66:帰還、そして(3)

 ロザリアの第4月2日に発生したセント=ヌーヴェル北伐軍とハヌマーンの戦闘は、2日間に渡って繰り広げられた。


 戦闘の途中から北伐軍を襲った上空からのブレスによって北伐軍は一時崩壊寸前に陥り、北伐軍司令官ルイス・サムエル・デ・メンドーサは全滅を覚悟したが、その後何故か上空からのブレスは止み、北伐軍は最後の一歩で何とか踏み止まる事ができた。ただ、そこから立ち直る事は、困難を極めた。左翼は完全に崩壊して中央前衛も突破され、司令部の直前でハヌマーンの攻撃を何とか食い止めていた。


 ハヌマーンとの戦力比は、数だけで言えば北伐軍は14,000を数え、未だハヌマーンよりも多い。しかしハヌマーンの身体能力は人族よりも高く、乱戦状態によってその身体能力を存分に発揮される様になっていた。北伐軍は本来、接近戦となる前に弓や魔法によってハヌマーンを怯ませ、その間に一撃離脱を行うという組織だった戦いによってハヌマーンの力を発揮させない様にすべきなのだが、戦況が泥沼化した事で、屈強なハヌマーンの前に北伐軍は恒常的な出血を強いられていた。




「それじゃ右翼は、あんたに任せる。我々が突っ込んだ後、示し合わせた通り、行動してくれ」

「わかった。ミゲル殿、世話をかける」


 混乱の中、何とか右翼の副将と渡りを付けたミゲルは、右翼の指揮権を副将に委譲すると、ラトンのエルフの元へと駆け戻る。乱戦により散り散りになっていたエルフ達であったが、右翼は何とか盛り返し、ミゲルの招集により、再び1箇所に集まって騎馬団を構成していた。右翼は上空からのブレスを浴びなかった事で、未だ800以上の戦力を有している。


 ミゲルは自分の愛馬に跨ると、ラトンのエルフ達に向けて声を張り上げる。


「ラトンの勇士達よ!これから中央に群がるハヌマーンどもを叩く。ハヌマーンの後背を駆け抜け、背後から射抜き、撫で斬りにしろ!その場に止まるな、駆け抜けろ。後始末は人族がやってくれるからな!」

「「「おおおおお!」」」

「では、出立!」


 未だ士気の高いエルフ達を従え、ミゲル率いる騎馬団は馬を駆り、最右翼から回り込むようにして中央に群がるハヌマーンへと襲い掛かる。正面からは突っ込まず、後背を掠める様に駆け、後ろから弓を放ち、馬上から剣を振り下ろす。前ばかりに注目していたハヌマーン達は、後ろからの攻撃に驚き混乱して、中には同士討ちを始める者もいる。エルフ達は混乱するハヌマーンを余所に、そのまま馬を駆り、最左翼まで駆け抜けた。


 その後を追うように副将率いる右翼が反時計回りに移動し、ハヌマーンへと襲い掛かる。後背に気を取られていたハヌマーン達は、今度は横からの攻撃に慌てふためいた。横からの圧力で人口密度の上がったハヌマーン側の中央では、更なる混乱が生じ、味方同士で傷つけあう。


 それを見た北伐軍司令官のルイスが、声を張り上げ、中央を鼓舞した。


「右翼の応援が来たぞ!人族よ、エルフ達よ、今こそハヌマーンどもを押し返せ!」


 ルイスの声を聞いた中央の兵士やエルフ達は、最後の力を振り絞り、ハヌマーンへと立ち向かう。混乱するハヌマーンへ矢を放ち、魔法を撃ちこんで混乱を助長し、そこへ斬り込んでいく。一瞬の風向きの変化に北伐軍は機敏に反応し、戦いの趨勢は瞬く間に変化していった。




 中央後背をかき回して戦況を覆したミゲルは、その場に留まる事なく、騎馬団を率いて左翼が存在していた地帯へと突入する。そこでは、軍から切り離された人族やエルフ達が、少数の塊となって必死に抵抗を続けていた。


 ミゲルは小集団に群がるハヌマーンに襲い掛かり、瞬く間に蹴散らすと、集団に向かって声をかける。


「誰でもいい。この辺の集団を取り纏めて隊を整え、中央に合流しろ!我々がこの辺りを一掃して、生存者を連れてくる。それを編成しろ!」

「わ、わかった」


 集団の中でも年嵩の男が返事をする。ミゲルはそのまま、その集団の中にいたエルフの一人に声をかけた。


「おい。あんた達のリーダー、セレーネ殿は無事か?」

「セレーネ様は、100頭以上のハヌマーンどもに追われ、単身、軍からはぐれてしまいました。…おそらくは…うぅぅ」


 ティグリのエルフはミゲルにそう答えると、堪え切れずに涙を流し始める。それを聞いたミゲルは、沈痛な面持ちで言葉を返した。


「そうか…セレーネ殿に、サーリア様の安寧が訪れん事を…。セレーネ殿の遺志を無駄にせぬよう、一人でも多くのエルフを生きて帰すぞ。ティグリのエルフ達を取り纏めてくれ」

「うぅぅ…、わ、わかりました」


 そうミゲルはティグリのエルフを慰め、ラトンのエルフ達とともに馬を駆る。そうして、周囲を駆けまわってハヌマーン達を蹴散らし、散り散りになっていた人族やエルフを連れ帰ってくる。


 やがて1,000近い人数をかき集め、まがりなりにも軍の体裁を整えたミゲルは、未だ戦いの続く中央へと送り込んだ。




 結局北伐軍は、その場で掴んだ風の変化を離さず、ハヌマーン軍を撃退する事に成功する。ハヌマーン軍を撃退した北伐軍は、その場で簡易な砦を築いて奇襲に備えると、負傷者の治療と軍の再編に取り掛かる。崩壊した左翼を補うために、右翼を分割して左翼を設け、新たに指揮官を指名した。


 再編の間もミゲルはラトンの騎馬団を率いて戦場を駆け巡り、ハヌマーンの残党を討ちつつ周囲を警戒し、その足で負傷者やはぐれた味方を回収していた。ミゲルは、氏族の垣根を超えて生き残ったエルフ達を労わり、自軍へと組み入れる。リーダーを失ったセルピェンとティグリはミゲルの指揮下へと入り、最終的にミゲルの騎馬団は1,400となった。ラトンが800、セルピェン200、ティグリ400である。セルピェンとティグリは、ブレスの直撃と中央及び左翼の崩壊により甚大な損害を被り、特にセルピェンは中央前衛で逃げ場がなかったため、壊滅的な状態だった。馬も相当数の被害を受け、体の軽い者を中心に氏族の隔てなく、二人乗りをする者も多数存在していた。




「撤退する先は、ギヴンしかない…か…」


 撤退に当たり、ルイスは指揮官を集め、最終的な確認を行う。ルイスの呟きを受けて、輜重部隊の指揮官が声を上げた。


「はい。ブレスの掃射を受け、輜重の多くを焼損しました。現在残っている食料を切り詰めても、せいぜい2週間程度。ギヴンへの撤退でさえ、十分ではありません」

「…」


 指揮官の報告を受け、ルイスは渋面を作る。カラディナを通る道は、正直に言って選択したくなかった。何ら問題のない往路でさえ断られている。復路は事前承諾なしで向かわざるを得ず、しかも輜重を失い、食料に事欠いていた。ギヴンから先の食料調達のめどが立ってない中で、14,000名もの軍が他国内を通過するのだ。平穏無事にコトが済むとは、どう楽天的に見ても、思えなかった。


 しかし、他に選択肢はなかった。往路と同じ回廊を抜けるには、今の4倍近い食料がいる。魔物が蔓延る回廊を、食料も無しに2ヶ月近くかけて進むわけには、いかなかった。魔物を片っ端から狩っても、14,000の口には届かない。回廊ルートでは、途中で全滅するのが明白だった。北伐軍司令官としての重責を果たすべく、ルイスは苦渋の決断をし、重い口を開く。


「…わかった。本軍はこれより、ギヴンへと撤退する」


 そうして2日間の戦いを終えた北伐軍は、ギヴンへの撤退を開始した。




 ***


 案の定、セント=ヌーヴェル北伐軍が到着したギヴンの街は、大混乱に陥った。


 撤退を開始して以後、北伐軍は魔物の襲撃をほとんど受けずにギヴンへの帰還を果たすことができた。しかし食料問題は悪化の一途を辿り、ギヴンに到着する前々日に食料が枯渇し、北伐軍は丸一日以上、「クリエイトウォーター」が齎す水だけで、飢えを凌いでいた。


 ルイスが決死の思いで出立させた先触れの騎士が本軍到着の前々日にギヴンへと到着していたが、それは事態の好転には繋がらず、むしろギヴンの街では食料を買い占め、家の中に隠す住民が続出する。しかも、ギヴンに逗留していたカラディナ北伐軍の正規兵2,000が未だ北面の防備に留め置かれていたが、高級指揮官が軒並み戦死しており、判断力の乏しい部隊長クラスの指揮官が取り仕切っていた。


「貴軍の入国は、政府から許可が下りていない。お帰りいただこう」

「なんだと!貴官は、我々に死ねと申すのか!」


 カラディナ北伐軍の指揮官からの、内情を鑑みない一方的な通達に、セント=ヌーヴェル北伐軍の幕僚達は憤慨する。すでに食料が枯渇し、丸一日以上食べ物を口にしていない人々を前に、カラディナ北伐軍指揮官の発言は、あまりにも冷酷であった。


 カラディナ指揮官の融通の効かなさにルイスは頭が沸騰する思いだったが、何とか自制し、ギヴンの街の代表者に交渉を試みる。


「それでは、せめてギヴンでの食料の購入及び支援を要求する。本軍の帰還に必要な食料を確保できれば、ここから立ち去ろう」


 それはルイスにとって、最大限の譲歩であったが、ギヴンの代表者は無情にも首を横に振る。


「申し訳ないが、それもお受けしかねる。ギヴンの街には、貴軍を賄うだけの食料を確保していない。それに、貴軍は食料の購入に十分な資金を所持していないではないか。空手形を見せても、ギヴンの住民が納得するわけがないですからな」

「提供いただいた食料の代金は、帰国後、必ずギヴンの街へと送り届ける。それは、この私、ルイス・サムエル・デ・メンドーサが身をもって保証しよう」

「あなた様が如何に高位の方か、私どもは存じておりませんからな。その様な口約束では信用できませぬ」


 ギヴンの代表者は、ルイスに詰め寄られても頑として首を縦に振らない。代表者は、隣にいるカラディナ北伐軍の威を借りれば、セント=ヌーヴェルを追い返せると考えていた。先ほどのカラディナ指揮官の、相手に動じない物言いも頼りがいがあったし、それに何と言っても同じ人族だ。いくら険悪となっても、最終的には争いは回避できると考えていた。代表者は、カラディナ指揮官が勇猛なのではなく、思考放棄していた事に気づいていなかった。そして一方の指揮官は、これまた代表者の頑とした態度に信頼を寄せ、同調していた。言うなれば、お互いがお互いの虚勢に頼っていたのだ。


 その様な二人を前にして、14,000の命を預かるルイスとしては、引くわけにはいかなかった。


「お二人のご意見は、よくわかった。お二人にお引き取り願え。我々は、14,000を生きて帰すために必要な行動を、取らせてもらおう」




 その直後からセント=ヌーヴェル北伐軍が開始した食料購入の交渉が、略奪行為へと変化するのに、そう長い時間はかからなかった。北伐軍の輜重部隊は、輸送用の兵士を連れてカラディナ北伐軍の保有する食料と、ギヴンの倉庫にある食料の購入に訪れたが、門前払いにも等しい仕打ちを受ける。それを見た兵士が激高して始まったカラディナ側とのもみ合いはやがて略奪へと発展し、しまいには刃傷沙汰となる。それによってカラディナ側は完全に敵対し、ギヴンの街のあちらこちらでセント=ヌーヴェル兵士に暴行が加えられ、セント=ヌーヴェル側がそれに報復する。ついにはギヴンの街に火が放たれ、住民が逃げ惑う中、兵士達がギヴンの食糧庫から全ての食料を持ち去って行った。


 翌日、街のあちこちから煙をあげるギヴンを背に、セント=ヌーヴェル北伐軍はカラディナ国内の西へ向けて移動を開始する。ギヴンでの略奪によって当座の食料を確保したセント=ヌーヴェル軍だったが、カラディナ横断には全く足りていなかった。ルイスは、この不始末を、帰国後自分の首で償う事を心に決め、全軍の出立を宣言する。そのルイスに、ミゲルが進言した。


「ルイス殿。我々エルフは、ここでお別れする。我々は別行動で、大草原へと戻ろう」

「…理由を教えてくれるか、ミゲル殿」


 この一晩で一気に老け込んだルイスに、ルイスより遥かに若い姿で、遥かに年嵩のミゲルが答えた。


「我々エルフは、同胞たる人族を害するわけにはいかない。我々が人族を害した場合、二つの種族の間に破滅的な諍いが起きてしまう。それは何としても避けねばならない」

「…」

「もう一つは、わずか1,400とは言え我々が分派行動する事により、貴軍の食糧事情を僅かばかりでも好転させるためだ」

「…わかった。了承しよう」


 疲れ切った顔でルイスは了承し、その場で筆を走らせてミゲルに書類を渡す。それは、エルフの分派行動がルイスの承認の下で行われた事と、ルイスの名でセント=ヌーヴェル国内の通過を許可した書類であった。


 ミゲルの発言の通り、エルフ達は昨日の略奪に一切参加しておらず、未だカラディナとの諍いには関与していなかった。ミゲルはここがギリギリのラインと判断し、ルイスとの別離を決断したのだ。ルイスを最後まで支援できないのはミゲルとしても忸怩たる思いだが、ここは種族間の利害を優先させるべきだった。


「では、ルイス殿。貴軍の幸運を祈る。いずれ、大草原に来てくれ。極上の馬乳酒を用意しておこう」

「ああ、楽しみにしている」


 二人は実現しないであろう約束を交わし、ミゲルはエルフの騎馬団へと戻る。ミゲルは、その場で一行に向けて声を張り上げた。


「我々はこれから本軍と袂を分かち、別行動を取る。途中、人族に会う事があろうとも、決して害してはならぬ!いいな!」

「「「おおおっ!」」」


 ミゲルの宣言に対し、エルフ達は弓や剣を掲げ高々に応える。ラトン、セルピェン、ティグリ、異なる三氏族の混成でありながら、彼らは一切の蟠りもなくお互いを助け合い、共に大草原へ戻るために協力し合っていた。ラトンのエルフの馬に、馬を失ったセルピェン、ティグリのエルフ達が同乗している。


「それでは出立!」


 ミゲルを先頭に、1,400のエルフが移動を開始する。彼らは全員が騎乗しており、本軍よりも機動力があった。彼らは換えの利かない馬達を労わりながら、街道を西進して行く。途中、いくつもの街の前に差し掛かるが、決して街には入らず迂回して、極力人族から距離を保った。


 夕方になると彼らは山野へと分け入り、適当な草原を見つけるとそこで野営して、馬を労わる。そして、自らは狩りへと向かい、周囲で手に入れた肉と魚、木の実を分け合って、飢えを凌いだ。


 エルフ達は人族の地に疎かったが、優れた方向感覚と五感を活かして正確に帰還の方向を見定め、一人の脱落者も出さずに、セント=ヌーヴェルへの帰還を果たす。ミゲルが宣言した通り、人族に全くの害を与えず、カラディナを通過する事に成功した。


 しかし、真実が必ず正確に伝わるとは限らない。カラディナのあちこちで目撃されたエルフの騎行は、その後のセント=ヌーヴェル本軍の惨状と混ざり、歪んだ姿で中原全体に伝わっていくのであった。

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