130:捨てられた故郷を前に

 天空を覆う濃い緑が強い風に流され、枝を擦る音が聞こえてきた。樹々のざわめきは、すでに自分達の縄張りとなったこの地に入ってきた侵入者を威嚇し、追い出そうとするかの如く耳障りな音を奏でている。僅か半年前まで彼女達を優しく包み込み、安らぎを与えてくれた森は、今や彼女達を、自分達を捨てた裏切り者と断じ、拒絶するかのように大きく揺らいでいた。


 彼女達は、自分達の庭であるはずの森を、まるで他人の住処にお邪魔するかのように、静かに歩んで行く。以前であれば彼女達を迎えた人々の喧騒も、隣人の気さくな掛け声も、父のつっけんどんな応えも、母の愛に溢れた暖かい出迎えも何一つ残されておらず、ただ季節外れの肌触りの悪い強い風が、彼女達を押し戻すかのように、前方から絶え間なく吹きついていた。モニカとエリカは、自分達に押し寄せる理不尽な非難に反論する事なく申し訳なさそうに目を伏せ、それでも誰かに赦して欲しいと縋るかのように左右に目線を走らせ、その手掛かりを探し回る。そんな二人の手は、今年に入って新たにできた年下の姉の手をしっかりと握りしめ、片時も放そうとしなかった。


 三人の前を歩くミゲルは、いつもは姦しい三人の押し黙った姿を鋭敏な耳で捉えながら、厳しい表情で周囲を見渡している。自分達の揺り籠でもあり、終の棲み処であるラトンの森。それと同じはずでありながら、自分達エルフをここまで拒絶するようになってしまったモノの森に対し、ミゲルは忸怩たる想いを抱いていた。




 ロザリアの第6月。ミゲルが率いるラトンのエルフ2,000は、モノの生存者を連れ、モノの森へ足を踏み入れていた。


 西誅軍の攻撃によりモノが壊滅してから8ヶ月。その間モノの森は放棄され、モノの生存者はラトンの森に身を寄せていた。モノの森にはラトンとティグリの少数のエルフが駐留し、人族の再侵攻に備え絶えず監視を続けていたが、やがて半年かかってティグリへと到着した教会並びにエーデルシュタインの手紙により、人族の再侵攻がなくなったと判明すると、エルフの七氏族はモノの復興に取り掛かろうとした。


 だが、復興の試みは、冒頭から壁に突き当たる。ラトン族長 ウルバノは族長会議で決定した復興計画をラトンの森へと持ち帰り、モノの生存者に伝えたが、モノの賛同者は驚くほど少なかった。モノのエルフは僅か3,000まで減らされていたが、そのほとんどが若い女性であった。そして、そのほぼ全員が、西誅軍の兵士達によって辱めを受けていた。彼女達は西誅軍に繰り返し暴行を受けた事で心に大きな傷を負っており、自分達の故郷でありながらその醜悪な舞台となったモノの森に戻る事を、頑なに拒絶していた。


 彼女達の拒絶の意思を受け取ったウルバノは、早期の復興を断念する。ラトンはエルフの中でも「血の気が多い」事で知られているが、その分、情にも溢れていた。過酷な運命に苦しめられるモノの女達に、ラトンのエルフ達は心から同情し、モノの女達に常に寄り添い、少しでも傷を癒そうと心を砕いた。その一部には、同情が愛情へと変化した者もいる。その、些か情に流されやすいラトンのエルフ達に囲まれ、モノの女達はゆっくりと少しずつであったがラトンに解け込み、その中で顔を上げて生きようと藻掻いていた。


 ウルバノは早期の復興が難しいとの見解を各氏族に送った上で、若い男を中心に2,000を割き、モノへと進発させた。復興は断念したが、モノを放棄するわけではない。モノの生活基盤を維持し、人族の動向をいち早く察知するための偵察基地として活用する事にしたのである。モノへの駐留は他氏族の族長からも支持され、やがてエルフ七氏族の持ち回り制となり、2年毎に各氏族から交代で要員が派遣されるようになる。


 こうして進発した2,000名のラトン軍に護衛される形で、300名ほどのモノのエルフ達が同行していた。彼らは、数少ない男の生存者と奇跡的に人族の魔の手から逃れられた女達であり、彼らは長年住み続けたモノを捨てられず、ラトンを出る事ができなかった女達のためにも、サーリアの許へと旅立った仲間のためにも、何とかモノを復興させ、かつての賑わいを取り戻そうと決意していた。双子の少女、モニカとエリカも、捕虜であるコレットを引き連れ、モノへと向かっていた。




 ***


 モノの広場から西へ暫く歩いたところにある、一つの丸太小屋の扉が、ゆっくりと開かれる。エリカは、自分の家であるのにも関わらず恐る恐る中を覗き込み、やがて安心したように息をつくと、後ろを向いてコレットに声をかけた。


「うん、大丈夫。コレットさん、此処が私達の家だよ。散らかっているけど、入って入って」

「ああ、ありがとう、エリカ。それじゃ、お邪魔します」

「うわ、埃っぽい。コレットさん、ちょっと我慢してね」


 エリカに手を引かれ、コレットは畏まった雰囲気で小屋へと入って行く。脇を抜けたモニカが手際良く窓を開け、外の光と空気を取り入れていった。


 コレットは小屋に入ると立ち止まり、部屋の中を見渡す。部屋は比較的広く、木材の茶色一色に染まっていた。部屋の中央には質素なテーブルが置かれ、輪切りにされた木の幹の椅子が4つ並んでいる。一方の壁に沿って竈や調理場、水場が並び、別の一方の壁には支度道具や食器等を仕舞う棚が並んでいた。


 部屋の中は荒らされ、床には木製の食器や木桶が散乱し、埃を被っている。モニカとエリカは、動線を塞ぐ食器だけを拾い上げてテーブルの上に置くと、コレットの手を引き、部屋の奥の通路へと誘った。


「コレットさん、こっちが私達の部屋だよ。来て来て」

「へぇ、どれどれ?」


 コレットは双子に連れられ、通路へと向かう。通路は物置と兼務で幅が広く、片方の壁には棚と採光用の小窓が並んでいた。通路の左側と突き当りに、扉が一つずつ見える。


 双子は左側の扉を通り過ぎ、突き当りまで行くと、扉を開けてコレットに自慢した。


「じゃーん、ここが私達の部屋だよ!」

「へぇ…、立派な部屋じゃないかい」

「ああん、もう!ここも散らかされてる」


 中を覗きこんだコレットは、感心したように息を吐いた。入口から見て左側には寝台が2つ並び、頭に面した壁には大きな窓があって、雨戸で塞がれている。そして、入口の正面、部屋の右半分には大きな戸棚と小さな机が置かれていた。寝台の布団は捲れ、戸棚は開け放たれ、物色された形跡が残されていた。


 モニカが窓を開けて空気の入れ替えを済ませると、双子は再びコレットの手を引き、部屋から出る。そして先ほど通り過ぎた扉の前に着くと、コレットに案内した。


「コレットさん、此処、お父さんとお母さんが使っていた部屋なんだ。コレットさんは、この部屋を使ってね」

「ああ、ありがとう」


 モニカの言葉に、コレットは努めて平静に答える。エリカが扉を開け、三人は中へと入った。


 両親の部屋は、双子の部屋と同じように2つの寝台が並び、入口側の壁には大きな戸棚と小さな机が置かれている。そして、双子の部屋と同じように、物色された形跡が残されていた。窓の位置を除くと、双子の部屋とほとんど左右対称と言える部屋の入口で、双子は佇んだまま、じっと部屋を眺めた。


「お父さん、お母さん、ただいま…」


 やがてモニカが、部屋に向かって小さく呟く。部屋はその声に応えず、モニカの呟きは静寂にかき消される。コレットの左脇に佇むエリカから、嗚咽混じりの声が聞こえてきた。


「お父さん、お母さん、私達、帰ってきたよ。…ねぇ、お父さん、お母さん、何処にいるの!?ねぇ!お願い!出てきてよ!」


 エリカが部屋を飛び出し、両親を探して家の中を走り回る。残されたモニカが後ろを向き、コレットの豊かな胸に顔を埋めて、泣き始めた。


「お父さん…お母さん…」

「…」


 自分の胸元で震えるモニカの頭を優しく撫でながら、コレットは唇を噛む。自分の命は、二人の成人までもたないかも知れない。でも、せめて自分が生きている限り、姉として二人を守っていく。ご両親はそれでは納得できないかもしれないが、せめてそれだけは約束させておくれ。コレットはそう心に誓って両親の冥福を祈り、コレットとモニカの二人は、暫くの間そこで佇んでいた。




 ***


 大草原に陽が落ち、闇の帳が刻一刻と深まる中、ミゲルは双子に教えられた道を一人で歩いていた。やがてミゲルの嗅覚が香ばしい匂いを捉えると、彼は教えられた道順ではなく、匂いを頼りに目的地へと向かう。


 そして、辺り一面暗闇の中、一つだけ灯りのともされた小屋に辿り着くと、ミゲルは扉を叩いて声を上げた。


「モニカ、エリカ。俺だ。邪魔するぞ」

「はーい、ミゲル様。今、開けますね」


 中から応えがあって扉が開き、モニカが顔を出した。モニカに招かれ、家の中の入ったミゲルは、感心しながら部屋を見渡す。


「へぇ…、たった半日で随分綺麗になったじゃないか」

「私達も頑張ったけど、コレットさんがみんな掃除してくれたんです」


 ミゲルの評価を受け、モニカがはにかむように答えた。


 昼間埃だらけで物が散乱していた小屋は、三人が半日がかりで掃除した結果、見違えるように綺麗になっていた。床やテーブルは水拭きが施され、木製の食器も綺麗に洗われ、棚に整然と並んでいる。大小さまざまな生活用品も綺麗に収納され、小ざっぱりとした清潔感の溢れる部屋へと変貌していた。


 部屋の隅でミゲルに背を向け、炒め物をしながら、コレットが横を向いてミゲルに声をかけた。


「ああ、ミゲル。良いトコに来た。せっかくだから、アンタも食べていくかい?」

「あ?いいのか?」

「ああ、構わないよ。一人増えたところで、大差ないよ。モニカ、ミゲルを案内してあげて」

「はーい。ミゲル様、こちらにお座り下さい」

「ああ、すまんな、モニカ」


 モニカに誘導されたミゲルは椅子に座り、テーブルの上を眺める。テーブルの中央には、エルフの常食である薄く引き伸ばされたパンが重ねられ、ボウルにはサラダが盛られている。各席には、2つずつ木製の空の食器が並べられ、同じく木製のスプーンとフォークが添えられていた。


 テーブルの向かいにはエリカが座り、頬杖をついて待ち遠しそうにコレットを見ている。ミゲルも釣られてコレットを見ると、コレットはミゲルに背中を向けたまま、手際良く手元を動かしていた。コレットの体越しに、油の跳ねる音や、小気味良い包丁の音が聞こえている。


 モニカがミゲルの分の食器を並べ終えて暫くすると、コレットが振り返ってテーブルへと歩み寄り、テーブルの上に料理を盛り付けた皿を置いていく。羊肉の串焼き、野菜スープ、そしてミゲルの見た事のない、肉と野菜の料理が出される。ミゲルの表情を見たコレットが、先んじて説明する。


「これは、揚げ肉の甘酢炒めって言う、中原の料理だよ。通常は豚肉を使うんだが、今日は羊肉で作ってある。少し味が変わっちまっているが、大目に見てくれ」

「ほぅ…、どれどれ?」


 ミゲルは自分の皿に盛り付け、早速口にしてみた。全体が飴色をした甘酢炒めは、とろみがあり、口に入れると甘酸っぱい味が広がった。野菜は軽く炒められており歯ごたえがあり、厚めの羊肉と合わさって噛み応えがある。ミゲルは顎を動かしながら、一つ頷く。


「面白い味付けだな…、でも旨い。このとろみは、どうやって作っているんだ?」

「リリアの芋の粉を水で溶いたものだよ。中原では別の材料を使うんだが、こっちにはなくってねぇ」

「へぇ…」


 コレットは椅子に座りながら、頷きながら料理を頬張るミゲルを見て、満足そうに笑みを浮かべる。ミゲルが顔を上げ、コレットを賞賛した。


「いや、旨いよ、コレット。あんたがこんなに料理が上手だなんて、知らなかった。料理人でも目指していたのか?」

「よしておくれよ、ミゲル。こんなの普通だよ。一人暮らしだし、ハンターだから一通り何でもできないとね」


 ミゲルに賞賛されたコレットは、片手を振り、照れ臭そうに笑う。実はコレットは、料理、洗濯、掃除、裁縫、全てが完璧に近い技量の持ち主であった。これは全て、夢見る乙女の努力の賜物である。ミゲルの隣に座るモニカが、ミゲルに向かって姉の自慢をした。


「コレットさん、実は料理も洗濯も掃除も、凄い上手なんですよ。それに美人だし、気立ても良いし、飾らないし。ラトンの男の人達にも、人気があるんです。ミゲル様の手前、誰も声をかけませんでしたけど」

「え?それ、どういう意味だい?」


 モニカの言葉から意外な事実を知り、コレットが尋ねる。コレットの質問に、ミゲルが代わりに答えた。


「我々エルフの間では、族長から特に指示がなければ、捕虜は捕まえた者の所有物扱いなんだ。だから、今のあんたは、俺のもの、というわけだ」

「私が…アンタの…もの…」


 ミゲルからエルフの風習を聞いたコレットが、衝撃の事実を反芻する。次第に顔を赤らめるコレットを見て、ミゲルは誤解し、慌てて言い繕った。


「ああ、いや、いくら俺のものでも、だからと言ってあんたに無理難題は言わんよ。俺は今、モニカとエリカの保護者でもあるが、あんたに事実上二人の面倒を見てもらっている。だから、俺が責任を持ってあんたを養うから、俺が出払っている間、家庭を守ってくれれば、それでいい」

「アンタが責任を持って私を養い…家庭を守る…」


 ミゲルの説明を聞いたコレットは茹蛸のように真っ赤になり、俯いてしまう。ミゲルが慌てて説明した結果、「『モニカとエリカの』家庭」という単語が抜け落ちてしまい、夢見る乙女はそれを都合良く解釈した。


「お、おい、コレット。お前、大丈夫か?」

「っ…!だだだ、大丈夫だよっ!心配しないでおくれ!」


 心配するミゲルから「お前」呼ばわりされ、コレットは顔を真っ赤にしながら跳ね上がり、背を伸ばす。豊かな胸に手を添え、暴れ回る心臓を抑えながら、コレットはしどろもどろでミゲルを誘った。


「あ、そ、そうだ!ミゲル、アンタの食事も毎晩作ってあげるから、夜、必ずウチに寄りな!」

「え?いや、それは悪いだろ…」

「遠慮するんじゃないよ!今や私は、…ア、アンタのもの…なんだろ?なら私が、…しゅ、しゅ、主人のために食事を作るくらい、当然じゃないかい!」

「そう言われると、…そうだな」

「だろ!」

「…わかった。じゃあコレット、これからよろしく頼むぞ」

「任せなよ!腕によりをかけて、作ってやるよ!その代わり、寄り道せずに、早く帰って来るんだよ!他の所で食べてきたら、承知しないからね!」


 ミゲルから言質を取ったコレットは、顔を赤らめながらミゲルの囲い込みに取り掛かる。


 コレットにとっての最後の戦いが、異郷の地で始まろうとしていた。

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