106:空との戦い

「街へ戻るぞ」


 オズワルドの声に、一行は駆け出す。アイスバードの群れは、真っすぐにライツハウゼンへと向かっている様に見えた。


「ゲルダさん、アイスバードって?」


 並走する美香に問いかけられたゲルダは、横目で美香を見やり、口を開いた。


「翼を広げると5メルドほどにもなる、鳥の魔物だ。空中を舞いながら、『アイスバレット』を射出する。身体能力そのものは大した事がないから、捕まえられればどうにかなるんだが、下りてこないから厄介なんだ」


 そこでゲルダは、苦々しく口を歪める。


「ただ、アイスバードは、中原には迷い鳥が単体で飛翔してくるのが精々なんだ。100羽にも届く集団が押し寄せてきたのは、初めてだよ」

「隊長!第一波が来ます!」


 ゲルダの説明に、後方を走る騎士の警告が割り込んでくる。美香が北の方角を見ると、数十羽のアイスバードが、ライツハウゼンへ向け急降下を開始していた。




 ***


「急げ急げ!ありったけの矢を持ってくるんだ!」


 ライツハウゼンのあらゆる場所で鐘がかき鳴らされ、騎士・兵士達が慌ただしく走り回る。アンスバッハ家は、守りをディークマイアー家に依存しているところもあり、兵力はそう多くない。それでも、400名ほどの騎士・兵士達が、当直の者も非番の者も飛び出し、アイスバードを迎え撃とうとしていた。


 そのライツハウゼンに向け、30羽ほどのアイスバードが急降下を開始する。頭を地面に向けたアイスバードは、特有の金切り声を上げると、その眼前に人間の頭ほどの氷塊が二個三個と出現する。そして、アイスバードは機首を上げて上空へと方向転換すると同時に、その「アイスバレット」をライツハウゼンへと射出した。


 30羽ものアイスバードから都合80発の氷塊を貰ったライツハウゼンは、街の至る所で叫び声が上がる。屋根に並ぶ洋瓦が割れ、家の中に飛び込んだ氷塊は家財を粉砕し、一部は床も突き抜ける。運悪く「アイスバレット」の直撃を受けた兵士は、頭から血を流し、その場に横たわって動かなくなった。


 地上での混乱を余所に、アイスバードは次々に急降下を繰り返し、「アイスバレット」をライツハウゼンへと見舞っていく。数羽のアイスバードが空腹に耐えきれず、着地して地上に並べられた干し魚を啄んでいたが、待ち構えていた騎士に斬り殺されると、他は一切下りてこなくなった。兵士達も弓矢で応戦するが、空中を舞うアイスバードにはなかなか当たらず、当たっても5メルドにも及ぶ巨体では、なかなか墜落させるには至っていない。もっとも効果があるのは火と風の魔法だったが、使い手は数えるほどで、しかも単発のためにアイスバードに命中せず、目立った戦果が上がっていなかった。




 街中に入った美香達は、「アイスバレット」を避けて建物の陰に隠れ、上空を見上げている。ゲルダが唇を噛みながら、苦々し気に呻いた。


「くそ、あいつら、好き勝手やりやがって…」

「オズワルド殿、何か手はありませんか!?」


 エミールが縋るような面持ちで、オズワルドに尋ねる。それに対し、オズワルドは沈痛な面持ちで首を横に振るだけだった。


「…」


 美香は周りの喧騒を聞きながら、上空を舞うアイスバードの動きを眺め、じっと考えに耽っていた。彼女の頭に思い浮かぶのは、テレビで見た、太平洋戦争の記録映像。敵艦隊へ急降下爆撃を行う爆撃機の姿だった。それに対し、敵艦隊は対空砲を雨あられの様に撃ち放し、応戦する。


 アイスバードは、ライツハウゼンの上空を旋回して飛び、急降下爆撃を繰り返していた。その行動は今のところ止む様子はない。最初の一斉掃射の様な動きはすでに見られなくなったが、その分、絶えずライツハウゼンの何処かに「アイスバレット」が突き刺さっていた。


 やがて、意を決した美香は、エミールに顔を向けて問いかける。


「エミール様。ライツハウゼンの街の大きさを教えて下さい。おおよそで構いません」

「ミカ?何か策があるの?」


 美香の声に、皆が一斉に振り向き、レティシアが問いかける。それに対し、美香は一瞬レティシアの方を見て頷く。


「正直、賭けなんだけどね。…エミール様、いかほどの大きさですか?」

「え、ええ。おおよそ、東西、南北方向ともに3キルドほどの大きさです」


 美香の問いに、エミールが答えた。ライツハウゼンは入り江の西半分を取り囲む太った三日月の様な形をしており、おおよそ3キルド、日本の度量衡で3kmの範囲に収まっていた。答えを得て美香は頷き、続けてエミールに要求する。


「エミール様、それでは、その3キルドの中心付近に、私を連れて行って下さい」




 ***


「ミカ様、こちらです!」


 エミールに先導された一行が辿り着いたのは、街の中心付近の広場だった。そこは、日頃は市場が開かれる場所であり、広場の隅には主のいない屋台が軒を連ねている。しかし、今や屋台のあちらこちらが破壊され、石畳の上にはいくつもの氷塊が転がっていた。


「オズワルドさん、ゲルダさん、中央で詠唱します。すみませんが、支援願います」

「了解した」

「任せとけ、ミカ。アンタには、指1本触れさせやしないよ」


 美香はオズワルドとゲルダに守りを託すと、時折アイスバレットが着弾する広場の中央に躍り出る。一拍置いて、オズワルドとゲルダ、護衛小隊の騎士達が後を追う。


「レティシア様!マグダレーナ!ウォール系を詠唱してくれ!」

「わかりましたわ!」

「畏まりました!」


 オズワルドが後ろを振り向き、レティシアとマグダレーナに指示する。二人は頷き、レティシアは建物の陰から、マグダレーナは三人の後を追いながら詠唱する。


「汝に命ずる。石を纏いて大いなる巌を成し、彼の者の前にそびえ立て」

「汝に命ずる。氷を纏いて大いなる巌を成し、彼の者の前にそびえ立て」


 やがて、美香を取り囲むように次々と「ストーンウォール」と「アイスウォール」が立ち並び、オズワルドとゲルダ、そして複数の騎士達がその隙間を埋める様に、壁を背にして美香を守る。


 壁に囲まれた美香は、周りを気にする事なく、上空を見つめる。そこは多数のアイスバードが縦横無尽に飛び交い、時折広場に目掛けて急降下するアイスバードもいた。「アイスバレット」が壁に着弾し、氷が辺りに飛散する。しかし美香は気にせず、両手を上げて詠唱を開始する。


「汝に命ずる。直径10cmの、風と炎の混合圧縮を形成。その数、5個1組で750組。我の上空20m、我を中心に同心円状に展開。同心円は、メートル換算で内側より半径100、300、600、900、1,200、1,500。750の火球は、各同心円上に等間隔で整列せよ」


 それは、すでに魔法詠唱ではなかった。極めて散文的な、日本語の羅列だった。


 これから行おうとする事は、この世界の詠唱では表現しきれない。そう判断した美香は、この世界の表現を放棄し、日本の度量衡を用いる。


 アイスバードに対し「ロザリアの槍」は、役に立たない。空を駆ける飛行機に主砲を撃っても意味がない。必要なのは対空砲。それも避ける隙間もないほどの、雨あられの弾幕が。


 美香の頭上に次々と火球が浮かび上がり、5個1組で各所に散らばって行く。そのひとつひとつは、成人男性の拳大程度。「ファイアボール」に比べれば、半分の大きさにも満たない。しかし、


「…ぐうぅぅぅ…」


 両手を上げる美香の唇が真っ青に染まり、意識が遠のく。数が尋常ではなかった。5個1組で750組。3,750個もの火球が上空を舞い、ライツハウゼンの上空を覆っていく。


「ミカ!」


 オズワルドが美香の下に駆け寄り、崩れ落ちそうになる美香を抱きとめる。心配そうなオズワルドの顔を視界の隅に捉えた美香は、汗で髪の毛が張り付いたまま、力なく笑みを浮かべる。


「…ごめんなさい、オズワルドさん。暫く支えて…下さい」

「わかった」


 オズワルドは唇を噛み、美香の行動を止めずに、その身を支える。ここで美香の行動を止めても、何の意味もない。


 オズワルドの背中にそびえ立つ「アイスウォール」に、「アイスバレット」が次々と着弾し、「アイスウォール」が砕ける。その破片を背中に浴びたオズワルドは、身を挺して美香を庇った。


「んにゃろぉ!」


 オズワルドの背中にゲルダが立ち塞がり、ハルバードを振り回して「アイスバレット」を叩き落す。そんな二人の献身に、意識を保つ事に精一杯の美香は気づく事なく、再び言葉を紡ぐ。


「…全組仰角九十度、秒速10mで2秒毎に斉射五連。天空を駆け、我に従え」


 直後、ライツハウゼンの上空に750発の火球が舞い上がる。それは2秒毎に繰り返され、ライツハウゼンの上空に、直径3kmにも渡る六重の同心円の檻が出現する。


 ライツハウゼン上空を舞う100羽のアイスバードは、慌てて火球を躱そうと、その身を傾けた。運悪く直撃を被ったアイスバードが数羽バランスを崩し、羽毛から火を噴きながら墜落していくが、そのほとんどが回避に成功し、同心円の隙間を縫うように旋回していた。その様子をオズワルドに横抱きにされたまま見上げていた美香が、魔法を完成させる。


「…全弾爆散し、風と炎の刃で周囲を切り刻め」


 直後、轟音とともに、ライツハウゼンの上空が、数千の花火で埋め尽くされた。




 ***


「おぉぉぉぉ…」


 ヴィルヘルム・フォン・アンスバッハは、空を見上げたまま、感涙にむせていた。


 なすすべもなく、アイスバードに蹂躙されていた自らの街。その至る所から、突然、数千もの火球が宙に舞い上がる。そして、ライツハウゼンの上空へと舞った火球が爆散し、雲一つない青空が橙一色に染まった。


 その橙色の空の下で、アイスバードが炎に覆われ、衝撃にその身を乱打されていた。ある者は「エアカッター」で翼を切り刻まれ、別のある者は翼から炎を噴き上げる。数万もの火の粉が漂う空を、何十羽ものアイスバードが墜落していく。


 やがて火の粉が一掃され、青空を取り戻したライツハウゼンの上空には、何一ついなかった。わずかに、円の外側に回避した数羽のアイスバードが、ライツハウゼンから逃げだそうとしている。


「…御使い様…」


 ヴィルヘルムは地面に両膝をつき、雲一つない青空を見上げたまま、暫くの間動かなかった。




 ***


「…汝を…解放…す…る。あ…るべ…き自然を…為…せ」


 美香は目を閉じたまま最後の詠唱を唱え、オズワルドの腕の中で気を失った。宙を舞う火の粉が霧散する中、レティシア、エミール、カルラ達が美香の下へと集まってくる。


「オズワルド!ミカは無事!?」


 レティシアが、美香を横抱きして立ち上がるオズワルドに詰め寄る。それに対し、オズワルドは沈痛な面持ちで答えた。


「一命は取り留めています。しかし、容体は決して良くありません。おそらくは、北伐に匹敵するダメージを負っている事でしょう。急ぎ館に戻り、安静にさせるべきです」

「わかりました!至急、アンスバッハ家に戻ります!」


 レティシアの声をかわぎりに、一行はアンスバッハの館へと駆け出す。途中、エミールがレティシアに問いかけた。


「レティシア殿、まさか、ミカ様はいつもこの様な詠唱を?」


 エミールに問われたレティシアは、涙を堪えたまま頷く。


「ええ。ミカの魔法は、その身と引き替えです。北伐の時には、1週間寝たきりでしたわ」


 レティシアの答えを聞いたエミールは、愕然とする。


「何て事を…。わかりました、ミカ様のご静養の間、当家のあらゆる物を、如何ようにもお使い下さい」

「ありがとうございます。お言葉に甘えますわ」


 街の人々が青空を見上げ、次第に歓声が沸き上がる中、レティシア達だけが沈痛な面持ちのまま、館へと走り続けていた。

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