十一節 男の休日
日本にいた頃から変わらない。休日のツクシは暇人もいいところである。大酒飲みのツクシでも休日の朝から酒を飲むのは自重している。むしろ、大酒飲みだからこそ、それだけは自重していた。飲みだすとキリがない。金がすぐ足りなくなる。
うん、酒を飲むのは昼からにしよう――。
心に決めたツクシはゴルゴダ酒場宿の周辺を散歩をすることにした。
宿の表に姿を見せたツクシへ、
「善い朝ね、ツクシ。善い一日を――」
骨馬レィディが挨拶をした。
その身に着けている白銀の馬鎧が朝陽を映して輝いている。
「おう、レィディ。いい天気だな」
ツクシは目を細めて挨拶を返した。
宿前の十字路は今日も変わらず交通量が多い。二頭、四頭、六頭と、馬を連ねた過積載の荷馬車が全速力で行き交う姿は、まるで暴走トラックのようだ。行き交う馬とひとで土煙が舞うゴルゴダ酒場宿の正面の道は悠長に散歩できる気配ではなかった。
じゃあ、朝風呂と洒落込むかよ。
こんな贅沢、日本でもしたことねェぜ――。
にんまりと口角を歪めたツクシはゴルゴダ銭湯へ足を向けた。ゴルゴダ銭湯の営業時間は夕方の四時から深夜十一時頃までらしい。ツクシは格子戸が下りた銭湯の玄関口を不機嫌な顔でしばらく睨んだ。ツクシが睨んだところで銭湯の営業時間が早くなるわけでもない。
ああもう、これで完全にやることがなくなったよな。
禁を破って朝から酒を飲むかよ――。
そう考え出したツクシの耳に覚えのある子供たちの声が聞こえてきた。声を追ったツクシが銭湯の裏手へ回ると、薪割りをするモグラをユキとシャルが手伝っている。
「あっ、ツクシ!」
「ツクシだ、ツクシだ!」
「は、はじめまして――」
ユキとモグラが、シャルをツクシに紹介した。
「ああ、酒場で聞いたぜ。シャルは演奏が上手いんだな」
ツクシが褒めるとシャルは頬を赤らめてモジモジと照れた。シャルは酒場宿の雑用を手伝いつつ、夜は演奏をして生活の糧を得ているとのこと。芸は身を助けるのか。シャルはモグラやユキよりも上等な服を着ている。
ツクシは銭湯裏手にある小屋を覗き込むと、そこはボイラー室だった。薪や掃除器具、機械油の入った樽などが並んで狭苦しい部屋は煤で真っ黒だ。ユキはここの墨を塗りたくって顔を黒くしていたのかな、ツクシは考えた。子供たちは毎日、薪を割って風呂の掃除をして、そのあとは夜の十一時過ぎまで釜炊きをするのが仕事になっているらしい。いつもはシャルの代わりにアリバという少年がいるそうだが、今日はラウとグェンが管理する厩舎を手伝っているとのことだ。
「良し、ものはついでだ」
ツクシも薪割りを手伝った。ツクシは力任せに斧を振り下ろすので薪があちこちぶっ飛ぶ。モグラのほうが遥かに手際が良い。子供たちにケラケラと笑われた大人のツクシは、渋い顔で退散した。
宿の裏手の広場の道は細く入り組んでいる。向かいの家屋の二階同士に張られたロープでは、色とりどりの洗濯物が青空を背景にはたはた揺れていた。その下で主婦の一団が立ち話をしている。リヤカーを引いた物売りの声が遠くから近くになって、また遠ざかる。親猫が一匹、子猫が三匹、石畳の細道をのたのた歩いていった。
少し宿の裏手を散策してみようか――。
そんな気分に誘われたツクシが路地裏の迷宮へ一歩踏み出したところで、
「やあ、やあ、
女の若い声がその足を止めた。
「――お前、確か名前はピエロだったか?」
ツクシが訊いた。
道化の女は物置小屋の壁に背を預け、手の紙の束に視線を落としている。
「あたし、クラウンだよ。ま、
道化の女――クラウンはツクシへ目を向けて薄く笑った。
「ああ、クラウンは、アルさんの所の冒険者だったよな。何故、俺を悪運と呼ぶんだ?」
ツクシは不機嫌な顔のままだ。
これは産まれる前に愛想笑いと絶縁した男である。
「――さあ?」
クラウンは顔を傾けてツクシを眺めている。
「――まあ、悪運でもいいぜ。実際、俺は悪運に恵まれてるからな」
ツクシがいった。
暇を持て余して、この女は俺で遊んでいるのだろうな――。
同じように暇なツクシはクラウンをじろじろ眺めた。クラウンの腰のベルトの両サイドには刃渡りの長い内反りのナイフ――ククリ・ナイフが吊るしてある。
この物騒な刃物は、どうも、遊びで使うわけじゃなさそうだ――。
ツクシは少し警戒したが、ツクシだって腰の剣帯から日本刀を吊っているので十二分に物騒だ。
「――面白いね、ツクシって」
クラウンが視線を手元に落とした。
「何をいっていやがる。俺はどこをどう見ても面白くねェオッサンだぜ。ところで、クラウン、それは何を読んでるんだ?」
ツクシが歩み寄ってクラウンを覗き込んだ。
「新聞だよ」
クラウンがいった。横から見る血色の良いクラウンの頬は張りがある。ツクシが見たところ、クラウンはまだ若い。ただ、その蓮っ葉な態度と余裕を見ると、年齢は二十歳を越えているのかなあ、とツクシは考えた。
ツクシがそのクラウンの顔の横で、
「タラリオンでは新聞が発行されているのか?」
「うん、そそ。ペーパー・ボーイが朝、ゴルゴダ酒場宿へ売りにくる」
「その新聞は日刊なのか?」
「ん、発行されるのは週に一度か二度かな?」
「なるほど、ここの新聞は週刊か。ここは何て書いてあるんだ?」
「よくわかんないね」
新聞にある活字を目で追いながらクラウンが応えた。
「あ?」
ツクシはクラウンの横顔を睨む。この男は感情の沸点がかなり低いが、いつも不機嫌そうな顔なので、外面からは怒ったタイミングがよくわからない。今はイラッとしたようだ。
クラウンがいった。
「あたし、文字よく知らないし――」
「変なやつだな――」
「読めないわけじゃないよ。よくわからないだけ」
「じゃあ、ここは何て書いてある?」
「よくわかんない」
「――クラウン、お前、本当は字が読めるんだろ?」
「あっ、バレたちゃった。じゃ、あたしがツクシのために、この記事を読んで差し上げよう」
「あのな――」
会話を散々混ぜっ返したあと、クラウンが新聞記事を朗読した。
「帝暦一〇一二年、緑竜月の末日である。著名な機械導式の研究者であり、王国学会名誉会員でもあるニコラウス・ド・クーノ博士が製作した、導式自動四輪車なる導式具の公開走行実験が、王都十三区ゴルゴダの路上にて行われた。導式自動四輪車は、導式機関を用いた複雑な機構を持つ乗り物で、次世代を担う交通機関として学会の注目を集めている。この新しい導式具の公開走行実験を行うにあたり、我らが偉大なるタラリオン王マルコ・ユリア・タラリオン十四世の親族にあたる、クリスティーナ――」
そこで朗読を止めたクラウンが、
「ああ、もう面倒くさ。ツクシ、このくらいでいい?」
「導式自動四輪車だと? この世界にそんなシロモノがあるのか?」
ツクシはまだ紙面を見つめていた。
「うん、あるね」
クラウンはツクシの横顔を見つめている。
「クラウンは見たことあるのか?」
ツクシは紙面にある導式四輪自動車のイラストをじっと見つめている。
「見たよ。今も、すぐそこにあるよ」
クラウンはまだツクシの横顔を見つめている。
「おお、それは俺も見てみたいな――」
これは休日のいい暇潰しになりそうだぞ――。
ツクシの口角がゆるんだ。少しだけである。
そのツクシの内心を見透かしたように、
「それ、無理だね」
クラウンが短くいった。
「何だよ、見るだけなら
ツクシはムッと不機嫌な表情に戻った。
「導式自動四輪車はペクトクラシュ河に潜行中」
クラウンはツクシの不機嫌な面構えを正面から見つめている。
「お、それはすごいな。導式自動四輪車は潜水までできるのか?」
ツクシも感情の色が浮かばないクラウンの瞳をじっと見つめた。
「違う違う。暴走して横の河へ突っ込んだの。ザパーンって」
クラウンの唇にあった薄笑いが顔全体に広がった。
「ああ、導式自動四輪車の走行実験は失敗だったんだな。まあ、導式エレベーターの出力の乱暴さから考えると、そんなものなんだろうな――」
口角を苦く歪めたツクシが視線を落とすと、
「――ツクシ、女は欲しい?」
クラウンがいった。
「な、何だ、急に?」
ツクシは急いで顔を上げた。
「あたしはいつでもいいよ。今は団が暇なんだよね――」
クラウンの肉の厚い桃色の唇の間で濡れた舌がちろちろ蠢いた。
「それは、ありがてェ話だな。今からでも要るぜ」
舐めやがって、この小娘め――。
口角を歪めたツクシはとびきり悪い笑顔である。
「オジサンをからかっただけかも。でも、本気かも? さて、さて、どっちかな?」
ふいっとツクシから視線を外したクラウンが、「くっくっ――」と、肩を震わせた。女の動作で寝転んでいたような初夏の大気が動いて、ツクシの鼻腔にめすの匂いが流れ込む。
背筋にぞくりと流れる男の情を殺しながらだ。
ツクシは目を見開いて、
「いや、その笑い方、どこかで聞いたぞ――あっ、お前は、あの赤い天幕にいた!」
こいつは――クラウンは確かにあの赤い天幕にいた女だ。
それで、俺を悪運と呼んだのか――。
クラウンは視線だけを残しながら、
「さてさて、飢えたオジサンに襲われないうちに撤退しとこっかな。じゃあね、ツクシ」
そのまま、するすると音もなくクラウンはゴルゴダ酒場宿の裏口へ消えていった。
やれやれ、小娘に散々からかわれた――。
その場に残されたツクシは口角を歪めてうつむいた。まあ、しかしである。それで気分を害されたわけでもない。
ツクシはまた足の向く方角へ歩きだした。
§
「――おっと、ツクシの旦那、今日はお休みでやんすか、ウヒヒ!」
ラウが笑い声で厩舎に顔を見せたツクシを歓迎した。ラウは藁を使って葦毛の馬を磨いている。十頭くらいの馬を面倒が見れそうな広さの、なかなか立派な厩舎だった。ラウが面倒を見ている葦毛の馬を含めて厩舎には計四頭の馬がいる。
アルさんと悠里が馬を使って営業に出かけている。
そうなるとアルバトロス曲馬団の持ち馬は六頭くらいか――。
そこまで考えたツクシは、表でぶらぶらしている骨馬レィディは馬の頭数に入れるべきなのかどうか迷った。
そもそも、骨馬レィディは誰の馬なのか――。
厩舎のなかで考え込んでしまったツクシに、
「あ、ツクシ!」
長柄ブラシを持ったグェンが声をかけた。グェンの横にもう一人少年がいる。赤いチリチリとした髪形にグェンと同じように額へバンダナを巻いた少年だ。ただ、ちりちり頭の少年のバンダナの色は赤ではなくて黄色だった。黄色いバンダナの少年は唇を一文字に結んで、ツクシを不審気に見上げている。グェンとよく似た痩せっぽちの体形で背丈はグェンより低い。
ツクシが黄色いバンダナの少年を眺めながら、
「おう、グェンと誰だよこいつ。お前の舎弟か?」
「アリバだよ。こいつもゴルゴダ・ギャングスタのメンバーなんだ」
グェンがアリバをツクシに紹介した。
こいつは確か、あのとき、ユキとマコトと一緒に、リヤカーを引いていた――。
ここでツクシがアリバを思い出した。
そのアリバはツクシをジロジロと眺めながら
「グェン兄貴。この目つきが超悪いオッサンは誰だよ、どっかで見たことあるかな――?」
まったく、ここにいる
不注意にも口角を歪めたツクシは、
「おう、アリバとやらも兄貴分の教育が行き届いているようだな。俺は九条尽だ。ツクシでいいぜ。クソガキよ」
「うっわあっ! な、なんだ、このオッサン! やる気かよ、こんチクショウ!」
取り乱したアリバの腰に差した短刀へ半ばその手がかかっている。アリバは悪くない。ツクシの笑顔が邪悪すぎるのである。
「アリバ、落ち着けよ。ツクシはついさっきひとを殺してきたような悪い顔をしているけど、気軽にひとを殺すような奴じゃないからさ。たぶん、だけど――それより、ツクシはさあ、ユキを洗っちゃっただろ。アレ、どう責任を取ってくれるの?」
グェンがツクシへ顔を向けた。
「お、おう。あれは不注意ですまんかった。だがな、グェン、俺の話も聞いてくれ。ネストから帰ってきたらな、女将さん――エイダがだな。俺へユキをどうしても風呂へ入れろ、さもないとここでお前を殺してやるとか、そんな感じの脅しを入れやがってな。正直、かなりおっかないだろ、あの女将さん――」
このガキめ、やっぱりそう来たか。
なるべく目を合わせないようにしていたのだが――。
ツクシは顔を引きつらせながら言い訳をした。
グェンとアリバは揃ってツクシを見上げながら、
「はあ、子供相手に言い訳かよ。いい大人が見苦しいぜ、ツクシ」
「そうだよな、兄貴。まったく、みっともねえオッサンだよな」
「――くっ!」
ツクシは顔を背けた。
「まあ、済んだことは仕方ない。ギャングスタのメンバーにも、ユキを一人にするなって声をかけてあるよ。ツクシもユキから目を離さないでくれ。ちゃんと責任は取れよな?」
グェンは仕事で失敗をした部下に広い心を見せる上司のような口振りだ。
「あ、ああ。すまんかった、グェン。余計な気苦労を増やして――ん、どうしたんだその左目の青タン――」
グェンの左目周辺が紫色に腫れあがっていた。良く見ると、グェンの地肌が露出している部分に切り傷や擦り傷もある。
「あー、ツクシ、たいしたことないぜ、こんなの――いてぇ!」
グェンが無理に笑顔を作ろうとして声を上げた。
「戦争だよ戦争。十二番区の
アリバが鼻息を荒くした。
「ああ、
ここの世界の
所詮は子供の喧嘩といっても感心できねェな――。
ツクシは眉根を寄せた。
「ツクシ、俺は喧嘩で一度も負けたことがないよ」
グェンがふんと鼻を鳴らした。
「ふぅん、そういうわりにはひどく顔が腫れてるぜ――」
眼球は大丈夫そうだがな――。
眉根を寄せたままのツクシが背を丸めてグェンの顔を見つめた。
同じようにしてグェンの腫れた顔を眺めていたアリバが、
「うーん、そういわれると朝より腫れてるよな。兄貴、やっぱ、ゴロウに診てもらおうか?」
「ツクシ、アリバ、ほっときゃ治るって。うるさいなあ――」
グェンが顔をしかめた。
ツクシが訊いた。
「へえ、お前らは怪我だとか病気をしたとき、ゴロウに診てもらうのか?」
「うん、金は取られるよ、ゴロウはケチだから」
「うん、ゴロウはドケチだからね」
グェンもアリバも赤ひげをドケチだと断定した。
なるほど、
ツクシは小さく頷いた。
「おーら、
ラウに怒鳴られて、
「うーい、うーい」
「へーい、へーい」
適当な返事をしたグェンとアリバは掃除を再開した。
「ああ、仕事の邪魔をして悪かったな――ところでラウさん。馬はいくらくらいの金で買えるんだ?」
ツクシはラウへ顔を向けた。
葦毛の馬の蹄鉄をチェックしていたラウが、
「――そうでやんすねえ。老いぼれ馬なら金貨五枚からありやすがね。ただ結局は安物買いの銭失いでさあ。長く使いたいなら、それなりの値は張りやすね。金貨三十枚は見ておいたほうがいい」
「結構いい値段だな。それに馬のエサ代と管理費がかかる。生き物だから毎日なんだよなあ――」
ツクシは独り言のようにいった。颯爽と馬を乗りこなすアルバトロスと悠里を見て、ツクシはちょっとだけ馬が欲しくなっている。
「――で、やんすね。馬の維持する手間まで考えると、持ち馬はなかなか手が出ないでやんすよ。酒場宿でも、馬は持っていないんでやんす。どうしても手が足りないときは借り馬屋で済ませていやすね。あとはアルの団が帰ってきたとき、馬の散歩ついでに借りたりね。何にしろ持ち馬は高値の華でやんすよ。あっしらのような庶民にとってはね。ウヒヒ!」
「なるほど、それで悠里が嬉しそうに馬へ乗っていたわけだな――」
ツクシは頷いて納得した。
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