198:一家団欒(1)

「さぁて、今日はこの辺で野営するとしよう。皆、車を降りてくれ」


 日がだいぶ傾き空が橙色に染まる中、ボクサーは街道を外れ、人里離れた山野へと分け入っていた。シモンは木々に囲まれた頃良い草原を見つけるとボクサーを停め、一行は柊也の指示に従ってぞろぞろと外へと出る。


 狭い車内で長時間座っていた事もあり、オズワルドとゲルダが首や腕を回して体の凝りを解す中、柊也は一人ボクサーの上へ登り、下に佇むシモンとセレーネに向けて声をかける。


「シモン、セレーネ。テントの骨組みを落とすから、組み立ててくれ」

「え?トウヤ、いつもと違うの?」


 いつもの野営と異なり、テントを出すためにわざわざボクサーの上に登った柊也を見て、シモンが首を傾げる。柊也は頷き、説明を続ける。


「人数が多すぎる。いつものでは入りきらないからな」

「わかった」


 ガシャガシャと金属質な音が聞こえ、背伸びをしていた美香が後ろを向くと、ボクサーの上に佇む柊也が、長い金属の棒を何本も地面に落としていた。美香達は、何もない空間から次々と姿を現わす資材に、思わず目を瞠る。


「シモン、これはいつものサイズだ。風呂用に建ててくれ」


 最後に柊也が一回り小さい束を落とすと、ボクサーを降り、美香達の前に戻って来る。柊也は山積みになった鉄パイプをまじまじと眺める四人に向かって、声をかけた。


「古城、それ、運動会とかで建てられる、でかいテントだ。建て方、わかるか?」

「…え?え?」


 突然柊也に話を振られ、美香は目を瞬かせる。この世界に召喚されてすでに3年が経過し、むしろ日本の方が異世界という認識になりつつあった美香は、突然向こうの知識を要求され、しどろもどろになる。


「…え、えっと」

「オズワルドさん達にやり方を教えて、四人で建ててくれ。あ、立てる場所だが、此処からこっちに向かって、ボクサーにピッタリくっつける感じでな」

「え?え?」


 美香が呆けたままうわ言の様に言葉を返すと、柊也はゲルダの方を向いて質問する。


「ゲルダさん、この辺、ヤバい魔物とか居るかわかるか?居るならストーンウォールで囲っておくけど」

「いや、大丈夫だよ。いざとなったら、アタシが気づくさ」

「そうか。なら、必要ないか」


 ゲルダが鼻をひくつかせながら答え、柊也が頷く。その二人の様子を眺めていた美香は首筋に視線を感じ、後ろを向くと、レティシアとオズワルドが美香の顔を見つめていた。


「…え?何?」

「何をしているんだい、ミカ?早くアタシ達に建て方を教えておくれよ」

「え?え?」


 ふと脇を見れば、柊也と話し終えたゲルダが美香の顔を見下ろしている。三人にまじまじと見つめられ、6,000のハヌマーンと対峙した時にも感じなかった、尋常ではないプレッシャーが美香に襲い掛かる。


「せ、先輩、タンマ!やっぱ私には無理!手伝って下さぁぁぁい!」


 美香はプレッシャーに負け、現実から逃げ出した。




「さて、此処で皆に重要な注意喚起がある。右腕に関する非常に面倒な制約だから、心して聞いてくれ」


 テントの設営を終えた柊也は下にビニールシートを敷くと、ボクサーを背にして座り、美香達四人を眺める。イベント用のテントだけあって大きなゆとりがあったが、何故か柊也はボクサーともう一つの小さなテントに寄り添うような感じで、隅の方に座っていた。


「実は、この右腕で取り出した物は、俺から離れすぎると5分程で消失してしまうという制限がある。その距離は、俺から2.2メルド。さっきテントが入っていた袋をあそこに放置しておいたんだが…もうそろそろかな…?」

「…あ」


 柊也が指差した方向に目を向けると、小さなテントを収納していたナイロンの袋が草地の上に転がっていたが、美香達が暫く眺めていると、突然霞のように跡形もなく消え去ってしまう。非現実的な光景を目の当たりにして固まる美香達の耳元に、柊也の声が聞こえて来る。


「…と言う感じだ。今俺がこんなテントの隅っこに座っているのも、後ろのボクサーと脇のテントを消さないようにするためだ。俺が時折不自然な場所に居る時は、大抵それが理由だから、皆認識しておいてくれ」


 柊也の説明に、美香達は四者四様の了解を示す。柊也は頷き、説明を続ける。


「それでだ。この先、道中の食料だが、この力を使って向こうから取り寄せるつもりだ。…こんな風に」

「うわっ!?」


 柊也が説明しながら目の前に取り出した物を見て、美香は驚きの声を上げる。それは、日本のコンビニで当たり前の様に目にする、500mlの烏龍茶のペットボトルだった。柊也は人数分のペットボトルを取り出すと一人一人に手渡し、レティシア達現地人組は、そのペットボトルを受け取ると物珍しそうに眺めている。美香の口から恨み節が聞こえて来た。


「…ずっこい、先輩。こっちに来てからも、ずっと日本の食事をしていたんですか?」

「人目につかない時だけな」

「不公平だ、自分ばっかし。先輩のバーカバーカ」


 口を尖らせ、ぶぅたれる美香を見た柊也は鼻で笑うと、一同を見渡す。


「でだ、此処から先が本題だ。先ほど説明した通り、右腕の力には2.2メルドの距離の制限がある。そして、俺が用意する食料もそれに含まれる。しかもそれは、食事を終えて胃の中に収まっても同じだ」

「「「…え?」」」


 一同が目を瞬かせ前のめりになる中、柊也が断言した。


「俺が出した食事を摂ったら最後、俺から2.2メルド以上は離れられなくなる。それを覚悟してくれ」




「…暑苦しいな」

「ああ、俺もそう思う」


 オズワルドと柊也が、渋い顔をして見つめ合う。互いに見つめ合ったまま動かない二人の男の間で、美香とレティシア、ゲルダの三人が困った表情で顔を見合わせた。


 半径2.2mの円内に7人。ざっくり15㎡の広さに常時7人である。むさ苦しい事、この上ない。


「…仕方ありませんわ。あの土壇場で助けていただいた上に、何から何までご用意いただけているんですもの。何も言う事は、ございません。シュウヤ殿、よろしくお願いいたしますわ」

「ええ、まぁ、我慢して下さい。レティシア様」


 やがて、レティシアが諦めたかのように可愛らしい溜息をつき、柊也に頭を下げる。釣られて柊也も頭を下げたところで、美香が柊也ににじり寄り、片手で衝立を立てて小声で尋ねた。


「…先輩、トイレはどうしているんですか?ちょっと、行ってきたいんだけど…」

「ああ、ボクサーの座席が1つ、トイレになっている。行ってきていいぞ」

「ちょっと、先輩!声が大きい!」


 デリカシーのない柊也の答えに美香がぷりぷりしながら立ち上がり、ボクサーの後部ハッチへと向かう。中に入った美香がふと後ろを向くと、レティシアとゲルダがついて来ていた。


「ん?何、二人とも、どうしたの?」

「向こうの世界のトイレの使い方がわからないから、見せてもらおうかと思って」

「ああ、そうだね。ちょっと待ってね」


 レティシアの答えに美香は了承し、座席を見回してトイレを探し当てる。美香はトイレの蓋を開けながら、二人に説明した。


「これが向こうのトイレだよ。用が済んだら、蓋を閉めてこのレバーを引けばいいから」

「なるほど、ありがとう、ミカ」

「どういたしまして」


 レティシアの御礼の言葉に返事をしながら美香は下を向き、ショーツに手をかける。そしてショーツを下げ、トイレに腰を下ろしたところでふと顔を上げると、レティシア、ゲルダの二人と目が合った。


「…え?ちょっと、二人とも、何でそこに居るの?」


 トイレに腰を下ろしたまま狼狽する美香の前で、レティシアは薄笑いを浮かべ、ゲルダが舌なめずりをする。


「だから、さっき言ったじゃない。トイレの使い方がわからないから、見せてもらうって」

「その通りだ、ミカ。最後までちゃんと見ておかないと、わからなくなっちゃうからねぇ」




「トウヤ、お風呂の準備ができたぞ」

「ありがとう、シモン」


 隣のテントから出てきたシモンに礼を言った柊也は、ボクサーの中から聞こえてくる悲鳴について、オズワルドに尋ねる。


「オズワルドさん、あの三人、何をやってるんだ?」

「…深く聞かないでくれ、シュウヤ殿。ミカが寝たきりになってからこっち、彼女がトイレに行く時は、だいたいあんな感じだ」


 オズワルドはこめかみに手を当て、こみ上げる頭痛に顔を顰めながら答えた。




「古城、お風呂ができたって。レティシア様と一緒に、先に入って来い」

「え?」


 茹蛸のように顔を赤らめボクサーから出て来た美香の耳に理解不能な言葉が飛び込み、美香とレティシアの手に何かが手渡される。二人が両手に持っている物を覗き込むと、黄色い風呂桶の中にタオルや石鹸、シャンプー、リンスの小さなボトルが収められていた。タオルを捲ると、風呂桶の底にプリントされた、銭湯でお馴染みのロゴが目に飛び込んで来る。


「えっ、ちょっ」

「隣のテントの中にこしらえてある。替えのお湯は、ポリタンクの中に入っているから。後がつかえているから、ほどほどにな」


 美香達は理解が追い付かないまま、柊也の言葉に追い立てられるように隣のテントへと向かう。そして中を覗き込んだレティシアが、感嘆の声を上げた。


「まぁ!野外でここまで拵えていただけるだなんて、贅沢極まりないわね!」


 テントの中には、レティシアの見た事のない材質で拵えられた浴槽が置かれ、その中にはお湯が並々と張られ、濛々と湯気を立てていた。浴槽は色鮮やかな青で染め上げられており、テントに吊り下げられたランタンの光を反射して輝いている。辺境伯令嬢であっても、旅の間は「クリエイトウォーター」を用いた水浴びで済ませるくらいであり、この待遇は破格と言えよう。隣に並んで浴室を覗き込んでいた美香が、仏頂面で呟いた。


「…何か今、物凄い敗北感に苛まされているんだけど…」

「仕方ないわよ、ミカ。彼は彼で、その分、別のところで苦労しているんだから」


 美香の仏頂面を見たレティシアは苦笑し、上着に手をかける。


「さ、ミカ。皆を待たせているし、早速入ろうか。シュウヤ殿から渡されたこの薬剤みたいなの、何だか教えてくれる?」

「あ、うん、ちょっと待ってね」


 レティシアの言葉に美香は頷き、二人は服を脱ぎ始めた。




「ふぅ…」


 浴槽に腰を下ろし首まで湯船に浸かった美香から、安堵の息が漏れる。続けて浴槽に入ってきたレティシアが、美香に労りの声をかけた。


「お疲れ様、ミカ。今日は本当、波乱の一日だったわね」

「ホントだよね、何だろう、この怒涛っぷりは…」


 湯船の中に口を入れ、ブクブクと泡立て始めた美香を見て、レティシアが微笑む。


「でも、クリストフ殿下への輿入れに比べれば、ずっと良かったんじゃない?シュウヤ殿に感謝しなきゃ」

「…」


 美香がブクブクと泡立てながら、こくりと頷く。それを見たレティシアはもう一度微笑み、美香と並んで浴槽に腰を下ろした。レティシアが湯船の中で膝を抱えたところで、美香が顔を上げて呟く。


「…でも、私、これから何処に行けばいいんだろうね…」


 美香は、浴室のテントの生地を眺めながら思う。これまでこの世界で知っている場所は、ヴェルツブルグとハーデンブルグの2箇所だけだ。その2箇所に居られなくなり、新天地に旅立つ羽目になった美香の心に、大学進学直後の一人暮らしの時に感じた寂寥感が漂う。だがそれは、温かい湯船の中で伸びてきたレティシアの掌を肌に感じた途端、霧散する。


「大丈夫よ、ミカ」


 美香の目の前で、湯に濡れたレティシアが艶やかに微笑む。


「私が居る。オズワルドもゲルダも居る。シュウヤ殿だって、決して私達に悪いようにはしない。あなたは、独りじゃない。私は、いつまでもあなたと一緒よ」

「レティシア…」


 湯に塗れ、ランタンの光を浴びて輝くレティシアの姿を前にして、美香は吸い込まれたかのように動きを止める。やがて美香の肩にレティシアの手が回され、レティシアの瞼が閉じるのを見た美香は、目を閉じて身を委ねる。


「…ミカ…あなたを愛している…」

「…レ…ん…」


 レティシアが呟きを発しながら唇を重ね、美香の言葉は舌から飛び立つ事なく、レティシアによって絡め取られる。二人はそのまま一つに重なって、暫くの間、水面に二つの波紋を描き続けていた。

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