67:北伐軍の最期

 ギヴンの街で当座の食料を確保したセント=ヌーヴェル北伐軍は当座の飢えを凌いだ後、故国へ帰還すべく行軍を開始する。エルフと袂を分かった後も正規兵10,000、ハンター1,500、輜重1,000の総勢12,500を数え、大きな勢力を維持していた。ただし、この人数の多さが、現在全ての点で足を引っ張っている。行軍は遅く、士気の低下により末端まで統制が取れず、僅かな食料は瞬く間に目減りする。司令部の目の届かない左右や後背の兵士の中には、途中で隊列を離れ、周囲の民家に押し入る不埒者が、現れ始めた。


 セント=ヌーヴェル北伐軍は整備された街道に沿って、カラディナ北部を沿うように西進する。レヴカ山を回り込むように時計回りに進み北上した北伐軍は、3日後、この地方最大の都市ラ・セリエに到着した。


 しかし北伐軍の前にラ・セリエは重い城門を閉ざし、北伐軍の進入を拒んだ。城壁の上には多数の兵士やハンターが列をなし、北伐軍が近寄ろうものなら矢や魔法を射かけんとしていた。すでに北伐軍のギヴンで行った蛮行がカラディナの北部から中部へと伝わり、進路上の街々は籠城に向けた準備を着々と進めている。北伐軍は、同じ人族の生活圏であるにも関わらず、北伐の地と同様に飢えに苦しむ事が決定してしまっていた。


 攻城や街の占拠が目的ではない以上、容易に進入できない街は諦めるしかない。北伐軍は早々にラ・セリエを離れ、街道を西へと進む。その頃にはもうギヴンで入手できた食料は半減しており、司令部は次の食料の入手方法に頭を悩ませる事になる。しかし、その後も北伐軍が通過する主要都市は全て北伐軍に対し城門を閉ざし、一切の交渉を拒否する。ギヴンでの惨劇によりカラディナ北部は北伐軍に対する敵意に溢れ、北伐軍は敵襲を恐れ、日を追う事に神経質になっていった。食料も底をつき、なし崩し的に防備の薄い村落を襲撃して当座の食料を確保しようとする動きが、部隊クラスで頻発するようになる。それによって北伐軍は次第に盗賊の集団へと変質し、司令部の統制がより困難となっていく。皮肉にも司令部の統制が届いている部隊ほど食料の入手が困難になり、飢えに苦しむようになる。こうして北伐軍は、倫理が高い飢餓の群れと、欲望に流される盗賊の群れとに、二分されるようになっていった。


 そしてカラディナ北部は、襲撃を受けた村落の惨状を知り、より一層怒りを露わにする。先行するエルフの騎馬団を見かけた住民は、次は自分達が被害を受ける事を知って恐慌に駆られ、村落から逃げ出す者が続出した。




 ***


 カラディナの中央部にある首都サン=ブレイユでは、北部から次々と聞こえて来る動静を元に、「六柱」の当主達が今後の行動を協議していた。


「襲撃を受けた村落に対し、政府から復興支援を行う。先日可決した戦時徴税の税収分から復興に必要な物資や土木事業に充てるので、各家とも対応を頼む」

「首都近郊での募兵及び軍編成については、順調に進んでいる。ハンターも含めれば、1週間で15,000に届く予定だ。討伐軍司令官として、ダニエル・ラチエール殿を任命しよう」

「教会、及びエーデルシュタイン王国に対し、セント=ヌーヴェルの北部侵攻、及びヲーでの蛮行について早馬を出した。これで両者の支持を取り付ける事ができるだろう」


 各家からの情報を踏まえ、「六柱」筆頭のジェローム・バスチェが口を開く。


「セント=ヌーヴェルにも、詰問の使者を出した。こちらは南西部金鉱脈の割譲だけを予定していたのに、向こうが勝手に失点を重ねたからな。北部一帯の失態で、どれだけ賠償金を吹っ掛けられるか、楽しみであるな」


 ジェロームの発言に、各家の当主が異口同音に、口の端を吊り上げて頷く。「六柱」にとって国民とは、金の生る木である。平時は「六柱」が求める物資を安く提供してくれ、「六柱」が提供する製品を高く買ってくれる。「六柱」が小遣いを求めれば税という形で惜しみなく支払ってくれ、そして今回の惨事では何の落ち度もない無辜の良民としてセント=ヌーヴェル北伐軍の前を逃げ惑い、カラディナが被った被害に彩を添えてくれた。彼らの犠牲があってこそ、カラディナの正義が証明されるのだ。もちろん彼らの悲劇を、「六柱」は坐して傍観するつもりはない。彼らの代わりに泣き、彼らの仇を討ち、彼らの悲劇に見合う対価をセント=ヌーヴェルから搾り取り、懐に入れるつもりだった。


 ジェロームは言葉を続ける。


「司令官のダニエル殿には、軍が整い次第、早急に討伐に向かっていただこう。北部の住民の悲劇を、政府が断固として止めるのだ。相手は数が多いだけの、帰宅を夢見る餓えた浮浪者だ。後ろからけしかければ、振り返る事なく、一目散に家路につくだろうよ」




 ***


 ロザリアの第5月10日、ダニエル・ラチエール率いる討伐軍は、首都サン=ブレイユを出立する。北部の惨状を耳にした中部の人々は、セント=ヌーヴェルの横暴に怒りを抱き、討伐軍には多数の志願兵が参加し、大量の支援物資が提供される。戦力は正規兵、志願兵、ハンターを含めて18,000。それに輜重が2,000の、総勢20,000の大軍である。司令官ダニエルは討伐軍をサン=ブレイユから北北東へ出立、やや迂回する形で反時計回りに軍を進め、北部を西進するセント=ヌーヴェル軍へと近づいて行った。


 この頃になると、セント=ヌーヴェル軍はほぼ完全に飢餓の群れと化していた。大都市は城門を閉ざし、セント=ヌーヴェル軍はすでに攻城するだけの持久力を失っているため、手も足も出ない。街道沿いを西進する中で、目についた村落があれば片っ端から襲い掛かり、食料を根こそぎ持ち去っていく。街道沿いに目につく畑にも踏み入り、成熟しきっていない芋を掘り起こし、未だ青々とした麦畑を踏み倒して口に入る物を探し回った。


 そして、ロザリアの第5月16日。ついに自分達の後背に姿を現した討伐軍を見て、セント=ヌーヴェル軍は贖罪の時が来た事を悟る。かつては善良な良民、良識ある兵士、誇りあるハンターであった彼らは、自らの命を食つなぐためとは言え、自分達の行ってきた行為が如何に非道である事であるかを知り、その上で餓えに負け、目を背け続けてきた。それが後背の討伐軍を見た途端、自らの目の前に立ちはだかったのだ。彼らは戦意をなくし、自らの行為を恥じ、それでも飢えと死から逃れようと我先に前方へと駆け出して行く。未だ歩いて半月近くかかる遥か先の故国へ少しでも近づこうと、後先考えず、乏しい体力も顧みず、駆け出して行った。目の前で倒れた仲間を踏みにじり、進路を塞ぐ同輩を駆け分け蹴落として、駆け出して行った。


 一戦も交えず崩壊するセント=ヌーヴェル軍を見て、司令官ダニエルは、厳かに宣言する。


「カラディナの勇士達よ!今こそ、同輩達の恨みを晴らす時が来た!北部住民が被った悲しみ、苦しみをセント=ヌーヴェルの盗賊どもに償わせるのだ!全軍、突撃せよ!」

「「「おおおおおおおおおお!」」」


 ダニエルの宣言に応じ、討伐軍は我先に駆け出し、セント=ヌーヴェル軍へと襲い掛かる。討伐軍は士気で勝り、感情で勝り、陣形で勝り、体力で勝っていた。セント=ヌーヴェル軍は最初の衝突で脆くも崩壊し、逃げ遅れた者達は次々に討伐軍の手に落ち、討ち取られていく。


「セント=ヌーヴェルの勇士達よ!踏み止まれ!仲間の命を一人でも救い、故郷へと連れ帰るために、踏み止まるのだ!」


 セント=ヌーヴェル北伐軍司令官ルイスは、最後の最後に手元に残った僅か2,000の兵を連れ、討伐軍を食い止めようと抵抗を試みる。しかし彼の最後の手駒は、士気はともかく、体力の面では北伐軍の中で最も疲弊していた。彼らは司令官の命に殉じ、討伐軍と数合剣を合わせた後、次々と切り伏せられていく。


「何故だ!?何処で私は誤ったのだ!?何故私は、このような所で泥と恥辱にまみれて死を迎えなければならないのだ!?…セント=ヌーヴェル、万歳!!」


 ロザリアの第5月16日。セント=ヌーヴェル北伐軍司令官ルイス・サムエル・デ・メンドーサは、北伐の地ではなくカラディナ北部において、栄光ある北伐軍司令ではなく、唾棄すべき背信者として首を討たれ、カラディナの露と消えた。




 ***


 食料を失い、司令官を失い、同僚を失ったセント=ヌーヴェル北伐軍は、その日崩壊した。


 兵士達は散り散りになり、個人の才覚を頼りに故国への道を急ぐが、急追する討伐軍に次々と飲み込まれていく。周囲は全て敵地であり、味方は次々に倒れていき、そして己の体力もほとんど底をついている。生き残った兵達に残された選択肢は、討伐軍に追い付かれての死か、北部の住民から暴行を受けての死か、捕らえられ奴隷となる運命のいずれかであった。


 ロザリアの第5月30日。討伐軍は北伐軍の残兵を轢き潰しながら西進を続け、ついにセント=ヌーヴェル国境を越える。そして、残兵を掃討しながら進軍を続け、ロザリアの第6月5日、残兵を追いかける形でセント=ヌーヴェル東部の主要都市ラモアになだれ込んで占領すると、そこで進軍を止めた。ラモアに逃げ込んだ北伐軍の一部の残兵は、討伐軍によって引き立てられ、その場で斬首された。


 ギヴンの街で12,500を数えたセント=ヌーヴェル北伐軍のうち、生還できたのは、わずか2,000あまり。カラディナ領内とラモアで4,500が死亡し、6,000が降伏の後、奴隷の身へと落とされた。

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