のみと、ごく一部だった筈。

 まさか、タラリオン王国軍は人工秘石を使った小型導式機関の開発に成功を――。

 そこまで考えて、フェオドルは叫んだ。

「大隊、敵とまともに斬り合うな、総員、一時退――!」

 その命令は途切れた。機兵が上空からフェオドルを強襲したのだ。白金しろがねの兵機は落下する勢いそのまま、刃渡りだけで二メートルの両手持幅広剣バスタード・ソードをフェオドルへ振り下ろした。フェオドルの身体は騎乗していた雪毛有角馬ウェンディゴ・エポごと肩口から二つに割れた。

 致命傷を受けたフェオドルが地面へ落下してゆく。

 それでも、ほんの少しの間だけ、フェオドルの意識は残っていた。

 残っていたのは祖国で暴君に囚われた妻子への――家族への強い思慕。

 それに、ある種の安堵――。


 §


「これで全員、揃ったな。よーし、ネスト・ポーター・ウルズ組は地上へ向けて移動を開始だ。貴様らお嬢ちゃん連中を第一二七特別銃歩兵隊のクソ野郎どもが、紳士的に星空の下へエスコートしてやるぞ。ありがたく思え!」

 いつもの調子でシュトルツ少尉が怒鳴った。

 生き残ったものは死者の分まで笑って生き続けるべし。

 これが陽性の軍人シュトルツ少尉の考え方だ。

 ネスト・ポーターたちが陽気な怒声に尻を蹴飛ばされて顔を上げる。

 第一二七特別銃歩兵小隊の面々から笑い声が漏れていた。

 ウルズ組の帰還が始まった。

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