第15章 巡り廻って

272:怨念

 ロザリアの第2月30日。彼は、絶望と死の縁に立たされていた。




「「「殺せ!殺せ!」」」

「「「裏切り者には、死を!」」」


 目の前に群がる人々が怨嗟の声を上げ、彼ら二人を糾弾する。彼らは太い柱に両手足を縛り付けられ、身動きもできないまま、自分達に降り注ぐ純粋なまでの殺意に乱打され続けた。


「違うっ!私は裏切り者ではないっ!」


 膨大な量の憎悪と殺意を浴びながら彼は必死に身の潔白を訴えるが、人々は彼の声に耳を貸さず、繰り返し拳を掲げて、刑の執行を要求する。彼は前方から押し寄せる死から逃れるように顔を背け、壇下に佇む美しい中年の女性に訴えた。


「ジャクリーヌ殿、止めてくれ!あなた方は、間違っている!今此処で争いが起きたら、中原は間違いなく滅びてしまう!頼む、止めるんだ!」

「この期に及んで、その様な戯言を。これも皆、あの女と、それに組みしたあなた方の仕出かした数々の罪業を思えば、当然の結果です」


 彼が焦燥を露わにして必死に訴えかけるも、ジャクリーヌ・レアンドルは軽蔑の眼差しを向け、冷酷に言い放つ。彼と並んで縛り付けられ、人々の殺意に乱打されていた男が、恐怖に耐え切れず白状した。


「…わ、私達は、騙されていたんだ。あの女に言いくるめられ、無理矢理言うことを聞かせられたんだ…私達は、被害者なんだ…」

「お前!?一体、何て事を!」

「ほら、ご覧なさい。枢機卿という地位に目が眩み、中原に仇為す行為をすれば、やがて罪の意識に耐え切れず、悔い改めるのは当然の事。あなたもロザリア様の御許に昇りたければ、今のうちに懺悔した方が良いのではなくて?…もう、手遅れでしょうけど」


 そう酷薄な台詞を吐いたジャクリーヌの周りで、兵士達が松明を掲げ、彼らを括り付けた柱の根元に積まれた薪に火をつける。薪が燃え広がり、柱に括り付けられた二人の男が炎に包まれていく。


「ぎゃあああああああああああああっ!た、助け…っ!」

「ジャ、ジャクリー…!」


 同僚の断末魔を聞きながら、彼は足元から這い上がってくる熱痛と、肺に流れ込む苦しみに侵食されながら、濁る空に向かって最期の言葉を呟いた。


「…へ、陛下…申し、わ…け…」




 ***


 ジャクリーヌは、壇上で噴き上がる二つの火柱を暫くの間無感動に眺めていたが、やがて壇上に上がって火柱に背を向けると、拳を掲げ喝采を浴びせる群衆に向かい、声を張り上げる。


「皆さん!聞いての通り、エーデルシュタインは『魔女』の手に落ちました!この世界を救うために召喚されたはずのあの女は、私達を裏切り、あろう事かガリエルと手を結んだのです!」

「あの女は、自らの体を餌にしてエーデルシュタイン王家の仲を裂き内乱を引き起こすと、ハヌマーンを招き入れて首都ヴェルツブルグを陥落させました!そして王族を皆殺しにした上に、エーデルシュタイン最後の希望の光であったリヒャルト王子でさえも手にかけ、根絶やしにしたのです!千年近くに渡って繁栄を続けてきたエーデルシュタインは滅び、あの女は絶望に覆われた彼の地でよりにもよって『人族の母』を騙り、生き残った人々を支配しています!」

「皆さん!中原三大国の名高い、私達の親しい友人であったエーデルシュタインがこの様な目に遭うなど、赦されるべき事でありましょうか!?あの女がエーデルシュタインだけで満足し、此処カラディナに手を伸ばさないという確証が、何処にありましょうか!?」

「「「そうだっ!そうだっ!」」」

「猊下、私達にご指示をっ!」


 ジャクリーヌの問いに人々は危機感を募らせ、拳を掲げて次々に応える。ジャクリーヌは壇下に群がる群衆に向かって右手を振り上げ、勢い良く振り下ろした。




「――― カラディナ、セント=ヌーヴェルの両教会は、コジョウ・ミカを魔族と断定し、両大国と共に暴虐極まりないあの女を滅ぼし、ロザリア聖地を解放するため、『東滅とうめつ』を宣言します!」




「エーデルシュタインを、聖地を、魔族の手から奪還するのだ!」

「ロザリア様をお救いしろ!」

「「「死を!コジョウ・ミカに死を!」」」


 熱狂的な群衆の呼び声に応えながら、ジャクリーヌは壇を下り、首都サン=ブレイユにある政府庁舎の一つへと入る。彼女は衛兵の先導で奥の一室へと通され、複数の男達の出迎えを受けた。男達が席を立って一礼する中、先頭に立つ男が口を開く。


「猊下、誠に見事な演説でございました。猊下の御言葉に共感した市民達の声が、この部屋まで届いておりましたぞ」

「お耳汚しでございました、ジェローム殿」


「六柱」の筆頭であるジェローム・バスチェの親しみのある笑みの前で、ジャクリーヌは儀礼的に頷き、ジェロームの隣のソファに腰を下ろす。二人は他の「六柱」の当主達を前に、首脳会談のような雰囲気で意見を交わす。


「ジェローム殿、此度の義挙に対するカラディナ共和国の賛同、カラディナ、セント=ヌーヴェル両教会を代表し、篤く御礼申し上げます」

「いえ、猊下。此度の教会のご決断、中原に住み志を同じくする者としては、全くもって同感すべき事。我が国は教会の宣言に呼応し、全面的に協力させていただきます」

「『六柱』の皆様には、自国の協力のみならず、セント=ヌーヴェルの賛同にも助力いただき、感謝の念に堪えません」

「お気になさらず。彼の国とは西誅での行き違いを乗り越え、かつての友誼を取り戻す事ができました。彼らもエーデルシュタインに起きた悪夢を座視する事ができず北伐に匹敵する軍の派遣を表明するでしょうし、南部の小国からもきっと多くの支援の申し出が来る事と存じます」

「皆様の篤い信仰心に、きっとロザリア様もお喜びでございましょう」


 ジェロームの言葉に、ジャクリーヌは軽く会釈し、豊かな胸元で印を切る。そして目を開くと、年齢に不釣り合いな色香を伴う溜息をついた。


「…しかし、全く、何て恐ろしいことでしょう…。今日、刑に処した二人の事は、私もヴェルツブルグに居た当時から知っておりましたが、些か旧習に囚われるきらいはあったものの、良き司教でございました。それが、あの様な世迷言を口にするようになって…いくら枢機卿の地位に目が眩んだとは言え、理解に苦しみます」

「伝え聞くところによると、コジョウ・ミカという者は、成人しているのにも関わらず、未だに少女と見紛う幼い姿をしているとの事。その無垢な姿にほだされたのではありませんか?」

「そうとしか思えませぬ。でなければ、あの二人のみならず、エーデルシュタインに残る男達が全く反抗の声を上げない事に、説明がつきません。ですが、あの女はその様な姿をしながら好色で、戦場でも男を侍らせていると言うではありませんか。オストラで捕らえられたリヒャルト殿下の首を刎ね、その首に見せびらかすように男とまぐわっていたと聞いて、私は鳥肌が立ちましたわ!」

「王宮では夜な夜な女性の悲鳴が聞こえて来るとも、噂されております」

「何て酷い事を!自分の欲を満たすためなら、男でも女でも構わないという事ね!?きっと、あの二人や宮中の男達の前でもあの女は痴態を晒し、誰彼構わず受け入れ篭絡したに違いないわ!汚らわしいっ!」


 ジャクリーヌは、自分には到底許容できないおぞましい享楽に耽る「コジョウ・ミカ」に怖気を感じ、穢れを落とすように二の腕を払った。




 ――― それは、リヒャルトの怨念かも知れない。


 オストラの地で首を刎ねられ、無念の死を迎えたリヒャルトが思い描いた、憎悪するに相応しい理想的な「コジョウ・ミカ」が、西方に顕現したのである。




 オストラの地で連合軍に快勝した聖王国は、自国に限れば何の不安要素も敵対勢力もなかったはずである。


 にもかかわらず、オストラ以降の美香の苦悩が何処からともなく外部へと漏れ、明確な悪意をもって歪められ、西方へと伝わったのである。西方諸国に聞こえて来たのは、戦場に斃れる兵士達の血を見て悦び、血だまりの上で恍惚の表情を浮かべて股を開き、返り血を浴びた無数の男達との情事に耽る「コジョウ・ミカ」だった。


 人々は「コジョウ・ミカ」のおぞましい姿に唾を吐き、「コジョウ・ミカ」の悪辣な姦計によって潰えたエーデルシュタイン王家に涙し、今もなお圧政の下で苦しむ人々を想って怒りを露わにした。彼らは教会が宣言した「東滅」の檄に次々に賛同の声を上げ、兵士やハンター達は剣を、市民達は拳を掲げ、従軍を申し出た。




 興奮冷めやらぬ市民達の声を聞きながら、ジェロームが懸念を表明する。


「猊下、一つ問題がございます。あの女は、その禍々しい姿に相応しい、凶悪な魔法の使い手です。ロザリアの槍。あの恐るべき魔法の前には、如何な大軍を揃えようと、為す術もなく蹴散らされる事でしょう」


 ジェロームの言葉に、「六柱」の面々が重々しく頷く。




 ロザリアの槍。一人で一軍をも蹂躙できる、最強の魔法。


 オストラの地において、カラディナ軍はその威力を目の当たりにした。使い手である「コジョウ・ミカ」の練度の低さに因るものか、槍は的を外れ直接の被害はなかったが、戦意を根こそぎ削り取られた。直撃を受ければ、万を超える軍でさえも四散する。東滅を成功させるためには、「ロザリアの槍」への対策を講じなければならない。


 ジェロームの言葉とともに、重苦しい空気が部屋の中に漂う。だが意外な事に、この中で一番軍事に疎いはずのジャクリーヌが、その空気を吹き飛ばした。


「ご安心下さい、ジェローム殿。確かに『ロザリアの槍』は恐るべき魔法ですが、ロザリア様が私に、勝利への道筋を指し示して下さいました」


 ジャクリーヌの言葉を聞いた「六柱」の面々は、発言者の顔を見て、眉を上げる。そこには、日頃冷静沈着なジャクリーヌに似つかわしくない、まるで初恋に胸を躍らせる生娘のような、上気した笑顔が浮かんでいた。




「――― あの方ならきっと、『ロザリアの槍』を掻い潜り、あの女の息の根を止めてくれます!」

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