第5章 西誅

71:西誅軍の出立

 ヴェルツブルグに帰着した北伐軍は、そのまま西誅軍へと名を変え、再度の出兵の日を待つ事になった。


 北伐での疲労が重くのしかかっている事を上層部は理解しており、即出兵というわけにはいかない。リヒャルトは西誅軍に北伐の報奨と10日間の休暇を与え、その間ヴェルツブルグを挙げて兵達の慰労に努めた。また、重傷者や様々な理由で従軍できない者達を解放し、代わりにセント=ヌーヴェルとエルフの悪行を喧伝して新たな兵を募る。並行して輜重の補充に努めた。


 北伐は、総勢31,000が出立し、28,000が生還した。その後、ハーデンブルグにおいてディークマイアー辺境伯直轄の兵1,200が離脱し、ヴェルツブルグへの途中で若干数が離脱したため、ヴェルツブルグへの帰着時には26,000となっていた。


 この26,000から重傷者等の解放を行ったわけだが、それでも24,000がそのまま西誅軍に鞍替えする事になった。正規兵15,500、ハンター3,500、輜重5,000である。正規兵と輜重は王家の命令に従い、ハンター達は国家戦争での臨時収入に目を輝かせて従軍を申し出る。そして誰もが、大なり小なり、北伐の不首尾に対する鬱憤を、西誅で晴らそうと息まいていた。


 そして、ヴェルツブルグ周辺での徴兵、募兵にて新たに16,000が加わり、10日後には総勢40,000の大軍がヴェルツブルグの郊外に展開される事になった。正規兵27,000、ハンター5,000、輜重8,000である。




 ***


「なりませぬ!此度の出兵は、断じて行ってはなりませぬ!」


 エーデルシュタイン王城の玉座の前で、コルネリウスは声を張り上げ、国王ヘンリック2世を諫める。傍らには王太子リヒャルト、第2王子クリストフが控えているが、リヒャルトは顔を歪め、明らかに不機嫌だった。


「ふむ…。何故だ?コルネリウス」


 ヘンリック2世は眠そうな目を向け、コルネリウスに説明を促す。


「はい。これまで我が国、カラディナ、セント=ヌーヴェルは、数百年に渡って共存して参りました。その間、確かに小競り合いや内乱はございましたが、総じて中原三国は互いの主権を尊重し、他国への全面的な侵攻は行っておりません。それにより東西の交流は発展し、現在では多くの物資がセント=ヌーヴェル、及びカラディナより運ばれております。これにより我が国は勿論の事、中原全体がかつてない繁栄を謳歌しております」

「ガリエルの侵攻はますます厳しさを増しており、現在の中原の繁栄、及び各国の綿密な連携を踏まえても被害を最小限に抑える事が精いっぱいの状態です。そのような均衡の中で西誅軍を興した場合、東西間の物流が完全に停止し、人族間に憎悪の種が振り撒かれる事になります。ガリエルに向けるべき鉾で、身内を傷つけてはなりません。家の中で家族同士がいがみ合っていたら、外からの侵入者に太刀打ちできず、やがて侵入者に家を奪い取られる事になります」

「ふむ…。リヒャルト、コルネリウスの意見をどう思う?」


 ヘンリック2世は、リヒャルトに発言を促す。


「コルネリウスの意見は、現実を見ておりません。確かに、肩を並べてガリエルに相対できる仲間であれば、鉾を向けるべきではありません。しかし、隣にいる相手が信頼できる仲間ではなく、寝首を掻こうとする敵であれば、それを放置する事は自らの死を招くだけとなります。セント=ヌーヴェルとエルフは、寝首を掻こうとカラディナに襲い掛かりました。その彼らが掌を返して元の鞘に戻ろうとするのを、そのまま受け入れるほど、馬鹿な話はありません。敵を見つけ出し、斬らなければなりません。コルネリウスの意見は、身中の虫をそのまま放置するに等しい。再び人族に牙を剥き、今度は心臓を抉られるやもしれません」

「そうではありません!殿下!当然、セント=ヌーヴェルには真相を追及し、償いをさせる必要があります。それがなければ、カラディナも我が国も、教会も納得できないでしょう。ただ、弁明の機会も与えず、いきなり誅伐の刃を向けるのは、いけません。一度相手を傷つければ、もはや引き返す道はなく、血みどろの道を突き進む事になります。今はまだ彼らの釈明を聞き、真相を追及して、行き違いを正す道が残されています!」

「何を悠長な事を!ここヴェルツブルグはギヴンより遠く離れており、情報も遅れている。すでに1ヶ月以上も前にセント=ヌーヴェルはカラディナへと侵攻しており、その間に何処まで被害が拡大しているか見当もつかぬ。親愛なる隣人が暴漢の手にかかって苦痛に身を捩らせているのに、素知らぬふりをして両者を会話のテーブルにつかせようとするほど、我が国は冷酷ではないわ!」

「兄上もコルネリウスも、少し落ち着いて下さい。陛下の御前ですよ」


 次第にヒートアップする二人を見て、クリストフが仲裁する。クリストフは、リヒャルトに向かって提案した。


「コルネリウスの意見には、一理あります。ここはもう少し、様子を見ては?それと、総指揮は兄上が執られるそうですね。自ら先頭に立つその心意気には感服いたしますが、北伐の時の様に思わぬ身の危険が迫り、上手く行かない可能性もあります。ここは身を引いて、他者に任せる方がよろしいかと」


 クリストフはリヒャルトの身を案じる様に言葉を投げかけるが、気の立ったリヒャルトには、いがくりの様に棘だらけにしか聞こえなかった。クリストフの発言の裏に、北伐の失敗を嘲笑する響きを感じたからである。


「いいや、私が総指揮を執る。寝食を共にした北伐の兵達が西誅に向かうのに、私だけが安穏とするわけにはいかぬ。それに教会では、ルイス・サムエル・デ・メンドーサが魔族ではないかと見ている。であれば、事態は急を要するのだ」

「何故ですか?ルイスが魔族であれば、彼を討てば終息に向かうのでは?」


 クリストフが疑問を呈し、それに対しリヒャルトが説明を加えた。


「忘れたのか?セント=ヌーヴェルは、ヲーにも侵攻している。つまりヲーの指揮官も魔族である可能性が高いのだ。そして同時期に侵攻した2人の指揮官が魔族である以上、それを任命した者も魔族であると考えるのが自然。つまり…」

「…パトリシオ3世が魔族である、と?」


 言葉を引き継いだコルネリウスが愕然とする。何ら根拠はないが、その論理展開は人々に十分な説得力を齎していた。そしてその事は、教会がパトリシオ3世を決して赦さない事に繋がる。つまり、西誅は決して止められない事を意味した。


 ここに来て、コルネリウスは諫言を断念する。魔族の関与と教会が断定した事に対し異論を述べるのは、自身に魔族の疑いをかけられる事に繋がってしまう。力なく首を垂れるコルネリウスの耳に、リヒャルトの声が聞こえて来る。


「陛下、西誅軍の司令にギュンター・フォン・クルーグハルト、参謀にハインリヒ・バルツァーを任命して下さい」

「なっ!?殿下!」


 西誅軍司令にコルネリウスの同輩の名が挙がった事を聞き、コルネリウスは慌てて顔を上げる。そのコルネリウスに対し、リヒャルトは些か突き放す様に言葉をかけた。


「コルネリウス、北伐での采配、見事だった。ヴェルツブルグでゆっくり体を休めてくれ」

「そんな!殿下、引き続き私に西誅軍の采配を振るわせて下さい!」


 コルネリウスの懇願に、リヒャルトは首を横に振る。


「駄目だ。西誅は人族同士で血みどろの争いをする事になる。大義の下に、冷然たる決断が必要だ。お主は命令とあれば気丈に振る舞うだろうが、先ほどの考えを持っている以上、ここぞという時に判断が鈍る恐れがある。それに、私としてもそのような心痛をお主に負わせたくないのだ。ギュンターはお主より感受性が鈍いが、その分、情に流されない。西誅には適任だ。それに彼は北伐への従軍を認められず、無聊を託っていた。今回は彼に華を持たせてやれ」


 そこまで言われてしまうと、コルネリウスとしても引き下がる他になかった。


 こうして、ロザリアの第6月12日、西誅軍はヴェルツブルグを出立する。総指揮リヒャルト、司令官ギュンター・フォン・クルーグハルトが率いる総勢40,000の大軍が、セント=ヌーヴェルの首都サンタ・デ・ロマハを目指して西へと進軍していった。




 西進する西誅軍の中で、一人のハンターが、楽しそうに腕を打ち鳴らしていた。


「いいねぇ!いいねぇ!北伐から戻って直ぐに、でかい戦いだ。しかも今度は同じ人族だ。やりがいがあるねぇ。良い女が沢山いるだろうなぁ。楽しみで仕方ねぇや!」


 ヴェイヨ・パーシコスキは、舌なめずりをし、口の端を吊り上げて笑った。彼は粗暴な男ではあったが、悪党ではなかった。ただし、悪党ではないのは味方に対してだけであり、敵に対しては容赦がなかった。敵に対しては、彼は容赦なく襲い掛かり、戦場での役得とばかり良い女を捕らえ、暴行するのが常であった。


 セント=ヌーヴェルは中原三国の一つであり、人口も多い。さぞ良い女も多数いるだろう。西誅の名の下にその様な女たちを思うままに抱けると思うとヴェイヨはいきり立ち、早く戦場に着かないかと、心を浮き立たせるのだった。

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