173:決意

「トウヤ!Я видел цель!」


 操縦席から聞こえて来たシモンの声に、柊也が操縦席へと向かう。その後ろ姿を見ながらセレーネは席を立ち、梯子を伝って上部ハッチから顔を出して、舞い上がる砂埃と突き刺すような陽の光から顔を守りながら進行方向へと目を凝らした。


 何処までも赤茶けた、固い干乾びた平坦な大地の向こうに、一本の太い塔が見えてきた。塔は段々と太さと高さを増し、それに伴い少しずつ根元が地平から顔を覗かせてくる。やがて塔の根元が突然横へと広がり、幅の広い、平たい楕円状に緩やかな曲線を描いた。


「…あれが、エミリア様のお住まい…」


 セレーネは、刻一刻と巨大さを増す建物を眺めながら、呆然と呟く。エミリア様のお住まいはサーリア様のお住まいとほとんど同じ形状をしていたが、その雰囲気は明らかに異なっていた。サーリア様のお住まいは緑に覆われ、辺りは枝のそよぐ音や鳥の囀りで賑わいを見せていた。ハヌマーンに占拠されていた事だけは痛恨だったが、それを除けば風は潤いと心地良さを齎し、小まめに手入れさえすれば、サーリア様の御寝所として相応しい、安らぎの溢れる場所だったように思えた。


 それが、同じ建物であるはずのエミリア様のお住まいはどうだろう。灼熱の太陽と砂埃の舞う赤茶けた硬い大地に、動植物は1匹も見当たらない。建物は無慈悲に突き刺さる陽の光と叩きつける砂に翻弄され、誰にも看取られないまま朽ちていく運命が、セレーネの目の前に浮かんだ。


 これが、あのエミリア様の御寝所だなんて…。


 セレーネは、胸が締め付けられる。神話の中のエミリア様は自然を愛し、緑溢れる森と賑やかな動物達に囲まれるのを夢見て、この世界を作られた。そのエミリア様がサーリア様の悲報を耳にして斃れ、その傷心を癒すはずの御寝所が、此処までうらぶれているなんて。セレーネは、あまりにも皮肉な運命に襲われたエミリアを想い、涙を流す。


「エミリア様、今しばらくのご辛抱を。きっとトウヤさんが手を差し伸べられ、御身を緑豊かな森に誘う事でしょう」


 セレーネは、エミリアの建物に向かって呟き、上部ハッチを閉めて車内へと戻って行った。




「Sylph, Koko niha mamono ya kikenna doubutsu ha iruka?」

「Iie, Master. エミリア no main system syuuhen niha ikimono ha seisoku shite orimasen」


 ゆっくりと後退するボクサーの中で、セレーネはM4カービンを抱えながら、後部ハッチを見つめている。柊也とシルフの会話は全く理解できないが、その抑揚は落ち着いており、危険や問題はないように見受けられた。


 やがて、ボクサーは停止し、後部ハッチがゆっくりと開いていく。外気のもうもうとした熱風が車内に吹き込み、目の前に下半分が砂に埋もれた、金属質の壁が立ちはだかった。


 操縦席を立ったシモンが柊也からM4カービンを受け取りながら進み出て、慎重に周囲を窺いながら車外へと出て行く。やがてシモンが周囲に注意を向けながら車内にハンドサインを送り、セレーネも車外へと降り立つ。


「…」


 セレーネは、突き刺す太陽の光に顔を顰めながら、目の前に横たわる無機質な壁を眺める。壁は想像したほど風化しておらず堅固な佇まいを見せており、その表面は熱く焼けついている。セレーネは、その灼熱から可能な限り身を守ろうと、そのしなやかな指の先で表面を少しだけなぞりながら、慎重に周囲を調べていった。


「トウヤ!Я нашел вход!」


 セレーネと反対側に進んでいたシモンがこちらを向いて大声を上げ、柊也がボクサーから降りて駆け出して行く。セレーネも後を追うように駆け出す中、シモンの前の壁がゆっくりと開いていくのが見えた。


「Кажется, нет никакой опасности…」

「トウヤさん、すぐにエミリア様の許に向かいましょう」


 中から現れた、暗く冷気の漂う通路を覗き込みながらシモンが呟き、セレーネは後ろを振り返って柊也を促す。しかし、柊也は建物の中と周囲の様子を窺った後、二人に向かってゆっくりと首を横に振る。


「トウヤ?」

「Ittan, Boxer ni modorou. Higa kuretekara koudou shitahouga, ii」

「え、トウヤさん?どうして戻っちゃうんですか?」


 柊也は二人に手招きをすると、振り返ってボクサーへと戻って行く。セレーネは柊也の意図が分からないまま、シモンとともに柊也の許へと駆け戻って行った。




 白い灼熱の輝きを放っていた太陽が力尽きて赤く染まる頃、三人は再び入口の前に佇んでいた。あの後ボクサーの中で繰り広げられた長い長いボディジェスチャーの末、灼熱の太陽の下でボクサーを失ってしまう事のリスクを理解したセレーネは、逸る心を抑えて車内でその時を待つ。その間、ボクサーは周辺を走り回り、再度ボクサーを取り出す場所の選定に勤しんでいた。


 橙色に染まる壁が上に上がり、暗く細長い通路が姿を現わす。三人はシモンが先頭に立ち、ひんやりとした空気を掻き分け、建物の中に入って行った。


 建物の中は闇一色に塗りつぶされていたが、三人が足を踏み入れると灯りが次々と灯り出す。灯りは直接目にする事ができず、背の高いシモンからも見る事ができない側壁の上部を横切る溝の中から照射されており、天井への跳ね返りによって周囲を淡く照らし上げていた。灯りは、柊也が一歩を踏み出すと、その歩みを歓迎するかのように遠くの灯りが一歩分新たに灯され、まるで柊也を誘うかのように、その行き先を指し示す。通路は外界とはかけ離れた心地よい冷気に満たされ、建物の外で吹き出していた汗が瞬く間に引いていく。


「Sylph, エミリア no main system made yuudou shitekure」

「Kashikomarimashita master」


 柊也とシルフの間で言葉が交わされ、三人はシルフの先導の下、建物の奥へと進んでいく。床は無機質で硬く平坦で、三人が歩を進めるたびにカツカツと硬質の音を奏でていた。サーリアのメインシステムで気を失っていたセレーネは、初めて見る三姉妹の館が醸し出す、厳粛で冷たい雰囲気に息を呑んだ。


「Tsuitazo」

「…え?」


 先を歩く柊也が立ち止まって呟き、周囲に気を取られていたセレーネは、思わず間の抜けた声を上げる。


 三人は刻一刻と薄暗さを増す、広い円筒の広場に踏み入れていた。




 ***


「此処が、エミリア様の御座所…」


 周囲を見渡すシモンの口から、小さな呟きが漏れる。


 エミリアの御座所は、サーリアの御座所と同じ、広い円筒の形をしていた。壁は緩やかな曲線を描きながら天空へと伸び、吹き抜けとなった上部に目を向けると、次第に深みを増す紺色の空に星々が瞬き始めている。壁の上部には、通路と同じ溝が横一列に走り、溝の縁に反射する形で淡い光が周囲を照らしていた。


 御座所は天空から吹き込む外気に晒され、通路とは異なり砂に塗れ、渇き切っていた。円筒の壁の縁には砂が積もり、硬質な床一面に砂と風が描いた斑模様が広がっている。病に伏したまま、7,000年にも渡って歴史から忘れ去られたエミリアの寂しさを想い、孤独を恐れるシモンの身が竦み上がる。


「Sylph, mazuha user touroku ka?Console made annnai shitekure」

「Hai, master. Kochirani」

「トウヤ…」

「シモン, セレーネ, shibaraku matteite kure」


 縋るように名前を呼んだシモンに対し、柊也は安心させるかのように笑みを浮かべると、シルフに先導されて壁際へと歩み寄り、壁から斜めに張り出した台の上に手を乗せる。すると、壁に沿って横一線に円を描いていた淡い光の上を青い光が疾走し、曲線を描く壁の至る所が輝き出した。


『――― Idenshi jouhou tekigou, yuushikakusya wo kakunin. Hajimemashite, System エミリア ni youkoso. User touroku wo kaishi shimasu』




「พระเจ้าエミリア…」


 シモンの傍らに佇むセレーネが、思わず息を呑む。シモンは、セレーネの呟きにも気づかず、壁面を幾重にも行き交う光の帯を眺めている。それは、幾千年、幾万年ぶりに仕えるべき主君にまみえ、歓喜に打ち震えるエミリアの心を表しているようだった。


『Omatase itashimasita. User touroku ga kanryou itashimashita. Tsuduite kanrisya syuunin tetsuduki ni hairimasu. シュウヤsama, kochira he okoshi kudasai』

「Wakatta」


 前方の壁から降り注ぐ女性の声に導かれ、柊也が広場の中央へと進み出た。柊也の歩みに応えるかのように、中央の床が砂を払いのけながらせり上がり、柊也は柱の前に立ち、点滅する一点に左掌を置く。


『Soredeha シュウヤsama no kanrisya syuunin tetsuduki wo kaishi shimasu』


 壁の中の女性が厳かに宣言し、天空で瞬く星々に打ち勝つかのように、柊也を取り囲む円筒の壁がひと際明るく輝いた。




 ***


『…以上をもちまして、全ての手続きが完了いたしました。今後、システム・エミリアへのご指示は、こちらのガイドコンソール・ノームをお使い下さい。他に何かご質問は、ございますか?』

「いや、大丈夫だ、エミリア。これから、よろしく頼む」

『こちらこそ、よろしくお願いいたします、マイ・マスター』


 柊也の見上げる先にある円筒の壁が瞬き、光の群れがお辞儀をするように一斉に下へと移動する。コンソール・テーブルから浮かび上がった緑色の光は、小太りの小人の姿を形作るとコミカルな動きでテーブルからジャンプし、柊也の左の袖口にしがみ付いた。次第に光度を下げる部屋の中で、二の腕をよじ登るノームの姿を眺めながら、柊也は物思いに耽る。


 予想した通り、エミリアはセーフ・モードによってヘルプ機能がロックされており、柊也の質問に答える事ができなかった。全ての真実を知るには、ロザリアに会わなければならない。だが、その前に。


「…古城を連れて来なければ…」


 柊也は、後輩との再会を決意する。自分の推測が事実であれば、それを知った美香は絶望するかも知れない。だが、知らない方が幸せな事、必ずしも知る必要のない事が数多くある中で、この事実だけは、例え不幸になろうとも知るべきだ。理不尽にもこの世界に放り込まれた片割れとして、柊也はそう確信する。


「シモン、セレーネ、お待たせ。大草原に帰還しよう」

「トウヤ, вы завершили процедуру?」

「น้าトウヤ, คุณสบายดีไหม?」


 すでに闇が強者となり、円筒の壁を飾る灯りが僅かに周囲を照らす中、柊也は気遣わしげな表情を見せる二人へと振り向き、エミリアの部屋を後にした。

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