119:焼けついた心
彼女の体の中には、根が生えていた。
彼女の喉元から伸びた根は、彼女のあらゆる内臓に手を伸ばし、隅々まで絡みついて一体化していた。
彼女に種を埋めたのは、彼女の父だった。彼女の父は、彼女の喉に種を埋め込むと、彼女の舌を捻ってスイッチを入れた。種は起動すると発芽し、振動しながら彼女の喉へと根を伸ばす。種が無事に起動し、根の成長を確認した父は満足そうに頷き、スイッチを切った。
その日から彼女の父は毎日の様に彼女の舌を捻り、試運転を繰り返していった。根は起動するたびに少しずつ成長し、振動しながら彼女の体内に手を伸ばす。やがて根は内臓に行き当たると無数に枝分かれ、深く絡みついて根を下ろしていった。そして、絡みついた根は、彼女の父が試運転を繰り返すたびに内臓を振動させ、熱く焼いていった。
彼女は父に従い、毎日の様に舌を捻られ、少しずつ少しずつ、彼女の体の中に根が浸透していった。
やがて、試運転が繰り返されて1年が経過した頃、彼女の体内には網の目の様に根が張り、全ての内臓にびっしりと根を下ろしていた。そして、彼女の父が試運転を行うたびに根は激しく振動し、その都度体中が熱を帯びる様になっていた。彼女は父に舌を捻られるたびに、体の芯に溜まった熱に身を捩らせる。彼女は体中を震わせながら、父に懇願する。
私は、完成しました。あなたの望み通りに、仕上がりました。私は何時でも何処でも、あなたが望む通りに、すぐさま起動してみせましょう。だから、だから…。
しかし彼女の声は父に届かず、父はいつまで試運転を繰り返していた。しかも父は、試運転は念を入れて繰り返すのに、メンテナンスは全く行おうとしなかった。そのため父が彼女に一度も油を
彼女は父に舌を捻られ、真っ赤に焼けた内臓を下腹部に抱えながら、痺れる頭の中でぼんやりと願う。
私は、あなたに全てを捧げました。だから、私を焼く事が目的ならば、私は焼き切れるまで従いましょう。
だけど、パパ、パパ、お願いだから私に教えて?
――― あなたはいつまで、試運転を続けるつもりなのですか?
***
「ああああああああああああああああああああああああああっ!あっ!あっ!………ぁぁ……ぁ」
中原から遠く離れた山野の中で、1頭の狼が遠吠えを上げた。
彼女は四肢で大地を踏みしめ、体を仰け反らせ、天空に届かせようと声を張り上げていた。彼女は自らの想いを相手に届けようと、肺腑の全ての空気を絞り出すように体を震わせ、その声は満たされぬ想いを表すかのように、切なく尾を引く。
やがて全てを出し切った彼女は下を向き、肺の中に空気を取り込もうと、肩で息をする。あまりの激しさに呆然としていたセレーネが我に返り、慌てて彼女に駆け寄った。
「ちょ、ちょっと、大丈夫ですか!?シモンさん!?」
「だ、大丈夫だ、セレーネ。大丈夫だから、私に触らな…あ、ああん!あん!」
セレーネに背中を擦られたシモンは、セレーネの手から逃げるように身を捩らせる。セレーネに触れられ、再び仰け反って小刻みに震えるシモンを見たセレーネは、柊也へと振り向いて柳眉を逆立てた。
「トウヤさん!いくら何でもやり過ぎです!シモンさんが可哀想です!謝って下さい!」
それまでセレーネと同じく呆然としていた柊也だったが、セレーネの剣幕に我に返ると、バツの悪そうな顔をして、シモンに謝った。
「す、すまん、シモン。悪かった。大丈夫か?」
そう言って柊也はシモンに左手を伸ばすが、シモンはその左手を払いのける。驚いた顔をした柊也を前に、シモンは悔しさと悲しみに顔を歪めながら、小さく呟く。
「…いつになったら、あなたは、私を…」
「え?」
シモンの呟きは柊也に届かず、柊也はシモンに尋ね返す。しかしシモンは答えず、両膝を抱えて座り、膝の上に顎を乗せてそっぽを向く。
「何でもない…」
そのままシモンは黙り込み、テントの生地を眺めて動かなくなった。
テントの中はそのまま静寂に包まれたが、沈み込む空気を入れ替えようと、セレーネが話題を変える。
「そ、そういえば、サーリア様までもうすぐだと言っていましたけど、どれくらいなんですか?」
「あ、ああ。さっきシルフに聞いたら、あと60キルドくらいだそうだ。明日の昼頃には、サーリアの下に到着するだろう」
「明日の昼…」
柊也の言葉を聞き、セレーネが唾を飲み込む。柊也は頷き、言葉を続ける。
「ただ、サーリアのいる建物は、ハヌマーンの勢力圏内だそうだ。一戦交えるのは、覚悟した方がいい」
***
翌日の昼、柊也達はついにサーリアのいる建物の前に到着した。
「どうだ?シモン」
上部ハッチから顔を覗かせ周囲を見渡すシモンに対し、柊也が声をかける。
「…攻撃してくる様子は見られないが、周囲にいるな。50頭は、いそうだ」
一夜明けて気持ちの切り替えが済んだシモンが、いつもと変わらない雰囲気で、柊也へと答える。獣人の発達した視覚をもってしてもハヌマーンの姿を捉える事はできなかったが、彼女の鋭敏な嗅覚は、森に隠れるハヌマーンの体臭をしっかりと捉えていた。
建物は、大草原の合議場の社とは比べ物にならないほど大きく、緩やかな傾斜を持つその外観と合わせて、まるで東京ドームの様な雰囲気を漂わせていた。建物は鬱蒼とした森に囲まれており、建物の入り口に向けて1本の道の様に草原が伸び、柊也達が乗るボクサーは、その草原で佇み様子を窺っている。
「シルフ、周囲の状況を教えてくれ」
『はい、シュウヤ様。現在地から半径500mの範囲に、概算65頭±4頭のハヌマーンを確認しています』
「どうする?トウヤ」
「…」
シモンの目の前で、柊也は顎に手を当てて考え込む。敵陣の真ん中でボクサーから降りるのは得策ではないが、視界の利かない森に進入して全て斃すのも非現実的だ。しかもハヌマーンは、今のところ襲ってくる様子が見られない。気づいていないとは思えないが、これでは睨み合いで時間だけが過ぎてしまう。
やがて、気持ちの整理をつけた柊也が顔を上げ、操縦席に座るセレーネへと顔を向ける。
「セレーネ、反転してバックで入口につけてくれ」
「わかりました、トウヤさん」
セレーネが操縦するボクサーは旋回し、建物の入り口に後部ハッチを向ける。柊也は車内でカービンを取り出し、シモンとセレーネに手渡した。
「一旦、入口の様子を見よう。入口にロック機能があれば、中から封鎖してハヌマーンの侵入を食い止められるからな」
「わかった、トウヤ」
「わかりました」
やがて、ボクサーの後部ハッチが開き、柊也がカービンを構える中、最初にシモンが地面に降り立つ。シモンは左右を注意深く見渡し、ハヌマーンの姿が見えない事を確認すると、車内に向かって合図を送った。シモンの合図を見たセレーネが降り、最後に柊也がボクサーから降りる。
「…」
入口の前まで来た柊也は、目の前にそびえ立つ建物を見上げ、しばし呆然とする。建物は長い間そこに建っていた事を窺わせ、汚れ、一面に蔦が張り付き腐食が進んでいたが、明らかに中原世界とは異なる、遥かに進んだ様式で造られていた。この世界で一般的な木造や石造りではなく、コンクリートの様な材質で覆われ、一部は金属も使われている。入口は開け放たれているが、扉は開き戸や引き戸ではなく、シャッターを連想する落とし戸の様だった。
「シャッターか…。セレーネ、その辺に扉を開閉できるようなボタンはないか?」
「え?あ、はい、探してみますね」
柊也は開け放たれた入口の奥の様子を窺いながら、先行するセレーネに扉を探ってもらう。シモンが周囲を警戒する中、セレーネが扉へと進んでいった。
***
その日、彼は、生まれて初めて見る異様な生き物の動きを注意深く観察していた。その生き物は、自分達の何倍も大きく、ずんぐりとした形状をしており、その表面は硬い殻で覆われていた。そしてその生き物は、その大きさで手足がないのにも関わらず、高速で彼らの縄張りをまるで蛇のように這い進んでいた。彼は、未だ自分では目にした事のない、一族に伝わるロックドラゴンの話を思い出す。
ここは彼らにとって聖地であり、何人たりとも侵入させるつもりはなかったが、相手がロックドラゴンであれば、手を出すのは得策ではない。彼はそう判断し、一族の者に手出ししないよう厳命し、ロックドラゴンがこの地を通り過ぎるのを待つ事にした。
やがて、ロックドラゴンは彼らの聖なる建物の前に辿り着くと、そこで方向転換をした後、動きを止める。よりにもよって、そこで昼寝か!礼拝の時間が差し迫っている中で起きたアクシデントに、彼は音を立てずに歯ぎしりをするが、そんな彼の前で驚くべき事が起きる。
突然、ロックドラゴンのお尻から、彼らとは異なる種族の者が出てきたのだ。その者達は、彼らと同じように2本足で歩き回る。その者達は彼らとは異なり、全身が毛で覆われておらず、カエルのような肌を曝け出していた。彼らと異なる種族の者は、全員で3人。そのうちの一人を見た彼は、体の中に雷が落ちるほどの衝撃を受ける。
――― エルフだ!
あの、卑屈で狡猾な、嫉妬深いエルフだ!ガリエル様とサーリア様が仲睦まじく暮らしていたのを妬み、仲を引き裂こうとしてサーリア様を害したエルフだ!そして、自分が仕出かした事を恥もせず、エミリアに嘘をついてサーリア様の姉妹を引き裂いたエルフだ!ガリエル様とサーリア様の許で幸せに暮らす我々を絶望へと突き落とし、永遠の戦いに引き摺りこんだ張本人だ!
そして、――― 奴の心臓さえ手に入れば、再びあの幸せが戻ってくる!
ついに自分の代で永遠の戦いに終止符が打てる事を知った彼は、歓喜に打ち震える。そして、湧き立つ衝動を必死に抑えながら、静かに行動を開始した。
***
『シュウヤ様、9時方向より敵勢力接近。接敵まで5秒』
「何ぃ!?」
突然の警報に、柊也は慌てて左方向を向く。しかし、そこには何もいない。ただ、「森」が迫ってきている。
「トウヤ!」
右方向にいたシモンが柊也の前に躍り出て、腕を交差して身を守る。そのシモンに対し、「森」は強烈な一撃を見舞わせ、シモンは柊也もろとも、後ろへと吹き飛ばされた。
「ぐぅぅぅ!」
「うわぁ!」
「トウヤさん!?」
騒ぎを聞きつけたセレーネが後ろを振り向くと、そこには折り重なるようにして仰向けに倒れる二人。そして、自分に向かって「ボクサー」が迫り来る。
「あぐぅ!?」
「セレーネ!」
突然、セレーネは腹部に衝撃を受け、そのまま気を失う。「森」は、倒れ込むセレーネを肩に担ぎ上げると、慌てて起き上がるシモンを尻目に、雄叫びを上げた。
「□##△$$\ +&$□□〇 \□&&!!」
「%%〇 #$!」
「%%〇 #$!」
周囲の森から湧き上がる、多数の雄叫び。その中で、「森」はセレーネを担いだまま、建物の中へと駆け込んで行った。
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