四節 白金の騎士の親子

 上がりエレベーター・キャンプに起床ラッパが鳴り響いた。

  圧迫感にうなされながらツクシが目を開けると、胸の上に銀色の頭が乗っている。猫の耳がついた大人より小さな頭だ。

「また俺を枕代わりに使っていやがるな、この猫め――」

 ツクシは自分の身体の上で熟睡していたユキをぺっと払いのけた。ころんころんと転がったユキが「ふぎゃん!」と鳴いて身を起こした。一呼吸おいて、その場にくてっと潰れたユキは惰眠を貪ろうと試みた。ツクシはその襟首をつかんで引き起こした。猫耳を伏せてすごく眠そうな顔のユキが、ツクシの不機嫌な顔を見上げている。

 眠たい顔を並べたツクシたちは車座になって朝食をとった。

 一夜明けると、持ち込んだ弁当を切らすものも多い。たいていのネスト・ポーターはネスト行商から買った同じ朝食を食べた。チムールもヤーコフもネスト行商から朝食を調達してきた。本日の朝食は燕麦オートミールにボイルド・ソーセージとゆで卵を突っ込んだものだ。これも以前、ツクシが食べたものである。

 ツクシは味がしない麦の粥をスプーンですくいながら、車座の対面にいたリカルドへ目を向けた。リカルドの顔色は悪くない。咳もしていない。しかし、その横にいるニーナが何かしきりにリカルドへ飲ませようとしている。ニーナの手にあるコップの中身は、以前、ツクシを絶句させたあの黄緑虫の絞り汁だった。信じられないほど不味いが健康的な飲み物らしい。この飲料の製法は簡単だ。コインていどの大きさの黄緑蟲を、ぶっちぶっちして体液を搾り出すだけである。

「黄緑虫は体内に虫水袋を持つ珍しい甲虫なんだぜえ」

 ツクシは訊いていない。だが、ゴロウが教えた。グリフォニア大陸、その内陸は南の乾燥地帯に黄緑虫はたくさん生息しているとのこと。

 ツクシは嫌そうな顔でゴロウの説明を聞きながら、

「病人にそんなものを飲ませていいのか?」

「さァなァ――」

 ゴロウがいい加減な返事をした。そのいい加減なゴロウの視線の先で黄緑虫の絞り汁を父親に飲ませようとニーナが躍起になっている。

 ツクシはゴロウを横目で睨んで、

「お前、医者なんだろ、無責任な野郎だな」

 ツクシの左右に座って無表情で燕麦を口に運んでいたユキとモグラも横目でゴロウへ視線を送った。

「だからよォ。俺はそのイシャってのじゃねえからな。布教師アルケミストだぜ――」

 ゴロウが髭面をひん曲げた。自分の娘のしつこさに折れたリカルドが黄緑虫の絞り汁を呑み下している。悪くなかった顔色がどんどん青ざめた。死相を浮かべる父親の顔を娘のニーナが満足気に眺めている。

 顔を歪めたツクシが、

「あーあ、飲ませやがった。あとでどうなっても知らねェぞ――ゴロウ、それをいうなら、俺だってサムライ・ナイトじゃねェぜ。しかし、このメシ、やっぱり不味いな」

「あの行商、この前と同じだな。あいつら、いつもハズレなんだよなァ。外で買うよりえらく割高だしよォ。まったく、いい商売だぜ、ネスト行商ってのはよォ――」

 ゴロウが唸った。

 チムールは最初から最後まで黙ったまま朝食を食べ終えて、

「干し肉と黒パンのほうがマシだよ、まったくよ」

「ま、まあ、食えないことはない――」

 そういったが、表情が冴えないヤーコフも、干し肉と黒パンのほうがマシな味だと考えている様子だった。

「そうかな、俺は燕麦粥、大好きだぜ」

「あっ、トニーさん、自分も同感っす。さっぱりしていて旨いっすよねコレ」

 肩を並べて燕麦の粥を旨そうに頬張るトニーとヤマダへ、ツクシたちの視線が集中した。


 積み込みを終えたウルズ組が下りエレベーター・キャンプへ向けて輸送を開始した。輸送隊列は二時間進んだが、そこまで問題は発生しなかった。ファング数匹が脇道から顔を覗かせたていどだ。

 しかし、チムールは険しい顔で唸った。

「これよ、おかしいよ、ゴロウよ――」

「ああよォ、チムール、確かに妙だ。今日は屍鬼が一匹も見当たらねえ。昨日あれだけいたのになァ――」

 ゴロウは音を上げたトニーに代わって荷車を押している。

「それもそうだけどよ。さっきから臭いんだよ」

 チムールの視線は大坑道の先へ向いている。

 壁沿いに導式灯が並び、奥まで照明が確保されていた。

「く、臭いか。お、おれにはわからないが、チムールがいうなら間違いない」

 四輪荷車を引くヤーコフがいった。

「――え? え? わ、私? まさか、臭いって私のこと?」

 チムールの前を歩いていたニーナが硬い笑顔できょろきょろした。

「チムール、俺は何も臭わないぜ?」

 トニーは鼻の穴を大きくしながら首を捻った。

「チムールさん、自分もっす。何か臭いますかね?」

 ヤーコフと並んで荷を引いているヤマダもトニーの意見に頷いた。

「フム、我輩の娘は少々無神経なところがある。我輩が至らぬばかりに娘が皆の衆へ不愉快な思いをさせたようだ。すまぬ、すまぬな――」

 四輪荷車の向こう側からリカルドの無念そうな声が聞こえた。

「ちょ、ちょっと待って、お父様! 臭いって私のことじゃないよね? チムール、応えなさい!」

 ニーナが振り返ってチムールを睨んだ。高身長で切れ長の目のニーナは、笑顔を消すと、その途端、とっつきにくい印象になる。ニーナが睨みを利かせると迫力があった。簡単にいうと怒ると怖い顔になるのがニーナという女性である。

「うるせえよ、ニーナよ、静かにしろよ。音もしたしよ、臭うんだよ」

 チムールが煩わしそうにいった。

「お、音って!」

 動揺した様子のニーナがチムールの剣呑とした顔をじっと見つめた。

「そんなに臭かったのか、チムールよ。いつも身近にいるから我輩にはわからなかったのかも知れぬ。すまぬ、娘がたいへんな迷惑をかけた――」

 リカルドの力ない声が荷台の向こう側からまた聞こえた。

「あのよ、何をいってるんだよ、お前らはよ――」

 チムールが面倒そうにニーナの顔を見つめた。

 そのチムールをガリガリと睨みつけるニーナは大真面目な顔だ。

 チムールの横を歩いていたツクシが、

「硝煙の臭いだな」

 ツクシの鼻先が動いている。

「へえ、鼻がいいじゃねえかよ。ツクシよ、お前はよ、狩人に向いてるかもよ」

 チムールが薄い唇の端を反らした。

「ツクシ、この先からてっぽうの音がたくさんするよ」

 ツクシの横を歩くユキは猫耳を動かしている。

「オイラには聞こえないなあ――」

 荷車を押していたモグラが首を捻った。

「そうかよ、ユキは聞こえるかよ。猫人は耳がいいからよ、間違いねえよ。先でエレベーター・キャンプの衛兵がやらかしてるよ。お前ら準備しとけよ!」

 チムールが戦闘準備を促した。

 輸送隊列にざわっと緊張が走る。

「ほう、チムールよ。敵はファングの群れか、それとも、屍鬼の群れのほうなのか?」

 リカルドの声に自信と力強さが戻った。

「まだよ、そこまでわかんねえよ、リカルドの親父さんよ。でもよ、これはよ、かなり多いよ――」

 チムールは大坑道の先を見つめたままだ。

「私たちの仕事ってわけね。そ、そうよね、私が臭いとかありえないし!」

 ニーナが笑顔でいった。いつもはハスキーなニーナの声が、いつもよりずっと甲高い。

 警笛を持ったゴロウが、

「チムール、ボルドウのクソ野郎を呼んどくか?」

「いらねえよ、ゴロウよ。あのゲリグソ野郎を頼りにするつもりはねえよ。それより、ヤーコフとツクシよ、子供ガキどもをしっかり見とけよ」

 チムールが背負っていた狩人弓を手にとった。

「わ、わかった、チムール」

「ああ」

 頷いたヤーコフとツクシも大坑道の奥へ視線を送っている。

「いっ、いよいよ、戦うんすか――」

 荷を引くヤマダが振り返って、荷車の上に置いてある自分の十字槍へ視線を送った。

「ヤマ、慌てなくていいと思うぜ。この面子ならさ」

 トニーは余裕の態度だ。

 進む道の先はT字路になっていた。輸送隊列がそのT字路の手前まで来ると、発砲音と兵士の怒号、それに屍鬼の呻き声が、はっきり聞こえる。輸送隊列が止まった。ゴロウではない。他の誰かが警笛を吹き鳴らして後方のボルドウ輸送警備小隊を呼んだ。ネスト・ポーターたちは流れ弾を恐れて荷車の影に身を隠した。

「武器を持っている人足どもは、前に出るんだよお、おら、早くしろやあ!」

 喚き散らすボルドウ小隊長を、ネスト・ポーターたちは冷めた目で眺めた。輸送隊列の進行方向が銃の硝煙で白く煙っている。壁に反響する発砲音が近づいてくる。T字路の右手からだ。エレベーター・キャンプの衛兵三十名余が姿を見せた。発砲をしながらここまで下がってきたこの彼らは鉄カブトに鉄鎧姿のボルドウ湯堂警備小隊と見た目が違う。深緑色の王国陸軍服姿である。これは王国軍の正規兵の集団だ。

 ボルドウ小隊長が叫んだ。

「撃っ――い、いや待て、待て。撃ち方、待て、あれは味方だ!」

「助かった。隊は輸送隊列と合流しろ。エレベーター衛兵隊、走れ、走れ!」

 エレベーター衛兵隊の隊長らしき人物が叫んだ。撤退してきたエレベーター衛兵隊がボルドー小隊と合流する。遁走してきたエレベーター衛兵の顔はすべて真っ青だ。この合流でボルドウ輸送警備小隊の戦力は倍になった。臨時編成された部隊の指揮権は隊内で一番階級が上であるボルドウ小隊長が持つ。

「横だ、二列横隊列を作れえ、愚図愚図するなあ!」

 ボルドウ小隊長が唾を飛ばして怒鳴り散らした。

 ハンスが斧槍を握り直して訊いた。

「一体、先で何があったんですか、ヴィクトル曹長殿!」

「ハ、ハンス特務伍長か。地下二階層の下りエレベーター・キャンプのバリケードが屍鬼の大群に破られた。ここまで、銃歩兵一名と軽装歩兵の二名が欠員、通信機は確保できずだ!」

 エレベーター衛兵隊長の隊長――ヴィクトル曹長が息を荒げたまま告げた。

「エレベータ・キャンプのバリケードが破られた。しかも通信機を損失――敵戦力は、屍鬼は何体いるんですか?」

 ハンスの顔が強張った。

「五十、いや六十体か、もっとだったかも知れん――」

 ヴィクトル曹長が呻くように応えた。

「そんな大量の屍鬼が組織的にエレベータ・キャンプの襲撃を?」

 ハンスがT字路奥を見やった。

 屍鬼の呻き声が近くなっている――。

 ヴィクトル曹長もT字路奥を睨んで、

「組織的――それはわからんが、とにかく一度に押し寄せてきた。俺もまだ信じられん――」

「あひいっ、小隊は撃てっ、撃てえぇえいっ!」

 ボルドウ小隊長が絶叫した。

 T字路の右側から屍鬼が出現している。

「小隊長、もっとひきつけないと駄目です。あれで全部じゃないんだ!」

 ハンスの声は発砲音に掻き消された。出現した屍鬼五体のうち四体は鉛弾を受け崩れ落ちた。そのうちで、頭部の損傷を免れたらしい三体がボルドウ小隊へ這い寄ってくる。

「け、軽装歩兵、前へ出て、斧槍で屍鬼どもに止めを――ぶひい!」

 ボルドー小隊長が垂れた頬を震わせて絶句した。

「お、多すぎる!」

 ハンスが顔色を失った。

「まだいる、たくさんいるんだ、弾込めだ、みんな、手を休めるな!」

 ヴィクトル曹長が周辺を叱咤激励しながら、自身も銃を手にとって紙薬莢を噛み千切った。前方右手から二体、三体、六体、十体――お互いがもつれるようにして次々と屍鬼が飛び出してくる。男性、女性、老人、子供、屍鬼の形態は様々だ。全てに共通しているのは黄色く白く濁った眼球である。大坑道T字路の突き当たりに並ぶ死者の瞳が、ボルドウ輸送警備小隊と、荷の後ろで身を屈めていたネストポーターたちをどろりと認識した。

 土埃を巻き上げて屍鬼の群れが突撃を開始。

 この時点で屍鬼の数は六十以上に膨れ上がっていた。四肢を損傷し地を這っていた屍鬼が群れの足に何度も踏みつけられる。這ったものは呻き声と一緒に腐水を吐いた。

「――うっ、撃て、撃てえ、撃ってえぇえ!」

 ボルドウ小隊長の絶叫、屍鬼の唸り声、発砲音が重なった。ネスト・ポーターたちは、荷の影で震えながらT字路突き当りを中心に発生した戦闘を見つめている。誰もがこの場から逃げ出したいのだが、しかし、来た道を引き返すものは一人もいない。輸送隊列の後方から餌の匂いを嗅ぎつけたファングの唸り声が聞こえていた。

 ボルドウ輸送警備小隊は迫る屍鬼の群れへ鉛弾を浴びせかけた。倒された屍鬼は地を這って進行してくる。這っているものに後方から押し寄せた屍鬼が足をかけて転び、そこで将棋倒しが起こった。もつれあいながら屍鬼の群れは小隊との距離を詰める。

「撃てえっ、撃てよおっ!」

 ボルドウ小隊長は同じ号令を喚いた。先込め銃の装填と発砲の号令が合わなくなっている。小隊の射撃は装填を終えた者から発砲する散発的なものになった。弾幕の密度が薄くなったボルドウ輸送警備小隊は屍鬼の群れに近づかれるたび、じりじり下がってくる。

「ああ、くそ!」

 腰のポーチから紙薬莢を取り落とした兵士が膝をついた。それを拾い上げる前に、ポーチからすべての紙薬莢が地面へ散乱した。

「も、もう目と鼻の先まで来てるぞ!」

 動きの速い屍鬼の一匹が飛びかかって叫んだ兵士を押し倒した。

「この死体野郎!」

 悪態をつきながら、ハンスが駆け寄って倒れた兵士に覆いかぶさった屍鬼の顔を蹴り上げた。もんどりうって倒れた屍鬼はすぐ半身を起こしたが、しかし、その頭へハンスが振り下ろした斧槍の刃が食い込んだ。頭を割られて屍鬼から死体となったのは、うっすらと髭の生えた若男だった。その眼球は白く濁っているものの、まだ腐敗が進んでいない個体である。斧槍の刃で割れた頭から、脳髄の代用品として屍鬼の頭蓋にある特殊な無機化合物――屍鬼の結晶が見えた。屍鬼に首元を食いちぎられた兵士が地面で呻いている。その兵士は自分の手で首の傷口を押さえていた。その指の間から赤い血が――生きた血が溢れている。

「――衛生兵、衛生兵、早く来てくれ!」

 ハンスが衛生兵を呼んだ。

「サーベルを抜け、もう近すぎる、銃では駄目だ、肉弾で叩くしかない!」

 ヴィクトル衛兵隊長が腰のサーベルを引き抜いた。

 ボルドウ小隊長が同じくサーベルを引き抜いて、

「てっ、撤退だ。小隊は上がりエレベーター・キャンプまで撤退だあっ!」

「小隊長、そうするとポーターが逃げ切れません。屍鬼は動きが鈍くても絶対に息が上がらない。足が遅い連中は追撃してくる屍鬼に追いつかれます。ポーターのなかには子供も老人もいるんですよ!」

「ボルドウ特務少尉、先にポーターを後方へ下がらせろ、俺たちで屍鬼を食い止めながら撤退だ!」

 ハンスとヴィクトル曹長が上官に異を唱えた。

「黙れ、黙れ、黙れ、この馬鹿どもがあ! 俺は貴様らの上官だ、指揮権は俺にある。小隊は撤退だ。上がりエレベーター・キャンプまで撤退、撤退、急げ、愚図愚図するな、お前ら死にたいのかあ!」

 ボルドウ小隊長は後ろへゴキブリのようにカサカサ下がりながら喚き続けた。臨時編成されたボルドウ輸送警備小隊の兵員六十三名(※うち負傷者数名含む)は顔を見合わせたあと、発砲をしながらの後退を開始。諦めて振り返ったハンスとヴィクトル曹長の目に荷車の影のネスト・ポーターたちが映った。総勢二百名余だ。自衛のための武器を持つとはいえ、女や老人、それに子供を含む非戦闘民の集団――。

 

 四輪荷車の陰でツクシが唸った。

「おい、あの豚野郎、真っ先に下がってきやがったぞ。まさか、俺たちを屍鬼のエサにして、自分だけ逃げるつもりなのか?」

 前に出たボルドウ輸送警備小隊が撤退してくる。それを屍鬼の群れが追ってきた。ツクシの傍らでユキがその不機嫌な横顔を見上げている。丸い眉を寄せたユキへ視線を送って、俺はこいつを肩に担いで逃げる羽目になるかもなと、ツクシは顔を歪めた。そのユキはツクシの背嚢を背負っている。

「その、まさかだ、ツクシ。でもよォ、あのクソ野郎は兵隊さんには人気があるんだぜ。ネストからボルドウは必ず生きて戻ってくるってなァ。笑わせるよなァ、これまで何人、ポーターどもを見殺しにしているんだかは知らねえが――」

 ゴロウも後退してくるボルドウ小隊長を睨んでいた。

「あのゲリグソ野郎がよ――!」

 チムールが地面へ唾を飛ばした。

「し、死ね、死んでしまえ、ボルドウめ!」

 温厚なヤーコフも激怒している。

「とっ、とんでもない奴っすね――」

 ヤマダが眼鏡の奥にある目を丸くした。

「まあ、でも、平気だろ。俺たちは運がいいよ、ほんと――」

 トニーは白い鎧の親子を眺めていた。他のネスト・ポーターたちも発砲しつつ引いてくるボルドウ輸送警備小隊ではなくその親子に注目している。親子はモグラに背負わせた背嚢を解き、兜を取り出して、それを頭へ装着した。そうして立ち上がると、逃げてくるボルドウ輸送警備小隊へその姿を見せる。逃走してきた兵士たちの足が白金の騎士を見て止まった。真っ先に逃げてきたボルドウ小隊長ですら足を止めた。

 負傷者に肩を貸していたハンスが、

「ああ、そうだった。今回のウルズ組には――」

 ヴィクトル曹長が呆けた顔で、

「たっ、助かったぞ――」


「守るべきものの前で敵に背を見せるとは、それでも貴様ら王国の兵士なのか!」

 リカルドは燃える瞳を兜の面当てで隠した。

 神獣グリフォンの頭部――荒鷲を模した兜である。

 全身を覆う白い導式重甲冑に荒鷲の兜。

 鎧の上には家紋を胸に抱く真紅のサーコート

 背に深紅のマントをひるがえし、手に大斧槍グレート・ハルベルトを持つ。

 リカルド・フォン・アウフシュナイダーが屍鬼の軍勢に向かって歩を進めた。


「お父様、そんなに怒るとお身体に障りますわ」

 ニーナは切れるような眼光を兜の面当てで隠した。

 流線形の白い兜である。

 胸部、椀部、脚部を覆う白い導式機関使用重甲冑に流線型の兜。

 鎧から露出する部分は黒い防護スーツ。

 右手に、刃渡り一メートルを超える幅広剣。

 左手に、体の半分を覆い隠す突撃盾チャージ・シールド

 ニーナ・フォン・アウフシュナイダーが屍鬼の軍勢に向かって歩を進めた。


 銃声が止んだのを確認したツクシが立ち上がって、

「おい、俺たちはリカルドさんとニーナを手伝わなくていいのか?」

 ユキもツクシと一緒に立ち上がった。

「まァ、見てるだけでいいと思うぜ。下手に近寄ると危ねェしなァ――」

 ゴロウも立ち上がった。

「俺はよ、隊列の後ろにいるファングのほうが気になるよ――」

 チムールは背後を警戒している。

「し、心配はいらない、ツクシさん」

 ヤーコフは屍鬼の群れと対峙する親子の背中を見つめていた。

「重装歩兵隊隊員の戦闘ってそんなにも凄いんすか?」

 ヤマダが何故か頬を紅潮させて嬉しそうだ。

「ああ、うん、ヤマ、凄いぜあれは。凄いんだけどさ、あの屍鬼の数だと、今夜はイヤな夢を見るかもよ――」

 トニーが顔をしかめた。

 リカルドとニーナは同時に地面を蹴った。蹴った地面が抉り取られて土埃が高く舞う。一息だ。白金の二機は撤退しつつあったボルドウ輸送警備小隊の前へ出た。彼らの歩幅は五メートルを優に超えている。

 リカルドとニーナが迎撃を開始する。

 正面にいた屍鬼六体が、リカルドへ同時に襲いかかってきた。リカルドの背にある赤いマントがばっと燃え上がって、その手の大斧槍が横一閃に唸りを上げる。唸る刃が五体の屍鬼の身体を二つに分かつ。赤いマントがリカルドの背に落ち着くと、屍鬼がビシャンビシャンと落下して死肉の小山を作った。そのうち一体だけはまだその場に揺れながら立っていた。胸を斜めに割られたその屍鬼は女だった。肩をはだけた派手なワンピースが斜め裂けて青黒い乳房が片方見える。屍鬼の女は裂けた肌から内臓を見せながら青黒い腕を伸ばしてリカルドを求めた。しかし、横に割られた屍鬼女の胸部から上は地面へ落ちかかっている。動こうにもバランスが悪い。そのまま屍鬼女は地面へ崩れ落ちるか、と思われた。

 次の瞬間だ。

 ニーナがその屍鬼の女へ突撃盾と一緒にぶち当たった。屍鬼の女が真横にぶっ飛び転がってゆく。屍鬼の女の関節が明後日の方向へ折れ曲がって、その節々から白い骨が突き出していた。こうなると屍鬼の女は地面を這うことも適わない。倒れた屍鬼の女の後頭部をニーナの足鎧が踏みつけた。頭蓋がカシャンと割れる。そこで屍鬼の女は停止した。

 間髪を入れない。

 ニーナは鎧の背面に付いた六つの導式機関周辺へ青い導式陣を発現させた。駆け巡る導式光で全身を燃やし地面を蹴る。土埃が上がる。ニーナは突撃盾を前面に掲げて屍鬼の大群へ突貫した。

 その姿は青い軌跡を残して飛ぶ白き弾丸。

 ニーナは津波のように押し寄せる屍鬼の群れの中央に突っ込んだ。飛び込んできた餌に屍鬼がわっと群がる。ニーナは四方八方から襲う屍鬼を相手に盾を振るった。

 身体を軸に突撃盾を一回転、二回転。

 ゴカン、パキンと打撃音が派手に鳴る。

 ニーナ周辺にいた屍鬼がすべて吹き飛んだ。頭部に突撃盾の一撃を喰らったものは、地面へ落ちたところで活動を停止した、倒れた屍鬼の頭蓋が完全に変形している。

 屍鬼が作る荒波の真っ只中で、ニーナが幅広剣を撃ち振るう。繰り出された剣撃はおそろしく力任せだ。これは、その剣で屍鬼を地面へ叩きつけている、と表現するのが相応しいだろう。ニーナは左手の側腕部に装着している突撃盾でも寄ってくる屍鬼を殴りつけた。そのたび、骨と肉が砕ける音がする。群がる屍鬼を全て打楽器にして叩き壊しているような光景だった。ニーナの周辺で、手足が砕け、身体を割られ、機能不全になった屍鬼が倒れて重なった。それでも這ってニーナの脚にとりつこうとするものは、その頭を踵が高い足鎧で蹴り飛ばされる。

 みるみるうちにニーナを中心に赤黒い血の海が出来上がった。

 ニーナが撃ち漏らした屍鬼を大斧槍で華麗に叩き伏せつつ、

「いつ見ても粗雑で雄々しいいくさぶりよ。一体、誰に似たのやら――」

 リカルドは荒鷲の兜のなかで溜息を吐いた。

 ハンスとヴィクトル曹長が、

「小隊長!」

「ボルドウ特務少尉!」

「――あっ、ああ、小隊は倒れている屍鬼に止めを刺せ、オラ、さっさとやれえ!」

 ボルドウ小隊長が我に返って応援を命令した。兵士たちが斧槍やサーベルで地に這う屍鬼の頭部――屍鬼の結晶を破壊して回ると、合唱していた屍鬼の呻き声が減っていった。


「ああ、あれが導式鎧の戦闘能力かよ――」

 驚きを通り越したツクシは呆れ顔でその光景を眺めていた。

「しゅごい、しゅごい、これが、王国陸軍最精鋭の戦い――!」

 ヤマダは眼鏡を曇らせて興奮している。

「ああ、俺、ちょっと気持ち悪くなってきた――」

 トニーは歪めた顔を青くしている。

「ニーナはよ、手加減を全然知らないからよ。本当にガサツなんだよ、あの女はよ。もうちょっとどうにかならねえのかよ――」

 チムールも顔をしかめている。

「ま、まあ、そういうな、チムール。おれたちはニーナさんのお陰で助かった――」

 そういったヤーコフも眉根を強く寄せて嫌そうな表情だった。

「屍鬼を相手にするなら、頭を壊すだけでいいわけだしよォ。ミンチにする必要はねえやなァ。まァ、ニーナはあれがいつものことだけどよォ――」

 ゴロウが頬髯を撫で回しながらボヤいた。何しろニーナが戦いっぷりがもの凄い。ニーナが行動を起こすたびに屍鬼の手足や首が千切れ落ち、黒い血飛沫と腐った肉塊が跳ね上がる。リカルドのほうは大坑道を右へ左へ歩きながら、ぞんざいに大斧槍を薙ぎ払って屍鬼の首を落としていた。こちらはもうやる気が失せている態度である。

「オイラも導式鎧が欲しいなあ――」

 モグラが物欲しそうな声を出した。

 こんなエゲツない光景、子供に見せて大丈夫なものか――。

 心配になってきたツクシは横のユキへ顔を向けた。

 視線に気づいたユキがツクシを見上げて、

「ツクシ、すごく臭いね――」

「あ、ああ、ユキ。そうだよな、確かに臭い――」

 ツクシが頷いた。

 腐った死体をミキサーにかけているようなものだ。

 辺り一帯はひどい臭いだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る