80:父娘でも主従でもなく

「パパぁ?」


 ヴェイヨは自分の下にいる女を見ながら呟き、エルフを押し退けて前に出てきた隻腕の男に目を向ける。その男の失われた右手に当たる部分には、何故か金属質の棒が宙に浮いていた。


「おい、お前らはそのまま、お嬢ちゃんを押さえておけ」

「はい」


 ヴェイヨはそうハンター達に指示すると男の前に立ちはだかり、二人は距離を開けたまま、言葉を交わす。


「あんたが、お嬢ちゃんのパパかい?」

「…ああ、そうだ」


 男の答えを聞いたヴェイヨは、口の端を吊り上げた。


「駄目じゃないか、あんた。お嬢ちゃんを捨てちゃあ。可哀想に、お嬢ちゃん泣いていたぞ?でも、もう安心してくれ。俺達が、お嬢ちゃんの新しいパパになってやる。新しいパパが、お嬢ちゃんを思いっきり可愛がってやる。だから、あんたは安心して、逝ってくれ」

「…」


 ヴェイヨの挑発に、男は何も答えない。ヴェイヨは、さらに挑発を続ける。


「ああ、それと、そこのエルフのお嬢ちゃんも俺達に任せてくれ。責任もって可愛がってやる。あんた、良い奴だなぁ。エルフも獣人も、俺ぁ、初めてなんだ。それを両方いっぺんにくれるだぁなんて、こんな親切な奴、俺ぁ、初めて見たよ。ありがとうな、あんた」


 ヴェイヨの挑発を受け、男が血走った目を剥く。男は歯を剥き出しにして口を開き、左手首を目まぐるしく動かし始めた。


「汝に命ずる。石を纏いて大いなる巌を成し…」

「にこやかな会話の途中で詠唱するとは、いただけないなぁ!」


 ヴェイヨは獰猛な笑みを浮かべると、両手を後ろに広げ、「四聖の腕」を発動させる。後方で爆風が起き、ヴェイヨは男に向かって真っ直ぐに跳躍する。


「…我が前にそびえ立て」




 次の瞬間、ヴェイヨは全ての光を奪われ、暗闇の中に突き落とされた。




 ブ、「ブラインド」だとぉ!?


 突然の暗転に、ヴェイヨは狼狽した。


 さっきの詠唱は、「ストーンウォール」だ。男は勿論、エルフも「ブラインド」を詠唱していなかった。「ブラインド」は「サイレンス」と並んで、レジストが容易な魔法だ。詠唱を聞いてから意識を保っても、十分に間に合う。…詠唱が聞こえていれば。


「畜生!」


 ヴェイヨは視力を失った状態で着地すると、そのまま両手を前に突き出し、火炎を放射する。そのまま両手を広げ、周囲一帯に炎をばら撒いた。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!」


 右側からエルフの叫び声が聞こえ、その声は遠くへと逃げていく。どうやら炎は届かなかったようだが、そんな事はどうでもいい。奴は何処だ!?左か!?


 そう判断したヴェイヨは両手を左側に向け、2本の石柱を撃ち出す。石柱は暗闇の中を突き進もうとして、直後に激しい音を立てて四散し、ヴェイヨは飛び散った無数の礫をまともに受けた。


 糞っ!さっきの「ストーンウォール」か!


 ヴェイヨは反動で後ろに押し戻されるも、すぐに態勢を立て直し、勘に頼って「ストーンウォール」を回り込もうと駆け出す。きっと、この向こうに奴がいる。そうして、「ストーンウォール」を回り込んだと思ったところで、




 ヴェイヨは全ての音を奪われ、無音の世界に突き落とされた。




 こ、今度は、「サイレンス」だとぉ!?


 ここに来て、ついにヴェイヨは戦意を喪失する。「サイレンス」も詠唱が聞こえず、レジストできなかった。そして、一度かかってしまった「ブラインド」と「サイレンス」は、詠唱者から遠く離れるか魔力を切らない限り、決して解除する事ができない。かかる事がほとんどない反面、一度かかると決して自分では解除できない、絶望的な立場に立たされた。しかも「サイレンス」によって声も出ず、助けも呼べない。


 どちらに逃げるべきか。自分が最後に目にした光景を思い出して、ヴェイヨは必死に逃げる方向を思い出すが、その彼を突然、衝撃波が襲う。「エアバレット」と思しき直撃を受けたヴェイヨは吹き飛び、二度三度と地面を転がり、堅固な石の壁に背中をぶつけてようやく止まった。背中の石壁を掴みながら、ヴェイヨはよろよろと立ち上がる。


 やべぇ、これはマジでやべぇ!


 ヴェイヨはかつてない恐怖に身を震わせ、何とか離脱を試みようとする。ヴェイヨはこれまで幾度となく命の危険に晒されてきたが、その都度しぶとく生き残り、戦いに勝利してきた。それは、彼の持つ「再生」が彼を常に死の淵で支え、人族とは思えないほどの生命力を盾に、強引に掴み取ってきた結果であった。


 しかし、その「再生」も、「ブラインド」と「サイレンス」の前では無力だった。彼は真っ先に反撃手段を奪われ、この先はただ耐える他になかった。そして、耐えるだけでは、いずれ「再生」が間に合わなくなる。「再生」が活きている間に、離脱するしかない。


 そう思ったヴェイヨは音も光も失った中で右に手を伸ばすが、右手はすぐに石の壁に突き当たり、先に進めなくなる。ヴェイヨは慌てて左に手を伸ばすが、すぐに石の壁に突き当たった。背中には先ほどから石の壁の感触が残っている。




 石の壁に、囲まれている。




 その事実を知ったヴェイヨは怖気立ち、一縷の望みを託して、残った一方向へと手を伸ばそうとする。


 そんなヴェイヨの右胸に、激痛が走った。




「                          」


 あまりの痛みにヴェイヨは音なき叫びを上げ、伸ばした手を引っ込めて、両腕でガードする。しかし、激痛はそれでは終わらなかった。ガードしたはずの両腕は、まるで何匹もの甲虫が腕の中に入り込んで食い散らかしているかのように無数の激痛に覆われ、瞬く間にヴェイヨの両腕はいう事を利かなくなる。自らの体が何匹もの甲虫に喰われている事を知ったヴェイヨは喚き、泣き叫ぶが、甲虫は構わず群がっていく。腕、腕、肘、腕、手、手、肩、腕、手、腕、肘、腕、…。


 ついにヴェイヨの両腕が力尽き、体の両脇に垂れ下がった。そして甲虫の群れは、喜び勇んで他の部位に噛り付いた。


 肩、胸、腹、腹、腕、腹、腰、腰、腹、腹、胸、胸、胸、胸、肩、肩、胸、肩、肩、首、首、顎、頬、口、口、鼻、頬、目、耳、額、頭、頭、あた




 ***


 狭い石の部屋の中で無様な踊りを披露するヴェイヨに、柊也が静かに語り掛けた。


「…アレは、俺のものだ。アレは、俺の女だ…」


 1丁目のカービンを放り投げた柊也は、すぐさま2丁目を両手で構え、撃ち放す。先ほどまで目まぐるしく動いていた左手首は、今は動きを止め、カービンのハンドガードに添えられている。


 手話。


 柊也がハインリヒとヴェイヨ、ハンター達にかけた、「ブラインド」と「サイレンス」の正体である。柊也は研究の結果、日本で使われている手話が詠唱に有効である事を知り、試行錯誤の末、いくつかの魔法を手話で詠唱できるようになっていた。


 柊也はカービンを撃ち放しながら、語り掛ける。静かに、淡々と、まるで底なしの穴の中から外界へ語り掛けるかの様に、ヴェイヨに語り掛ける。


「…なあ、アンタ。親から教わらなかったか?他人の物を盗ってはいけませんって、教わらなかったのか?間違って盗ったら、ごめんなさいしなさいって、習わなかったのか?…なあ、アンタ、聞いているのか?聞いていたら返事をしろよ…なあ…、糞があああああああああああああああああああああああ!」


 いつまでも返事をしないヴェイヨに、柊也は突然怒鳴り散らし、罵声を浴びせる。柊也は、ヴェイヨが「サイレンス」によって何も聞こえない事を知っていた。知っていたが、それを踏まえた上で、ヴェイヨが何一つ話を聞いていない事に怒り、ヴェイヨの不誠実さを罵り続けた。それに対し、ヴェイヨは異論を唱えようとしない。彼の頭部はすでに原型を留めておらず、先ほどまで滑らかに動いていた口は、器に開いた穴の様に、赤と白の液体を垂れ流している。


 2丁目を撃ち尽くした柊也は、3丁目を取り出しながら左手で腰をまさぐり、ベルトに吊り下げた3本のボイスレコーダーの再生ボタンを次々に押し、3丁目を撃ち放す。さらには、自らも詠唱を開始する。


「汝に命ずる。炎を纏いし球となり、巴を成せ。我に従って三条の弧を描き、彼の者を打ち据えよ」

「汝に命ずる。炎を纏いし球となり、巴を成せ。我に従って三条の弧を描き、彼の者を打ち据えよ」

「汝に命ずる。炎を纏いし球となり、巴を成せ。我に従って三条の弧を描き、彼の者を打ち据えよ」

「汝に命ずる。石を纏いて大いなる巌を成し…」


 カービンが咆哮を続ける中、柊也の頭上に9個の火球が現れる。そして、柊也の視線に導かれるようにヴェイヨへと飛翔し、かつてヴェイヨだった肉の塊に次々に着弾すると、炉の中から炎が噴き上がる。


「…彼の者の前にそびえ立て」


 炉の前に4枚目の「ストーンウォール」が立ち、ヴェイヨ・パーシコスキの火葬場が完成した。




 ***


 石の壁の前でカービンを撃ち放しながら、喚き散らす柊也の姿を、6人の男女が眺めていた。4人の男はシモンを押さえつけたまま、愕然とした顔で動きを止め、シモンは男達に押さえつけられたまま、涙を流す。セレーネも、弓に矢をつがえたまま顔だけを向け、呆然と立ちすくんでいた。


「パパ…」


 6人の中で唯一人、シモンだけが、笑みを浮かべていた。彼女は4人の男に押さえつけられ、身動きの取れない中、涙を流しながら歓喜に打ち震えていた。最愛の「父」が、私のために、あれほど怒り狂い、喚き散らしている。今や彼女にとって、彼の行動全てが、愛の言葉だった。「父」の怒声も、喚き声も、口汚い罵りも、全てが彼女にとっては甘美に満ち溢れた愛の囁きとなり、彼女の鼓動を早め、身を火照らせる。


 6人の目の前で、9個の火球が石壁へと吸い込まれ、直後に4枚目の石壁がそそり立つ。そして、全ての音が止んだ。




 穏やかな川のせせらぎと涼やかな枝のそよぐ音が、男女を優しく包み込む。




 3丁目のカービンが放り出され、耳障りな音を立てて地面に転がった。その音に男達は思わず肩を縮めて目を瞑ってしまい、やがて恐る恐る目を開き、顔を上げる。


 男達の方へ、柊也がゆっくりと歩いて来ていた。4丁目のカービンを見えない右手に持ち、左手首を目まぐるしく動かしながら、口を開く。


「汝に命ずる。風を集いし球となり、我に従え。空を駆け、彼の者を打ち据えよ」

「う…ぁ…、わああああああ!」

「目が、目がぁ!」


 竦み上がって中腰になっていたスヴェンに「エアバレット」が直撃し、スヴェンが後ろに吹き飛ばされる。一人の男が目を押さえ、喚き声を上げる。


「く、来るな!来たらこの女の命が…ぐあぁぁぁ!」

「ひ、ひぃぃ、…ぎゃあぁぁぁぁ!」


 震えながら、シモンの首に剣を突き付けようとした男は、セレーネに目を射抜かれて大きく仰け反り、その喉に2本目の矢が突き刺さる。柊也に背を向けて逃げ出そうとした男は、背中に無数の銃弾を受けて倒れ、そのまま動かなくなった。


 河原の石に頭を打ち付け、呻き声をあげて体を起こしたスヴェンの目の前で、目を押さえた仲間が、柊也に頭を撃ち抜かれて絶命する。腰が抜けて動けなくなったスヴェンに、柊也がゆっくりと近づいてくる。


「…わ、悪かった。俺達が全て悪かった。あんたの勝ちだ。あんたの言う事は、何でも聞く。だから、頼む!頼むから、命だけは助けてくれ!」


 近づいてくる柊也に、スヴェンは腰の立たないまま頭を下げ、そのまま土下座する。頭を下げたまま動かなくなったスヴェンの前で柊也は佇み、暫らくの間、周囲に沈黙が流れた。


「…本当に、何でもいう事を聞くか?」


 目を瞑ったまま頭を下げ続けていたスヴェンの頭頂に、柊也の声が降り注ぐ。スヴェンは勢いよく頭を上げ、生への望みをこの一言に託し、説得を試みた。


「ああ、勿論だ!このヴェルツブルグのスヴェン、約束は必ず守る!だから、何でもわた




 ***


「パパ…」


 全てのハンターを殺し、5丁目のカービンを右手に持った柊也は、座り込み泣きながら見上げるシモンの許へと歩み寄る。そして、シモンに左手を伸ばしながら口を開いた。


「シモン、舌を出せ」

「…は、はい!」


 柊也に命じられたシモンは、座ったまま背筋を伸ばし、目を閉じて舌を広げる。柊也はそのシモンの後頭部に左手を回すと、顔を寄せて突き出た舌を頬張った。


「…!」


 シモンは目を大きく見開き、そして再び目を閉じる。シモンは涙を流しながら柊也を追い求め、両腕を柊也の背中に回して、激しく掻き抱いた。シモンは腰を上げて膝立ちし、二人は唇を重ねたまま何度も頭を振り、互いの舌を求めあう。


「…ぁ…ん…」


 血と肉が飛び散って周囲に死体が転がり、血の匂いが充満する中、殺人鬼とその娘は、カービンを右手に持ったまま、父娘でもなく主従でもなく、男女の交わりを何度も交わす。そうして初めて一つになった二人を、セレーネは、2mの制限を外れて空腹になった事にも気づかず、ただずっと眺めていた。

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